2024年4月21日 (日)

パスする相手の大切さ

おはようございます。

うちの次男(高校三年生)は、とにかく運動が得意です。

通知表も、体育だけは当たり前のように「5」です。

良く、

「望みはかなう」

と言いますが、自分の子供にどんな風に育ってほしいかと考えると

まさしく今のその姿かと思います。

中学まで軟式野球に取り組んでいましたが、野球部のない高校ではバスケを。

弱小チームでしたが、最終学年ではキャプテンとしてチームを統率しています。

球技が出来ない自分には考えられないその姿は、本当に頼もしいです。

 

と、ここまでは前振りでしたが次男のおかげで少年野球、そしてバスケと真剣に見る

機会を得る事が出来ました。

中学野球でピッチャーをやっている姿は格好良かったですが、野球は時間の流れがスローです。

高校バスケはすごいです、瞬間のつなぎ合わせで、その激しさはもう格闘技。

あっという間に局面が動いていきますので、

上手くいかなかったプレーを反省している間はありません

試合中は常にパスを回し続けるので、

「ドリブル」

をしている時間は本当に短いと気付かされます。

バスケ=ドリブルで抜いていくという印象が強かったのですが、試合を見て覆されました。

競った試合という前提においては、バスケは野球より圧倒的に面白いと思います。

役割毎のポジションを守り、その中で素早くパスを回して得点に結びつけていく。

 

今日はこの「パス」を考えます。

かつての日本の大企業は、ほぼすべての工程を社内に持っており

その技術を協力会社に伝えることにより、製造を完成させていたように感じます。

材料、板金/プレス加工、熱処理、メッキ…

そのような基礎技術のほとんどを社内で持っていました。

野球でいえば、絶対的なエースと4番バッターを擁している様なものでしょう。

ところが今は、基礎技術の開発を協力会社が担い

大企業は製品のコンセプトを作ることに注力している傾向を感じます。

どちらが良いのかははっきりとは言えませんが、バスケのように

「パス」

を外部の会社に回すことによって、仕事を成立させていると感じます。

 

沢山の中小企業が、切磋琢磨して技術開発を行っていた頃であれば

「パス」

をする相手はたくさんあったと思います。

近年では、アジアの各国がそのパスを受けて開発を行う事も増えていました。

その結果国内の開発は衰退していき、近年では会社自体を閉じてしまうケースが

本当に増えてきました。

会社のある墨田区では、スカイツリーの完成後その傾向がはっきりと加速しているのを

少し街を歩くだけで実感できると思います。

賃貸アパートやマンションが本当に増えました。

 

何かおかしなことが起こっていると、直観ではわかりますが、

理屈で考えると仕方のない事だと諦める気持ちも湧いてきます。

この、

「直観」

ではおかしいのに

「理屈」

では分かる。

この時の「分かる」は、その根底にあるのは

「経済効率、経済優位性」

だと思います。

経済的効率を追い求めた結果、今までは当たり前だと思っていたものが出来なくなる。

という事は、物を作るという事は

経済的効率では割り切れない、割り切ってはいけなかった

と考えることも出来ると思います。

日向とは違う業界ですが、建築業を見ているとそれがはっきりと表れています。

すばらしい設計をしてもそれを施工する職人が居ない。

今はまだ60代の人が頑張っていますが、おそらくあと10年したら担い手は

更に圧倒的に不足していくことと思います。

「継続的に人を育てていくこと」

これは経営者に課された大前提だと、自分でも深く、いつも考えています。

 

社内外共にパスをできる相手をたくさん作り、お客様からの課題や期待にに応えていく。

パスが出来なくなってしまえば、すぐにファールになってしまいますから。

その結果として、

お客様からのパスをどんな体制からでも受け止められるようになる。

次男にパスの受け方を指導してもらいましょうか(笑)

自分が当たり前だと思う事を当たり前に行う。

進めていきます!

 

写真ですが、近所にある木内ギャラリーという建物。

妻と花見を兼ねて初めて行ってみました。近すぎるとなかなかいかないものです。

古い洋館巡りが大好きなのに、今まで行かなかっとことを後悔しました:

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マホガニーに囲まれた、マントルピース、そしてその上にある素敵な絵。

木の香りに圧倒されます。

これらは100年以上前に作られたそうです。

おそらく現代では、一般の人が発注するという意味では再現不可能に近いでしょう。

材料の面でも、職人さんを確保するという意味でも。

考えさせられます。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2024年4月14日 (日)

ググれない人

おはようございます。

先週は夫婦でしゃぶ葉に行った話を書きましたが、実は

「AI、ロボット技術の進展、その時人間はどうするのか?」

という怖い話を書いたつもりでいました。

今日も怖く感じた話を書きます。

 

AIなどとは言わずとも、記憶力や知識を問う範囲という課題であれば、

もう圧倒的にコンピューターの能力が上になっています。

自分でも思い出せない単語や漢字を、スマホを片手に

「ググる」

のは当たり前になっています。

記憶力の競争では、もうまったく人間はコンピューターにかないません。

かつての大学の試験では

「教科書持ち込み可」

という教科がありびっくりしましたが、

今もし

「スマホ持ち込み可」

があったらどうなってしまうのでしょう。

きっとその場合は思考力を問うのでしょうが、近年のAIの発展により

その境界すら曖昧になっています。

 

と、ここまでが前振りですが、近年

「ググれない」

人が増えてきていると聞きました。

何かの課題に対して、どんな言葉を入力すればよいのかが理解できない。

これにはびっくりしました。

そのやり方を教えている先生がいるそうです…

その理由を自分なりに考えてみると、

「想像力の極端な欠如」

「物事の本質をとらえる直観力の衰え」

が原因なのではと推察します。

これは本当に怖い事です。

日々仕事をしているのに際し、最も大切な能力がこの二つだと実感しているからです。

「スマホしか使ったことがないので、誰からかかってきたかわからない外線電話には出られません」

という新人が多いというのは理解できますし、

「慣れれば大丈夫でしょう」

という楽観的気分にもなれますが、今日の話はそうはいきません。

与えてもらう事になりすぎて、自分から取りに行くという事自体を考えたことがない。

それでも生きていける=豊かな社会の実現

ともいえるかもしれませんが怖い事です。

これは世代間の断絶などという問題ではなく、

人間の存在意義を問うような厳しい状態だとも感じます。

個人が重視され、集団で物事を進めることが難しくなっている。

かつて自分の子供のころは、テレビを中心として家族が集うという風景はあたりまえでしたが、

いまでは各自のスマホを見つめています。

便利な事の弊害が明らかになってきているのを、実感する出来事でした。

 

写真ですが、先週に続き桜です:

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水面にきれいに鏡のように桜が映っています。

でも、この時自分の目ではこのようには見えていません…

人間の目の能力を、カメラの解像度が凌駕してしまっています。

写真としてはきれいですが、怖い事のようにも感じます。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2024年4月 7日 (日)

初しゃぶ葉にみる、製造業の将来。

おはようございます。

先週は子供二人が急に夕飯を家でとらなくなり、妻と二人で近所で外食。

チェーンの焼肉屋さんを予約したのですが、

用事があって寄った、近くに住む母親から

「あそこは最近美味しくないので気をつけろ」

という話が。

「気をつけろ」

と言われても、どうすればよいのか悩みます。

結果予約をキャンセルしました。

すると残るのが、美味しいラーメン屋さん(町中華風でいろいろ頼めます)かサイゼリヤ、

寿司屋、ホルモン焼き屋さん。

ラーメン屋さん、サイゼリヤは昼に良くいくのでパス。

他の二店は妻があまり乗り気ではなく、結果的に初しゃぶ葉に。

しゃぶ葉、子供が良く行っている事もあり、

なんとなく若者向けなのかなと思っていました。

バイキング形式が好きではないというのも、避けていた理由です。

 

行ってみました。

イベリコ豚を選べる少し高いセットを選択。

入店時にお酒もドリンクバーにあることを確認しつつ、

妻はほとんど飲まないので、単品でオーダーしなきゃと思いつつメニューを見ると

「お酒を飲む人だけでも頼めます」

と書いてあるではないですか!

素晴らしい。

機械でグラスを傾けて注いでくれる生ビール、好きなだけ出てくるハイボール、

ボトルで置いてあるワイン…堪能しました。

 

オーダーは席においてある端末で行い、野菜や薬味は自分でとりに行くスタイル。

最近同級生でしゃぶしゃぶに行ったのですが、4人で野菜の取り合い(笑)

食べ放題は嬉しいです。

肉はもちろん、お寿司も端末で頼めます。

オーダー品はかわいいロボットが席まで運んでくれます。

数段に分かれており、光ったところから自分たちの分を取り、

最下段に食べ終わったお皿を入れられます。

ファミレスでこの様なロボットに出会ったことがありましたが、

その際はあまり意味がないかなと思いました。

ところが今回のような食べ放題システムの場合、とんでもなく役に立ちます。

動きと表情がかわいいので、妻はすっかりファンになっていました。

 

自分が携わっている製造業において、ここまでの話はかなり大切だと思います。

ロボットと言うシステムを作り上げても、最終顧客がそれを好きになれなければ

技術者の自己満足で終わってしまいます。

反対に、今回のような素晴らし取り組みに出会えると働く人にも余裕が生まれ、

接客も丁寧になると思います。まさに好循環。

人工知能の発展により、この様な取り組みは加速度的に広まると思います。

今は人不足が叫ばれていますので、ロボットと人の住みわけがよりはっきりしていくでしょう。

 

切り口を変えて

少し先の将来を見据えると…

ロボットの働く範囲が広がり、且つロボット同士が意思疎通をするようになる。

ロボット同士は争ったりしないようにプログラムされているので、

効率的、平和的にテキパキ仕事をこなしていくでしょう。

擬人化した仕組みをつければ、人間以上に

「人間的」

にその振る舞いが映る事でしょう。

決められた範囲とはいえ、自律的に判断をして動く。

さてその時人間は何をするのか?

スマホに思考を頼って、うつむいてばかりいれば…

深く考え実行しないと手遅れになる大問題です。

 

そのヒントが今回のしゃぶ葉訪問で得られていました。

店員さんの笑顔なんですが、それが隣に住むKちゃんでした。

長男と同じ幼稚園、同じ小学校に通った良く知っている女の子です。

ただ、女の子という事もあり普段の生活ではほとんど接点がなくなっていました。

オーダーしたスープを鍋に注いでくれながら、笑顔で

「びっくりしました~」

と言われ、なんだかとても心地よい時間を過ごせました。

人と会って、笑顔で会話をする。

横のつながり、共同体のきずなを実感する。

それがどれほど人にエネルギーを与えるのか、実感しました。

そして飲みすぎました…

 

写真ですが、この時期のご褒美:

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会社の近くを少し歩いただけで、何本もの桜を見つけられます。

それが奇跡的にできた(葉よりは花が先に咲く)一本の桜からの接ぎ木で広がったことを

知るとますます愛おしく感じます。

今年は平年より遅く咲いたので、卒業式ではなく入学式に丁度よさそうです。

遅くなった理由を調べてみると、今年の2、3月の平均気温は(気象庁ホームページより)

2月8.0℃、3月9.6℃

これだけだとわかりませんよね。

直近5年の平均だと

2月7.3℃、3月11.6℃

でした。

3月の気温が2℃違いますから、開花が遅れたのも納得です。

では100年前(1920年~1924年の平均)はどうだったか?

2月4.1℃、3月6.5℃

でした、やはり寒いですね。

このころの開花日データはありませんでしたが、それほど大きく変わらなかったようです。

データの分析は面白くてはまりそうなので、このへんまでにします。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2024年3月31日 (日)

浅草から見る世界情勢

おはようございます。

先週は会社での打ち合わせの後、お客様と浅草で会食をしました。

お店までの道のりは:

会社の車で雷門まで送ってもらい、仲見世通りを浅草寺の近くまで歩き

伝法院通りに入って、六区の方に行くルートです。

夕方6時くらいでしたから、さすがに観光客はおらずスムースに歩いて行けるかと思いましたが…

大混雑!

かつて(10年くらい前でしょうか)の浅草は、お店は殆ど閉まってしまい、

歩いている人はまばらで、昼間の喧騒が嘘のような別世界が広がっていました。

ところが、今はその当時の最盛期の混雑位夕方でも混んでいます。

週末の昼間になれば、満員電車のような賑わいです。

 

せっかくなので?歩いている方々を観察しながらお店に向かう事に。

結果は、自分たち以外は全員外国の方!

大げさではなく。

そして人種も本当に様々で、老若男女皆リラックスし楽しんで観光をしているのを実感します。

これは当たり前のように見えて、とても貴重な事です

「その国を代表するような観光地、時間は夕暮れ時、狭い通路に人がたくさん」

という状況で、小さな子供も楽しそうに歩きながら買ったばかりのお菓子を食べている。

その時見える景色がこんな感じです:

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あいにく桜は咲いていませんでしたが、もし咲いていたら…

清潔な環境と相まって、天国かと錯覚してしまいそうです。

 

人の時間は未来に向かって流れていきます。

春の家族旅行、しかも小さな子供をわざわざ海外に連れて行くとすれば、

悪い(危険な)流れが予想されるところにはいきたいと思わないでしょう。

 

日々ビジネスを推進していれば、未来への時間の流れがふと

「止められて」

しまう事があります。

様々な社内トラブル、天災、注文の停止…

その時にはその流れに逆らうことなく(逆らえない)新しい道に進路を変えなければいけません。

立ち止まってしまえば、会社は存続できませんから。

ただ、それに対応するには大変なエネルギーを消費します。

家族旅行ではそんな思いをしたくないですよね。

円安とはいえ、アジアの端っこまで旅行に来る方々は、

それぞれの国で大きな責任を負っていることが多いと予想します。

日々選択を迫られ、解決策を模索する。

そんなつらい時に考えて、気分を前向きにするのが

「家族旅行の計画」

でしょう。

今の世界情勢では、何より安全が優先され、その上で家族の成長に資するような

歴史的/文化的背景を持った経験をさせたい。

そんな時に日本が候補として浮かび、世界中の人が楽しいひとときを過ごすために来日してくれる。

これはとても大切な事だと思います。

 

先ほど、ビジネスにおいて

「時間/道が止められる」

事を書きましたが、ビジネス以外でも道に迷ってしまう事は良くあります。

そんな時に頼りにするべきなのが、

「歴史に学ぶ」

という謙虚な姿勢だと思います。

自分では大変な思いをしていると感じても、同じような経験を先人がして

その対処方法を文章として残してくれていることが殆どです。

浅草のように歴史的建造物が残っている場所に人が惹かれるのも、もしかしたら

歴史に学ぶ大切さを本能的に感じているのかもしれません。

近所で大変良い気持ちになれた夜でした。

 

ただし、この後ショックなことが…

浅草から電車に乗り家に向かい、ほろ酔い気分で京成高砂駅に。

カツオ出汁の良い香りに誘われて~と思ったところ!

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ホームのお蕎麦屋さん「都そば」が3/10で閉店していました…

調べると、都そばさんは1962年に有楽町で開店とありましたので、

高砂駅にも同じくらい昔からあったと思います。

少なくとも、自分がお酒を飲むようになってからはずっとありました。

隣の青砥駅にも駅そばはあるのですが、てんぷら油の香りがきつすぎて

朝から(二日酔いでなくても)気持ちが悪くなってしまうのです。

いつも在るはずのものがなくなる、まさしく

「道が止まって」

しまいました。

迷いそうになりますが、先を見据えて進んで行きます!

今日も読んでくださりありがとうございました。

 

2024年3月24日 (日)

きちんとやる

おはようございます。

今日の話「きちんとやる」これは、製造業において何より大切な事だと認識しています。

ただ現代の世相を見ると、これが疎かにされているのを感じます。

交通機関や電力など社会インフラが、今まで聞いたことのないような理由で止まったり、

プロと呼ばれる人、が仕事の完遂をあきらめてしまったり:

その個人的な経験としては、古いドイツ車を治すことをあきらめる「正規」ディーラー

正規ディーラーから購入しているのに…

 

「派遣社員」

という働き方が増えてきたころから、段々悪化していると実感しています。

段々悪化したから、働き方が変わったのか?

働き方が変わったから、悪化したのか?

これはおそらくどっちも正解のなのでしょう。

 

きちんとやるというのは、その人の生き方を表すと思います。

それは生まれつきもあるかもしれませんが、社会で身につける

「マナー」「様式」

と言った要素の方が強いのではないでしょうか。

人間という生き物、自分ももちろんですが怠惰で無責任な状況に居ると

「臆病」で「卑怯な」

思いが強くなってしまいます。

でもその状況では、日頃ここに書いているような

「他者の役に立つ」

なんて出来るわけがありませんし、そんな人ばかりになれば社会が壊れてしまいます。

守るべき社会の形とはどんなものなのか?

まずこれを学び、自分なりにその思いを腑に落とす。

そこがスタートのはずですが、現代社会はその機会を得ることが

とても難しくなっているのを感じます。

 

その機会を得られた人が感じる事が出来るのが

「奮い立つ」

という精神の高揚感。

それは自分が社会に必要とされているという実感であり、誇りです。

仕事に行く=社会を支えに行くぞ!

という毎朝の気合。前向きな気持ちになります。

そして自分が請け負った仕事は、きちんと望まれた成果に達するまでやり遂げる。

この繰り返しで、自分を高めていけば体の年齢は関係なくなります。

 

組織のルールとして

「定年」

というものがありますが、この定義は本当にあいまいだと思います。

定まった「年」

人それぞれ、どのように体を使いこなしているかはバラバラで、

20代でもあきらめたような人がいるかと思えば、80歳を超えても元気に働き、

且つ若手の指導をしている人もいます。

実際にはこの「ていねん」は

停年(就業停止)

になり

諦念(あきらめる、あきらめさせられる)

になってしまっていると感じます。

この様な制度は近年できたものであり、急速に形骸化していくと思います。

組織も人も実力を養わなければ生き残れませんから。

大変な世の中だと思います。

 

世の中から与えられる仕事は、それぞれ価値あることだと思います。

小さく見える仕事、大きく見える仕事、

もしそんな価値基準があるとすればそれは誰が決めるのでしょう?

自分の運命上で巡り合ったことを、

「きちんとやる」

きっと、気づけば大きな仕事をしているでしょう。

頑張ります。

 

写真ですが、コロナで中断していた会社行事

「初午」

を久しぶりに行えました:

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昼間にお参りし、終業後に皆で食事。

お酒も入ってとても良い雰囲気で時間を過ごすことが出来ました。

季節毎のお祭り、これは何よりも大切で

「きちんとやる」

事だと思います。

お祭りには必ず「祈り」がついてくるからです。

「祈る」とは感謝の気持ちを表す、人にとって最も崇高な行為だと思います。

全社員で楽しい時を過ごせる、有難いことです。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2024年3月17日 (日)

仕事を通じて人と出会う

おはよございます。

今日の話は仕事と人の出会いの関係です。

まずはじめに聞いてください:

「仕事を通じない出会いは意味がない」

極端で、嫌な感じを持つ方も多いかもしれません。

これを説明していきます。

 

今週も多くの方に出会い、話を聞き、指導いただき、良い時間を過ごしました。

それは自分の成長に資する、良い刺激をいただけているのでそう感じているのだと思います。

自分の中では先週のすべての出会いが

「仕事を通じている」

と実感しています。

会った人の中には大学時代からの友人で、会社としての取引は全くない人もいますが

それすらも、

「仕事を通じている」

と言える。違和感が持たれるかもしれません。

 

これは

「仕事」

をどう定義しているかによるのだと思います。

資本主義社会においては、そこにお金が介在する事を

「仕事」

と捉えることが多いと思いますので、その場合は

〇受発注の関係

〇上司や部下

〇客と店主…

お金をもらう側と払う側にはっきり分けますよね。

この考え方、現代に生きる人にとっては

「普通」で「当たり前」

だと思いますが、貨幣を通じてそのような商活動を行う事は、長い人間の歴史において

近年のほんの一瞬の出来事です。

むしろ最近始まったばかりで、みながその扱いに困っている様にも感じます。

 

例えば:

「会社」や「取引先」

という、資本主義の枠内に入っている知り合い同士だとしても

その中での会話が

「愚痴」や「悪口」

ばかりであったとしたら、どうでしょうか。

もちろん日々のストレス解消という意味は少しはあるかもしれませんが、長続きはしませんよね。

ここでは、これは仕事に見えて仕事ではないと区別します。

 

では今日のブログにおける

「仕事」

をどう定義するのか?

それは

「自分を後にして」

「他者の幸せを願う事」

だと考えます。

その願いが大きく、でも自分に力がなくて出来ない場合にはもどかしく感じますよね、

その場合は自分の技を磨き、願いに沿えるような自分に成長させる。

若ければ若いほど、その可能性は大きく広がると思います。

友人同士でも、その場を高めあることが出来れば、高め合おうとすれば

その場は人としてとても大切な場=ここでいう仕事の場になるはずです。

逆に、願いなく資格を取得してもなかなか役に立たないと思います。

 

この様に考えると、

「自分がどのように得をするのか」

「他者がどうなろうと、自分だけ幸せになれば良い」

と言うのは、ここで定義した「仕事」からは最も離れた状態と言えます。

エゴイズムですから。

 

例えば、女性が子供を妊娠し、出産、ここまでで十月十日。

そしてさらに他の動物としてはあり得ないほど長い時間(義務教育までで15年!)をかけて

多方面において育てていく。

これは何より素晴らしい

「仕事」

だと、自分の妻を見ていて実感します。

そのすごさに、

「自分の仕事をどこまで近づけられるか?」

が毎日会社で行っている自分の活動と言っても過言ではないです。

 

ここまで読んでいただいたうえで、最初の言葉

「仕事を通じない出会いは意味がない」

は感じ方が少し変わっていただけたでしょうか。

良い仕事をする=出会うすべての人に感謝して幸せを願う、そのために自分を高める。

仕事の意義、その深さを考えてみました。

 

写真ですが、最近近所にできた不思議な施設

「ノウドひきふね」:

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かつては大きな居酒屋があった、駅前の一等地です。

HPを見ると、この施設は

「公園のように自由に人が行き交う、偶発的な出会いが生まれる場所」

とあります。

中は最新フリーアドレスのオフィスのような作りです。

まるで今日のブログの内容そのままのような気もしますが、

個人的には意まだこの施設の存在意義を飲み込めません。

経営者としては、金銭的にどのように収支バランスを取ろうとしているのかが見えなくて。

曳舟とはいえ?駅前です。どんな商売でもそこそこうまくいく場所です。

駅前としてはあり得ないほど広い敷地に、無造作に卓球台が置いてあります…

もしかしたら深い意味、設立意義があるのかもしれません。

様子を見ていきます。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2024年3月10日 (日)

歯の矯正にみる人の面白さ

おはようございます。

先週は2年ほど続いていた長男の歯科矯正が一段落(あとは半年毎の点検だけ)

したという事で、治療していただいた先生の面談を受けに行きました。

この先生、実は僕の家庭教師バイト時代の生徒でした。

本人は殆ど記憶がないそうですが、お母さま(病院では理事長)はよく覚えてくださっていて

お会いすると、とても懐かしい思いに浸れます。

 

長男は妻に似て顔が小さく、僕に似て歯が立派で(歯だけは小学生の時に市から表彰されました)

あごに歯が収まり切れていませんでした。

矯正が始まる前に、上下二本ずつ+親知らず四本の合計八本の歯を抜きました…

その後はよく見るように、ワイヤー固定して歯を少しずつ動かして行きます。

痛がっていることもありましたが、もう大学生という事もありあまり気にしていませんでした。

 

そして今回:

施術前と後の写真を見せてもらってびっくりでした、特にレントゲン。

治療前は歯茎の中でいろいろな方向に、無秩序に支えられていた歯が

治療終了の写真ではきれいに並んでいます。

あまりの整列具合に、思わず先生に

「これは普通の事なのですか?」

と聞いてしまいました。

先生は少し困ったような顔をしていましたが(そんな事を聞く人はいないのでしょう)

「若く歯茎も柔らかいので、難易度は低いですよ」

と。

聞くと、すでに歯が抜けてしまっている、年配者の矯正は本当に難しいそうです。

歯がなければ、支える支点がないですからね。

 

と、ここまでは治療の報告?でしたが、

歯と言う、もっとも大切な体の機能がこのように不完全で生まれてくる不思議さ。

歯がガタガタだと虫歯他の歯周病になりやすいですし、口がきちんと閉じないために

睡眠時に口が開きっぱなしになってしまう弊害もあるそうです。

そんな状況で産まれて来た状態を、

「矯正」

という人の知恵と技術により直してしまう。

素晴らしい事だと思います。

そして同時に、改めて思ったのが、

「体は大切な道具である」

という事。

体を動かしている、

「なにものか」

があり、それに応えている体。

体は道具であり、それを動かす意思こそが

「主」

であると。

意思と言うのは考え方により築かれますが、生まれたばかりの赤ちゃんにはそんな事わかりません。

そこで、伝統や文化を教えることにより、各人各様に醸成されて育っていく。

それは決して

「一時的なブーム」

で左右されるようなものであってはならず、長い年月人の苦労の上に成り立つものであるべきだと思います。

今はややこしいルールはあふれていますが、

なぜかそのような学びを得られる機会が激減してるように感じます。

本当に大切なものが見えなくなってしまっています。

そして、自分から積極的に学びにいかないとあっという間に体の寿命を迎えてしまいます。

本当に怖い事です。

守るべき伝統とは何か?その上で帰るべき習慣とは何か?

社会の色々な場所で冷静に議論できれば良いなと思います。

 

今日の写真は、春の訪れ:

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まだまだ寒い日が続きますが、梅は春を告げてくれます。

自然とはすごいと思います。

人も「自然に」生きられたら良いですが、なかなか難しいです。

自然に生きるとは、各人が持っている力を最大限発揮できるような状態を言いますが、

そのためには自分に気づき、高め、環境をよくする…

条件を整えなければいけません。

他者や社会への気づきがまず必要ですが、乗り越えなければいけない壁は次々やってきます。

でもだからこそ、人は面白いのですね。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2024年3月 3日 (日)

共感の輪を広げる 神戸の夜

おはようございます。

先週は神戸出張について書きましたが、昼間の話だけを書きました。

夜にはF社長と、いつもご指導いただいている神戸在住N大先輩にもご同席いただき

大変貴重な時間を過ごせました。

F社長とN先輩は初対面でしたが、自分から見て2人は

「会う運命」

の下にあったと、計画しているときからはっきりと感じていました。

実際に2人の時間が動き始めると、

その空間の心地よさは、横に一緒に居させてもらうだけでも

ワクワクしてしまうほどでした。

幹事をさせてもらい、本当に良かったと思える最も幸せな時間です。

 

二次会まで含めて三人で五時間!

ずっと心地よい楽しい時間が続いく…

このときにどんなことが起きていたのか、言葉で表せる情報では

「今取り組んでいる仕事の話」

「今後一緒にやっていきたい社会活動」

「歌の上手さ」

「お酒の知識の豊富さ」…

まだまだ書ききれないほどの情報量になるでしょうが、実際に大切なのは

2人がお互いを認め合う事により生まれる、リラックスした雰囲気でしょう。

それは、とても言葉で表されるものではなく、大変大きく貴重な情報です。

大げさに言うと:

今までの

「生き方」

そして

これから世の中に対して負う責任をどう自覚しているか

その両方をしっかり見定めた上での

「今この時」

という一瞬に輝きを放つ様な。

今回のような素敵な場に立ち会うと、それは

全人生、全人格をかけた出会いだと実感します。

 

この様な事は、決してWEBミーティングでは感じ取ることができません。

WEBミーティングは:

お互い顔や性格を知っており、

確認すべき事項がはっきりと文章化できるときにはとても有効だと思います。

反対に

初対面ではお互いを認め合う事からスタートしなければならず、

自分の人生を投げ出せる(相手に自分をまかせる)様な邂逅には無力です。

昨今、人個人に対して

「生産性」

という言葉を使う事が増えているように感じますが、これはマネー至上主義における

とても偏った考えのように感じます。

今社会から与えられている理屈により割り切ろうとしても、どうしてもしっくりこない考え方。

それは、この

「マネー至上の資本主義」

が人間の体にとって、長い文明の歴史にとって

「自然」

ではないからでしょう。

人間の可能性とは、はたしてどこまで数値化できているのでしょう?

もしできているとすれば、もはや囲碁や将棋、チェスのようにAI(コンピューター)には敵わないでしょう。

でもそんなことはないと思います。

必要なのは知識ではなく、他者に共感できるような気付きを持ち、自分も社会の役に立つ。

会社HP挨拶にも書いていますが

「約束を守り」「社会に貢献する」

事がまず必要です。

約束とは、他者に対してはもちろん、自分に対してもです。

約束を果たすためにはどんな代償でも払う覚悟を持ち、その結果に責任を持つ。

それが出来ないのであれば、約束はしない。

家族や友人に対しても同じです。

その繰り返しにより、人格を作り上げる

「基=信用」

が体に宿るようになる。

その上で、自分が居てよい、自分が切り開いた、自分が責任をもつ

「社会」

を持ち、貢献する。

難しいですが、一歩一歩進んで行きます。

 

写真ですが、新神戸駅で撮りました:

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駅のすぐ横に、こんな素晴らしい場所がある。

日本三大神滝!

他の二つは那智の滝(和歌山)と華厳の滝(栃木)ですから、ただ事ではありません。

知りませんでした。

そんなすごい滝が、新幹線駅が滝に隣接している!

結構衝撃でした。

この日はあいにくの雨だったので行きませんでしたが、次回はぜひ行きたいと思います。

その場に行ってみないと気付かないことが多いです。

「先入観」

が世界を小さくしているのですね。

大切な学びをいただきました。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2024年2月25日 (日)

神戸での素敵な出来事

おはようございます。

先週は神戸へ一泊出張でした。

いつもお世話になっているS精機さんを訪問。

プレス機械のカウンターやクランパーなど、

意識せずに古くから使わせていただいている大切な製品を作っている会社様です。

工場見学をさせていただくと:

機械加工~基板への部品実装、機械とソフトの設計と

40人弱のメンバーが無駄なく動いている事に感銘を受けました。

当たり前に思えますが、これはかなりすごい事だと思います。

「動きに無駄がない」

を実現するため社長、常務の姉弟が実行している経営手腕はすごいです。

行ってみないとわからないすごさを実感しました。

 

初めて訪れる場所では、その土地を知るために30分くらいで歩ける距離であれば

なるべく交通機関を使わないようにしていますが、関西はいつも楽しいです。

特におばちゃん、

その①

おばちゃんが同世代の女性友人に

「今何時?」

と聞いています。答えがないので再度

「今何時?」

と。

ここでも返事がなかったのですが、次の瞬間

「あんた、耳遠くなったんとちゃう?」

と。

標準語だととげとげしい感じになると思いますが、温かい雰囲気で思わず笑ってしまいました。

 

その②

お昼時、地下鉄を下りて会社に向かっているとおばちゃんの集団から一人離れていく人がいます。

その方は、ほかのメンバーにまだ一緒に居ようと誘われていたのでしょうか、

「もう帰るよ、昼寝すんねんから!」

ときっぱり。

これも何という事無いように感じますが、その雰囲気がとても良くて笑顔になりました。

 

地方の言葉、その間合い、東京に暮らしていると

「標準語」

がすべてのような錯覚に陥ってしまいますが、じつは標準語の方が少数であることに気づかされます。

それこそ、

「多様性」

です。

特に女性の話す地方の言葉は、本当にかわいく思えます。

年齢に関係なく。

女性から見れば、男が格好良く見えるのでしょうか?

旅に出ると、その土地の雰囲気を感じて脳が活性化されます。

新鮮な空気を吸い込む感じでしょうか。

WEB会議も便利ですが、

「行って、見て、会う」

事の大切さを再確認できました。

F社長、ありがとうございました。

 

写真は神戸で見つけた面白い看板です。

その①

Photo_20240222092901

飲食店や夜のお店の看板ですが、そのたたずまいの贅沢さに思わす足が止まりました。

その②

Photo_20240222093101

遠くから見たら、壁にお風呂がついているのかと思いました。

近くで見ると、美容院の看板でした。

こちらもすごい存在感です。

その土地土地で、普段の生活圏とは違う何かを発見し味わう。

もしそこに友人、知人が居れば何より贅沢な時間となります。

今回は神戸で大変素敵な時間を過ごすことができました。

有難いことです。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2024年2月18日 (日)

目からうろこの教育指針

おはようございます。

先週は、定例の橋本久義先生の勉強会に参加しました。

講師は、早稲田大学の浅川先生

「日本のモノづくりはもう勝てないのか」

でした。

内容は、広範なモノづくりの歴史解説、各分野における偉人の説明

そしてこれからの日本の進むべき道についてのお話。

大変すばらしい講義でした。

もし興味のある方は先生のご著書を購入いただければと思います。

 

今日はその中でも、大変感銘を受けた一点に絞って書きます。

それは薩摩の寺子屋(郷中)教育で行われていた内容です。

それは、幼少時から考えさせる教育、訓練。

こんな課題が与えられます

「道を歩いていて脇の塀の上から唾を吐きかけられたら、どうする?」

一見どうという事のない問いかけに聞こえるかもしれませんが、自分には衝撃でした。

まず、この問いには

「正解」

はありません。

また、なかなか遭遇しない場面にも思えますが、逆に少し内容を変えれば日々遭遇しているとも言えます。

この問いを繰り返しされることにより得られる学びは、とんでもなく大きなものだと想像できます。

 

自分の習っている武道においても、同じような話がされることがあります。

「道場では気を張って稽古をしているが、一般生活でいきなり襲われたらどうするのか?」

という事です。

この場合の

「正解」

は、

「どんなことにも対応できるように自分の心身を保つ」

という事ですが、実際には

「大地をしっかり踏みしめ、体の重心を意識するように歩く」

「危機常在」

という事だと理解しています。

ポケットに手を突っ込んで、猫背で歩いていたとすれば、後ろからの攻撃で一瞬で倒されます。

スマホを見つめているなど問題外です。

自分を武道に誘ってくださったN様は、本当に歩き姿が美しいです。

全くの初対面で、この様な深い話は一切知らない時でしたが、

その後ろ姿が素晴らしく、駅で別れた後もその後ろ姿を見続けるだけなく、

すこし歩いて後をつけてしまったほどです。

後日、上に書いたようなことを意識されて歩いているとご指導いただきました。

 

先週は

「話す」

事の難しさや大切さを書きましたが、人生を進むことにおいて

「どう歩くか」

というのは同じくらい大切な事です。

薩摩の郷教育のすばらしさは、自分でも学び知っていたつもりでしたが

それは間違いでした。

学びとは、自分が実践してその極意を会得して初めて

「学んだ」

と言える当たり前のことに、浅川先生、橋本先生に深く気付かせていただきました。

有難いです。

写真ですが、旧正月の横浜の風景です:

Photo_20240215125701

何度か書いていますが、旧暦の方が体感に近いと思います。

例えば

「春」

は今の暦では1/1を

「迎春」=正月としていますが、まだまだ寒くて「春」とは思えませんよね。

であれば、旧暦=太陽暦の

「立春」=2/4の方がしっくりくるのではないでしょうか。

体感と暦がずれるという事は、その暦の本質的な意味を失ってしまうという事です。

これは人間の活動の基本がずれるという事で、じつは憂うべき状況だとも思います。

当たり前と思って受け入れてしまっていることも、もう一度考える必要がありそうです。

今日も読んでくださりありがとうございました。

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