2020年8月 3日 (月)

アパレル(服)は魂の表現手段

おはようございます。

前回はアパレルの話を書きましたが、もう少し考えてみます。

 

先週、お客様のとの打ち合わせで都心部に行きましたが、公共交通機関で出会う人が

ほぼ全員がマスク着用しているのは本当に日本らしい光景だと思います。

しかし、気温は30℃位でしたが、スーツ、ネクタイ着用はおそらく自分だけ。

特にネクタイは絶滅危惧なのを実感します。

我慢してきているわけではなく、好きだから着ているのですが

周りから見るとちょっと異様に見えるのかもしれません。

大切な打ち合わせがあるときには、この方が身が引き締まりますし

不思議と汗もかきません。

商社営業時代からの「職業病」かもしれません。

 

最近は服装からその方の職業を見極めるのがとても難しいと感じます。

公共機関や銀行でも「クールビズ」推奨ですから仕方ないですね。

服装は軽く、体に負担が無いようにして環境にも配慮?が流れですから。

 

ここで今週の表題「服は魂の表現手段」について考えます。

例えば「抜刀」という武道について考察してみますと

刀を「型」に沿って動かす。

実際に見た方は気づかれると思いますが、達人の「演武」には誰もが引き込まれる力があります。

ではその求心力は何なのか?

刀の動きだけであれば、現代日本の最先端ロボットが完璧に再現できます。

刃の向き、振り下ろすスピード、納刀する際の微妙な動き...

その動きは人を「感心」させることはできると思いますが、

「感動」させて涙を誘う事は無いように感じます。

何がロボットでは再現できないか:

演武は入場する時から始まっていますので、その足取り・表情・そして刀に対する感謝の念...

そして何よりその道着の着こなし。

特に袴の上にギュッと締める帯、臍下丹田にこめた力を逃がさぬように。

更にそのきつく締めた帯に隙間を作り、魂の存在である「刀」の鞘を納めます。

もしすべてが完璧でも、服装がジャージと鞘を固定するゴムバンドであれば...

気が抜けてしまい、もはや抜刀は成立しません。

服装を整え、臍下丹田にためた力(魂)を刀を通じて自由自在に外に表現出来るようになるのです。

 

スーツと道着の比較、違っているように見えて似ているように感じます。

これはいつも書いている

「体」が主なのか、「魂」が主なのかにも通じる話だと思います。

例えば女性のおしゃれは、本当に世の中を明るくします。

それはおしゃれをしている女性の楽しい気分が、世界に発散されているからではないでしょうか。

男も自分の立場なりの服を着て、秘めた魂を外に発散する。

それは決して「威圧」ではなく、服によって良い思いが増幅されているという状態で。

 

男女ともに良き魂の発露は、真の自由の表現をしていると言い換えられると思います。

上で考える様に「自由」とは体が楽になる事ではなく、

それを超えて発展しようとする魂の自由自在な動きであり、

精神的なものだとも言えるのかもしれません。

それを人は「文化」と呼んでいます。

文化とは苦しい側面があるから、輝きを放つのですね。

現代は何か冷めた感じが漂っていると感じますが、更にコロナにより蓋をされてしまいました。

騒動が収まったら、おしゃれをして外出して、楽しい気をふりまきましょう!

 

写真も先週に続き:

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やっと梅雨明けした週末。

三年生最後の試合が終わりました。(息子は二年生)

この日は勝って市内三位。

コロナの影響があり、違う意味で苦しい年となってしまいましたが

その分輝きを放つような生き方をしてくれると思います。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2020年7月27日 (月)

アパレルについて 雑感 (服装の大切さ)

おはようございます。

先週は本来であればオリンピック開会式が予定されており、4連休でした。

もし開催されていたら、開会式での「猛暑」は杞憂でしたね。

冬に全くと言って良いほど雪が降らなかったので、こんな夏になる気もしていました。

週間天気を見ても、梅雨明けは宣言されないまま夏になりそうです。

 

スッキリしないのは天気だけではなく、経済状況もそうですね。

そんな中、先日いつもお世話になっている神戸の社長に良い話を聞きました。

中部地方にある車メーカーさんの工場に行ったところ、小型車がフル生産だったと。

車の生産は本当にすそ野が広く、日本製造業の生命線です。

その話をお聞きした後、

お客様営業から、止まっていた半導体生産にも復調の傾向があると連絡いただきました。

日向でも準備を始めています。

9月以降、景気回復傾向が鮮明になる事を期待しています。

 

今日の話です:

お客様に直行するのにいつもは使わないバスに乗ろうと、近くのバス停に近づくと

朝からカップルがいちゃいちゃしています。

邪魔しても悪いので、いつも以上にソーシャルディスタンス?をとって並びます。

目の前にいるので、見るとは無しに見ていると...

男の方はずいぶん横柄な口の利き方、彼女はそれを軽くいなしています。

仲良しって感じ。

しばらくすると彼女の携帯に電話が入り、少し列から離れました。

そのうちに遠くにバスが見えて、男が彼女を呼び寄せます。

その時の声の掛け方で「あれっ」と思いました。

あまりにもぞんざいです。

「おいっ、何やっているんだ」

みたいな。

そこで彼女の顔を少し見て納得。

お母さんでした…(たぶん)

マスクをしていると分かりにくいですよね。髪をきれいに染めていましたし。

そして何よりお母さん「姿勢」が良かったんです。

女性はしわを気にされることが多いように感じますが、

姿勢や歩き方の方がもっと「きれいさ」に直結していると思います。

 

もう一点、勘違いの理由が今日の題「アパレル」=着ている服です。

最近は服による差異化が少なく、

「それらしい服」

を着ている方がとても少ないように感じます。

そのお母さん(であろう)方が着ていたのも、明らかに若者風でした。

逆に男は黒ずくめでTシャツ?とラッパー風帽子。

「こざっぱり」の対極で、あまり近づかない方が良い雰囲気。

流行りと言えばそれまでですが、男女差、年齢差を服から感じるのが難しくなっています。

男女差に関して言えば、コロナ前までのテレビでは新宿二丁目の方がたくさん出演され

女優さんもボーイッシュ、男優さんも優男風がメジャーだった気がします。

 

コロナ禍、世の中も何やらきな臭くなってきたこの頃、男らしさ、女らしさ(差別ではありません)

を本能的に発揮するような風潮になるような気がします。

昨今はアパレル業界の苦境が伝えられますが、その時々の本能を捕まえることが大切だと思います。

これからの流行は一過性の物でなく、

根源的要求に根差した「本物」だけが生き残ると感じますので。

それが世の中を良い方向に導くようになれば良いのですが、出来る範囲で頑張ります。

 

写真は次男部活、再開した市内中学野球大会:

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全員坊主、連帯責任の「昭和の風」を感じる野球部です。

きっちりユニフォームを着て、背番号に責任と少しの誇りを持つ。

まさに「らしさ」を表現する究極のアパレルだと思います。

服装の大切さを息子に教えてもらいました。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2020年7月20日 (月)

お盆

おはようございます。

先週、社内で週末何をしていたかを仲間と話していると

「お盆だったので、墓参りに行きました」と。

すっかり失念していました。

仏壇が無い家庭で育ったので「お盆」というと夏休みのイメージが強くて。

今回は、自分に足りないことを知る良いきっかけになりました。

 

お盆とは、ご先祖様に感謝し、また魂が帰ってくる日とされています。

このブログでは魂の話を良くしますが、今回はちょっと違う見方をしてみます。

 

魂の乗り物が

「体」

主は魂で、体は従。

魂はどこにあるのか?

それは世間に満遍なくあり、あるきっかけで見える様になる。

丁度、電線に流れる電気は見えないけど、

その電気を電球で捕まえることにより光って力を表すように。

街の明かりを見て、そこに人が暮らしていることを実感し温かい気持ちになりますよね。

 

電気と魂はこのように似ていますが、違うところもあります。

電気は使えば減ってしまいますが、魂は光り方によっては太くなってそこに存在し続けます。

これは例えれば、

現在日本がある大恩人である西郷さんが良き「日本魂」を遺してくださった

そして「南洲翁遺訓」を読むことによって、その魂に触れられる。

とも言えるかと。

 

縁あり両親から体を頂きこの世に生を受けた、自分。

多くの魂と触れ合いながら、自分の「魂」も体を使いながら成長させ、

体の一生を使い切ったら感謝してお返しする。

その悠久の時の流れを、かつての日本人は実感として分かっていたのです。

 

翻って現代人はどうなのか。

体は自分を表現する唯一の大切な、そして弱くもろい物なのに、

自分の「物」なんだからどうしようが他人に文句を言われたくないと

思い違いをして、悪魔の様に自分勝手に過ごす。

そして魂=電気をとらえる電球=体が、まるでLED化して超長寿命であるかのように錯覚。

でも結局、複雑な基板(駆動回路)の故障で電球では起こり得ない突然死を迎えてしまうことも。

 

先ほど魂は電気と違い太らせることが出来ると書きましたが、

反面次世代がどんどん貧しくなってしまうような使い方もあります。

現代の根深い問題です。

 

現代はアウトドア、キャンプブームの様ですが、本能的にこれらの異常さを察知して

自ら自然と一体化する事でバランスをとろとしているのかもしれません。

そう考えると、真空管アンプの光や、ガソリンランタンや焚火の光に心が癒されるのも

何となく納得できます。

 

写真は、JR品川駅構内で撮影しました:

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公衆電話が7台並んでいます。壮観です。

電話も、目には見えない信号を機械で受発信する事により人の声を伝える。

今日書いた電球と同じですね。

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

補足:日向工業ホームページに有った訪問カウンターは、サーバーの仕様変更で無くなりました。

2020年7月13日 (月)

製造業打ち合わせに見る、良きボーカリストとは?

おはようございます。

先週は、久しぶりに横浜の金型屋さんを訪問して

新しい工法について良い打ち合わせができました。

良い仲間と組んでのビジネスが、次世代の柱に育つことを期待しています!

 

今回はコロナ禍での打ち合わせだった為、マスク着用で行いましたが

マスクに声がさえぎられている様で違和感がありました。

今日はこう感じた理由を考えます。

 

まず結論:

声とは気を運ぶものであり、声を遮ってしまえば気が届かないから。

全く同じ言葉を掛けられても、「気」が通じなければ響かず、

通じれば一生大切にするの金言にもなりえる。

 

これを僕の好きなボーカリスト(歌手)を上げて考えます。

女性ボーカルで好きなのは、サラヴォーン。

とんでもない声量で、マイク無しでも大ホールの床が振動したそうです。

また音域もとんでもなく広く、どんな曲でもこなしてしまいます。

そういった数値化できる能力にもましてすごいのが、情感の込め方。

これこそが気を運ぶという仕事。

素晴らしい声、独特の歌い方で、更に一音に「気」を込める。

いつ聞いても人類最高のボーカリストだと実感します。

 

男性であればフレディマーキュリー。

最近は映画にもなったため、多くの人が知るようになり嬉しいです。

彼の声は、

「気を乗せる」

というのを超越して、命を燃やしている。

毎回死んでも良いと思って発声しているかのような迫力を感じます。

自然と涙が出てきます。

 

日本人では美空ひばりがすごいです。

フランスで日本の歌文化を伝えるという試みが有ったそうです。

担当指揮者はいろいろな日本音楽を聞かせるが、どれも響かず。

(オペラやクラシックなど理解しやすいものだったのかもしれません)

そこで半分いたずらで、自分の為に持っていた美空ひばりを聞かせたところ

歌詞の意味は分からないはずなのに、

「これは凄い」

とフランス人担当者は涙を流したそうです。

自分の中では、声の出し方/気の乗せ方がサラヴォーンとそっくりなんですよね。

美空ひばりの方が13歳後輩ですが、もし一緒の舞台を踏んでいたらと思うとワクワクします。

一瞬でお互いを認め合って素晴らしいものになったと想像します。

 

こうして書くと、男女・国籍・肌の色関係なく、他者に良い「気」を届ける人こそ

尊敬されるべき人だと気づかされます。

歌手の場合はその方法が「声」

ピアニストであれば「ピアノ」

 

製造業であれば、作り出す「物」ですね。

見えないところや、図面指定がない部分まできれいに作ろうとする「気」。

量産になっても材料や機械に対する細心の注意を怠らない。

いつの時代でも、「気」の入ったものは大切にされ後世に受け継がれていきます。

 

お金でお金を生み出しても、なんだか満足しない理由もここにあるのでしょう。

上手に使えば気持ちも良いでしょうが、生むだけでは「気」が乗り様がないですから。

 

打ち合わせでは気が乗らないなと感じでいましたが、

お昼をごちそうになった席では、当然マスクを外して会話。

美味しいごはんと相まって、なんだか心地よくなったのを実感しました。

それも「気」が通じたからだと思います。

 

自分の体の状態(体力が落ちている、何らかの疾患がある、高齢である)を自覚し予防したり、

不特定多数が集まる環境でエチケットとしてマスクをつけたりすることはもちろん大切です。

ただ、極端に気のやり取りを無くしてしまっては、元気を無くしてあらゆる事が縮小してしまいます。

バランスが大切です。

 

デジタル音源できれいな音を聞くのも良いですが、世の中落ち着いたらライブに行きたくなります。

ライブはその音楽表現を好きな人の集まり。

演者から気を運んでもらうのと同時に、観客が気を共有する事で気分を良くするのですね!

 

写真は人がいくら気を入れて作ってもなかなか追いつけない:

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スイレンの花。

去年までの白い花は、株分けに失敗して枯らしてしまい今年から黄色です。

曇り空が続いていて、つぼみのままでしたが昨日の日曜日にやっと咲きました。

よく見ると先客(小さな蜂)が居ますね!

今日も読んで下さりありがとうございました。

2020年7月 6日 (月)

コロナ禍の子供達

おはようございます。

コロナ禍でずっと家にいた高校生と中学生の息子たち。

遅れていた高校生の学校も先週から始まり、やっとクラス全員そろったそうです。

中学生は部活も始まり、コロナ前の状態ににほぼ戻りましたが(対外試合はまだ)、

高校生の部活(バレーボール)はまだできないと。

ただその中でも野球部だけは活動しているそうです。

良くも悪くも?「高校野球」というのは別のカテゴリーにあるようですね。

 

ずっと家にいた間、お兄ちゃん大好きな弟は色々と質問をします。

この時期の三年先輩はかなりの情報格差で、傍で聴いていると面白いです。

例えば、ある日の出来事:

ゲームで使っているSDカードの容量がいっぱいになり

どれを買ったらよいか分からず途方にくれている弟。

そこで頼りになるのは、身近にいるお兄ちゃん。

 

「なんかいろいろな大きさがあるけどどれが良いのかなぁ」

「大きさ以外にもスピードに差があり、速いの買わないと使えないのかなぁ」

「速いのは高いなぁ」…

 

そこで僕が

「スピードなんて何でもよいんだよ」

と教えるのですが、弟君は一応?お兄ちゃんにも確認します。

当然

「そうだよ、何でも良いんだよ」

そして弟に余計な一言

「そんな事も知らないのか」

と言われますが、それすらなんだかうれしそうに見えます。

どれだけお兄ちゃんが好きなのでしょうか。

そしてやっと納得して、そこそこの容量の中で安いSDカードを注文出来ました。

 

ここまで書いてきたことを考察すると、

「自分の分からないことを、信頼できる誰かに聞ける」

というのはとても有り難い、幸せな状況だと気づかされます。

大人になると、なかなか聞きにくくなります。

そして教えてもらったことを素直にありがたいと思い、すぐに実行に移す。

これも大人になると難しくなります。

感謝することを忘れたり、良きアドバイスでも実行を後伸ばしにしてしまったり...

すると教えた方も気分が悪いので、次回から教えなくなってしまう。

軽く見られていると感じるのは誰でも嫌ですから、自分を守るために。

悪循環ですし、面倒くさいです。

でもほとんどの大人は、多かれ少なかれこのような状況の中で日々生活しています。

相手に「そんな事も知らないのか」と言えば、パワハラ決定!?

 

先週、孤独というのは自分を成長させる原動力に成り得ると書きましたが、

普通は避けたいですよね。

それを避けるために、最も重要なのが

「友情」

だと思います。

先に書いたエピソードを見ると、兄弟こそが純粋な友情を持っている様な気もします。

友情とは、自分より相手の気持ちを優先し、相手の心配や失意に気づき、

力になれる様に。行動する事。

そして相手を心から敬う。

そしてお互いもたれかかり合うのではなくて、同じ方向を向いて頑張る。

こう書くと、なかなか難しい気もしますが

実はとても身近に「友情」を見つける方法があります。

それは読書です。

古今東西の偉人や作家、また作品の中の主人公に心を通わせる。

読み込むことにより身近に感じ、元気や勇気をもらい、

困ったことを相談すらできるようになることもあるかも知れません。

タイムトラベルは、身近にある物なのです。

 

写真ですが、久しぶりの出張。

仙台から新幹線(はやて)に乗ると、夕方東京着という普段なら混雑間違いなしの車両が:

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数人しか乗っていません。

長男にこの話をすると

「仙台からはいつもこんな感じじゃないの~」

と、千葉県在住、東京通学で視野狭窄です。無知とは怖いものです。

「普段ならこの時間は多国籍の人で超満員なんだよ」

「仙台は東北最大の都市で、今や東北は世界の工場になっているんだぞ!」

そして

「そんな事も知らないのか!」

と弟君の仇をとってあげました。

今日も読んで下さりありがとうございます。

2020年6月29日 (月)

製造業におけるテレワーク考 その2 友あり遠方より来る

おはようございます。

 

今月中旬お世話になっている製造業社長に来社いただき、

近況報告や情報交換とご指導いただき、とても有意義な時間を過ごせ元気を頂きました。

神戸の社長曰く

「もう限界なので、来ちゃいました!」

と。最高の笑顔と共に。

ここでも話題になったのは、4月末に本ブログでも書いた

「テレワーク」

僕も、神戸の社長もモノづくり企業においては、テレワークは機能しないのでは?

という事で意見が一致しました。

今日はそこに至る考察を書きます。

 

現在AIを頭脳とする工場の自動化が進んでいます。

この状況を、資金力のある大手が進めれば

製造(組み立て)~検査~出荷梱包

まで一気に自動化が進み、もうそれは避けられないでしょう。

では、工場で働いていた人はどうするのでしょう?

ここを考えずに自動化を進める事には、人間社会が壊れてしまう怖さを感じます。

具体的には、労働者は傍観者になり、AI頭脳と機械が稼いだ金を人間が支給してもらう。

それは現代の金銭至上主義社会においては、人間よりAIの方が偉いという事になります。

人は基礎的生活保障賃金を、機械にいただく。

体を楽に維持するという意味では、天国の様だとも言えるかもしれませんが、

エサをもらって生きる動物園のサルとの違いが限りなく小さくなります。

人がサルから進化したとすれば、これは逆に人がサルに退化するとも言えます。

 

ネット上に象徴的な言葉がありました、

テレワークは

「無意味なトランスポート(移動)を無くす」

と。

神戸からわざわざ1時間話をするためにやってきてくださった。

これは無意味?

常に自分を高めようと学び続けている人は、色々な情報を当然の様に持っています。

縁ある誰かと会うことにより、自分の持っている知識が

「バババッ~」

とつながるようにスイッチが入り、知識としての学びが

「血肉」

になっていく。

何が「意味ある行動」になるか?

それは、常に求めていてもなかなか得られず予測不能です。

それほど真の学びとは得難いです。

 

 

確かに結果的に無意味なトランスポート(移動)というのもあるでしょう。

でもそれは誰がどうやって判断するのでしょうか?

無意味の削減が究極まで進めば、先に書いたように人はAIに使われる存在に成り下がります。

なぜならAIには一切無駄がありませんので、人間ですら絶対に勝てませんから。

 

自分の実体験としては、社会人になってすぐの頃会社では失敗ばかり、

悩みばかりでしたが、それを学生に対する先生の様に指導してくれる人はいませんでした。

ではどこで指導を受けたか。

それは終業後の居酒屋でした。

直属の先輩だけではなく、いろいろな方と話しながら

昼間は聞けない・言えない事を真剣に聞き・話していただく。

もし社会人に成りたての時期に、先輩方との飲み会が無かったら、

今の自分は決して居なかったろうと思います。

コロナはその貴重な機会を奪おうとしています。

 

一見良い響きを持つ「自由」とは、実際はとても怖い事だと認識するべきだと思います。

人は本能的に規律を求めます。

完全な自由、そこに人は生きられるのか?

規律を保てなくなる自由、所属意識の喪失は

人の結びつきが弱め、孤立を加速させます。

孤立は自分が求めない状況であれば、不幸です。

またしかし、

その不幸こそが魂を成長させる原動力に成り得るという側面があるのが人間の人間たるゆえんで

奥深く面白いところでもあります。

神戸から来ていただいた社長のおかげで、大切な学びを頂けました。有り難いです。

 

写真ですが、

玄関の前にある、とげとげの葉っぱから何やらにょきッと棒状の物が突き出てきて

先っぽに花が咲きました。

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この状況はたぶん去年もあったはずですが、今年は妻が大騒ぎ。

某有名ニュースサイトで、

「40年に一度しか咲かない花」として話題になっていたから。

このニュースで、この葉っぱが「ニューサイラン」という植物と初めて知った位に

興味を持っていませんでした。

2人で、

「うちではよく咲いているよね、意識していなかったけど」と。

毎日通り過ぎる場所で、そんな珍しい現象が起きていたのですね。

灯台下暗し!チルチルミチル青い鳥!

無駄を省くことより、日々身近にある大切な事に気づく方が人間として成長できそうです!

 

今日も読んで下さりありがとうございました。

2020年6月22日 (月)

虫との闘い

おはようございます。

先週、ナメクジに食べられてしまったパプリカ(ピーマン)の写真を載せましたが、

その後さらに食害が進み、ほとんどの葉っぱが無くなってしまいました。

このままだと、間違いなく枯れてしまいます。

更にパプリカを食べつくした「敵」は、無事だったナスにまで進出。

事、ここに至り闘うことを決意!

 

さっそくホームセンターで、各種「農薬」や「ナメクジホイホイ」を買うと、

将来取れるであろうパプリカやナスの購入価格を軽く上回りそうですが、

闘う決意は微塵も揺らぎません!

 

まずは撒くタイプの薬と、スプレー式の葉っぱに吹き付けるものを実施。

ナメクジホイホイは4か所に設置。

これで様子を見ます...

しかしナスの葉っぱへの食害が進んでいます。

一点はっきり効果が有ったのは、ホイホイにナメクジが集まってくること。

ナメクジだけではなく、大きなカタツムリも。いったいどこに隠れていたのか…

 

そこまで考えていると、ふと思い出しました。

次男がカタツムリは夜行性~と話していたことを。

カタツムリが夜行性なら、当然ナメクジも夜活動しているはず。

そこで夜九時過ぎに、懐中電灯をもって庭に出てみると...

現場確認!

ナメクジが、もうほとんど食い尽くしているパプリカに最後のとどめを刺そうとしているところでした。

見逃す訳にはいきません、駆除!

ここで活躍したのが、瞬快冷凍スプレー。

PCキーボードの掃除などに使う、エアダスターと同じようなものですが、

そこからー85℃の冷気が噴出されます。

初めて使って見ましたが、これの効果は凄いです。

土の表面が、あっという間に凍土に。

子供が小さければ、夏休みの研究課題で色々凍らせてみるのに使えたと思います。

ただ植物についている虫を駆除しようとすると、植物自体が凍ってしまいますので

自殺的行為になってしまいます。それほど強力という事ですね。

 

そして最後に届いた、最終兵器「スラゴ」:

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何やらバイオレンス映画の主題の様な最終兵器にふさわしい名前ですが、

おそらくその効果もすごいと思います。

日に日に弱るパプリカが復活できるかどうか。

「スラゴ」の肩に掛かっています。

 

さてここまで書いてきて、気づいたことがあります。

実はカメムシやナメクジと戦う前の主敵は

「ダンゴムシ」君でした。

特に次男と妻が強烈に嫌い、妻曰く大量にいると花や根を食べてしまうという事で主敵でした。

それではと、隠れ家を見つけては大量に駆除していました。

ところが、新たな敵が現れるとダンゴムシは全く気にならなくなりました。

相手にしないというより、たとえ視界に入っても気にならない。

カメムシやナメクジはバリバリと野菜を食べてしまいますから、それに比べれば...

 

この様な事は普段の生活でもありますよね。

家族内でのいざこざがあっても、より大きな危機に直面して家族協力、

あれほど気になっていた相手が、自分の生活が充実していくと忘れてしまう...

特に今はコロナ禍で、弊社はもちろん多くの会社が大変な事態に巻き込まれています。

こんな時に社内がごたごたしてしまえば、会社という船はあっという間に沈没です。

状況をなるべく冷静に把握し、正確な情報を乗組員に提供する。

そして下を向かない様に鼓舞する。

嵐の時に活躍するのが船長ですが、会社の経営でも同じです。

今は多くの船が遭難しそうですが、まずは自船が生き残らなければますます迷惑をかけてしまいます。

そう考えると、虫と戦っている場合ではないと気づかされます...反省。

 

今日も読んで下さりありがとうございます。

2020年6月15日 (月)

お金の話 2020

おはようございます。

先週はshu shiraiさんの素敵な写真のおかげで、内容と写真がつながりました。

ストロベリームーンの当日は曇り空で、とてもあんな風に写真が撮れる環境ではありませんでした。

雲が切れるのをじっと待ち続け、一瞬のチャンスを逃さずに切り取ったのが

先週の写真でした。

綺麗な写真の裏に、大変な人間の努力が隠れている。

全ての芸術作品に通じることですが、感じたことをどう表現するか。

感じたこと=感動した事。

本来そこで止めておけば個人的な思い出になって、苦労をすることはありませんが

それを他者に対して表現するという行為は、時として命がけの大変な仕事となります。

まさしく、魂が体を酷使している状態ですね。

 

さてお金の話ですが、2013/3/4のブログを読み返すと、

お金を価値あるものとするには、「良き物」や「信頼」が必要。

それが無いと、お金という道具の価値は下がってしまう。

そしてお金を使うという行為は、道具を使わせていただくだけすから

感謝して使わなければ、お金の品位が下がってしまう。

感謝という「魔法」によってお金が生かされている。

というような話でした。

 

今回はより具体的に考えてみます。

仕事はお金を稼ぐため、それは反対から見ると

「仕事をしてもらった事に対する感謝の表現方法」

とも言えます。

従業員に一生懸命働いてもらって、どうそれに報いるか。

その一番便利な手段です。

ただ通貨に信用が無ければ(すごいインフレなどで)、その通貨の受け取りを拒否

するような事態にもなりかねません。(米ドルで支払い要求するなど)

 

この様に、信用があれば便利な道具であるコインやお札。

それをたくさん持っているという事は、たくさん感謝をされた人と考えるのが普通ですが、

現在の資本主義は個人的にはギャンブル的要素が強すぎる気がします。

それが2013にも書いた

「お金至上主義」

そこでは、お金=目的 そして時として=神。

 

1000万円の車を買える人、すごい。

同時に

1000万円も払ってもらえる車を作り、売る人、すごい。

 まったく同格のはずです。

 

身近なところでは、

100円のガムを買うのに、わざわざ頭を下げてもらおうと思う人は少ないと思います。

でも、

1万円の食事をすれば、なぜか必要以上に店員さんに丁寧に接客してほしくなる。

それとは別に、

自分の好きなアーティストのライブやコンサートにより大きなお金を払っても、

直接のお礼を要求することは少ない。むしろ感動を頂き感謝しながら帰る。

お金をきれいにつかうのは、意外と難しいです。

 

ここまで書いたようにお金の勉強、お金の使い方の勉強、これは本当に大切です。

今、日本人は安定した通貨である日本円を使っておりそれを当たり前と感じています。

しかし、その対外的(対外国)な価値が無くなれば、大金も紙屑に変わってしまいます。

通貨の価値は信用だからです。

信用あればこそ、原価数10円で印刷された札が1万円として流通できるのです。

原価を引いた9900円以上は、外国から見れば日本国家(我々大衆を含む)の収入=信用です。

 

今コロナ騒動の陰で、その根底が崩れているのを感じます。

官僚や政治家を悪く言う風潮は、かなり末期的です。

1人1人がしっかり考えていれば、いい加減な政治家は淘汰されるはずです。

しっかり考え実行するるというのは、

最初に書いた芸術家の苦労と同じように、命がけの努力が必要なはずです。

なぜなら今の社会は全責任を負う「お殿様」や「王様」は現れませんから、

各個人の力が今の政治の力に直結しています。良くも悪くも...

今それが試されているのを感じます。

 

写真ですが、全滅寸前のパプリカ(黄色いピーマン)です:

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最初の食害はカメムシの仕業でしたが、2、3日駆除し続けたところいなくなり

安心していたらこんな姿に。

どうやらナメクジが食べつくしたようです。

奥にあるトマトや、横にあるナスには目もくれず、ピーマン一直線。

子供に嫌われることもある野菜ですが、どうやら虫たちには一番人気の様です。

ここにも、人間の使う貨幣の価値では測れない世界がありました。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2020年6月 8日 (月)

混沌した世の中をどう生きるか

おはようございます。

このブログも今回で480回になりました。

500回を目標に、書いていきたいと思います。

 

当初はスカイツリーが立ち上がる様子を、主に会社屋上から撮影した写真で紹介していました。

思い返せば、まだまだ安定して、幸せな時代だったのかと思わせるほど

今は社会が混乱しているように感じます。

 

その原因は、各個人が信じるべき信条というようなものを失っているからかもしれません。

 

例えば、少し前まであって今急速に失いつつある考え方。

それは「経済発展=善」という考え方です。

自分が中学、高校生くらいの時は社会はバブル経済真っただ中。

世の中の見かけの様子(建物や車、各種アミューズメント施設...)が急速に変わって行き、

そして当時のマスコミは、もちろんそれを良い事として報じ、皆がその方向に向かっていきました。

向かう先にあったのは、もちろん「夢」だったのでしょう。

 

もちろん、人間が快適に過ごせるような環境の中で、順調に経済が発展していく事は

節度を保てれば悪いことではないと思います。

経済が発展する過程では、色々な新しい仕事が始まり雇用されるチャンスも増える。

価値ある新しい仕事により、人々の暮らしがより清潔で豊かになる。

 

しかし今の経済縮小非常事態では、まず生きることに精一杯になってしまいます。

夢は破れ、それは信条というにはあまりにもはかないものだとはっきりしました。

 

縄文時代でも、江戸時代でも、経済成長はほとんどなかったと前に書きました。

しかしそれらの時代には、一般的には人々は幸せに暮らしてきた時代と定義されます。

片や今のコロナ災禍経済では、数か月の経済縮小が起こっただけで、

直近まで世界一の経済発展国家で暴動や略奪が起こっています。

ずっと追いかけてきた夢が一瞬で壊れてしまったかのようです。

この違いは何でしょうか?

 

考えてみます。

先ほどの話とは逆の考え方ですが、

経済が発展しない社会というのは、新しいチャンスが生まれにくいという事です。

それは自由経済ではなく、自由の制限された封建的経済。

江戸時代にはそれが約300年続きました。

そこでは基本的に親のやっている仕事を、否応なく手伝い継いで行くのが一般的です。

日本においては、そのほとんどが農家でした。

否応なくと書きましたが、違う言い方をすればそれは

「迷いなく」

とも言えます。

長男であれば家そのものを継ぐ。

その権利をいただく代わりに、一家の長として家の伝統を守る責任を負う。

周りを見れば、同じご近所さんが暮らしているのですから

当然皆何代にもわたって顔見知り。

現代風な解釈をすれば

「息苦しい」

と感じるかもしれませんが、だからこそお互い嫌な思いをしない様、

村八分にならない様に気を遣って生活をする。

この様に、自分の与えられた仕事、役割に迷うことなくぶつかっていく。

役割に対する迷いなく、各家庭における信条をもって。

そうすると、仕事という役割を通じて人間形成がされていきます。

こう考えると、現代の「自由」は人を幸せにしているのか分からなくもなります。

 

当然、現代でもこの様に仕事に取り組んでいる人も居ると思います。

そんな人は、どんな世の中になっても生きていけるという深い自信を持って。

仕事とは、お金を稼ぐためとも言えますが、

ここに書いたように、より大切な人間形成の「道」であります。

自然の中で、宇宙を感じながら生きることが出来る人間。

今その底力が試されています。

進んで行きましょう!

 

写真は、週末のストロベリームーン。

雲も多く、自分のスマホでは自分のスマホでは全く撮れなかったため、

SNSを通じて知り合えた、地元の写真家

shun shirai さんの写真を使わせていただきました:

Photo_20200607155801

悪条件の中でも素晴らしい写真です。

いつもとても素敵な写真を撮られていて、

いつか自分のブログでも使わせていただきたくて連絡し、

許可はいただいていましたが、やっと使わせていただくことができました。

素敵な写真がたくさんあります、ぜひ見てください:

https://www.instagram.com/shun033

 

宇宙を見上げると、そこにはいつも秩序正しい営みがある。

だからこそ人は宇宙に憧れ、近づこうとし続けるのでしょうか。

 

来週は、上に書いた仕事の目的でもある「お金」について、

2013年 3月4日にも書いていましたが、もう一度考えてみます。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2020年6月 1日 (月)

木の話2:まっすぐみる

おはようございます。

先週は「新月に切った木」の話を書きましたが、

あまり身近に感じない事柄だったかもしれません。

今日は違う側面で木の話を書きます。

 

大先輩にお聞きした木に関する話です。

子供の頃おじい様と、大きな木のある庭にいると。

「木がまっすぐに見える場所を探しなさい」

と言われたそうです。

少年時代からまじめな先輩は、一生懸命に木の周りをぐるぐる回って

うねった木の枝、そして幹が比較的まっすぐに見える場所を探します。

候補地を探し出すと

「おじいちゃん、有ったよ」

と喜んで呼びに行きますが、おじいさんは

「違う」

と、一言。

更に探し続けますが、結果は同じ事。

ここでおじいさんは宿題にしたそうです。

すぐに教えてくれないところが、結果的には良いのですね。

 

ちょっと脱線します:

現代に生きる我々は、答えをすぐに求めてしまう傾向があります。

テレビ世代の自分もそうです。

それでも学生時代は、レポートを書くために必死で図書館通いをしましたが

自分の子供はすっかりスマホ世代。

もう答えは手中に収めている感じでしょうか。

でも、自分でも経験ありますが、

教えてもらったことは身につかない。自分で考え抜いて初めて本物の知識になると。

やれと言われれば、仕事でもない限りやりたくなるのと同じような物でしょうか…

 

そして日が過ぎて、さすがに考えあぐねた少年。

おじいさんも見かねて答えを教えます。

こう見るんだよ、と木をよく観察することもなくすくっと立ったそうです。

「あれっ」

と一瞬思いましたが、すぐに気づいたそうです。

まっすぐに見るとは、木を正面から見据えるという意味で

木を構成している枝や幹がまっすぐに見えるという事ではなかったのです。

 

何だか意地悪な質問のようにも聞こえますが、

自分はとても深い良い話だと思いました。

大きな木は人間の体の一生より長い年月をかけて育っています。

その木の魂に接するには、自分がそれを敬い、共鳴しなければ見ることはできません。

人間でも、自分にやましいところがあると相手の目をまっすぐに見られないことがありますが、

それほどまっすぐに見るというのは、自分の心が整っていないと出来ない事なのです。

 

最近は情勢が悪い方向に色々と変わり、表面に見える事柄に心が支配されてしまいがちです。

自分も大木の様に大地から霊気を吸い込むように歩き、呼吸し、

まっすぐにものが見えているか自問しなければいけないと、今週はこの話を書かせていただきました。

 

写真は、金曜日のブルーインパルス医療応援飛行を載せようと思ったのですが、

スマホカメラでは難しかったです。

そこで、先日JR東神奈川駅にも復活した「伝言板」を:

Photo_20200529150201

携帯やスマホが無かった時代、駅での待ち合わせには必須でした。

こうやって内容を見ると、字にも内容にも味があります。魂を感じるというか。

たかが伝言板、されど伝言板。

情報は早い方が便利ですが、

便利さの追求で失ってしまったものがあるのを実感します。

今日も読んで下さってありがとうございます。

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