2021年10月17日 (日)

コロナワクチン接種体験記

おはようございます。

10/9(土曜日)にやっと2回目のワクチン接種(ファイザー社製)を終えました。

住んでいる市川市は対応が遅かったようで、これでも同世代最速の接種。

ワクチン接種直後は何の副反応もなく、むしろ一回目の方が腕が痛いほどでした。

夜も発熱することなく、

「これは副反応なしで済むのかな?」

と思っていたのですが、そうは行きませんでした。

日曜は朝食後からだるくなり、微熱(37.0~37.5℃)と頭痛、腰痛がずっと続きました。

横になっているとそれほどきつくはなく、体がホカホカと温かくてずっとお風呂に入っているような感じ。

一夜明けて月曜には軽い頭痛位で、ほぼ全快。

多くの方が

「自分の体が変化して、無敵になった気分」

と仰っているのがよく分かりました。

 

「インフルエンザ」ワクチンは、わざと軽く罹患する事により抗体を作るそうですが、

「コロナ」ワクチンは全く違うアプローチをしているそうですね。

インフルエンザワクチンは、体調不良が数か月続いてしまう体質だったので、

今回のコロナワクチンは軽症で済んで良かったです。

妻が予約をしてくれて結果的に市内最速で接種出来ましたが、都内、特に会社のある墨田区は

全国最速レベルで接種が進んでいたため、周りに接取事例が多くて悩まされました。

副反応が重く40℃近くの発熱があると聞いたり、社員でも数日休む人も居たりしましたので。

また自分がインフルエンザワクチンによる体調不良に悩まされていたこともあり、さらに慎重に。

 

補足:インフルエンザワクチンの不調になぜ気付いたか

毎年同じ時期に数か月酷いだるさに悩まされ、季節の変わり目だからかなと諦めていました。

数年それが続いた時に、だるさの始まるのがインフルエンザワクチン接種後だと気づき、

一度ワクチン接種を止めてみました。

すると毎年悩まされていただるさからも解放。インフルエンザにもかからず。

 

特にネット上には様々な情報があふれかえっており、不安だから故そっち方面の情報に

無意識に目が行ってしまいます。

いわゆる陰謀論にも。

今回はそれが良いか悪いか、陰謀論は本当に陰謀なのかという話は書けません。

分かりませんから。

ただ、自分の不安な時はそのような情報に引き込まれるという事実を実感しました。

コロナワクチン二回目が終わった今は、逆に

このワクチンがいかにすごい技術で作られているか、

接種によってどれほど人類が助けられているか、

という情報がすんなり頭に入り、且つ納得できます。

 

人の感情に揺らぎとは、一見小さいように見えても大きく人生を左右されます。

日々の生活でも、少しだけ前向きな人と、少しだけ悲観的な人(実際にはそんな分け方は出来ませんが)。

普通に接していればあまり変化が無いように見えても、長い目で見れば大きな差となるでしょう。

そこまで大げさな話ではなくて、今週体験した話でも:

「なんだかよいことが無かった一日だったな」

と思っていた会社から駅までの帰り道。

すでに暗くなっている中、近所の方から気持ちよく挨拶されて気分一新で心地よくなる。

オフィス街ではなかなか無いですよね、近所の方からの挨拶していただける事は。

墨田区で工場を経営していて良かったと思える一瞬です。

 

コロナワクチン接種により、自分のワクチン論に対する見方が一変するという機会に恵まれました。

悩んだ期間が長かったからこそ、衝撃的に実感できたのでしょう。

自分の気持ちをコントロールして、つらい時でも少しでも前向きになる。

その大切さを学べました。

 

写真は三回目の京島交差点の家です。

友人から「中に入って、主催者と話をしてきて」と言われましたが...:

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他に誰もいない中、この方に話しかけるのは勇気がいります。

会社の仲間の話では、夜には電気がついて人も集っているようだとか。

写真を見て気づきましたが、

「京島クロスロード」

と言うんですね。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2021年10月11日 (月)

コロナ終息後の世の中

おはようございます。

先月19日のブログで、金木犀の写真を載せましたが先週また咲きました。

10年間、このブログで金木犀の写真を毎年載せていますが、2回咲くのは初めてです。

9月に入って一気に涼しくなってしまったので、季節を勘違いしたのでしょう。

気づいてすぐに満開にすることなくエネルギーをためて、本来の時期に咲かせえる。

自然の凄さを実感します:

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さて、先週はコロナ禍を振り返りましたが、今週はこれからどうなるのかを考えます。

コロナ第五波の終息が見え、全国的に非常事態宣言が解除されましたが

冬に向けて第6波が来るとも言われています。

次回の波は、ワクチン接種率の上昇と医療体制の整備により、

今までの様な混乱は起きないのではないかと考えます。

この間、行政・医療従事者の皆様のご努力は大変なものだったと思います、感謝です。

 

ただ、6波が小波で終わり、体の健康に対する不安が去ったとしても

約二年の間にダメージを受けた精神面や社会運営面での傷は長く残るかもしれません。

その前例とも言えるのが、14世紀に中国大陸で発生し欧州全域に被害をもたらしたペスト(黒死病)です。

この病はネズミやネズミに寄生するノミにより広がったとされています。

この時は、現在のコロナとは比較にならない被害をもたらしており、

欧州人口8000万人の内、30~60%が亡くなったと言います。

正確な統計が無い時代だったの数値にばらつきがありますが、約半分の人が亡くなったと考えると

大変な被害です。

各家庭で死者が一人もいないところが珍しいほどでしょう。

特にイタリアでは被害が甚大で、8割の人が亡くなり、全滅した村もあったといいます。

そのペスト流行と同じ14世紀イタリアで始まったのが

「ルネサンス」

学校で習った教科書には

「文芸復興」

と、何か新しい文化が花開いた明るい話のように描かれていたように記憶しますが、

時系列を拾って考えると、違う側面が見えてきます。

 

それは神=教会の権威失墜による、今までのルール破りの横行と言えるのではないでしょうか。

近しい大切な人々が、目の前でバタバタと亡くなっていく、

絶対的な存在であった神父さんの権威も失墜して行ったでしょう。

神父さんは出生から死まで民に寄り添っていたのに、

原因不明の疫病によりそれらが出来なくなっていさらに民から遠ざかる。

現代コロナ禍下日本の葬祭事も、コロナで同じような状況にありますが、

14世紀には今の様な報道機関など無く、

死者の比率や原因が全く分からない恐怖は比較にならかったと想像します。

人々の心が虚無に陥り、精神が行く当てなくさまよっている姿が目に浮かびます。

 

そしてこの頃新しいテクノロジーが産まれ、人の生活が変わって行きます。

それがルネサンス期(15世紀)の三大発明

「羅針盤、活版印刷、そして火薬」

これによって更に、神に寄り添い生活していた民の風景が変わって行きます。

ペストですでに神から離れていた心が、決定的に変わっていたとも言えるかもしれません。

これらの発明の力を発揮し、はじまったのが大航海時代=他者からの収奪時代です。

まさに神への冒涜とも言える方針転換。

これはある意味現代まで続いてしまっているとも言えるかもしれません。

 

現代コロナ禍下でも、先ほど書いた葬儀に代表される伝統的行事の否定、もしくは放棄。

他者との付き合い方の変化。

そして現代における3大技術開発:

「宇宙・衛星開発、ネット、ドローン」

によって出現した圧倒的力の不均衡。

それらはどのように使われていくのでしょうか。

使い方を間違えれば、人類の未来は大変暗いものになります。

一人一人の力が試される時代が来ています。

それはすでに始まっています。

 

今日のブログにぴったりの、人との縁をベースとした原始生活?

が近所の交差点で営まれています。

先週の開始日はあいにくの台風でしたが、着々と整えられてきています:

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奥には、海の家の様な「おでん屋さん」もあるようです:

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主催者の方を見かけるのですが、原始人スタイルで話しかけるには勇気がいります...

また来週も追ってみます。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2021年10月 4日 (月)

コロナ小休止 振り返り。

おはようございます。

東京も9月末で非常事態宣言が解除されました。

約半年ぶりの解除という事ですが、もっと長かったように感じます。

2020年以来二年間ずっとそんな感じでしたから。

今回は全国的に「全面解除」という事で、感覚的に今までの解除より明るい雰囲気を感じています。

今日はこの間、企業の経営と言う面から自分の経験した事を記します。

 

会社の業績は、

「コロナでもあまり変化が無いな」

と感じていた2020年の中盤から大幅な落ち込みがあり、

2020年8月末締めの決算では、リーマンショック以来の悪い数値となりました。

ただ、2021年8月末には、最悪期から2割の売り上げ増となり今一息ついていることろです。

実は、今回の「コロナショック」が起きる前に、世界的な経済危機が起きると予測し

手持ちの現金を厚くしていました。

(もちろんウィルス由来の景気悪化など想像もしていませんでした)

そのおかげもあり、最悪期でも資金の心配がなかったことに救われました。

そして、自社の経理状況を健全に保つ大切さを更に深く自覚しました。

自社の状況が悪くなってから、急に銀行に借り入れを依頼すれば当然金利は高くなります。

借金とは、会社が利益を出し、従業員へ給料や社会保険料を払い、設備を維持・更新し、

その上で税金を払い、その残った分からしか返せないのです。

しかも一般生活とは桁が違う額が必要になりますから、利率の少しの違いで必要経費は大きく変わります。

住宅ローンであれば、長期低利率で30年返済などと言う優遇もありますが、

それは家(土地)と言う担保を、銀行が確実に確保できているからです。

企業の信頼とは、一朝一夕に出来るものではなく、少しづつ積み重ねるしかありません。

それは自己満足ではなく、他者様に認めていただけなければ無意味です。

決して現状に甘んじることなく、企業を維持発展させていかなければいけません。

 

もう一点は家庭内の事です。

今多くの中小企業で後継者不在が問題となっています。

中小企業では、先に書いたように金融機関との折衝(経理全般)、人材募集、人材教育、営業、

そしてもちろん製造や品質管理にも目を配り、それぞれの機器に対して最新の情報を知っておくことが

大切になります。

その他雑用まで考えると、気を配り差配する範囲は本当に広いです。

社長は良く船長に例えられますが、その進路を誤らない為には全情報とそれを処理する能力が必須です。

そして船と違うのは、会社と言う船を浮かべるのはお客様の期待と共に、

従業員の働きという両輪だという事です。

これは海に浮かぶより大変な事です。

一般従業員に優秀な人が居れば、その人が後継者となればよいのですが

今の日本の税制ではそれが大変難しくなっています。

また、大手上場企業ではありえない、借り入れへの経営者責任という問題もあります。

これらは少しずつ改善していますが、

スピードアップしないと後継者不在による倒産が続発してしまうでしょう。

そこで、日向工業の取り組みです。

コロナにより、高三と中三の2人の息子と毎日のように一緒に食事をとれるようになりました。

2人ともバリバリの運動部に所属していましたし、自分も飲みに行く事が多かったので、

コロナ前には考えられない状況でした。

そこで2人(特に長男は大学の進路選択があったので)には、

会社の仕事の面白さをよく話して聞かせることが出来ました。

もちろん先に書いたように大変な事もありますのでそれも話しました。

大変といっても、自分が実際に組織に責任を持ち運営していく面白さに比べれば

クリアして行ける事柄だと思います。

親バカですが、2人とも自分より優れた経営者になれる素質があると、

コロナのおかげで感じられるようになりました。

経営者の仕事として「教育」と書きましたが、「後継者教育」とは本当に難しいです。

息子に仕事の話をせず、比較的贅沢な生活をさせた上で、

いきなり業績の良い会社に入社させてしまう...

これは本当に問題を引き起こす確率が高いです。

創業オーナーが苦労して大きくした会社の二世は、このパターンが多い気がします。

もちろんそれでも壁に当たりながら、だんだんと成長していくのでしょうが時間が掛かります。

今は企業自体にその余裕がなくなっています。

まだ2人の息子がどう育つか分かりませんが、コロナ禍を転じていろいろと話せたのは、

良い経験だったと信じます。

コロナ災いを転じて福となる様、引き続き全方位で頑張っていきます。

 

写真ですが、近所の京島の交差点です。

明治通りと交差している、とても交通量の多い場所です。

先日書いたように、ここから東京スカイツリーまで拡幅工事をしています。

その合間に、こんな家が出来ました:

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ここでアーティストが一か月原始的生活を始めるそうです...謎です。

なんでも、週刊漫画雑誌の「モーニング」に連載されている「望郷太郎」がモチーフだとか…さらに謎。

そしてこの施設になぜか「チケット」がされています。当日3000円、当日???謎は深ま理ばかりです。

10/1開始ですが早速台風模様...今後の波乱を予感させますが、しばらく追ってみます。

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

 

2021年9月26日 (日)

選挙報道に見る今

おはようございます。

最近は選挙の報道が賑やかですが、本質論から外れている議論も多い様に感じます。

今の選挙制度は、軽薄な人気投票になっているような面もあり、

また選挙権の行使すらしない人が多い場合もありうまく機能していないのではないでしょうか。

 

絶対王政、共産主義、社会主義、資本主義...

どのような制度にせよ良し悪しがあると思います。

最高に優れた王様が統治する国は、きっと他の制度より優れた国家運営をするでしょうし

その逆の場合もあると思います。

ただ一つ言えるのは、我々一般大衆が政治に関わり、その根本たる議員の任命に対して

小さいとはいえ権力を持ち、

且つ自由に(配慮されて)行使できるという事はとても貴重だという事です。

大きな流れにより、政権交代が起こせるのは奇跡的ですらあります。

参政権どころか、政権批判すらできない国もたくさんありますから。

 

何事でもそうですが、他者から与えられたものは大切にしません。

逆に自分で必死になって手に入れたものは大切にし、時には命をかけても守ろうとするでしょう。

日本の選挙制度の場合、すでに生まれ付き与えられた世代が殆どになっているので

もしかしたらその価値が軽んじられているのかもしれません。

政治とは、国民が生きていく根本をなす神聖な仕事であり、決して名誉職ではありません。

使命感が無いと出来ない仕事です。

では使命感とは何でしょうか、今日は考えてみます。

 

まず前向きな使命感とは、高揚を伴います。

うちの次男を見ていてわかりますが、兄貴に何かを指示されるとぶつぶつ言いながらも

たいてい嬉しそうにこなしていきます。

弟の中には、兄からの指示を「やらない」という選択肢がほぼないです。

これも一つの「使命」と言えます。

好きな兄から「命令してもらう」「命令してもらえる」という高揚感。

これは仕事にも通じます:

ちょうど今この文章を書いている時に、お客様から

「こんなお願いして良いか分からなかったけど、やってもらえる?」

と問い合わせいただきました。

「もちろんです、ぜひやらせてください!」と電話で答えましたが、これも同じです。

仕事と言う使命、思い出して電話していただいたという高揚感。

 

そう考えると、「使命」とは人生にとって一番大切な事だと分かります。

他者に必要とされる幸福。

自分の存在とは他者から規定されるしかないですから。

他者を拒絶し、自分探しをし続けて内観しても、玉ねぎを剥くように何もなくなってしまいます。

そうならずに芯を作ってくれるのは、他者からの期待=使命感です。

 

それを理解できれば、さらに大切な事、それは:

「使命を与える」

存在になるという事です。別の言い方をすればそれこそが人材教育。

知識を教える事は、教育のごく一部の事です。

仕事に必要な知識や技を教え、信頼し、期待を込めて仕事を任せる。

これは教育の理想だと思います。

指示して命令するだけでは人は動きません。

本質的に人間は他者への命令者にはなれないです。

人間は自己の欲望を優先して生きてしまいますので、魂のふるえ無き命令には従いません。

仕事上の命令は、給料をもらうという欲望が勝っているからという場合も多いですよね。

その「欲望」に「使命」という素晴らし力を与えて本当の喜びに変える。

信頼し合える仲間だけが成せる、素敵な力の転換です。

 

現代の選挙風景から考察を進めましたが、今我々が忘れかけている重要な事に行きついたように感じます。

この様な場があり、皆様と一緒に考えられることは大変幸せな事です。

有り難いです。

 

写真ですが、初めて見た花です。何でしょう?:

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種から育てた二年目のアスパラガスです。一年目には花は咲きませんでした。

本当に小さな花です。

幹はまだ数ミリしかありませんが、それとほぼ一緒です。

野菜として食べるのは、この幹の部分が芽を出して少し伸ばした部分。

今は地下の茎を育てるために、伸ばしっぱなしにしています。

おそらく来年からは細いものが収穫でき、それから10年間は続けて採れるとか。

楽しみです。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2021年9月19日 (日)

ブログを始めたきっかけ

おはようございます。

今回はブログを始めて約10年たちましたので、始めたきっかけを振り返ってみます。

まず:

昔であれば、自分の書いた文章を多くの方に読んでいただく機会はかなり特殊で限られていました。

今ではこのような場が身近にあり、本当にありがたいことだと思います、感謝です。

当初、このブログの題は「スカイツリーブログ」でした。

主に会社の屋上から日々立ち上がっていくスカイツリーの写真を撮り、その様子を載せていました。

当時の押上周辺は錦糸町と浅草に挟まれていて、わざわざ訪れる様な観光施設はなく静かな町。

有名な焼肉チェーンが出来たときに行列ができて驚いたほどです。(それも狂牛病事件で終焉)

 

そんな場所に日々大きく立ち上がっていく様子は、見ているだけで何だかワクワクしました。

それを画像でお伝えしたくて、更新していました。

そして2012年2月、ついにスカイツリー開業。

周辺の環境は一変しました。

今では東京を代表する観光地の一つとなり、次々と新しいイベントが催され

たくさんの人でにぎわっています。

また伴って周辺環境も整備されてきています。

曳舟も例外ではなく、

駅近くにあった大きなコルクの工場は、商業施設とタワーマンション数棟に変貌を遂げ、

ガード下にはたくさんの託児所が出来て、いつもかわいい子供たちの声と笑顔にあふれる様になりました。

その変わり様はまるで魔法の様です。

更に今はスカイツリーから会社近くの明治通りまでは拡幅工事も進んでおり、まだ進化していきそうです。

ただ変化には寂しい面もあります。

付近にあった工場やガソリンスタンドは、どんどんマンションに変わって行きました。

特に会社近辺は駅から近いので、その変わり様が極端です。

もうこの近辺が準工業地域だったことを知っている人も少なくなっているのではないでしょうか。

それを進化と呼ぶのか。

ものづくりの場所はどうしても音や振動、そして工場特有の匂いに囲まれますが、

それは住宅街にはそぐいません。

更に町が変わって行ったときに、プレス工場をこの場所で運営し続けることが良いのか。

次の世代への宿題になりそうです。


さてスカイツリー完成後のブログですが、題名を改めて今の

「NIKKO BLOG」にしました。

元々文章を書くことが好きだったので、会社の運営状況や日々の出来事を書き綴っていました。

そんな時に、

「鈴鹿は何のために文章を書いているんだい?」

と同じように会社ブログを社命で書いている友人から聞かれました。

この時は、質問にすぐに答えられず。

あえて言えば

「書きたいから書いている」

としか言えませんでした。

ただ、今は比較的はっきりしています。

それは将来会社にかかわる事になるであろう、2人の息子へのメッセージという事です。

いつ自分がいなくなってしまっても、これを読み返せば自分の思いを伝えられる。

次の世代へのメッセージです。

自分の日々の考えを、約10年間毎週書き綴る。

そこには小細工は通用せず、無理に書いていたら自分がパンクしてしまうでしょう。

唯一の方法は、その一週間何を考えて過ごしたかを素直に書く事だけ。

毎週書くので一つ一つの行動や他者との出会いを大切に思い、丁寧に対応するようになりました。

一見何も起こっていない様な日常でも、自分の感情の揺らぎを表現してみると文章になるものです。

空想の世界を書いていれば、決して長続きしなかったと思います。


実はこのブログにも登場していた大切な友人K君が楽しい

「釣りのブログ」

を同じようなペースで更新していました。

本人は書いていることを公言していなかったのですが、何かのきっかけで知って読み始め、

会った際に

「あのブログ読んでいるよ、面白いね」

と伝えたところ、K君は

「勝手に読まないでください!」

と真剣な表情。

聞けば大切なお嬢様二人の成長記録として書き綴っているそうです。

そして僕と同じように、日々面と向かっては言いずらい思いを乗せる。

2人で

「まるで遺書の様だね」

と話し合っていましたが…

K君は2019年11月に、脳疾患で突然亡くなってしまいました。

人生どうなるかほんとに分からないものです。

遺された釣りブログでは、今でもK君が楽しそうに笑っています。


これから社会は更に激動期に入っていくと考えています。

息子らもそろそろ「子ども」を卒業していきますので、このブログの意味も変わって行くと思います。

これからも「会社と言う生き物」を語る役割を果たし、お互いに成長していきたいと思います。


写真ですが、今年は9月になって一気に涼しくなったためにいつもより早くこの花が咲きました:

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秋の訪れを知らせる香りですが、今年は少し早かったです。

そして秋を告げる強烈な香りと言えば:

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銀杏。

こうしてみるとかわいくてサクランボの様ですが、踏んでしまうと大変です。

四季折々、色々な香りに包まれる。本当に豊かな事だと思います。

自然は日々変化していますが、その変化に気づけると幸せな気分になれます。

今日も読んで下さりありがとうございます。

2021年9月12日 (日)

アメリカに見る遊びの天才

おはようございます。

オリンピック/パラリンピックも大きな事故なく終わり、東京の様子も平常に戻りました。

もっとも会社の立地している墨田区では、ほとんど変化はありませんでしたが

ちょっと出かける際の道路状況はいろいろと規制がありましたので、

出かける前に交通規制を確認しなくてよくなりました。

 

今日の話のきっかけです:

今回オリンピックでは「スケートボード」が正式種目になりましたが、

13歳の女性西矢さんが金メダルそして男性でも堀米さんが金メダル、

他にも数人メダルを取り日本人が大活躍。

後から知って驚いたのが、この堀米さん(アメリカ在住)の知名度が、大リーグエンゼルスの

大谷さんより上という事でした。

野球好きにとって大谷と言えば、ベーブルースを超える二刀流で、

打ってはホームランキング有力候補、

投げては10勝間近。

すでにメジャーの歴史上で比べる存在がいないほどの活躍をしています。

ホームランを打った朝には日本のトップニュースになる事もしばしば。

エンゼルスの人気や知名度が低いと言っても、大谷は圧倒的な存在感です。

その人より、スケボー選手が知名度がアメリカでは上とはどうしても信じられません。

でも調べると事実でした。

SNSのフォロワー数において同等、もしくは堀米さんが上と。

スケボーでも一試合1億円の賞金、トップ選手になると年間数十億円稼ぐそうです。

 

この話を聞いて思いました、アメリカとは本当に遊びを作り出す天才だと。

スケボー以外にもベースボールもバスケもアメフトも。

ダイビングサーフィンももアメリカ以外で始まったという事ですが、

今のスポーツダイビング、サーフィンの形になったのはアメリカです。

発祥の地は違う場所でも、アメリカに入った瞬間にショーアップされて極まっていく。

物事、事象を遊びに変えていく前向きな力と言うのが、アメリカにはあるのですね。

反面世界で最も有名なスポーツ「サッカー」に関しては、アメリカではあまり人気がなさそうです。

サッカーはルールが分かりやすく、場所さえあればサッカーボールさえあればできてしまいます。

改めてアメリカがショーアップする要素が無かったのでしょう。

ここで「遊び」という日本語を使っていますが、決して「暇つぶし」という感覚はありません。

とにかく真剣。その真剣に遊ぶというのがアメリカの文化を作っていると言っても良さそうです。

 

では「遊び」は英語ではどのような単語を使って表現するか?

「Play」と言ってしまいそうですが、これは子供の時だけに使います。

大人になると性的な意味も含まれてしまいますので、使う相手を間違えると大変です。

 

ちょっと脱線します:

ここで言う「性的」とは人の営みで最も自然で崇高なもの=男女の営みととらえます。

天が造った(天造)根源的な精神的欲求。

現代はここが壊れて、肉体的なものだけ、もしくは中性的なものに焦点が当たっている気がします。

本当に大切にすべき人間存在の根源的な考えです。

あまり教えてもらえないので、あえて脱線しました。

 

本題に戻って、遊びの英語訳:

自分の印象では

「Spend time」+「enjoy」でしょうか。

ここがベースボールと日本の「野球」の違いでしょう。

次男の公立中学における野球を見ているとよく分かります。

それは「修行」「苦行」に分類されるような特訓教育・精神修養でした。

みんなでお坊さんのように頭を丸め(かわいいし、チームに一体感が生まれる気がするので個人的には好き)

失敗には監督から怒声を浴びせられ、野球に関係ないミス(学校生活)についてまで、なぜか連帯責任。

これでは「エンジョイ」からは遠ざかってしまいます。

それは「Spend time」+「patience(忍耐)」です。

次男の代が中三になり部活を卒業してしまい、部員が9人を切りもう試合も組めなくなってしまいました。

このご時世ですから仕方ないですね。

そろそろ日本もスポーツに対する見方を変える時期に来ているのでしょう。

従来のスポーツは軍事教練の延長線上にありましたが、現代ではエンジョイの要素が無いと、

良い状態で長時間闘い続けることはできません。

それは企業活動についても同じことが言えると思います。

遊びの考察から、大切な学びに行きつきました。

 

写真ですが、今年二回目の睡蓮です。今年はもう一回咲くかな?

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ちょうど小さな蜂が食事中でした。

花はお土産にもれなく花粉をプレゼントし、自分の命を蜂に託します。

自然界の摂理(法則)は、シンプルに見えて厳然としており揺るぎないです。

迷いなく一直線。

身近にあるふとした出来事にも、大きな学びが隠れています。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2021年9月 5日 (日)

自然に学ぶ

おはようございます。

先週より新しい期(71期)が始まりました。お客様の期待に沿えるよう頑張っていきます。

69期はコロナ禍による受注減もあり、リーマンショック時以来の赤字決算となりましたが、

先期70期は何とかその赤字分を取り戻すことが出来ました。

まだまだ世の中不安定です、気を緩めずに進みます。

 

今週の話ですが:WEBで日刊工業新聞を見ていると、驚きの記事がありました。

特別大きなマダカスカルゴキブリ(真っ黒ではないので、言われなければ普通の昆虫に見えます)

の背中に小さな回路を背負わせ、そこからおしりと触覚に電気信号を送る事により:

触角を刺激すると、刺激されたの側と逆側に回転し、

お尻を刺激すると刺激から逃げる様に前に進む。

この刺激を組み合わせて、自立的に熱源まで走らせるそうです。

大阪大学の研究です。

この場合の熱源とは、人の体温。

地震で倒壊してしまった建物の下敷きになった人にたどり着くことを想定しているそうです。

小さなカメラをつければ、映像も送れるでしょう。

原発事故で特別に放射線の高い地域にも入ることが出来るかもしれません。

昆虫の安定性は抜群で、がれきを飛び越え、壁を登り、高い所から落ちてもへっちゃら。

どんなに優秀な機械でも入れない場所までたどり着けます。

最近は「ドローン」の優秀さをよく耳にしますが、身近に居る昆虫の優秀さに比べればまだまだです。

 

科学技術の進展は自然をどうやって抑え込み、支配し、

人間が住みやすい環境を実現するかを追求してきました。

でも昨今の異常気象でも明らかなように、その考え方には限界が来ているように感じます。

人知を尽くした治水工事も、「前例無く」「数十年に一度」「百年に一度」降り続く雨には無力でした。

そして現代技術の粋を集めた原子力発電所も、津波によりあっけなく崩壊。

圧倒的な自然の力に対抗するほどの力は、人類には無いことがはっきりしました。

自然は、制圧し抑え込み、支配するものではないのです。

学び、従う事こそが人知の行きつくところです。

 

あるがままを受け入れ、それに従う中でより良く生きるすべを身につける。

これは我々人類の社会生活にもあてはまるでしょう。

自分に無いものを数え、それを持っている人をうらやみ、時には自分を卑下してしまう。

他者との比較は自分を鼓舞する為なら良いのですが、一歩間違えると破滅に向かいます。

今自分がある場所に順応し、少ないとしても自分が持っているものを大切にして育てていく。

そこには自尊心が生まれてきます。

本当の自尊心とは他者に向かって表現するものではなく、自分の心のうちに隠しておくものです。

その「隠すもの」が無い人はすぐに拗ねるので、他者の目からは迷惑にしか映りません。

本物の自尊心を持ち、更に社会に役に立っているという実感を持てれば、

日々充実し楽しくなっていくでしょう。

これが人間が社会に適応し、社会から落ちこぼれる人を無くす道だと思います。

 

ところが現代社会は、今日書いた昆虫の様に自分の意志ではない何かにあやつられ、

考えることを放棄しているようにも感じます。

特に電車等の公共機関の中で全員がスマホを見つめているを見ると...

スマホを置き、時には瞑想(軽く目をつむって気持ちを落ち着かせる)して自分の内側を見る。

そしてやるべきことを見極め、やるべきことに対する自分の能力を上げるために努力をする。

勉強したり、人間関係を円滑にするように自分を成長させたりして。

そして「やるべきこと」⇒「やりたいこと」「好きな事」に昇華させていく。

昇華させるのに必要な力は、

「人の役に立ちお礼を言われる」

というエネルギーです。(お金を稼ぐ事ではありません、それは結果です)

これこそが、自然から学んだ人間の行きつく姿ではないでしょうか。

苦労しながらも前向きに一生懸命なのは格好良いですから!

 

写真ですが去年撮ったカマキリ(去年のブログとは別のカット):

2022

格好良いです。

「ゴチャゴチャ言っていないで、一生懸命に生きろ!」

と叱られそうです。

カマキリはバッタの仲間かなと思っていたのですが、分類上はゴキブリが最も近いそうです。

虫にセンサーを付けて動いてもらう、深く感謝しなければいけないです。

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

2021年8月29日 (日)

ズームで考える「会議」

おはようございます。

先週は社内で、税理士先生同席にて幹部5人で会議を開きました。

決算月という事もあり、話は多岐にわたります。

話は比較的スムースに進み、来季への課題の共有化が進みました。

大勢で開く会議が久しぶりでしたので、色々気づきを得られました。

今日は会議について考察します。

 

最近は、お客様とはPCを使い「ZOOM」や「teams」で打ち合わせする事が多いですが、

これは進めるべきことが決まっている場合には非常に有効だと思います。

例えば、新製品の紹介、品質管理項目の確認など。

電話+メールと分けなければいけないものを一度に、しかも多人数で処理が可能だからです。

 

しかし、方針が決まっていない会議(あえて言えば、議題に対して反対者のいる会議)の場合

ネットワーク上での話し合いでは、効果的ではないと感じます。

話自体が複雑で、その複雑な課題に対する各人の立場もそれぞれでさらに複雑。

興味が無ければ、話を聞いているようで頭に入っていないという事も多いでしょう。

では、実際に対面した会議において、これらはどのように解決されるのでしょう:

 

会議への出席者

①ある難しい案件を進めたいと、危機感と責任感を持って会議を主催。

②上司と言う立場上出席しているが、あまり面倒な事には巻き込まれたくない。

③もともと興味が無いので、ほとんど聞いていない。だが実行に際しては権限を持つ。

たとえば、大雑把に分けてこのような人たちがいたとします。

①の人は、何とか課題を解決したいので皆に協力してもらいたく、資料もたくさん用意します。

資料は配布したり、プロジェクターで投射したり...

すると

②の人は、面倒な事に巻き込まれたくなく、評論家的優等生意見を言います。

でもそれは確かに理が通っていますので、①の人も一生懸命に傾聴して理解しようと努めます。

傾聴の努力は人の気分を高揚させます。

②に属する人は、元々敵対しているわけではないので、自分の意見を理解してくれたことで気分が良くなります。

そのタイミングを逃さず、

①の人は②の人の意見も交えて、最初の問題解決に向けての話を再度します。

上司の同意は、バラバラだった会議に一体感をもたらします。

その上で③の人への対応。

③の人はもともと聞いていなかったので、②の人が①に同意したので初めて会議への参加態度を示します。

疎外感を感じつつあり、多少の焦りもありますし。

そこで良く言われるのが

「もっとわかりやすく最初から説明してくれ」

①の人はここで感情を態度に表したら負けです。もともと難しい課題に対しているのですから。

再度説明。

②に属する人の中が、会議の出席者の中で一番立場が上であれば③の人を抑え込んでしまう事も可能でしょうが

なるべく避けた方が良いです。

時間をかけて繰り返し説明をし、雰囲気を変えていくのです。

なぜなら、会議の唯一の目的は

「皆の同意を形成する事」

だからです。

無理やりに議案を通しても、③の人はもちろん、②の人も実行に力を貸してくれなければ無意味です。

力を貸してくれないどころか、邪魔をされてしまうかもしれません。

人間は機械ではありませんから、スイッチを切り替えるように感情を切り替えることはできません。

複雑なのです。

会議を主催し、自分の思う方向に話を進めるとは、この様に全人格をかけた戦いとも言えます。

仕事は面白いです。

 

集団同意を形成する大切さを書きましたが、これは昨今多く出る単語

「クラスター化」

とも言えます。

今はウィルスについて使っている事が多いので、悪い感情を持ちがちですが、

仲間が集団となって連携するというのは、人間が己の力を超えたパワーを出す唯一の方法です。

逆に孤立化は、人の魂を弱らせていきます。当然目的を失えば肉体も...

例えば、結婚式、葬式はもちろん、忘年会社や社員旅行も

孤立を防ぐ大切な行事だと思います。

今日は会議の話から、組織論に行きつきました。

組織論=生きるという事。

人は一人では絶対に生きられないのですから、今日の話は人生訓そのものでした。

書き終わって気づかされました。

有難いです。

 

写真ですが、かつて15年以上にわたり日向の製造を支えてくれた機械です:

15

狭い場所で、連続的にプレスされた製品をキャッチングしていきます。

ここ10年ほどは使っていませんでしたが、軽快な高速プレス音の中の中に響く、

「ピピピピピ」

という「ます」が回転して切り替わる音は今でもはっきりと思い出せます。

現場の工程改善における、知の集積でもありました。

又使う機会もあるかなと取っておきましたが、先週廃棄しました。

長い間ありがとうございました。

皆様、今日も読んで下さりありがとうございました。

2021年8月22日 (日)

ズームで考える「いじめ」

おはようございます。

コロナ禍で、武道の稽古も中止になってしまい体重が増えて行ってしまっている今日この頃。

そんな中でも、先生には月に一回ズームを使っての講義をしていただいています。

日本全国はもちろん、外国からも参加しての講義なのですが、とにかく内容が難しいです。

武道の技の講義というより、どう生きるかと言う哲学の講義といった感じです。

お寺での説法に近いでしょうか。

先輩たちはその難しい内容に質問をされたりするので、すごいな~と思って聞いていますが

そんなとき、

「他の人は理解できているのか?」

と不安になり、ズーム上で顔を確認します(ほとんどの人が自分を映して講義を受けています)

そうすると:

顔の映像からだけではわかりません。

画面上の小さな顔からは、雰囲気が伝わってきませんから。

いつもお会いしている先輩方でも、画面の中の顔だと魂を感じないというか…

コロナ禍前の出席講義であれば、もちろんそんな事はなく教室は一体感がありました。

お互い探り合うというか、目で合図するというか。

ズームだと、先生の目を盗んだ、そういう楽しいやり取りができません。

 

ちょっと極端に言うと:

だまっている顔を見ていると、何も考えていないように見えてしまいます。

自分の体験した例でいうと:

小さい子供を叱るとき、子供が黙っていると

「分かっているのか!」

と怒りの感情を持ったりしてしまいますが、多くの場合子供は混乱しているのですよね。

最近は叱る事はほとんどなくなりました、僕が未熟でした。

今は子供が親(自分)を育ててくれたことを実感します。

相手の気持ちに気づくことを忘れるのは本当に怖いです。

ズームで講義を受けながら、(当然色々考えながら)受講している先輩たちの顔を見て、

そんな事を考えてしまいました。

武道の技でも、知識でも圧倒的に優れている先輩たちの顔を見ながらすら、そんな事を考えてしまう。

実際に目の前にすれば、感謝と恐縮しかない相手に。

 

想像力の欠如とは、人の行動を狂わせます。

そう考えると、いじめとは圧倒的な想像力の欠如だと分かります。

その人の育った環境、生んでくれたお母さんや周りの友人達、今一生懸命取り組んでいる事...

それらを理解した上で、それでも相手を「いじめる」ことなど不可能だと思います。

いじめとは犯罪です。想像力の欠如と言う、人格障害と言う犯罪。

その行きつく先が、現代の大量破壊兵器を使った戦争なのかもしれません。

自分は安全なところにいて、画面上の敵を殺してしまいます。

武道の講習に倣えば

「魂を存在を忘れ、その表現手段である大切な体を軽視している行為」

と言えるでしょう。

魂を鍛えるとは本当に難しいです。目に見えないですから。

 

今日の写真は、撮れませんから皆様想像してください。

写真:「自転車に乗りながら、スマホを操作する人」

これは本当に危ないです。音楽を聴いているだけでもかなり危険なのに、

スマホ操作は自殺的行為です。

個人的には、これこそが、魂の存在を軽視した行動だと思っています。

責任ある立場の人(例えば銀行借り入れに個人保証をしている中小企業経営者)は

決してそんなことできないと思います。

どんなに忙しく、自転車運転中に確認しなければいけないことが有っても、

走りながらはしないはずです。

安全なところに停車して確認。

もし自分が亡くなってしまえば、世の中にどんなに迷惑が掛かってしまうか自覚しているからです。

皆様もご安全に!

写真無しと書きましたが、難しい話だったので癒しの写真を:

2021_20210822072501

今年産まれたメダカたちも、こんなに大きくなりました。

仲良く泳いでいます。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2021年8月15日 (日)

夏休みの読書感想文 笛吹川

おはようございます。

会社は先週一週間夏休みをいただきました。

と言ってもコロナ&W受験生で旅行に行くわけでもなく、読書をしていました。

前回のブログで最後に、読んでいることに触れましたが、

笛吹川(深沢七郎著)を読了しました。

深沢さんの本で有名なのは「楢山節考」だと思います。

笛吹川は、いつもご指導いただいている社長に教えてもらって初めて知りました。

どんな話か全く分からずに読み始めると…楢山節考と比べても、すごい本でした。

 

時代は武田家全盛前後の山梨県、石和。

淡々と、人の死と生がつづられていきます。

病気や懲罰、いろいろな理由で人が感傷に浸る間もなく亡くなっていき、

周りで生まれ変わりのように新し命が芽吹き、

悲しみと喜びが日々の忙しさに混ざっていく。

さらに息子たちが競うように戦に向かっていくことに納得できない母。

自分でも思いがけない行動(戦についていく)を取ります、でもそこにドラマは起こらないんです。

戦なのに武田家の視点ではなく、一般人の視点ですから、

そこにあるのは武将同士の派手な駆け引きではなく、命令されたものの働き。

そこでも仲間が淡々と死に、勝敗が決して行きます。

どんな悲惨な目に合っても、訴えようもなく自分で折り合いをつけるしかありません。

100年後には:

生まれたばかりの赤ちゃんですら、もうこの世にはいないという圧倒的現実を実感させられます。

 

我々現代人は、人生にドラマが起こるように思いこまされているのではないでしょうか。

もちろん、大変な努力をして自分でドラマを巻き起こす人も居るでしょう。

自分が経験した中では(息子友人)、軟式野球をしている中学生が

「甲子園に行く!」

と野球強豪高校に進学し、レギュラーをつかみ、実際に出場を果たしました。

本当に素敵なドラマでした。

でも多くの人には、そんなドラマはなかなか起きないし、起こそうと努力しても挫折が待っていることが

ほとんどではないでしょうか。

挫折と書きましたが、

「キラキラしたドラマ」=善 

という前提だからこそ挫折と感じるのであり、

本当は挫折を乗り越えて、怖さを知り、優しさをつかむことこそが人間の人生だと、

この本を読んで、深く納得しました。

人間になるというのは、自分を知り、他者の能力を認め、お互いの悲しみを抱きあえることだと思います。

そして時代がその人に課した責任を認知できるかどうか。

困難の連続である人生を一人一人が生き抜くには、信念を持つことが大切です。

かつてはそれは

家庭内での「家訓」

学校や先生からの「習訓」

「教育勅語」も大切な習いが詰まっていると思いますが、なぜか現代では否定されている気がします。

 

いずれにしても大切にする信念をもち、その大切にする考えを貫き通す。

そして体の命は頑張っても100年ですが、魂は輪廻することを信じて堂々と世の中に立ちむかう。

その大切さをこの本から学べました。

良き本との出会いは、人生を変えると思います。

まさにそんな本でした。

 

写真は、近場のプールに行くのに子供用に買った水泳ゴーグルです。

リサイクルショップに唯一残っていた物を買いました。

未使用品だったので、安心して。

Photo_20210811065501

開いてみると、左右がバラバラになっており組み立てが必要です。

頭に回すゴムも二重になっており、次男が苦労して完成。

でもなんだかおかしいと思いませんか?

普通はある、ゴムのパッドがないんです。プラスチックのまま。

「これは不良品だ!」

と思いあきらめかけましたが、長男から思わぬ助言が

「水泳部はみんなそんなの使っているよ」と。

ネットで調べると、確かに競技用でした。リサイクルでも千円だったのはそういう理由なのですね。

組み立てる際にも思ったんですよ、左右をつなぐ鼻の部分の部品が何種類もあることに。

顔にぴったり合わせないといけないんですね。

世の中、知らないらことばかりです。

今日も読んで下さりありがとうございました。

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