テレワークでは得られない物
おはようございます。
今週もテレワーク、仕事に就いて考えます。
現代は、「仕事」についての定義があいまいなまま、社会人になってしまう怖さを感じます。
偉そうに書いていますが、自分もそうでした。
仕事とは、責任であり、人間社会を成り立たせる尊い行いですが、
仕事の様子(スタイル)は、その時々で変わって行きます。
かつての日本は農業がその主たる仕事でした。
では現代は何が「主」なのでしょうか。
少し前に書いたように、無料のネット環境から得られる便益は「GDP」には換算されない為
以前の様に、どの業種が「主」なのかを売上額からだけで判別するのがとても難しくなっています。
はっきりしているのは、
ネット環境上で他者に便益を与えるシステムを作り出す人=とても貴重な人という事でしょう。
その誰かが作ってくれたシステム上で働く=例えばテレワーク。
現代は仮想現実技術により、画面上の背景はもちろん人間の姿ですら完璧にネット上に
「仮想現実」
として表現されます。
その精度は、一般的には現実との判別が不可能なほどです。
という事は、ネットを通じて人と話しているつもりが、それはすべて
「仮想」=AI技術
という状況が、もうすぐそこに来ています。
ここで、もしやるべき事がはっきりしているとしたら、今人間がネット上で行っている
「仕事」
は全てAIによって代替えできる可能性が高くなります。
その分かりやすい例が、医療です。
風邪をひいて、具合が悪いのにわざわざ病院に行って長時間待たされる。
やっと回ってきた診察では、先生自体が疲れ切っており目も合わせず
分かり切ったことしか言わずにあっという間に診察終了…
それよりは、ニコニコしたAI上の先生に待ち時間なくいろいろ相談した方が、
より高精度に診断できるでしょう。
処方箋もその場で発行され、薬は宅配されるか、近くの薬局に家族が取りに行く。
もしAI診断で
「普通ではない」「緊急手術が必要」
などと判断された場合のみ、医療機関に行くようにすれば
先生の負担も大幅に減り、仕事に余裕が生まれ笑顔も戻るでしょう。
最も高度な国家資格の一つである、医師の仕事ですらこうなのですから
他の一般的な仕事が、AIで出来ない理由を探す方が難しいです。
その意味でもう一つの身近な例が、
「外国語」
でしょう。
これは英語はもちろん、何語で有ろうとも即時同時通訳が可能になり
言葉の壁はネット上ではなくなっていくのは確実です。
ごく近い将来には「資格」に対する考え方が根本的に変わりそうです。
ではそんな社会が到来した時に、人は仕事を通じてどんな事で心からの満足を得られるのか?
それは
「後輩からの尊敬」
でしょう。
もちろん、お客様からの感謝は大切ですが、それは組織にとって基本的な事であり、
それが無ければ会社が存続できません。
それより:
人を教育して育てることにより、その人の一生に深く関わり、社会的に大切な人となる。
その間者が自分に向けられたときに、人は心から深い満足を得るでしょう。
そしてそれは組織を超えた絆となります。
ネット上で効率よく仕事をこなしている積もりになっていては、子の境地に到達する事は
難しいでしょう。
デジタルが行き過ぎた先に、結局アナログに戻る。
音楽において、レコードやテープがブームになっているは、その先駆けでしょうか。
人は便利さからは、真の満足を得られないのですね。
写真ですが、強風に見舞われた通勤路で見つけた葉っぱ:
見つけた瞬間ドキッとしました。
完全に人の顔です。
寒い中ですが、歩いて通勤しているとこんな偶然にも出会えて楽しくなります。
ここでも便利さとは何か、考えさせられますね。
今日も読んで下さりありがとうございました。