2020年11月23日 (月)

吠える犬から学ぶこと

おはようございます。

先週はアップデートが遅れてしまい、早朝開いてくださった方には失礼しました。

 

今日は犬の話ですが、最近はペットブームで愛玩犬を買う家庭も増えています。

そして小さな犬は良く吠えるような気がします。

例えば隣でそのような犬を飼っている場合、

番犬代わりになると思えば頼もしいですが、

雑草抜きや何かの作業、バットやゴルフクラブの素振りと

しばらく庭にいなければいけない場合、吠え続けられると良い気分はしません。

「なんで安全だと分からないのかな?」

「窓や柵に仕切られているのに、そんな遠くから何を警戒しているのかな?」

 

と先日も考えていたところ、ふと思いました。

彼ら(彼女?)は隣人を下位の存在だと思い威嚇しているんだろうと。

単に怖がっているだけとも言えますが。

 

自分も小さい時にはずっと犬を飼っていましたが、

飼い犬は毎日エサを当たり前の様にもらい、しかも決まった時間にもらえないと大騒ぎ。

時には憂さ晴らしで、してはいけないところにおしっこをしたりもします。

僕もそうでしたが、家に帰れば犬を抱いてなでたり、遊んだり、散歩に連れて行ったり。

今考えると室内犬は特に、人間より偉いと思ってしまう環境がそろっています。

犬に限らず、もともと野生で会った動物を、人間に都合の良く改良したりして飼育する

「家畜」

と総称される動物は、すべて同じようなものですね。

その意味では、身近なところでは、

「野良猫」

は飼いならされていないから、ちょっと違うような気もします。

 

先の話の続きで、ここでさらに思ったのが、

「彼ら(家畜)は自分が家畜であることを自覚できない」であろうという事。

ここに思いが至った時に、ふと今の人間社会が重なり怖い思いをしました。

 

現在の不況下、政府からの補助金を期待して待っている「自分」

ワクチンを早く開発してもらい、他者より早く接取して少しでも安心したいと願う「自分」

AIの進化により、人間が居なくても・考えなくても物が生産できるようになれば

それらが稼ぎ出した「金」をもらい、自分は遊んで暮らせると考える「自分」

たまには旅行に行って、温泉に入り美味しいものを食べたいと願う「自分」

そして、嫌な事があれば自分で対峙するより前にネット上で大騒ぎして

時にはネット上に動画まで公開して人に慰めてほしいと願う「自分」

 

犬の事を「家畜」だと分けて考えている「自分」のおかしさを発見します。

 

そう考えると、犬は人間に

「自分のようになるなよ~!」

と注意の意味で吠えてくれている、ありがたい存在のように感じてきます。

発想の転換です。

 

では家畜化しない、人間らしい生き方をするにはどのような考えが必要か?

一言でいえば

「独立した個人の確立」でしょうが、これでは何から手を付ければよいのか悩みます。

一番身近なのは、

「感謝」の心を持つこと。批評家になってはいけません。

そして

「素直」さを忘れずに、分からないことは分からないと言える強さを持つ。

その上で

責任とは社会からの「期待」だと理解して、自分のできる範囲で楽しむ心の余裕を持つ。

そんな余裕が持てなければ、知識に偏らないで全方位の勉強を重ねる。

立派な人とは、真の厳しい経験を積み、他者の哀しみを知っていて、そこにそっと寄り添えます。

そんな人はきっと周りがどうなろうと自己を確立し、自分の人生をしっかりとした足取りで

生き切っている事でしょう。

内面の心の動き=魂の躍動によって、それが外(表情やしぐさ)に表れるのが真の

「格好良さ」

だと思います。

孔子先生のおっしゃる「知」「仁」「勇」ですね。

そして「家」に立脚し、苦しみながらもそんな姿を求めている国民が多くいる。

きっとそこはどんな世の中になっても、平和を保てることでしょう。

 

平和の写真:週末に養老渓谷に行ってきました。

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色づき始めです。

中にはこんなに鮮やかなものも:

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赤よりも、鮮やかな黄色に目を奪われます。

そして養老渓谷の撮影スポット?トンネルです:

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手掘りのような手前のトンネルと、人工物の奥のトンネル。

その境目に空間があり、遠くから見ると光が入って幻想的です。

最後はクイズ:この駐車場には入れるでしょうか?

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難しいですよね。

答えは

「入れます!」

入口がとても狭く、入ってしまうと引き返せない雰囲気なので、

ほとんどの車が一旦悩んだ末に通り過ぎていました。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2020年11月16日 (月)

魂を治療してれる病院は?

おはようございます。

9月から始まったばかりの新年度も、コロナ禍で経営環境はとても厳しいですが

来月からは車関係のお客様の生産が回復傾向がはっきりしており、光がさしてきています。

ただし、開発品打ち合わせや、期待していた新製品の生産延期等あり

まだまだ厳しい試練の時が続きそうです。

そんな時は弱気になりがちですが、仲間を大切に一体感と使命感を持った

会社運営をしていかなければいけないと自分を鼓舞しています。

 

さて今日の題ですが:

最近は会社の近所(曳舟)を少し歩くだけでも、本当にたくさんの病院があります。

新しくて大きな総合病院もいくつかあり、

その他皮膚科や歯科、内科等小さな町のお医者さんもあります。

患者さんは、それぞれ自分の体の調子が悪い理由をはっきりさせ、投薬・治療して、

またリハビリするために通っていると思います。

今は西洋医学が一般的なので、病状を観察(レントゲン、CT等)して、科学的な治療を

行う事が多いです。

自分もそうでしたが、大きな病気やけがをするととても不安になるものです。

「科学的治療」とは、ある意味「体」を「物」としてみてしまいますので、

そこには情が通う余地は少ないようにも思います。

でも本当は、体調を崩して不安な患者さんは科学的診断よりも

目をまっすぐ見据えてもらい、病気に寄り添って語ってほしいのではないでしょうか。

 

科学的診断でも、体の悪い箇所がはっきりしていれば(骨折とか、皮膚のやけどとか)救われますが、

体を動かす「魂」が病んでしまった場合、現代人はいったいどこに駆け込めばよいのでしょう?

精神科?それは違うように思います。

精神を病んでいるのではなく、魂が病んでしまっているのですから。

魂が病んでいるという状況は、先に書いた目標を見失って弱気になっているような状況です。

命の原動力である魂が病んでしまえば、体を使う意味を見失ってしまう。

動かす意味を失ってしまえば、健康なはずの体もさび付いて動かなくなってしまいます。

 

こうならない為に、またここから脱するために必要なのは、やはり先週書いた

「家」

を意識する事だと思います。

家とは、血縁者だけではなく思いを同じくする人の集いと言っても良いかもしれません。

かつては多くの家庭に仏壇があり、先祖の存在はすぐ隣でした。

また、商売をしている家にはたいてい神棚があり、毎朝清められていました。

清めたり、祈ったり、頭を下げたりするその一見単純な行動こそが魂を救い励ましていたのです。

便利さや効率の追求の果てに、現代社会は大切で身近にあったその

「魂の病院」

を失ってしまいました。

小さなことに見えますが、気づいた人から一歩ずつ改善していけばまだ間に合います!

そして大切なものに気づいたら、体と同じようにリハビリ開始です。

リハビリとは、他者の目線で物事を考え、生かされている実感を日々持つこと。

他者貢献です。

 

写真ですが、木更津駅前のかつてのデパート二階:

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婦人向け衣料等数店が入っているだけで、まさに魂が抜けてしまったかのようです。

その中で面白い一角が:

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立ち入り禁止エリアに整然と並べられたゲームマシン!

村上春樹の小説を切り取ったかのよう?

そのギャップにしばらくたたずんでしまいました。

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

2020年11月 9日 (月)

本音で話すという事

おはようございます。

先週は「石にも意志」という写真で締めくくりましたが、

これは冗談ではなく、とても大切な話だと考えています。

石を街で祀り続けているという事実が、それを裏付けています。

今日の話ですが

「本音で話す」

という事を考えます。

 

一般的に言う本音とは、

  • 自分を包み隠さずに話す
  • 本心からの言葉を発する

というような意味だと思います。

例えば今の様な報道姿勢の中、政治家が本音で話すなど可能でしょうか?

自分が考えていることを素直に表現、と言ってもそれは相手により日々、刻々と変わります。

地元の有力者からややこしい陳情を受けたとして、その人が選挙功労者なら

「めんどくさい」

とは言えません。

「状況はよく分かりました」「善処するように努めます」

等確約はしない中で、なるべく色よい返事をするでしょう。

いちいち上げ足を取るように批評され、国会が空転するようでは政治は前に進めません。

 

それが国際関係になれば、更に相手国との力関係により様々な表現をすることになります。

全て本音で対応していたら、あっという間に国同士の信頼関係など崩れ去ります。

もし本音で話し合えるとすれば、それは小学生くらいまでではないでしょうか?

 

社会に責任を負うう大人は、その場その場で言葉があっちこっちに飛び回りますので

自分でもどれが本音だかわからなくなってしまうかも知れません。

でも、あっちこっちいろいろな方向に行きますので、結局それが

「円」

を描き、その人の人格なりに丸く収まるとも言えます。

 

ここで気を付けなければいけないのは、飛び回る本音は決して「嘘」ではないという事。

嘘にならないのは、その本音には

「本根(ほんね:本当の根っこ)」

があるからです。

 

それは、政治家でいえば国を守るという決意。

会社経営者でいえば、何が有ろうと組織を存続(発展)させようとする意志。

それが中心(本心)にあるので、そんな事を考えてない人から見ると

コロコロと意見を変える軽薄な人に見えますが、

近くに居て考えを知っている人は、その意図を瞬時に読み取り行動に移します。

真の朝令暮改、君子豹変と理解して。

先ほど「本音」で話せる、話しても良いのは小学生までと書いた理由がここにあります。

小学生は一般的に社会的責任を負う必要が無いので、

本音=無責任で過ごしても制裁を受けないからです。

ところが大人はそうは行きません。

自分の発言に責任を負わなければいけないからです。

 

「社会人になると本当の友達ができにくい」

という意見がありますが、

それは自分の発言レベルが小学生レベルにとどまっているからかもしれません。

自立した精神を持ち、どんな時でも相手の本心を見抜き尊重しその上で本音で話す。

そうすれば、社会人は子供とは比較にならない位交友範囲が広がりますから

子供の頃とは違う意味を持った友ができるのではないでしょうか。

 

今日のまとめ:

最初に書いた石の話。石に「意志」があるように、

人間は本音にも「本根」が無ければいけません。

それは誰かがプレゼントしてくれるものではなく、自分で考え身につける必要があります。

その際に大切になるのが

「家」

という概念だと考えます。

学校ではなく、それぞれが育った環境・歴史という「根」

現代社会はすっかりそれを忘れてしまい、おかしな方向に行っています。

他国の選挙に一喜一憂している暇はありません。

肉体の本能を越えて、信じるべき何かをつかむ。

その為には、自分の根っこを静かに見つめ、

社会に根を張る時間を持つべきです。

 

写真ですが、少し前の秋の花:

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通勤路を楽しく彩ってくれます。

毎年変わらず同じ時期に同じように咲き誇ります。

大地にしっかりと根を張って。

自然は黙っていますが、いつも大切で力強い学びをくれます。

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

2020年11月 2日 (月)

人気アニメに見る気持ちの込め方

おはようございます。

最近は「鬼滅の刃」が話題ですね。

次男が大好きなのでマンガを借りて読んでみましたが、

長男と自分は何が良いのかさっぱり分からずというのが現状です。

 

週末の稽古の帰りに、中学校英語の先生をされている大先輩と鬼滅ブームについて語りました。

自分たちも日々刀や竹刀で稽古をしているので、なんとなく映像に親近感がわき、

知らないアニメでも断片的情報から話題になります。

 

最近のネット記事を読む限り、何が良いのかと言うと

「自己犠牲」「他者に与える」そして「心の大切さ」を描いているからの様です。

 

話をさせていただいた先生も、授業中に武士の心がけの話をされたことがあったそうで、

曰く

  • 忠義の心を大切に
  • 兄弟仲良く
  • 家風を大切に
  • 正々堂々と生きる
  • 媚び売るものを取り立てない…

最近の中学生、この話を聞いてびっくりしちゃうそうです。

今の教育は、一人一人の個性を重視し、権利を大切に守りましょう。

という方針ですから、初めて聞く子も多いのでしょう。

新鮮で心地良く聞こえるのか、違和感を抱き拒絶するのか、それはそれぞれだと思いますが、

今回のブームは、アニメと言う分かりやすい表現方法に

武士道的精神を乗せたので、間口が広がって多くの人が心地よく受け入れた結果なのかもしれません。

この話を踏まえると、今の鬼滅ブームが少しだけ見えてくる気がします。

比較的読書をする長男には当たり前の事でも、マンガ専門の次男には新鮮だったのでしょう。

 

先週はお金について書きましたが、その際

「あげる経済」

を学ぶ大切さを言いました。

今日の話、「アニメに気持ちを乗せる」様にお金にも気持ちを乗せることが出来るようになれば

その学びは得られるような気がします。

例えば

真心を込め、日ごろの感謝を伝えるためにお中元やお歳暮を贈るのは分かりやすいです。

また、たとえ相手が自分よりはるかにお金を自由に使えるとしても、

何かをしていただいた感謝の気持ちを表現するためにお金を払う。

現金で支払うと、「金のためにやっているのではない」と不愉快な気分にさせてしまい事もあるので

物での表現の方が良いかもしれませんね。

 

いずれにしても

「感謝の気持ち」

をお金に乗せることが出来れば、そのお金は気持ちよく使え、生きます。

もちろん、お金は生活するために必要な大切なものですが、時として生々しい響きを放ちます

そこでそこに「情」を乗せて和らげるのは大切な知恵です。

 

現代のギャンブル経済では、お金がお金を産むことを美徳とするような風潮が感じられますが

これなどは今日書いた「学び」からはかけ離れた行為だと分かります。

昔から言われている

「金は天下の周り物」

という表現は、感謝と言う付属物がある故に実現されるのではないでしょうか。

金が金を産み続ければ、買うものが無くなり滅びてしまいますから。

 

写真ですが、お酒好きのパラダイス京成立石駅にてある「石」

再開発真っ最中で、もうすぐ無くなってしまうかもしれない:

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大切に囲われて、説明も書いてあります。

小さいので拡大します:

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寒さによってかけてしまうが、温かくなると戻る。

根元を探ろうと掘ったら、村に悪い病が流行る...

きっとこの石には魂が込められているのでしょう。

人間の体も、魂が抜ければ腑抜けになってしまいますから

石に「意志」があっても不思議ではないと思います。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2020年10月26日 (月)

お金の話 2020-2 資本主義とは

おはようございます。

先週は橋本先生勉強会があり、国際情勢とモノづくり製造業について広く深く

学ばせていただきました。

その中で、先生が憂いていらっしゃったのが

「このままだと資本主義が崩壊する」

という事。

シュンペーター(1883~1950 オーストリアの経済学者)曰く、

「社会主義は不景気で壊れるが、資本主義は成功して失敗する」と。

これは、物流(日本でいえば宅急便)の発展とPCによる情報の均一化により

一強多弱になってしまい、格差が固定されてしまう。

アマゾンや携帯キャリア会社(ドコモ、AU、ソフトバンク)、そして宅急便の

需要は無くならないが、それ以外は過酷な価格競争にさらされるから。

例えば、アマゾンや楽天を通じて何かを買おうとすれば、送料込みで一番安い所から

買うのが普通だと思います。

例え一円でも、高いところから買うというのは何か他の要素がない限りありえないと思います。

または、ウーバーイーツを例にとれば、配達する方は個人請負で、より安い値段のところで

請け負った人に発注が行く仕組みだそうです。

当然安請け合い合戦になってしまい、競争が激しい地域では気づかないうちに皆が締め上げられて

貧しくなっていってしまいます。

これは資本主義の死を意味します。

製造業においても同じことが言えます。

安値での受注は、発注する側からすればもちろん正義です。

でも請け負った企業が将来の展望を考えていない、

目先の資金のやりくりの為、利益なしで請け負っていた場合...

その会社はいつか存続できなくなってしまいます。

しかしこれも資本主義化の競争では当然と言うのが、一般的な認識で変える事は難しいです。

人が幸せに暮らすにはPCを壊す(自然に帰る)事かもしれませんが、それは極端ですよね。

 

個人的には昨今の経済状況を見ていると、もう一つ腑に落ちないことがあります。

それはあまりにも多くのマネーが流通しているという事。

「株や投資で~億円儲けました」

「世界には個人資産が~兆円もっている人が居るよ」

一か八かのギャンブル経済とでもいえばよいのでしょうか。

もう理解が出来ません。

「兆円」を適切につかえば、多くの貧困を救えることは間違いないでしょう。

また資産を持っていても体の命は頑張ってもせいぜい80年~100年。

そして世界中にある

「値段を付けられるもの」

の総量は、現在流通しているお金よりはるかに少ししかありません。

そうすると、多すぎるマネーは結局無意味であるという事にならないでしょうか?

今の資本主義は、マネー信用のベース(意味)が無いと言ったら言い過ぎでしょうか。

理解を超える事態だとしても、理解しようとすることを放棄してはいけません。

自分なりの解を見つけ、自身の考えとして誇りをもって生きることが大切です。

 

と言っても難しいですよね。

自分の場合の「マネーの意味」は、

会費を2か月分払ったから、少し億劫に感じてもちゃんと稽古に行こう。

行けば必ず気分が良いから。

その一歩を踏み出させてくれる「お金」は大切な道具です。

使える範囲のお金を、生きるように使う。

気持ち良いことだと思います。

 

そして資本主義の危機を救う究極の解決策は、

資本主義が自分が利するための仕組み(奪う経済)ではなく

「資本主義=あげる経済」

と理解する事ではないでしょうか。

それを理解し、実践するには大変高度な勉強が必要ですが、

現代社会はそれを喪失してしまっています。

また機会を改めて考えてみたいと思います。

 

写真ですが、こちらもこの時期毎年遊びに来てくれるカマキリ:

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格好良いなと撮影をしていたところ:

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「何の用だ!」

と言わんばかりににらまれてしまいました。

よく見ると目に穴が二つ空いているのですね、

本物の?仮面ライダーの様(あちらはバッタ?)です。

もしカマキリが人間位の大きさだったら。

どんな屈強な男でも逃げ出しますね。

野生とは理屈無用の迫力があります、きっとかつての人間もそんな存在だったのでしょう。

だからこそ神様を身近に感じられてしまったのかもしれません。

現代はあまりにも野生から遠ざかりすぎました。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2020年10月19日 (月)

新入社員受難時代

おはようございます。

先週は、パートナー企業様と対面ミーティング。

新製品を紹介してもらったり、今取り組んでいるビジネスの方向性を決めたりと

大変有意義な時間を過ごせました。

直接的なビジネスの話が一段落したところで、

価値ある「雑談」に入っていきます。

そこでお聞きしたのが、今日の話

「新入社員受難」

 

現在はコロナ禍で、多くの会社がオフィスへの出勤を制限していますが、

この会社様でも同様の対応をしています。

出勤するのは週に2回程度。

他の日はお客様への直行直帰やWEB会議。

新人さんは何をしているかと言うと、基本WEB会議に参加して分からない言葉などをメモして自習。

4月に新年度が始まってからすでに半年。

さすがにメモにも限界がありますし、人によっては自分の存在意義について悩んでしまいそうです。

 

自分が学校を卒業したばかりの新入社員の頃は、携帯(スマホ)が無いのはもちろん、

PCも各部署に一台という感じでしたから、とにかく電話が鳴りました。時には海外からも。

新人の仕事は電話を取る事!緊張の連続で、頭が真っ白になる程でした。

でも電話を真剣に取っていると、いま自分の組織が誰と付き合っており、その電話は誰あてなのか

段々わかるようになってきて面白くなって来ます。

 

でも面白い反面、ミスもたくさん経験して叱られます。

例えばこんなミスをして大目玉:

自分の部署は営業部(東京本社)でしたが、サービス(神奈川の技術部)案件の問い合わせが入りました。

ミスは少し慣れたころに置きますが、まさにこの時でした。

「その案件はサービス担当なので、そっちにかけてください」

と言って切ってしまいました。

それを見ていたO課長が

「なんで君が内容を聞かないんだ」と。

僕は自信満々に

「営業ではわからない内容でしたから」と口答え。

すると

「なにを考えているんだ(怒)!!」

「営業だろうが何だろうが、お前は「本社」にいて電話を取っているんだ、

お客様からすれば製品トラブルについては当然本社に聞けば済むと思うだろう!」

本社にいるという事にプライドを持つと同時に、自分たちの扱うものに責任を持ちなさい

という、ミスした後の間髪入れない教育でした。

これは今考えても汗顔の至りです。

それ以来電話を取るという事に対する心構えが変わりました。

大変ありがたい指導を頂きました。

 

現代はコロナ禍前でも、PCが唯一の情報機器ではなくなり、多くの事をスマホで処理する時代。

便利という意味では良いのかもしれませんが、人が失敗をして学ぶ機会が減っている様な気もします。

いや、失敗はありますが種類が変わったというか。

学びと言うのは、どんな状況からでも得られる人は得られますが、

その範囲(可能性)が小さくなり、かつ叱られるという事も減っており

「衝撃を受ける」

という人間の成長にとって必要なイベントが少なくなっているように感じます。

 

モノづくりでも、医療でも、最後は対面にて相手の熱意や気を感じながら最善を尽くす事で

良い仕事ができると思います。

それは相手に尽くしたい、尽くしたうえで感謝されると嬉しいという原始的本能だと思いますが、

現代はそれから遠ざかってしまっているかの様です。

ほんの一部の人が本能で新しい道を切り開き、

多くの人はその道を整備する(WEB等開発を行う)となれば、

格差がどんどん広がって行ってしまう事にはならないでしょうか?

企業において、あるべき新人教育の姿とは?

これは読んで出さる方、それぞれの社会とのかかわり方で大きく意見が変わると思います。

ぜひコメント欄にご意見いただければ嬉しいです。

 

写真ですが、この時期だけのご褒美。

オレンジのじゅうたん(きんもくせい):

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色加工は全くしていません。

掃除するのは大変そうですが、はっとさせられる美しに衝撃を受けます。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2020年10月12日 (月)

久しぶり勉強会 アグリガールの話(心のきれいさ)

おはようございます。

少し前(10/2)に、いつもご指導いただいている橋本久義先生の勉強会が

久しぶりに開催されました。

今までコロナ禍でオンライン開催だったので、8か月ぶりの対面講義でした。

やっぱり対面だと頭が活性化します!

オンラインに適した業務もあるでしょうが、

個人的には講義は対面が良い様に感じます。

 

今回の講師はNTT(ドコモ)の「アグリガール」という社内準公認組織の女性3名。

各自に会員番号があり、この日講義してくださったのは:

1号(大山様)、4号(川野様)、86号(村松様)の三名

アイドルの様ですね、空いている番号を各自好きに選べるそうです。

ビジネスの目的は、農業(酪農)を通じて、ドコモの回線をより使ってもらう。

身近な例では、JA組織で使っているガラケーをスマホに変えてもらう。

ただ

「スマホに変えてほしい」

とお願いしても、他社との値引き競争になってしまうので実際に現場に出向き、

一緒に作業をすることで仕事上の問題点を発見し、解決する。

一番の成功例は:

牛温恵という、牝牛の体内温度をモニタリングするシステムと組んで行ったビジネス。

和牛の仔牛は80万~100万円の値段が付くが、出産してすぐに親牛に押しつぶされて

死んでしまう事故が良く起きていた。

酪農家はそれを防ぐ為に、出産間近の牝牛が居ると寝ずの番(出産はたいてい深夜~明け方)を

することになるが、飼育頭数が多いと大変な労力を割くことになる。

 

しかし牛温恵を使うと、出産直前のタイミング(体温が下がる)でドコモ回線を通じて

通知をしてくれるので酪農家さんの負担が大きく減る事に。

このベンチャーメーカーは、ドコモの全国販売網(アグリガールは全国にいる)をつかって

営業をしてもらい、ドコモは回線契約数を増やす。

酪農家はドコモの回線費用と、システム利用料(8,000円/月)を払う事で安全な出産が出来る様になる。

まさに三方良しの典型的な成功例となった。

 

ただしそれ以外に取り組んだ事業:

  • 水田の水量モニタリング
  • 水田水質モニタリング(富栄養だと育ちが早くなりすぎて倒れてしまう)

など米に関するものはすべて失敗。

緊急を要さないので自分で出来るし、米の単価は安くて効果が見えにくいから。

 

もう一つのこのビジネスの課題は、組織内の壁を打破する事。

良い提案をして、トップが導入に前向きになってくれたとしても、

中間管理層の抵抗に合い(現状変更をしたくない)挫折してしまう事も多い。

女性だからと話を聞いてくれることもあるが、

「NTT」という看板が逆に作用してしまう事も。

 

そこで1号の大山さんは、つい最近NTTを退職してベンチャーに転身された。

そのビジネスは「やさいバス」

主に地方で、稼働率の下がったバス事業者と組んで、そこに各農家で採れた野菜や果物

などを積み、かつ各家庭も時刻表通りに回って販売も行う。

法規制のない物(例えば精肉販売は免許が必要)であれば、なんでも載せられる。

決済は事前にオンラインで行うので、お金のやり取りはない。

バスの路線を伸ばす事で(たとえば山梨~長野)互いの名産品を売り合う事もできる。

これは買い物難民の救済と共に、災害時には救済インフラにもなり得る。

 

地方の買い物等の難民救済と共に、システムに魅力を感じた若者の移住も見込めるなど

地方の活性化につながる事業であり、お金を儲けるというより社会奉仕活動の様な側面がある。

この時重要なのが

「心のきれいな人」

が集う事と、大山さんは仰っていた。

自分だけ良い思いをしよう、だまして儲けようなどという人が入り込んでしまえば、

システムは信頼性を失って、すぐに危機に瀕してしまうでしょうから。

 

これはとても大切な学びだと思います。

「思い」や「想い」を共有できない人と、新しいシステムを立ち上げることはできません。

この「おもう」という力も、数値がが難しいですがこんな風に考えてはどうでしょう。

例えば、

僕の妻が買い物に行きます。そこで子供の成長を考えた食材をスーパーをぐるぐる回りながら選ぶ。

もしくは病気療養中の家族のために、消化の良い食材を選ぶ。

最初は空っぽだったかごの中に、彼女の優しさがどんどん増えていきます。

ただ、かごの中の商品の金銭的価値は、商品棚にあっても、かごの中にあってももちろん全く一緒。

でも「思い」という価値で見れば、ゼロとヒャクになります。

何かを選ぶという行為は、とても神秘的で素晴らしい行為だと思います。

あえて極端に言えば、そこに全人格が表現されますから。

資本主義は便利で効率的ですが、「思い・想い」から遠ざかってしまえば、

便利なシステムもあっという間に危機に瀕します。

アグリガールの皆様、また「やさいバス」のお話から大切な学びを頂きました。

 

写真ですが、ある日通勤路で見つけた子供が落としてしまった:

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予想:自転車に乗った元気な男の子が、お母さんの自転車に乗るのがうれしくて足をバタバタ。

何かの拍子で靴を落としてしまったが、お母さんに叱られるのを避けるためにだまっていることに。

でも当然家に着いて「なんですぐ言わないの!」と更に叱られてしまう...

なんて予想していました。

後日そこを通ると予想もしないこんな風景が:

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少し離れた場所にあった、消火栓のくぼみにそっと移っていました。

雨に濡れてしまうのはかわいそう、かといってあまり奥に入れてしまえばお母さんに見つけてもらえない。

絶妙な位置に置かれていました。

移した人の優しさ、きれいさに触れて、温かい気持ちになりました。

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

 

2020年10月 5日 (月)

ワクワクの正体

おはようございます。

先週まで2回にわたり、人は遺伝子に動かされているのでは?という仮定を考察しました。

でもそれだけだと何だか自分の意志ではないものに操られてしまっているようで、

味気なく感じてしまう気もします。

やっぱりワクワクしないと、人生楽しくないですよね。

そこで、今日はその「ワクワク」の正体を考えます。

 

まずワクワクするのに、必要な条件が

「役に立っているという自信」

です。

自分の仕事で人に貢献する、自分がいることで誰かに安らぎを与えている、

ペットをきちんと飼育している...

見方を変えれば、どんな人でも誰かに貢献できていると思うのですが、

「自信」とははっきり見えない物なので、つかむことが難しいです。

 

例えば仕事の場合、

役割が細分化されてきており、自分の仕事が何の役に立っているのかわかりにくい。

よくある例を考えてみると:

社内の会議に提出する書類を何日もかけて作っても、結局誰も見ていないように感じる。

でもその書類があるからこそ、多くの人が集い長時間議論ができるとも言えると思います。

その場で出席者が互いに影響し合い、考えることでアイディアが生まれる。

これは具体的には見えないですけど、いずれにせよ進行するためには書類が必要だった。

何事も考え方です。

極端に言えば根拠のない自信で良いのです。

自信は持ったもの勝ちです!

 

さてその上で、どのような時に人はワクワクを感じているかと言うと、

それは、前向きな可能性を感じている時です。

旅行に行く時の事を考えると、まず計画:

初めて行く場所、夢に見た憧れの地、現地での楽しい食事やお酒、そして温泉...

考えるだけでワクワクします。

服装を考えたり、持って行くものを選んだり、ネットやガイドブックで情報を集めたり。

実は後から考えると、この瞬間こそが一番楽しい事ってありませんか?

実際に旅が始まると:

交通混雑やトラブル、一緒に行く仲間や家族とのいざこざ、

予想と違う低レベルのおもてなしや料理の満足度...

そして帰ってきて一言

「やっぱり家が一番良い」

と。

自分も良くあります。

でもまた見知らぬ土地へのワクワクを味わいたくて、旅を繰り返すのです。

 

可能性とは自分で見定め、目指す心があればいつでも作り出せるものです。

日々の近所の散歩でも

「今日はあの人に逢えるかな」

「気持ちの良い挨拶を互いにできると気持ちが良い」

「あの犬と遊べるかな」

など、心がけ次第でいつもワクワクできます。

ワクワクしていると、自然と体が活性化して若返りますし、

当然遺伝子情報も良い方向にスイッチが入り、新しい才能が目覚める事もあるでしょう。

 

また他の例では:

一生使い切れないほどのお金を持ってしまえばワクワクから遠ざかりそうです。

使えきれないばかりか、税金等で減る事を防ぐことに一生懸命に。

例え増えても全然うれしくない。

お金について、これは極端な例だと思いますが

消費税や各種税のアップ、これもワクワクから遠ざかりますよね。

こう考えると、ワクワクを作り出せる上司やリーダーこそが貴重な事に気づかされます。

与えられた仕事が出来るのは当たりまえ、その上で仲間をワクワクさせることが出来る。

色々な意味で「密」に人と接しないと実現が難しいかもしれません。

コロナ禍後の課題であり、目標です。

前向きな可能性を信じて進みましょう!

 

写真ですが、自分の知らない世界を教えてくれた場所:

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東京中野体育館です。

ここで古武道に出会い、道場では多くの学びとワクワクを頂きました。

先月いっぱいで閉鎖され取り壊し。

この一帯はサンプラザも含め大規模開発に入るようです。

新体育館は、かつて住んでいた中野区の沼袋駅近くにすでに完成済みです。

沼袋に縁があるようです。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2020年9月28日 (月)

ひらめきの正体

おはようございます。

先週のブログ内容について、税理士さんと話をしていた際に新し気づきをもらいました。

それが、「ひらめき」や「思いつき」

 

先週は遺伝子によって人は動かされているのでは?という前提で話を進めましたが、

今日はもう一歩進めて、遺伝子同士が交信/情報交換していると考えます。

「脳」はその遺伝子からの情報を処理する一つの器官であり、

コンピューターでいえば「ハード」

ハードを動かすためのソフトに当たるのが「遺伝子情報」

脳=ハードを取り換えることはできませんが、

遺伝子情報=ソフトは常にアップデートされ書き換えられています。

 

良いことをひらめいたり思いついたりする時は、たいてい散歩したり入浴していたり

リラックスしている時で、何かを

「ひらめこう」「思いつこう」

と根を詰めている時ではないと思います。

リラックスしているので、他からの信号を受信する余地が脳に生まれ、

素直にそれを言葉として送ってくれている。

こう考えると、リラックスする、気分転換をするという事はとても重要だと気づかされます。

 

日々の自分の活動により、遺伝子情報を都度書き換えている。

そのもう一つの具体的な例があります。

それは「女王蜂」

生まれたときには働きバチと同じ卵なのに、働きバチは一生働き続ける

種によって差はあるそうですが、働き続けなのでその一生は短く、数か月...

一方女王蜂は、体は働きバチの2倍以上。しかも寿命も数年と圧倒的に長生き。

何がそれを分けているのか?

それは蜂蜜の王様、ローヤルゼリーを食べるかどうか。ただそれのみだそうです。

同じ卵=同じ遺伝子のはずが、食べるもので役割が分けられていき、寿命すら変わる。

 

人間は蜂よりはるかに複雑な生物であり、食べ物だけで役割が変わるとは思えませんが

幼少期に何を、どのような環境で食べてきたのかは大きな影響があると想像します。

食の大切さです。

それと共に考え方を整えることの大切さ=遺伝子情報の良きアップデート。

人間の寿命は80年位あり、蜂より圧倒的に長寿命。

気づいた瞬間から自分で自分を律することが出来ると信じます。

気づくのが例え体の寿命の数日前でも、その立派な所作により残された人に感動と勇気を与えます。

逆に壮年期に豊かな人生を送っているようでも、晩節を穢してしまえば…

人間は気づいた時からいつでも自分でスイッチを入れられる。

もし生まれつきと言うものが有るとすれば、そのスイッチが手前にあるか奥なのかの差でしかないはずです。

両親共に全くない、すばらしい才能を持った子供が突然生まれることもあるのですから。

では奥にあるスイッチを入れるにはどうすれば良いか?

もうそれは「感動」だと思います。

  • 素晴らしい先輩に出会う、
  • 一見、現代でいう「パワハラ」教師だが卒業まで付き合ううちにその熱意や寂しさに気づき共鳴する。
  • 机を並べていた同級生が、大人になって素晴らしい業績を上げて自分を奮い立たせてくれる...

前向きに生きていれば、そのような差配を遺伝子がしてくれると思いますが

なぜか現代は「個人の権利」という何が「個人」なのかもわからない様な縛りにより

行動が制限されてしまっている様な気がします。

本来「生命」とはもっと「生き生きと豊かな」ものであるはずですから。

ではどうすれば良いのか?

それは読書だと思います。

最近読んだこの本には、そんな感動と勇気を頂きました:

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是非読んでいただきたいので内容は書きませんが、日本の近代化を支えた武士の足跡が辿れ、

学びと共に感動の涙がありました。そして皆様にも多くのひらめきを与えてくれるはずです。

ぜひリラックスして読んでみてください。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2020年9月21日 (月)

宇宙の基本法則は調和

おはようございます。

明日から敬老の日、秋分の日と連休になりますので、今日アップデートします。

先週は、

「たまたま」

の尊さについて、調和する事の大切と共に書きました。

「たまたま」の偶然と必然はコインの裏表と。

人は日々の自分の考え方、発する言葉=生き方により、幸運になったり、不運に見舞われたり

喜んだり、落ち込んだりして生きていますが、一体に何を目指して体の命を使っているのか?

これは本当に難しいので、それぞれが会得していくしかないと思いますが

今日は何かに動かされているのでは?という切り口で考えます。

 

我々は日々活動し、色々な新しい刺激を受けたり、情報を得たりしています。

それによって影響を受けるのが、遺伝子。

23組の染色体が有名ですが、現代科学の粋を集めて解析が進み新しい発見が続いています。

かつては99%以上のDNA情報は誰でも同じと考えられていましたが、

いまではその部分こそ大切な働きをしていると分かって来たそうです。

例えれば、とんでもない数のスイッチがあって、日々オンオフしているかのような。

 

見方を変えて:

今問題になっているコロナウイルス。

ウイルスは人間を宿主として、変化/増殖していきますので、人間を絶滅させれば

自分も住む所を無くします。どこかで折り合うのです。

 

同じように、遺伝子もそれ自体にあたかも意思があり、生き延びようとしていたとしたら?

その場合でも、もちろん宿主は人間の「体」

体を使って、遺伝子も変化/成長していきます。

女性が自分の子供を産むというのは、遺伝子のバトンタッチとして分かりやすいですが、

それだけではなく、日々で会う人によっても大きくその情報は書き換えられます。

会う人に刺激を受けて、または刺激を与えて人は日々生きているからです。

その意味では、人は全ての他者に対して責任があるとも言えます。

自分の体の命、もしくは生命の流れ、どちらを重視するかの差です。

 

遺伝子の目指している方向こそ、先週書いた

「調和」

だと思います。

不調和では人間(の体)同士が、各種争いによってあっという間に危機に瀕しますから、

遺伝子的にも大問題です。

ある宿主が、おかしな行動をし始めるとそれをいさめるような経験をもたらして気づきを与える。

例えば:

宿主が思わぬ成功をおさめ、ちょっと横柄な態度を取り出したとします。

そのままだと嫌な人になってしまうので、遺伝子の「意思」により困り事を授けられて少し鼻を折る。

宿主は自分の尊大な態度に気づいて改める...

人はそのような必然の出来事を、「偶然」や「運」と呼んでいるのかも知れません。

 

ちょっと突飛ですが、こう考えると人間は

「遺伝子」

の為に生きているとは言えないでしょうか。

そしてすべての人はお互いに影響をしあっています。

矛盾はいつもそこにありますが、調和はそれを乗り越える力を持っています。

なぜなら宇宙の基本法則は調和だからです。

一つ一つの星の動き、地球に対する月の満ち欠け。

少しでも不調和があれば、それは一瞬で破壊されてしまいます。

現代でも問題は多いですが、世の中は確実に良い方向に向かっていると思います。

もし思えないのであれば、各自そう思えるように行動をする。

少しの行動が世の中を変えていき、遺伝子も喜ぶと思います。

 

写真ですが、久しぶりに飲みに行った帰り、近所の公園にあった公衆電話です:

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周りに誰もいなかったせいか、いつも見ているはずなのに全く違う存在に映りました。

考えれば、公園の電話ボックスとは「思いや想い」の集まる場所ですよね。

特に夜は、わざわざこのボックスに出向き、相手の番号をダイヤル(プッシュ)する。

相手のことを思いつつ…

コインやカード残高が減るのを気にしながら、会話を続ける。

友人との楽しい会話、恋人との会話、そして時にはつらい報告をすることも。

スマホや携帯が当たり前になってしまいましたが、

人生の句読点となるような大切な会話をするときには、

夜の公衆電話で話すのも良いかもしれませんね。

今日も読んで下さりありがとうございました。

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