2019年4月15日 (月)

人様とのご縁

おはようございます。

先週の東京、千葉はとても寒い日が続きました。

次男の中学入学式は雨で気温5℃位。

体育館の後ろの列は外とほとんど変わらない気温で、苦行の様でした。

でもそのおかげで、桜はかつてないほど長持ちしています。

先週半ばでこの通り:

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水が近いこともあり、この桜の花は驚異的に長持ちしています。

楽あれば苦ありです。

先週も多くのお客様、取引先様とお会いし、助けていただきました。

そこには驚くような出会いもあります。

先期末で廃業された会社の仕事をやってくださる、新規の会社の方と話していたところ、

前の会社の仕事をこなしてくださるのはもちろん、最近持ち上がった全く新しい課題にも

良き解決案を持っていることが判明。

いくら探してもなかなか見つからなかったのに、見えない向こうから引き寄せられて縁を頂くというような。

そんな時はいつも不思議な感覚に襲われます。

お釈迦様の言葉に

「対面同席五百生」

という言葉があるそうです。

今身近にいる人は今世では初めてあった人でも、過去生では500会っているという意味だそうです。

数十代遡れば、ほぼ必ず何らかの縁があるという事実からも、何だかうなずける気がします。

(30代で日本人全員が親戚という試算もあるそうです)

 

縁ある人を大切にしようとすると、反面突然切れてしまう縁もあります。

何か見えない力が働いているのですね。

周りから元気を奪うような人や組織と付き合うのは、とても疲れるものです。

疲れて大変な思いをしても、励まされたり、感謝されたりすれば

前向きに頑張れるものです。

自分や自分の組織はそのような状態にならない様に、謙虚さを忘れずに注意をしていかなければいけないです。

つながる縁、切れてしまう縁、自分を見失わなければ前向きに前進できると思います。

だってすべてお釈迦様にはお見通しですから。

 

前にも書きましたが、縁のように見えないものが見られるようになるのが写真のような気がします。

とても素敵に見える人でも、写真に写っている姿はなんだかパッとしない。

逆に普段は目立たないのに、写真の中では誰よりも輝いている。

一瞬の今を、見たままに切り取る。そこにはそれ以外の匂いや雰囲気が入り込む余地が無いので

ありのままのその人を映すのだと思います。

かつては写真に撮られる=魂を抜かれると信じられていたとか、意外と事実かもしれませんね。

だからなのか昔の写真を見ると、そっぽを向いている写真が多いです。

 

どんな場面でも正直に、まっすぐと生きる。

いつ写真にとられても良い表情でいるようにする。

これができたらきっと、いつも幸運を引き寄せる人生を送れると思います。

本当に大切なことは学校では教えてくれません。

日々自分で気づき、実践するしかありません。

 

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

 

 

2019年4月 8日 (月)

新年度の行方

おはようございます。

新年度の始まりと同時に新元号発表。

新元号「令和」良い響きだと思います。世界で唯一公式に独自の元号を持つと言われる日本。

色々な意見があるようですが、

批評、評論するよりも、新しい元号を良い時代にするべく動くのみです。

ちょっと考えてください:

イギリスビックベンが基準の「時間」を当たり前のように使い、

サマータイムをどうするかなどと議論する。

特定の宗教が定めた年暦を、便利だからと世界中で当たり前のように使う。

この状態は果たして正常なのでしょうか?

例えば:

「我が国の主産業は農業です、日が昇れば起きて、沈めば家に帰って寝ます」

「時間?お天道様に合わせていますよ」

「今何年かって??意識しねぇなぁ」

「そっか年ってあれだ、種まきして、雨が降り、日が照って、収穫祭」

「また一年無事に暮らせて感謝しているよ」

この国の民は皆幸せに暮らしています。

きわめて正常です。

そしてこの日の移り変わり毎にお祈りしてくださっている天皇。

代が変わり新しい天皇陛下が即位され、元号も変わる。

批評・評論の対象にする事でしょうか?

 

さて新年度に入るにあたり、今週は会社の経営環境を考えます。

日向では、端子やコネクター等自動車の電気化にかかわる部品が多く、

今のところ業績の落ち込みはありません。

ただし、現状を全く楽観視していません。

先週はプレス工場経営の先輩と、工具メーカー営業の方から現実の状況をお聞きしました。

プレスメーカー社長談:

自動車については、中京地区の取引先で金曜日休みの帰休が始まっている。

汎用自動車向け部品はすでに三割ダウンなら良い方と言う状況である。

工具メーカーの方談:

半導体についていえば、製造装置の落ち込みは酷くほとんど動いていない品種もある。

また、3月末での廃業が多く工具を扱う小売商社は売り先をなくしている。

それでも東京(東北含む)はまだ良いが、中京地区の落ち込みがひどく

その赤字分を東京でカバーしている。

お二方共に中京地区の落ち込みがひどいと仰っていました。

中京地区と言えば、自動車産業の中心地です。

東京よりも景気が良いと言われても不思議ではない地域ですが、そこまでの落ち込みとは。

これは非常に怖い状況です。

 

GDP世界一位の米国と二位の中国が貿易戦争。

そしてヨーロッパもイギリスのEU離脱で景気大減速…

この様な世界情勢の中で日本だけが安泰などありえないのは、考えればわかる事ですが

実務者の方から現実をお聞きする衝撃はやはり大きいです。

より一層気を引き締めていかなければいけません。

 

ではどうするか?プレス会社経営の先輩社長からヒントを頂きました。

「従業員がいるから経理や営業をしているが、本当は現場でモノ作りに没頭したい」

「金属の事をいろいろ考えているのが楽しくて仕方ない」と。

色々な意見があると思いますが、日本を支えているのはモノづくりだと思います。

社長のおっしゃるように「楽しいから」仕事をする。

楽しいとは言い切れないまでも、責任を果たすために時間を使う。

と言うのは、上に書いた幸せに暮らす農家の方の話にも通じるものだと思います。

現代は「ハラスメント」「労働規制の強化」などで、何か人が小さく委縮させられている気がします。

労働=嫌な事というが前提にすらなっている気がしてしまいます。

自分の趣味でやっている行為は、寝る時間を削ってでも徹夜してやってしまう。

本を読んだり、ゲームをしたり…体は辛いけど、気分は良い。

仕事をこんな風に考えられる人が増えれば、国は発展すると思います。

もちろん無理やりはだめですよ、それは嫌がらせですから。

 

あともう一つ大切な事。

先に書いた農業主体の幸せな国、この国が維持されるのは外交、内省等に係る人(官僚や政治家)

が高い見識(哲学、歴史)と大局観を持っていなければいけません。

農民を守るために仕事をするのです。その両輪があり、初めて国として成立します。

これは会社はもちろん国にも当てはまる極めて普遍的な考え方です。

新しい物を作るのはもちろん勉強、そして経営者もそれ以上に学び続ける。会社を守るために。

景気が悪くなると、すべての会社にいきわたる「仕事」が無くなります

やはり生き残りのためには、日々勉強です!

写真ですが、この季節と言えば桜!

先週は異常寒波で桜が散らずに残りました。多くの学校で入学式に桜花が楽しめたと思います。

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寒さに耐える事で生きる桜の花。

人も一緒かもしれません。桜の花は本当に色々な事を教えてくれます。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2019年4月 1日 (月)

年度の変わり目

おはようございます。

今日は4月1日、新年度の開始です!(日向の会計年度では9月が期変わりですが)

東京は桜も満開になり、すっかり春になりました。

新年度が始まるという事は、前の年度が終わるという事でもあります。

日向の周りでも、お世話になっていた会社が二社事業を停止しました。

高齢化、事業不振、後継者不在など理由は様々だと思いますが、景気は確実に悪化しているのを実感します。

今まで通りの明日は来ないという事です。

会社が存在出来ているという事は、社会からの期待があるという事です。

それは製品だったり、サービスだったり、業種によってそれぞれですが

いずれにしてもその会社が必要とされていなければ、どんなに立派に見える会社でも

あっという間に消えて無くなってしまいます。

もちろん逆もあり、小さな会社でも必要とされる会社は激動の世の中でも

同じように明日を迎えられます。

同じような明日、普通の日常、これを維持するのはそれほど難しいという事です。

消えるか、残るか。その差は何でしょうか?

それは組織に自立の精神があるかどうかです。

他者によりかかる人が多くなれば、大きな組織でも倒れてしまいます。

自立とは、各自が持っている技を他者に施すことに誇りを持っている事とも言えます。

例えば医者であれば、目の前で苦しんでいる人を救う。

自転車屋さんはパンクして困っている人を助ける。

お弁当屋さんは毎日決まった時間に、安全な食べ物を届ける。

一見違う職業に見えますが、その本質は全く一緒です。

自分が動くことにより、他者の役に立つ。そしてその行為に対して誇りを持つ。

まだ技がそこまでいかない人は、誇りを持てるようになるまで学び、自分を高める。

現代日本社会はこの基本が忘れられている気がしてなりません。

その一因は、なんだか皆が理解したように広まっている「ハラスメント」という言葉。

日本語にしたら何でしょう、「嫌がらせ」、「嫌悪感を抱かせる行為」…

日本人なら誰でも子供の頃に言われていると思います、

「人の嫌がる事をしてはいけません」と。

僕は特別に先生と二人きりの場所で言われていましたから、よく覚えています…

日本語で言えることは日本語で説明した方が分かりやすいです。

例えばセクハラ。

好意を持った異性から受ければうれしく、嫌いな人からは見られただけでセクハラ。

「セクハラ」と言うからあいまいですが、嫌がらせと言えばはっきりしないでしょうか。

好き嫌いですから。

そしてパワハラ。これが問題です。

上司が部下を育てようと思い、冷静に厳しい指導をする。

これは「嫌がらせ」でしょうか?

もちろん、暴力的行為や自分のイライラをぶつけるかのような指導、

また精神的に追い詰める嫌がらせがあれば問題です。

それらは新しい定義を持ち出すまでもなく「犯罪」ですから。

社会に出たばかりで、まだ自分を表現する技を持っていなければ

若い体をフルに使いそれを身につけなければ、長い人生生きていけなくなってしまいます。

技を身につけた人は、積極的にそれを使いたいと考えます。

救急救命医は、通常勤務時間が過ぎようが目の前の命を救う事に集中しますが、

どんな職業でも社会的に困難な状況を自力で解決するのは、体力的には厳しいかもしれませんが

精神的には満たされる行為だと思います。

その意味で、一番怖いのは

まだ体が元気なのに、社会からの期待が無くなる状態です。

会社員時代に組織によりかかり、定年とともにやる事が無くなる恐怖…

物質的豊かさ故の現象ですが、精神的貧困の象徴的状態です。

それを防ぐためにも技を身につける事が自己防衛になり、かつ社会貢献にもなります。

仕事をし続ける人は公的保障に頼ることなく、いつまでも自立していますから。

技を身につけるとは言葉ではわかりやすいですが、実際には難しいことも多いですよね、

その第一段階として必要な事を、こう言い換えても良いかもしれません:

「どんな時にも周りに感謝する事を忘れずに生きる」

感謝されて怒る人はいません、他人に感謝されることは究極のご褒美ですから。

感謝できれば、「恩」を感じ自分を高められるようになります。

だからそんな人を社会は放っておくことはあり得ません。

孔子先生曰く「徳は弧ならず必ず隣あり」です。

写真ですが、先週の続きでそんな感謝に対するお礼です:

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店長さんに祈りが通じたようです。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2019年3月25日 (月)

身近にある幸せ

おはようございます。
先週は、家族で日帰りスキーに行ってきました。
行先は長男が合宿で良く行く鹿沢(かざわ)スキー場、長野と群馬の県境、群馬側あります。
小さなスキー場ですが、全く無駄がなく、毎朝完璧なレーシングバーンに仕上げてあります。
車で言えばサーキットの様な場所でした。
ちょうど大学生がレースをしていましたが、一般客はほとんどいなかったようで、
貸し切りの様な状態で滑ることができました。
人にぶつかる心配が無いので、久しぶりに
「これは転んだら大けがするな」
というスピードを楽しめました。
アクセスは車しかありません、また道も相当険しいので(先週でもスタッドレス必須)
注意が必要ですが、苦労して行く価値があると思います。おすすめです。
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表題の件ですが、上信越道の小諸インターからスキー場に向かうときの出来事です。
県道を走っていると、交差点脇のコンビニか出てこようとしている車が居ました。
赤信号を確認して、その車が余裕をもって合流できるよう早めに減速。普通の事です。
驚きはここから:
普通は合流後に数回ハザードを出して終わりですよね、
ところこの車のおじさん(北の国からの五郎さんの様な感じ)、
まず走り出す前にお礼。
そして県道に入る際にもお礼。
そして更にハンドルを切って合流する際に、再度深くお辞儀。
これにはびっくりしました。
家族全員で笑顔になりましたよ。
人を幸せにするには、予想外の良いことをする。
言葉にするのは簡単ですが、実際に行動に移せる人はなかなかいないですよね。
スキーをする前に、すでに幸せな気分でいっぱいでした。
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予想外の良いことをするというのは、この様な普段の生活はもちろんですが、
仕事においても最も大切な考え方だと思います。
分かりやすいのは、営業担当がお客様に:
  • 予想より早い納期で製品を納める。
  • 見積価格が他社より安い。
  • 不良対策において、普段の営業活動以上の力を注ぎお客様の不安を解消する。
  • 繰り返し不良を出さないよう、原因究明と対策を完ぺきにこなす。などなど。
しかしお客様に接しない社内関係においても、全く一緒なんです。例えば:
  • 経理担当の負担減少の為、経費精算を誰よりも早く行う。
  • 社内の連絡メールにも、圧倒的に早く回答を行う。社内行事や飲み会の返事に対してでも。
  • 工場内の共用工具、機械を次に使う人の事を考えて適切に配置する。
  • 汚れやすい場所を使うときは、自分が使う前よりきれいにして仕事を終わらせる。
この様に、言ってみれば誰にでもできそうですがやっていないことが多いです。
一つ一つは小さな出来事ですが、皆がこのような考え方で働いている会社は
きっとストレスが少なくなります。
誰もやらないのは問題外ですが、やっているとしても:
「俺は/私はこれらをやっているのに、あの人はやっていない」
「自分だけ損をしている」
と不満一杯でやっていたら、逆に周りの雰囲気が悪くなってしまいます。
やる事が当たり前、また誰も気づかないのが当たり前。
自分が気づいていないところでは、逆に誰かが気を使って手を動かしている。
この様に考えなければいけません。
それほど「普通の状態」は大切ですし、維持するのが難しい事なのです。
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それができれば、きっと長野で会ったおじさんのように良い気分をふりまける人になると思います。
気分が良い人/組織には、人が集い仕事が生まれます。
課題に対して会社の力を結集して解決する。
すると皆が一回り大きくなり組織も安定し、さらに良い仕事に恵まれる。
経済発展の原理です。
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写真ですが、会社の近所で見つけた幸せ。
テイクアウト専門のお寿司屋さん、一か月前の雪の日に店主が転んで休業中(張り紙告知)。
その告知に、最近変化が:
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何だか嬉しい光景です。
今日も読んで下さりありがとうございました。

 

 

2019年3月18日 (月)

卒業式のお言葉

おはようございます。

先週末は次男の小学校卒業式でした。

自分の卒業校と同じ事もあり、長男の時に続き出席してきました。

最近はお父さんの参加も多いです、3割くらいは男性でしょうか。

3年前にも書きましたが昨今の卒業式、非常に凝っています。

僕らの時は、国歌、校歌を歌い、卒業証書授与され、校長の長い話を聞いて

伝統的な卒業歌の合唱で終わり。

ところが今は

まず5年生が一緒です。歌や式辞までは一緒ですが、その後に5年生が活躍します。

6年生が壇上に並び、一人一人が大きな声で今までの思い出を語り、

(例えば「楽しかった修学旅行」とか「ありがとう」とか割り振られています)

それに応えるように、5年生も感謝の言葉や最上級生になる意気込みを一人一人返します。

そして合唱も、コンクールのようにパートに分かれて三曲。妻はそれを楽しみにしていました。

10:00に始まり、11:50まで式。

私はそこまでで会社に向かいましたが、

その後は記念撮影と、教室に戻って最後の授業参観とさらに一時間以上…

大変な儀式になっています。

さてタイトルの話ですが、来賓のお言葉に補足をしたいと思います。

会長の言葉は

1.自分肯定が大事、人に褒められるのを待つよりまず自分を褒める。

2.皆幸せになりましょう。親より先に死ぬのはだめ、長生きしましょう。

子供にこう語りかけていましたが、通じるかな?と。

ちょっとつぎ足します:

1の自分を褒める、自分の存在を肯定的にとらえる。確かに大切です。

毎朝の洗顔時、また夜のお風呂時に鏡を見て自分に

「よく頑張っているね」

「すごいよ」

などと語りかける。これ結構難しいです。

きちんと生きていないと、まず自分の顔をまっすぐ見られないですから。

自分の顔を好きになれるためには、良い笑顔を作れるようになることです。

これは練習です。嫌なことがあった日でも、良い笑顔が作れるようになれば合格。

そしてそれが次の2につながります。

良い笑顔を作れると、お友達がたくさんできます。

笑って楽しそうな人の周りには、自然に人の輪ができるからです。

学生にとっては、気の合う/許せる友達がたくさんいる事が何より幸せなことです。

でも大人になると、幸せに対する考えが変わります。

大人はその友達を含めた社会から使命を与えられたときに、そしてそれを果たした時に

幸せを実感できます。

それは難しい物を作る事だったり、人を幸せにする研究だったり、困っている人を助ける事だったり。

難しい課題(使命)だからこそ、それを達成できた時の充実感も大きくなり

その時に心の底からの幸せを感じられます。

幸せになるとは、他者から与えられるものでは決してなく、自分で苦労して作り出す空間の事です。

皆と協力して幸せな空間を作ることができれば、結果的に幸せになっていることに気づきます。

ちょっと難しい言い方ですが、それは自分の体の命が尽きてから実現できるかもしれません。

それほど使命とは尊く大きなものなのです。

体の命があってこそ取り組める大仕事が使命。

体が頑張ってくれるから、難しいことに取り組めるのです。

長生きは結果、過程こそが大切です。

故に大切な体、そして健康を保つこと。

当然、他人の体も自分の体と同じように尊重しなければいけません。

そんな大切な体を頂き、ここまで育ててくれたお母さん、お父さんに深く感謝しましょう。

そして自分の使命に巡り合えるよう、中学生になっても一生懸命勉強しましょう。

僕がPTA会長でなくて良かったです、きっと校長先生より長い話になりますから。

式の最中、次男は「長生きしましょう」に「あれっ」と違和感をもったそうです。

いつも言われている事と違うと…順調に育っています。

写真ですが、先週話した「折れない刃」です:

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メーカーがまさかの「OLFA」 

この会社名「折る刃」から来ているのですよね。

先ほどの話、自己肯定ではなく完璧な自己否定!

大人の世界は複雑です(笑)。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2019年3月11日 (月)

工場監査からの学び (VDA規格)

おはようございます。

先週はお客様に工程、工場の監査を2日間に渡ってしていただきました。

初めてお聞きした監査基準で、VDAという規格に則ったものです。

VDAとはドイツ自動車工業会の事で、弊社製品を使ってお客様が組み立てをし

その最終ユーザーがドイツの自動車メーカー系列との事で。

今までの監査と違う事は、オープンディスカッションという仕組みで

何やら楽しそうな名前に感じますが、実際には前もって用意できない様に

監査員が気づいた点を現場の社員の突然ヒアリングをするというものです。

配置の意味や、マシンの管理状況。そして仮定の質問、例えば:

  • スクラップボックスに本来入っていないはずの品種が入っている。どんな原因が考えれますか?

これは貴重な質問です。

プレス機の中に、前に打っていた金型の製品が滞留している?

シュートホース(製品が落ちるときに通る)内にくっついている?

スクラップボック自体を他の製品と使いまわしてしまっている?

等様々な原因が考えられます。

日々の仕事において、あらゆる場面を想定しておくことはとても大切です。

「想定外でした」

と言って許してもらえる事はないですし、何も考えてないんだなと判断されますから。

面白かったのは、「折れる刃タイプのカッター」は使わない方が良いという助言。

刃を出したまま落としてしまい、それがどこかに混入する/けがをする危険性があるから。

確かにご指示いただいた通りですが、これは想定していませんでした。すぐ対応します。

この様にかなり詳細に見ていただきましたが、書類、現場共によく対応して合格点を頂けることになりました。

監査と言えば対応が大変、面倒といった意見もあると思いますが

むしろ無料で業務チェックをしていただける貴重な機会だと考えています。

監査にきちんと対応するには、会社内の各部署の風通しがよくないといけないと痛感します。

その意味で社内で他者を批判する人は、仕事ができない事よりはるかに悪いことだと断言できます。

人を批判するという事は、自分がその人より優れていると勘違いしているという事ですから。

はっきりした問題があるのであれば、公式の会議の議題にして社員協力して問題解決に当たらなければいけません。

他者に対する一方的批評は、悪意の循環に入ってしまい抜け出せなくなります。

これと同じことを、週末に武道の先生にも指導していただきました。

同じ道が数百年も続くということは、その時々で皆が他者ではなく自分を鍛えることに専念したからだ、

自分の周りの事に気を取られて、武道の会の先行きを心配してる暇などない。

今の自分が正しい生き方をしているかどうかは、300年後の人が判断してくださると。

天を見据え、どっしりとした生き方をしろということ。

一瞬の自分の命、他者を批評している暇などないということです。

武道は体を鍛えるのはもちろん、大切な学びを頂ける貴重な機会です。

お客様、先生から多くの気づきを頂けました。有り難いことです。

写真ですが、ネットからの拾い物です:

130

はなまるうどん、かけうどん小!

二日酔い気味のランチ、近所のうどん屋さんで一番さっぱりしたものを頼み

300円を握りしめてお会計に並んでいると驚愕の一言

「130円になります」!!

聞き間違えかと思いましたよ。だって他のシンプルなうどんは皆300円ですから。

写真のように揚げ玉、天かす、ゴマはトッピングし放題で130円。

後で調べたら、130円にはうどんを広めたいという経営者の思いがこもっているようです。

ちょっとびっくりしたランチでした。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2019年3月 4日 (月)

変化と進化の違い

おはようございます。

前回は家庭の在り方について書きました。

その中で、家電製品の導入による生活の変化について触れました。

家電製品により、生活は「変化」しましたが、「進化」はしていないともお伝えしようと選んだ例です。

家電ではなく、違う方向からもう一度考えてみます。

最近よく一緒に稽古をしているフィンランド人の仲間がいます。

30歳で大学の博士課程に通い、将来は国を背負う事間違いなしのすばらしい人格者です。

彼の稽古は誰より厳しいです。人に厳しいだけではなく、自分にも厳しいです。

様々な技に対して、真剣で立ち会っている時と同じ気魄を要求してきますし、

実際に全力でぶつかることを要求します。

もし初心者に同じことをすれば、あっという間にやめてしまうと思いますが、

彼の人間性の素晴らしさを知っている人たちにとっては、清々しい時間となります。

日本人の武道を日本人より愛し、実践し、日々真剣に高めようとしている。

もちろん先輩の指導は何でも頭を低くして聞き入れ、実践に生かしています。

自分を高め、周りを気持ちの良い空間に変える。

これこそ人間ができる「進化」です。

例えば、彼は誰が見ても西洋人の背格好をしています。

我々日本人より、立派な体格で格好良く見えるかもしれません。

でもこれは進化ではありません、変化です。

彼の血統でも、今後何世代にもわたり赤道直下の地に住めばその地に適応した体に変わるはずです。

北極圏近くに適応した体のままでは、世代をつなげなくなってしまいますから。

この様に一見大きく違う様に見える人間の外見の変化など、精神の進化に比べれば誤差です。

なぜ現代人は外見にこだわり、外見が綺麗に/格好良く/かわいくなることが進化だと

勘違いしているのか。

それはダーウィンの進化論がベースにあるからかもしれません。

個人的には、この考えは間違えたものだと判断しています。

人間がサルから進化したとしたら…

縄文時代の象形文字からでも、当時サルと人間が触れ合っていたのが分かると思います。

当時からサルはサル。文字でわかっているだけでも何千年、何万年もサルなんです。

サルは全く進化しません、ただ生きるのに精いっぱい。

その中で少しほっとして長野の温泉につかっているのを世界中の人が擬人化して見に来る。

もしくはたまにちょっと計算ができるようになる。

そこにあるのはちょっとした変化だけです。

それに比べて、人間の進化できる可能性はとんでもなく大きいです。

進化のスタートとはまず自分を知ることです。

親の庇護下にいて偉そうな事を言っていても進化は始まりません。

そのままの状態で体だけ大人になってしまえば、悲劇しか待っていません。

他者の幸福こそ自分の幸福になると気づき、その気づきを理解できる体を頂いた親に感謝する。

体があるから社会活動ができていることに気づけば、自分の体の命にリミットがあると悟れます。

そうすれば、わがままを言っている暇はなくなり限られた体の一生で何をするべきか考えるようになります。

すると今まで一人前の様にふるまっていた自分の成果が、実は皆周りの人に助けてもらって

出来ていただけだと気づくことができます。

そこで生まれる感情が、感謝、そしてさらに心から謝罪をする気持ちとそれに伴う勇気です。

真の勇気を持てるようになると、相手を許せるようになります。

不思議なことに、自分が成長すると周りにいる人もそれに引っ張られて成長します。

同じような豊かな空間が生まれるのです。

更に不思議なのが、何の接点もないような遠い外国でも同じような空間が生まれることです。

スポーツの記録が世界で高まったり、同じような発明や気づきが同時多発的に起きたりする事と

同じような事なのかもしれません。

ただし、これには逆もあります。悪い感情に世界中が引っ張られてしまう。

怖いことです。

この恐怖に対抗するには、そんな悪い世界を批評して分かったようなことを言うのではなく、

自分の周りを気持ち良い空間に変える様に、他者の痛みにまず気を配ることです。

自ずと良い人の集まりに変わって行きます。

人の進化に定年などありません。

むしろ年を重ねるほど深化していくはずです。

他者依存ばかりの大人は悪です。

自立した大人が増えれば、世の中の問題は解決され良い方向に向かうと信じます。

写真ですが、ネット通販で古本を買ったらこうなっていました。

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計算すると、本来必要な分より多く切手が貼ってあるようです。

それは「優しさ」なのでしょうか??

今週も読んでくださりありがとうございました。

2019年2月25日 (月)

家庭での学び

おはようございます。

今朝は総武線中央線が停電で止まっており、通勤で使う北総線も大混雑でした。

御茶ノ水駅工事の影響だと思いますが、現場の力が落ちていることをとても心配します。

モノづくりに携わる人として、他人事ではありませんので気を引き締めていきます。

先週は人の成長をレンズに例えてみましたが、

今週はより具体的に学びの内容を考えます。

最近の報道でもありましたが、子供を虐待してしまう親、

その絶望の中で体が育ってしまう子供。

その子供はまた悲劇の家庭を生み出してしまうか、家庭を持つことを拒否してしまう。

永遠の悪循環の始まりです。

それは極端な例としても、理想的な家庭とはどんなものでしょうか?

 

例えば労働について。

かつての家電製品がなかった時代、更に電気やガスもなかった時代には

家事は重労働でした。

真冬に洗濯板で家族全員分の衣類を洗濯する。

ご飯を炊いたり、調理をするためにかまどに火をつける。

掃除はもちろん箒で丁寧に。

近年ではこれらが便利な家電製品で、簡単に行えるようになっていますが

長い歴史から見ればむしろ近年の状況が特殊なことが分かります。

その近年の中で、さらに異様だったのが

「高度成長期」

だと思います。

経済成長を極限まで追い求め、皆猛烈に働く。給料はどんどん増えていく。

この時代に初めて生まれたのが

「専業主婦」

という呼称です、何かちょっと楽しているような響きを伴って。

これも長い歴史の中では、特異な状況です。

長い歴史の中では、むしろ大変重労働である家事を子供が手伝わなければ、家庭を運営できなかったからです。

子供が家事の担い手。そして大家族の中では子供が妹や弟の面倒も見る。

この状況、皆様はどう感じるでしょうか?

例えば:

「子供に労働をさせてかわいそう」

「勉強をする時間が無くなってしまうのでは」

「これこそ虐待だ!」…

 

果たしてそうでしょうか?

子供が一番安心する状況は、親が喜んでいる姿を見ることです。

例えば先日の我家の光景ですが、

長男が友人の家に遊びに行き、予定変更でそのまま泊まるので帰らないと。

それを聞いた妻はプリプリ怒り出します。

するとそばにいた次男は、普段なら自分からは絶対にしない手伝いをしだしたり、

妻の気をひくような言葉を掛け出したりとバランスをとるような行動をしだしました。

分かりやすすぎて、夫婦で笑ってしまいました。

家庭は学びの宝庫です。

まず子供が安心できる居場所にならなければいけないです。

家庭は安心できる場所だと深く理解している。

その状況では、手伝いをすることは子供にとって嫌な事ではなくなります。

そして親は世のために一生懸命働く。その背中を見せ、仕事を語る。

子供が学ぶべきことはここに集約される気がします。

それを土台に様々な習い事や塾、学校があります。

主客転倒してしまっていれば、せっかくの外での学びが生きません。

書くと簡単にできそうですが、これは本当に難しいことです。

家族がお互いを尊敬し合い、協力する。これを目指して頑張ります。

 

写真ですが、この季節のご褒美。2019

 

良い香りに包まれます。

2019_2

繊細な花の付き方が、また良いです。

 

今日も読んでくださりありがとうございました。

2019年2月18日 (月)

人生は凸レンズ

おはようございます。

ずっと前にも書きましたが、日向はかつてカメラメーカーでした。

先代社長時代に、ミノックスフィルムを使うカメラを作っていたんです。

その縁もあり、今でもレンズを買っていただいたり、カメラ部品をプレス加工したりしています。

さてタイトルですが、朝会議でカメラレンズの話をしている間に思いつきました。

凸レンズを通すと、画像が逆に結ばれてしまいますが、

更にもう一枚のレンズを通すことで正像に戻ります。

色々な経験をして、成長しながら人生を過ごすことは、まさにこのレンズを増やすようなも

のだと感じるという事を。

子供の頃はレンズは無いという前提です。

身近なものに手当たり次第に影響を受けて成長していき、

学ぶべき事柄は、両親や学校の先生が与えてくれますから。

ところが、思春期に入ると自分の見方(多くは偏った知識に基づく)を持つようになります。

いわゆる反抗期ですね。

自分の時代でいえば、タバコを吸ったり喧嘩をしたり…そして親とぶつかる。

これはまさに一枚目のレンズを手に入れた状態であります。

初めてレンズを手に入れ、色々な物を大きくみられるようになる。

そして何だか自分が偉くなったかの様に錯覚してしまう。

でも本当は上下逆さまに映っているのですから、何が何だか分かっていません。

反抗的態度をとってしまうのも仕方ないのかもしれません。

でもそのままで大人になっては大変です。

先生に叱られ、両親に迷惑をかけ続けるうちに自分の行動を反省するようになります。

それが二枚目のレンズを手に入れた状態であり、やっと正しく物が見えるようになった

という段階です。

ちなみに、先日紹介した千円札を拡大できるカメラは9枚レンズです。

たった2枚手に入れても、起きている事の詳細は全く見えないのは当然です。

でもまだまだ大人としての人生のスタートラインですね。

やっとまっすぐ見えるようになったのもつかの間、社会に出たらまたまた常識がひっくり返ります。

自分の経験ですが、サラリーマン1年目にやる事がなく、

学生時代のバイトの方が充実感があり、先輩に退職すると伝えました。

これなどまさにもう一枚レンズが入った状態ですね。

2枚手に入れたら、もう大人になったつもり。

自分でやるべきことを探さずに、何も与えてもらえないことを嘆いている。酷い物でした。

その時は、T先輩がそっともう一枚レンズを入れてくださり、2年目にしてやっと社会人になれた気がします。

そして、今でも日々いろいろな経験を通じて卑屈な考えを持ったり、絶望したり…

常に正像を見失うような、またピントがずれてしまうようなレンズ(大きな事件)や

フィルター(日々の出来事)が入ってきます。

普通は自分でピント調整しますが、

それでも難しければ人と会って話を聞いたり、本を読んだりして

人として正しい姿に戻るように、自分で努力します。

時には大きな障害にぶつかり、すべてのレンズが割れたのかと思うほどですが、

このレンズはガラスでできているわけではないので壊れても再生するんです。

そしていつしかたくさんのレンズを手に入れた大人は、それらを自由自在に操り

とんでもなく遠くを見たり、近くを見られるようになります。

これこそ本物の大人の余裕です。お金の価値とは全く関係ありません。

では、このレンズはガラスではなく何で出来ているのでしょう?

それは人の痛みを知るという「情」なのかもしれません。

何と読むか、「なさけ」です。

情の分かる大人になれる様に、いろいろな経験を積んでいきます!

写真は毎年恒例の初午(お稲荷さんのお祝い)です。

今年も近所のうを徳さんが立派な鯛を持ってきてくれました、

まずはお供えをしてお参り:

Photo

終業後は皆で会食をしました、お供えした鯛は一度うを徳さんに戻り

こんな姿で帰ってきました:

Photo

湯引きしてお刺身にしてくれた上に、アラは絶品の煮つけに!

そして毎年驚きを与えてくれるどんぶりは:

2019

ものすごいマグロ、とんでもない大きさのホタテ貝柱、大きな煮アワビ、絶品の卵焼き…

世界中誰も作れない海鮮丼だと思います。予約の取れない鮨屋になるのも納得です。

皆でおいしくいただきました!

今週も読んでくださりありがとうございました。

2019年2月12日 (火)

物がつなぐ縁

おはようございます。

先週は横浜でモノづくりの展示会があり、お世話になっているメッキメーカーさんや金型屋さんに

ご挨拶に伺いました。

いくつかの会社にお聞きしましたが、直近の仕事状況が悪くなっているのを実感します。

今まで景気が悪くなっても、

「この商品だけは安定している」

という商品があったが、今回はそれすらも落ちてきていると。

日向では数年前からそのような状況になることを想定し、準備してきましたが、

ついにその時が来たのかもしれません。

かといって、慌てて打てる対策はありませんので柔軟に考えていくしかないのですが。

一層気を引き締めていきます。

そんな展示会のなかで、とても良い話をお聞きしました。

初めて知る会社様だったのですが、機械加工で数々の素晴らしい製品を作らています。

色々と教えていただいた後に、空手の優勝ハチマキ?の様なものがいくつか展示されているのに気づきました。

「社長は空手をされているのですか?」

とお聞きしたところ、

「空手大会にメダルを供給している」

という事でした。

一般的なメダル形状ではなく、金属を複雑に削り出した刀の鍔(つば)の様な

とっても格好良い物でした。

そこで驚く話が:

「このメダル空手大会で勝ち取った選手が、いまうちで働いているんですよ」

と。

一見なんでもない話の様ですが、よく考えると不思議ですよね。そこでこう聞きました:

「メダルの出来があまりに素晴らしいので、訪ねてくれたのですか?」

「メダルには御社名が刻印されていたのですね」と。

すると社長は

「いえいえ、刻印などしていません。本当に偶然です」

と。

社員が何千人もいる会社であればそんな事もあるかもしれませんが、

この会社はうちと同じくらい規模の会社です。

魂を込めて物を作ると、人を引き寄せるのだなと再確認できた素敵な時間でした。

写真ですが、先週はかつてないほどの濃霧の朝がありました:

Photo

通勤路も真っ白。

小学生が集まって、スマホで自撮りしていました。小学生もスマホ所持の時代なんですね。

「ポケベルが鳴らなくて」世代としてはびっくりです。

さらに先に進むと:

Photo_2

水墨画に迷い込んだかのような、不思議な光景が広がっていました。

朝から得した気分で出社できました。

なお、「霧」は江戸川を越えて葛飾区に入ると、あっという間に消えてなくなりました…

今日も読んでくださりありがとうございました。

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