2018年6月18日 (月)

「男」「女」は平等でしょうか?

おはようございます。

先週は幹事のことを書きました。

幹事の仕事は、人を集めることではなく集まった人が

「楽しかった」と帰るように気を配ることです。

良く幹事をやらせていただくのですが、最近は昔のように集まる人の性別を考えていないなと気づきました。

ほとんど経験ないですが、合コンの幹事であれば男女同数が良いですよね。

20歳代であれば、男女ともにお互いの性を強く意識した会になるのはごく普通のことだと思います。

男目線でいえば、素敵な女性がいれば何とか話題を振って興味を持ってもらい、

あわよくば口説いて2人で違い店に行ってさらにいろいろと話をしたい。

自分がいただいた命をつないでいく事につながる、とても健全なことです。

会社同期も同じように年を重ね、皆40歳代。

先週書いたように私は皆の尊厳を重んじ、尊重しています。

あえて小さな写真にしましたが、皆が良い顔をしているのはよく分かると思います。

本当に素敵な友人です。

そこでタイトルの考えに至りました。

男女平等の本来の意味とは、「性」を超えた「人間」として平等であると。

一見当たり前のことに聞こえますが、本当に大切な考えです。

男女の「性」は特に若い時には違うものとしてお互い尊重すべきであり、

決して平等ではありません。

もし平等が望ましいとすれば、女性が一方的に大変過ぎます。

男は女性を守り尊重する存在にならなければ、バランスが取れません。

性を維持する大変さが不平等すぎるからです。

現代は目に見えるものばかりが重視されてしまい、本当に大切なことに目が配られていません。

目に見えるものばかりが重視される社会とは、他者との比較ばかりの社会です。

自己を確立する気概もなく、ただ快楽を求めつつ体の命を消費し、嫌なことからは逃げ

死を見つめることなく、本当の生を実感できないままに気づかぬままに一生を終えます。

これではいったい何のために生きているのか…

すべての生き物は生き生き豊かなエネルギーを放っています。

短い一生に見える植物は少ないチャンスをとらえ、一斉に花を満開にし、

地中で何年も暮らしたセミは、死の前の一週間本気で声を鳴らします。

人間以外の生き物は、「性」をとても尊重し、「生」を潔く全力で駆け抜けます。

縄文のご先祖様はきっとこのように生活していたと思います。

それがどのような生活だったのか、考えるとワクワクします。

現代の横意識だけなく、歴史という縦意識を持つと、物の見え方が変わってきます。

自分が何らかの役目を負っていることを自覚できるようになるはずです。

生き方を変えられるのは自分だけです、まずは他者との比較をやめて

心を静かにすることが大切です。自分もできないので頑張ります。

写真ですが、ワクワクうれしい景色です:

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出勤時の家の前の県道です。一見何の変哲もない写真ですが、ここに暮らして40年。

こんな景色はあり得ませんでした。必ず渋滞していましたから。

外環が通った効果です。

車で通勤した場合、50分かかっていたのが30分で着いてしまいます。

本当にありがたいことです。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2018年6月11日 (月)

幹事の仕事

おはようございます。

先週は前勤務先の同期会の幹事をさせてもらいました。

幹事とは、メンバーの状況を考え、都合よい日時場所を選定。

そして連絡をして出欠を取る。その間ずっと成功を考えて返事を待ったり調整したり。

「気」をどれだけ配り、発信できるかが成功への道筋です。

決めた日時に人が集まる。

偶然に支配されているように見える「運命」を自ら動かしてしまうのが幹事の仕事です。

他者の運命を動かすと言う事は、他者の尊厳を重視する心を持っていなければいけません。

他者を尊重することで、真の自分が見えてくるからです。

他者が自分どう感じるか、それこそが自己を形成していく道。

出会いとは、本当に素敵な可能性を秘めた最も価値ある経験です。

同期会は結果、男女合計の8人が集まりご褒美の様な楽しい時間を過ごせました。

一人の同期(男)が結婚する事のお祝いで集まったのですが、

秋にはお父さんになるという報告もあり、さらに盛り上がり。

クラッカーを鳴らしてお祝いです:

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子供が成人するころまで体力を維持しなきゃ、と気持ちを引き締めていました。

最近中三の長男も良く友達をまとめて幹事をしているので、頼もしい思いです。

子供はいろいろな個性を持っていますが、良いところを受け継ぎ、悪いところを乗り越え

次世代に良いところを残してくれているように感じます。

子供は怖いほどに親の姿を見て育ちます、気を引き締めなければ!

週末は会社の行事で焼肉を食べに行きました。

アンケートを取ったところ、社員旅行は全員集合できないという事で、

もっとも人気のあったスカイツリータウンの叙々苑で。

珍しく集合写真を撮りました、手振れしています:

2018

今回初参加が二名居たのですが、とても感動して美味しい肉を食べていました。

美味しいものを「美味しいね」と笑いながら食べている姿は、本当に幸せです。

社員旅行で非日常を共有することも大切ですが、

近くにこんな良い経験ができる場所があるのは幸せなことです。

来年以降も続けているけるように頑張ります。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2018年6月 4日 (月)

「謝る」とは

おはようございます。

今週は東京も梅雨入りの可能性が高いそうですが、気持ちの良い晴れの朝からスタートです。

金曜日は社内行事の食事会のため、会社が休業になります。

ご迷惑をおかけしてしまいすいません。

お急ぎのご用件は担当携帯までご指示いただければ幸いです。

最近は、政治家や学校経営者、企業経営者が謝る姿をよく見るようになった気がします。

自分が子供の頃は、大人がTVを通じて大衆に謝る光景は記憶にないです。

一生懸命何かをやり、失敗をする。

何か大きなことを成し遂げようと、少しの不正を覚悟で突き進んでしまう。

不正が発覚して謝罪をする。

これは当事者同士で行うのが当たり前。

謝罪は嫌な思いをさせてしまった人に対して、自発的にするものです。

それでも許してもらえるかは相手次第です。人に強要するものでは決してありません。

ちょっと極端ですが、かつての武士であれば、

信念をもって突き進んだことをとがめられる状態になれば切腹をしたことでしょう。

悪意がなかったことを証明する為です。

現代では、法律に違反しているが明らかであれば当然逮捕され処罰を受ける。

謝罪するかどうかで処罰の軽重は変わったとしても、逃げることはできないはずです。

法治国家ですから。

最近の謝罪会見を見ていると、誰に謝るために報道しているのかおかしな気分になります。

取材する側が検事や裁判官、果ては被害者・当事者であるかのような質問を繰り返す。

これは異常な状態です。

謝罪をさせることが

「罪の固定」

になっているからです。

その理論は:

謝ったんだから罪を認めたんだ、悪人なんだ!

悪人には何を言っても構わない、徹底的にやっつけろと。

謝らさせるのであれば、それを受ける方に矜持(高い理念)がなければいけません。

それがないなら、ただの謝罪させるという「いじめ」になってしまいます。

その謝罪は何も解決しないばかりか、悪意の循環の始まりになってしまいます。

本来それほど

「謝罪を受け入れる」

というのは高貴な行動だったはずです。

今は謝罪が本来の意味を失い、安売りセールされている状況です。

謝罪を受け入れ、なぜそんなことが起きたのか分析し、二度と同じようなことが起きない仕組みを作る。

これこそが大人が取り組むべき仕事です。

その繰り返しの議論によって、人類は精神的発展をしていくのです。

一時的なショックで悪いことをしていた人が委縮しただけで、時がたったら元に戻ってしまう。

これでは同じことの繰り返しになってしまいますから。

他者の罪を固定させるような力を持った人はいません。

だから多くの人が幸せに暮らせる仕組みづくりをする仕事が必要なのです。

それは責任重大で、品性、学識、精神的成熟さ、体力と

あらゆる方面の総合能力が必要な大変な仕事です。

他者を評価する基軸を作るのですから。

本来、その仕事をする人を「政治家」と呼びます。

私は他者を評論する人を評価しません。

人を評論する人ほど、他者の粗ばかり探し出して喜びます。

正しいのは人の良いところを探す事です。誰にでも良いところが必ずあります。

いつも他者の良いところを探して、嬉しそうに話している人。

これからの混迷期を生き抜ける人は、きっとそんな人です。

写真ですが、この時期のごほうび:

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豪華な打ち上げ花火のようなアジサイの群生も良いですが、

この様に一輪だけきれいに咲いているのにも心奪われます。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2018年5月28日 (月)

自分を肯定することの大切さ

おはようございます。

先週、先々週は体を動かすのは自ら=魂であり、魂を鍛える事が大切という事を書きました。

ちょっとわかりにくい表現かとも思いますので、違う表現でまとめてみます。

魂が鍛えられている状態=自分を肯定できるという事です。

小さな子供の頃に親に愛情をかけられ、自分を肯定できるようになるのは

成長の過程においてとても大切なことです。

その過程を過ぎ、大人になるという事は自分で自分を肯定できるかどうかです。

いつまでも子供のように親のせい、他人のせいにしていれば成長はありません。

自分の存在を肯定できる=生きていること自体を肯定できるという事です。

生きている状態を肯定する考えは、実践しなければ価値がありません。

どう実践するのかと言うと、それは人の役に立つ生き方をするという事です。

いつもここに書かせていただいているように、

「人に迷惑をかけない」「自分の金は自分で稼いでいる」

なんていうのは当たり前なのです。

周りの人がいきなり銃を乱射したり、刃物を振り回す世の中。

これは安心して暮らせません。

極端な例と感じるかもしれませんが、基本的で大切な考えです。

陽(+)のエネルギを発するか、陰(-)のエネルギを発してしまうか、その差です。

マイナスのエネルギーを発する人が多数になれば、人類は確実に滅びます。

人をだまし、傷つけても自分の体の安楽を追求する社会、

そこでは他者に対する信頼は「死」を意味してしまいますから。

他者は全て自分の存在を脅かす敵になってしまいます。

当然日々マイナスの感情を持ってしまうこともありますが、人に貢献することでプラスを大きくできます。

その一つの仕組みが「会社」であり、普通は会社で一生懸命働くことで社会貢献しています。

お金は行動の結果得られる紙や金属で作られた道具ですが、稼ぎ方も大切です。

人をだまして得たお金は、魂的には損をして得た金です。マイナスのエネルギーを帯びます。

反面人に貢献し正々堂々と得た金は、ピカピカです。

より多くのお金を得たければ、より大きな責任を負い、果たし、社会に感謝されればよいのです。

お金を抱えて死ぬことはできません、生きているうちにどういう方法で稼ぎ、何に使ったか。

そこにその人の生き様がはっきり表れます。

生き様を表現する道具の一つが「お金」といっても良いですね。

自分がいま生きていることに感謝する。

つらい過去があっても、現在苦しい思いをしていても、声を出して

「ありがとう」

と言ってみる。何度も繰り返しているうちに、心が上向きになると思います。

おかしな情報にあふれた現代ですが、自分と話し合う時間をもって

疲れているときは自分に

「よくやっているよ」

と話しかけ、

うまくいったときは

「すごいな」

と褒める。

そして、各自が自分を認め、肯定出来ればきっとプラスのエネルギーで満ちた世の中になると思います。

写真ですが、出張で行った岩手遠野市にかわいい注意書きを見つけました:

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状況は大変なことになっていますが、何か心和む優しさを感じる絵でした。

遠野の学生は、大人を見ると挨拶をしてくれます。

この日はサッカー部(遠野のサッカー部は全国大会常連の強豪です)の自転車一段とすれ違ったのですが、

その数30人くらいでしょうか。もっとかもしれません。

その全員とあいさつをするのは刺激的で心満たされる時間でした。

こんなところにも強豪校の所以があるのかもしれません。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2018年5月21日 (月)

自ら体の自由を拘束する(先週の続き)

おはようございます。

先週の題名の「圧迫」は内容と合っていなかったかもしれません。

「ストレス」と表現するか迷ったのですが、その場合何か精神的なものも含むような気がして

使いませんでした。

今週もこの話を深めていきたいと思います。

人に罰を与えるときに、一般的に行われるのは体の自由を奪うという事です。

例えば:

◦ 廊下に立っていなさい!

◦ バツとして校庭10週走りなさい!、腕立て伏せ50回

社会人だったら

◦ 自宅謹慎!

◦ 社会的罪を犯せば刑務所に拘束…

いずれも自分の好きなように体を動かせなくなり苦痛です。

でも反面、自ら自分の体を拘束してしまう人もいます。

どんな人でしょうか?

わかりやすい代表例は、修業中のお坊さんですね。

滝に打たれたり、座禅を組んだり、食事も制限したりと、とても厳しい環境に自ら入ります。

広くとらえれば、登山をするのも、武道の稽古も体を厳しい状況に置くという意味では同じかもしれません。

ではなぜわざわざそんなことをするのか、

それは魂を鍛え、解放させたいからです。

先週書いた「魂がサボると体もサボる」その怖さを知っているのです。

魂は体の運転手ですから。

運転手が泥酔していれば車が暴走してしまうように、

不健全な魂は体を破壊的行動に走らせてしまいます。

体を鍛えると、なんだか気分が良くなる事もありますが、それは体主導ではなく自らが

「体を動かす」

という決断をして行動に移したからです。

体が高性能になると、魂が生き生きと活動しだして自動的に他者と交信し始めます。

この他者との交信という状態こそ、「魂の開放」という状況です。

この状態になると、今まで思いもしなかったような人と合ったり、想像できない役割を与えられたり

不思議と難から逃れらりたりと、運が良い状態に入ることができます。

きっと見る人が見れば、ピカピカと光って見えることと思います。

なかなか到達できるものではありませんが、自分もそこを目指して頑張っています。

こう書くと、何やら怪しい新興宗教の宣伝の様ですね…

何の勧誘もしませんので安心して読んでください。

自分は無宗教だと思っていますが、魂の話や生きる意味の話をする際には

哲学や宗教の話は避けて通れないんです。

心にスキがあると、すっと入ってくるのが怪しい人の得意技ですが、

各自が自分の人生をしっかり見つめることができていれば、怪しい存在は近づきようがありません。

自分を律することで、実は他者も幸せにすることができるんですね。

それほど深く、人間の魂は体を使って互いに影響を与え合っているんです。

来週は今までの話をまとめようと考えています。

式根島写真は最終回です。

日本の海だとわかる写真から:

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海辺には松があると落ち着きます。

写真を見ていただいた方から、

「本当にあんなに水がきれいなの?」

と聞かれましたが、本当にきれいです。宝石の様です。

式根島のもう一つの見どころ温泉ですが、真実の口があります:

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奥に手を入れると、その日の温泉の湯加減がわかるそうです。噛みつかれたりはしません。

そして式根島の日の出:

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一人きりのビーチで迎える日の出は、最高に贅沢な時間でした。

今日も読んでくださいありがとうございました。

2018年5月14日 (月)

体に圧迫を与える事での気づき

おはようございます。

先週は家族日記にお付き合いいただきありがとうございました。

伊豆七島の海のきれいさに驚いたというような感想もいただきました、

身近なところに本当の贅沢があることを知っていただけたかもしれません。

タイトルの話ですが、最近2つの出来事がつながりました。

① 式根島に行く際、大混雑の乗船口にて後ろから割り込まれて肩同士がぶつかった。

   相手は謝るそぶりも見せずに前に進んでいった。

   待ち合わせに遅れ、一人先に行った彼女を追いかけていたようである。

② 剣術の稽古の際、私の受け身が悪く先輩の竹刀が頭にクリーンヒット!(防具なし)

さてこの二つの出来事でどちらが「痛い」かと言ったら、間違いなく②です。痺れます。

①は少し痛い程度。

どちらが「不愉快」かと言ったら、それは圧倒的に①です。

②は微塵も不快ではありません。

これを考えてみたいと思います。

各人の持つ体は自分を表現する一番大切なもの、と考えれば自ずと答えは出ます。

①は、知らない無礼者にいきなり小突かれる。無礼、現代人が忘れている言葉です。

②は、尊敬する先輩に稽古をしていただいている最中、自分の未熟故。

もちろん、①の場合も謝罪があれば全く問題ありません。

一見些細なことに思えますが、現代社会が他者に対する思いやりを忘れていることを如実に表しています。

学校では義務より権利を教え、

テレビを見れば愚か者が、まじめに生きている人を馬鹿にするのを「お笑い」と称する。

これでは他者に貢献できる一人前の魂は育ちません。

現代人は、この状況がいかに異常かという事に気づかなければいけません。

真剣な稽古では、体と同様魂も鍛えられます。

魂が鍛えられているかは、自分の睫(まつげ)のように一見見ることができませんが、

達人が見れば一発で見抜かれてしまいます。

稽古とは、体を動かすことによる「魂のやり取り」ですから。

自分のミスに対して、真剣に叱っていただくことは決してハラスメントではありません。

その前提としては、上に書いたように指導者を

「尊敬している」

事が前提になるとは思いますが。

武道の稽古をせずとも、仕事や友との交流にて魂を鍛える事はできます。

魂を鍛えることない体は、体の「本気」を出すことができません。

すぐにサボってしまい、病気になりやすくなります。

体はいつも魂からの命令を待っています、そしてそれに応えてくれます。

病弱な「営業部長」はめったにいません。責任を果たすために、体はいつも元気な方が普通です。

体の真の力に気づかないままに、一生を終えてしまうのはもったいないことです。

魂の稽古というと難しく感じますが、

昨日仕事でできなかったこと、ミスしてしまったことを反省し、学び、少しでも成長する。

家族や友にたいして感情を乱してしまったことを反省し、謝る。

つらそうにしている人がいたら声をかける。

街にゴミが落ちていたら拾う。

道行く人や、バスの運転手さんに挨拶をする…

こんな些細なことの繰り返しで、顔が変わってきます。

ある年齢以上になれば、顔を見ればその人がどんな態度で生活しているか丸わかりになります。

老若男女問わず、整った生活をしている人は、本当に良い顔をされています。

この話は本当に大切なことなので、来週も考えていきます。

先週の続きで、式根島の写真です。

式根島には温泉がたくさんあります。有料の施設もありますが、ほとんどが無料で、

海沿いに点在しています。

その一つが地鉈(じなた)温泉です。

そこにたどり着くまで:

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階段を下りていきます

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まさに地面を鉈で割ったような景観です。

到着:

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ちょうどよい温度でした。水着で入れるのですが、今回は足湯のみ。

周りの岩にはこんな痕跡が:

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昭和13年とあります。

かなり彫り込んでありますので、いたずらというよりお金を払って掘ってもらった感じです。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2018年5月 7日 (月)

2018 GW

おはようございます。

先週は家族旅行に行ってきました。

部活や少年野球の予定がびっちりで、最近家族で出かけることが難しくなっていたので

今回のGWは中三の長男にどこに行きたいか聞いて行く先を決めました。

彼の希望は

「きれいな海が見たい」

でした。

その望み、かなえましょう!

さてどこに行ったでしょう、写真を見て当ててください。

という事でこんな感じのところに:

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波が高くても、ここはいつも波が静かです。

ウエットスーツを着てシュノーケリングを楽しめました。

水は本当にきれいです:

Photo_2

Photo_3

雰囲気的に海外ではありませんよね。

日本です。沖縄??

漁船も港に停泊していても宙に浮いているかのようです:

Photo_4

正解は東京都、式根島です。

電動自転車で一時間も走れば、島中の道を制覇できるくらいの大きさです。

このサイズ感が心地よかったです。

船代も大部屋なら片道5,000円位、民宿に泊まれば漁師料理もおなか一杯食べられて

大満足な旅ができます。

ジェット船なら3時間弱でこの景色です。

家族で出かけるのは最も楽しい行事ですが、

家族全員が体調良く3泊過ごせる、当たり前の様ですが有り難いことです。

さらにそこに非日常の心地よい体験があれば、何物にも代えがたい時間となります。

本当の幸せは、そんな身近な日常にこそあるんですね。

深く再確認できた旅となりました。

他の写真も来週以降載せていきます。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2018年5月 1日 (火)

幸福という状態

おはようございます。

GW中の営業は5/1出勤、5/2休み(あとはカレンダー通り)とという変則スケジュールになります。

急ぎ問い合わせ等は担当の携帯に連絡くだされば幸いです。

先週は月に一度の営業会議がありました。

大手出身2名の顧問も参加し、営業課題はもちろん経営課題についても話をしていきます。

皆が考えていることを言葉に出して話をすると、メールでやり取りするよりはるかにいろいろなアイディアが出てきます。

言葉とは、一番簡単に自分を表現できる道具ですが、最も重要で時として怖い凶器にもなります。

現代人はスマホの画面に魂を吸い取られてしまっていますので、この

「言葉の怖さ、恐ろしさ」

を忘れてしまっています。

会議において、どんな状況でも前向きな言葉を発しようとすることは、皆の意識を統一するとても大切なことです。

もちろん一般生活においてもこれは一緒です。

人の話を聞かずに自分の意見ばかり押し付ける、

自分の意見と違うことをいう人を馬鹿にしたり拒絶したりする。

これはもう会話とは言えません。マイナスの感情を生む愚行です。

そこに集うすべての人が不幸せになってしまいます。

会社はもちろん、家庭において妻子にこのようにふるまっていないか、

よく注意していかなければならないと自戒。

では幸せな状況とはどんなことをいうのか。

会議後の会食時に顧問(70歳代)から良い話をお聞きしました。

「僕は今楽しくて仕方がない、好きな時に勉強して視野を広め、遊びたいときに遊べる」

そして

「国内外に自分の能力を必要としてくれる人がいて問題解決の手伝いができる、

そういう時には社会とダイレクトにつながっている自分を実感できて幸せ」

と。

この後ろの言葉、社会に必要とされているというベースがあるから、

新しい知識を吸収してさらに自分を高めようとしますし、遊んでも楽しいのです。

現代は衛生状態や医療技術の進歩で100年間体が動くのも珍しくない社会です。

そう考えると、一般的な会社の60歳前後定年とは20歳で社会人になったとすると

ちょうど半分の通過点にしかすぎません。

誰かが自分を必要としてくれる状態のみでしか幸せは実現できません。

一生遊んで暮らせるお金を持っていたり、TVの中の有名人で何不自由なく生きていそうな人が

せっかくのお金を詐欺師に根こそぎ取られたり、ありえないような事件を起こしてすべてを失ったり、…

これらも

「自分を認識してほしい」

という欲求が抑えられなくなった結果です。ラッキーで得たお金や地位は失いやすいのです。

本当に他人に認識してもらうには、自分を高めるしかありません。

人生前半の仕事とは、組織に所属して、その中でいろいろな技術を身につけるときなのかなと感じました。

幸福に生き切れるかの答えは、人生後半で決まります。

写真ですが、前から好きなカスミソウの花束を買って帰りました:

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子供らもびっくりして良い経験になるかと思ったのですが…

次の日起きると、長男が何やら怒っています。

「くせー、もう我慢できない」

と言っているようです。

どうやらカスミソウは臭いんですね。ネットで調べたところ、ハエに受粉をしてもらう為とか。

それは臭いですよね。

というわけで、こうして玄関の外で楽しんでいます。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2018年4月23日 (月)

洗濯機修理 (カバーが閉じない:磁石不良)

おはようございます。

先週は自宅の洗濯機が壊れて修理しました。

妻の話では直前まで全く問題なく動いており、異音もなかったそうですが

「カバー(ふた)が閉まっていません」

というエラーが出てしまい、水をためたところで止まってしまったそうです。

今は無き三洋製だったため、パナソニックの人に来てもらったところ

「カバーの磁石が劣化している、カバーはもうないので直せない」

と言われたそうです。

まず、磁石は劣化しません。そして人が作ったものが直せないわけがない!

と信じていますので修理開始です。

状況を確認するとこうなっていました:

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洗濯機フタの部分が割れて磁石が無くなっています。

(この状況は、後から不要部分を除去してあります)

ふたは、写真下部のヒンジで半分に折れますが、その際にこの部分が直接反対側にあたってしまいます。

磁石部分をカバーする構造にしていれば、壊れないはずです。

これは設計ミスですね。

磁石を探したのですが、無いのでこのように加工しました:

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本体側の磁石を認識する部分(磁気センサー)に磁石を突っ込み、二液性のエポキシ接着剤で固定。

この際に使用した磁石は、ハサミでも切れるふにゃふにゃの弱磁性の物で磁力は十分でした。

磁石を認識するので、磁石の隣からロックするための棒が出てくるようになって修理完了です。

とここまでは修理顛末なのですが、実は少し前にこの洗濯機のことがふと気になっていました。

書いてしまうと嘘くさいのですが、本当のことです。

10年使っているので、「よく動いていてくれるな」と思うのは普通だと思うのですが、

その様な感覚ではなかったんですよね。

何か語り掛けてくるような…

きっと壊れそうになっているのを伝えてくれたのですね。

最近は、体と魂の違いについてよく書いていますが、物にも「魂」が宿ると思っています。

大切にすれば長持ちする、大切にするという事はそこに魂を込めているのです。

身近な例では、車、人形またはお花だったり。

車は他の車に浮気心を起こすと途端に調子悪くなりますが、

例えば花なら:

丹精込めて育てた花と、「枯れちゃえばば良いのに」と思いながらいやいや育てるのでは、

もし同じタイミングで水や肥料をやっても育ちが違うのは想像できます。

人形の場合は悲しむのがすぐに伝わりますよね。

また、武士は刀を自分の分身の様に大切に扱いました。

博物館にあるような名刀を鑑賞していると、吸い込まれそうになります。

家電の修理は、ほとんどの場合は今回のようなセンサー部分の接着修理や

はんだ付けで直ります。

はんだ付けは、中学生の必修科目にするべきだと思います。

洗濯機も些細な故障からスクラップになってしまうより、また家族のために働けた方が

うれしいに決まっています。

自分自身が整っていないと、物を大切にするという気が失われる気がします。

その意味では、物=道具を大切にする気持ちと自分の成長は関係しているのです。

単なる「物」が、使い方で人を活かす「道具」へと変わります。

ただし、自分の所有物だけを大切に扱い公共の物は粗雑に扱う。

これでは何の意味もありません。

いつでも物を大切にして感謝している人からは、独特の雰囲気がにじみ出てきます。

モノづくりにかかわらせていただいているので、その気持ちを忘れずに行きたいと思います。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2018年4月16日 (月)

体はラジオ(先週の補足)

おはようございます。

先週のブログには大切なことを書いたと思うのですが、読み返すと話の焦点が絞れておらず、

伝えたかった事がぼけてしまっているように感じました。

今週はタイトルの「体はラジオ」に絞って書きます。

体は他者からの目には見えない、電波のような「気」をいつも受信・発信しています。

ラジオは一般的には受信専門ですが、ここでは受発信できるものと考えてください。

電波を受信できないラジオは、ザーザーと雑音しか鳴りませんよね、人間も一緒です。

母親は子供を育てるためにいつも「大丈夫かな」「危ない目に合わないでね」と

こどもに向けて気を送っています。

それを子供は「安心」という電波として受信して、すくすく育つことができます。

安心を感じられない子供は暴走して大雑音を発してしまいがちです。

それほど良い気を受信するというのは大切なことです。

身近な例でいえば、例えば自分が湖で遊覧船に乗っているとします。

岸にいる子供が一生懸命こちらに嬉しそうに手を振っています。

これこそがまさに体を使って「気」を送るという具体的行動です。

そのしぐさを見た人は、心が温かくなり笑顔になりますよね。

また、カラオケで歌を歌っている人に対して、その人を見ながら楽しそうに手をたたいて一緒に楽しむ。

これも手を合わせるという行動を通じて、気を送っているのです。

神社でパンパンと柏手を打って、神様の気持ちと同調するのと一緒です。

歌を歌っている人も気持ちよくなって、雰囲気が良くなる。

逆に各個人が自分の歌の事しか考えずに、下を向いて選曲ばかりしていたら、雰囲気悪くなりますよね。

普段の学校や会社での生活も、これと全く一緒です。

自分の体を使って良い気を発しない人ほど、自分が雰囲気を悪くしていることに気づかずに他者を悪く言います。

社会で成功し、信頼されている人は皆同じ行動をすることに気づきます。

それは

「人を悪く言わない」

という習慣を持っている事です。

もし嫌な思いをしたらまず自分のせいだったのかと考えてみたり、

自分が直してあげたいと思ったりしますが、

自分で解決できないなら黙ってそこから立ち去ればよいのです。

良い気を受発信できるようになると、自分の正しい想いが他者と波長が合うことで思いがけず大きな力となり、

信じられないような幸運とめぐりえます。

これが先週書いた「強き思いはあっという間に地球を一周する」という意味です。

成功者は多くは、成功の秘訣を問われたときに、

「運が良かった」もしくは「運が良かっただけ」といいますが、

それはそれだけの思いを自分が発信していたからなのです。

今週も良き仲間と一緒にきれいな音が出せるように頑張っていきます。

写真ですが、会社の近所をぶらりと歩いてみました:

植木を並べ、通る人を気分良くさせてくれる。その気遣いが心地よい路地です。

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ここはアトラクションの様でもありますが、もう動いていない鋳物工場の様です。

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建物自体は傷んでおらず、普通に生活してそうですが。

今週も読んでくださりありがとうございました。

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