2020年6月 1日 (月)

木の話2:まっすぐみる

おはようございます。

先週は「新月に切った木」の話を書きましたが、

あまり身近に感じない事柄だったかもしれません。

今日は違う側面で木の話を書きます。

 

大先輩にお聞きした木に関する話です。

子供の頃おじい様と、大きな木のある庭にいると。

「木がまっすぐに見える場所を探しなさい」

と言われたそうです。

少年時代からまじめな先輩は、一生懸命に木の周りをぐるぐる回って

うねった木の枝、そして幹が比較的まっすぐに見える場所を探します。

候補地を探し出すと

「おじいちゃん、有ったよ」

と喜んで呼びに行きますが、おじいさんは

「違う」

と、一言。

更に探し続けますが、結果は同じ事。

ここでおじいさんは宿題にしたそうです。

すぐに教えてくれないところが、結果的には良いのですね。

 

ちょっと脱線します:

現代に生きる我々は、答えをすぐに求めてしまう傾向があります。

テレビ世代の自分もそうです。

それでも学生時代は、レポートを書くために必死で図書館通いをしましたが

自分の子供はすっかりスマホ世代。

もう答えは手中に収めている感じでしょうか。

でも、自分でも経験ありますが、

教えてもらったことは身につかない。自分で考え抜いて初めて本物の知識になると。

やれと言われれば、仕事でもない限りやりたくなるのと同じような物でしょうか…

 

そして日が過ぎて、さすがに考えあぐねた少年。

おじいさんも見かねて答えを教えます。

こう見るんだよ、と木をよく観察することもなくすくっと立ったそうです。

「あれっ」

と一瞬思いましたが、すぐに気づいたそうです。

まっすぐに見るとは、木を正面から見据えるという意味で

木を構成している枝や幹がまっすぐに見えるという事ではなかったのです。

 

何だか意地悪な質問のようにも聞こえますが、

自分はとても深い良い話だと思いました。

大きな木は人間の体の一生より長い年月をかけて育っています。

その木の魂に接するには、自分がそれを敬い、共鳴しなければ見ることはできません。

人間でも、自分にやましいところがあると相手の目をまっすぐに見られないことがありますが、

それほどまっすぐに見るというのは、自分の心が整っていないと出来ない事なのです。

 

最近は情勢が悪い方向に色々と変わり、表面に見える事柄に心が支配されてしまいがちです。

自分も大木の様に大地から霊気を吸い込むように歩き、呼吸し、

まっすぐにものが見えているか自問しなければいけないと、今週はこの話を書かせていただきました。

 

写真は、金曜日のブルーインパルス医療応援飛行を載せようと思ったのですが、

スマホカメラでは難しかったです。

そこで、先日JR東神奈川駅にも復活した「伝言板」を:

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携帯やスマホが無かった時代、駅での待ち合わせには必須でした。

こうやって内容を見ると、字にも内容にも味があります。魂を感じるというか。

たかが伝言板、されど伝言板。

情報は早い方が便利ですが、

便利さの追求で失ってしまったものがあるのを実感します。

今日も読んで下さってありがとうございます。

2020年5月25日 (月)

木の話:新月に切った木と満月に切った木の違い

おはようございます。

GW中に木について学びました。

宮大工、西岡常一さんの本はいくつか読んだことがありましたが、

そこでは職人としての心構え、刃物を研ぐ大切さ、生活を整えて木に向かう…

職人仕事に向かう姿勢が書いてありました。

プレス金型職人でも全く同じだと感じます。

会社経営に対してとても大切な学びを頂きました。

 

今回の話は職人の側面ではなく、

「木」自体の話です。

きっかけは、自分が住んでいる木造のはず家がまったく木の香りがしないことに気づいて。

見渡せば室内はビニールクロスと、樹脂でコーティングされた「フローリング」

そういえば、棟上げ自体もプラモデルを組み立てる様にあっという間に終わっていました。

今の建材は機械で強制的に乾燥させて、それを自動切削機で必要な大きさや形に切り分ける。

まさしくプラモデルのプラスチックが木に変わっただけの様です。

そしてそこにはたっぷりの防虫剤。

木の家に住んでいるつもりが、周りはほとんど化学物質…

 

そこで調べ始めると、40℃という低い温度でじわじわと乾燥させることで

木本来の強さや香りを失わない方法がある事を知りました。

その方法だと、中心部から均等に水分が抜けて生命力を保ったまま建材になるので、

湿度や温度を調整する機能を保てるそうです。

木が生きたまま建材になるという事です。

反面、強制的に乾燥させてしまえば表面がからからに乾いてしまい、

「木のミイラ」

の出来上がりと。

低温乾燥させた木は、しなやかで強い材料となり、

一般木材では考えられない、4階建ての木造ビルが出来たそうです。

実際に東京板橋区にあります。

 

これは凄い!と思ったのですが、だったら自然乾燥の方が更にすごいのかと思い調査継続。

実際世界最古の木造建築物、奈良の法隆寺は1400年前に建立ですから。

すると、オーストリアですごい本がベストセラーになっている事を知りました。

それは、

「木とつきあう知恵」という本で、

「新月に伐採した木は質が良い。割れないし虫もつかない」と書かれています。

水分とでんぷん質が少ない木が取れるそうです。

これはスイスのチューリッヒ大学でも証明され、

オーストリアの森林局でも

「新月の木」か「そうでない」

のかを木材の出荷証明書に明示するようになったそうです。

 

勉強資料の中では、この話を日本の木材生産者に聞いたところほとんどの人が知りませんでしたが

先祖代々伝わる林業家の中にはうっすらと聞いたことがあるという人も居る程度だったと。

しかし、著者が先に書いた西岡棟梁に聞いたところ

「あたりめーのこと聞くんじゃねえ」

と一喝。

日本の伝統的宮大工は凄いです。

実際に日本でも、京都の大学でその確認・検証実験を行ったところ、

新月に切った木と満月に切ったものでは水分含有量が違い、

新月に切った木はカビが生えなかったそうです。

 

月と地球。

海の満ち欠けは、月との引力のバランス。

出産も月の動きに連動しているとも。

そして木も月と会話している!

自然は偉大です。

 

知らないことを学ぶと、一方:

今は衰退していると思われている、林業にもすごい可能性が秘められている事も感じます。

実際に、現在でも国産の材料価格が特に高いという事は無いのですが、

規格化された木を大量に買おうとすると、どうしても外国産に頼らなければいけないそうです。

エコが重要視される社会。その最たるものが家だと思います。

数十年でボロボロになってしまう今の日本建築、

建て替える際には家だけではなく、とても多くのごみも排出されます。

100年住宅が常識になれば、世の中も良い方向に変わる気がします。

大量消費、大量廃棄社会より、

なるべく物を捨てない、ゴミが出ない社会は個人的には心地よいです。

 

ここに書いた学びは、主に駿河屋さんというネットで知った工務店様が送ってくださった

資料でいただきましたが、

この会社は、墨田区向島にあります!

自転車ですぐに行ける場所です。

世の中の狭さ、縁の面白さを実感しました。

毎日仕事では金属の話ばかりですから、たまには木の話も気分転換に良いです。

駿河屋さんありがとうございました!

 

写真ですが、先週金曜日夕方のスカイツリー「ソラマチ」です:

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ほとんどのお店が閉まっていますし、人通りもこの通り。

人の活動が制限されると、その思想も幅が狭まり、小さくなってきがちです。

自由に考えてよいという贅沢さ。

これは一見当たり前の様ですが、人類史の中ではたびたび大きく制限されてきました。

苦しい時ほど楽しい言葉をつかう!

気分を良くしてくれるのは、自分の思考だけです。

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

2020年5月17日 (日)

やるべきことを見極め、実行する。

おはようございます。

先週までは大来さんの話を2週にわたって書きました。

今週は、その中での大切なキーワード

「構想・判断・実行」を違う切り口で考えます。

 

今回の新型コロナ危機に際し、多くの専門家ではない

「評論家」

の意見が拡散している怖さを感じます。

専門家ではないのですから、自分が間違えている事にも気づくことが出来ず

あえて言えば、「善意」で間違った事が広がっている可能性もあります。

本当に怖い事です。

これでは全く何を信じてよいのか分からず、途方に暮れてしまうのが普通だと思います。

 

そこで今日は、足元を見失わないために大切な言葉を共有させてください。

それは:

「システム(組織)を修正できるのは、システム(組織)に適応している人だけ」

という事です。

前にも少し触れましたが、自分がその組織の仲間でないのに、その組織のダメなところを

一生懸命に否定しても意味が無い(薄い)という事です。

 

例えば:

自分の子供が通っている学校で、親から見ておかしなことが行われていると感じたとします。

(ここでの「おかしさ」は現代の常識として過半数の人がおかしいと感じる事柄として)

担任にそのおかしさを伝え、修正を依頼する。

確かに一時的にその現象は収まるかもしれません、吹き出物を削除するように…

しかし、それが起きた根本原因まで解決できる(組織の体質改善)ことは少ないと思います。

 

ではどうすれば、組織の問題点の根本原因まで入り込めるか。

それが

「システム(組織)への適応」

です。

例えばPTA活動に積極的に参加し、出来れば役員などをつとめる。

そうすれば、まずはPTAという組織でその問題点を話し合うチャンスが生まれ、

そこで問題や課題を共有できれば、PTAから学校組織への提言という事で

個人の比べれば発言力が飛躍的に大きくなります。

更に、隣の学校のPTAとも連携し、地元選出の議員を巻き込めれば

冷静に話し合っているだけで、改善に向かって大きく進みます。

 

この様に、学校というシステムに適応することで、初めて自分の意見が効力を持ちます。

これは学校だけではなく、会社や近所、友人との関係でも全く一緒です。

もちろん国会という場でも…

現実は、どんな話し合い(と言えるか?)が行われているのか…

 

「話し合い」とは、

「勤勉で道徳をわきまえた一人一人の人間がいて、初めて成立する」

ものです。

 

相手をけなすのではなく、まず自分を律してから始まるのです。

自分がシステムに順応する勇気も実行力もないのに、それを批評批判しても、

人類の発展には全く寄与しません。ただのヤジでおわってしまいます。

 

人生とは不合理の連続ですが、大人になればそれに対する対処方法は自分で決め、

実行するしかありません。

厳しいようですが、誰も助けてはくれないのです。

 

各自できる範囲で社会活動に参加し、考え、学び、実行する。

他者を一生懸命批判している暇がある程、体の一生は長くないです。

そして、その際にもう一つ大切なのは、

過去から学ぶのは大切ですが、過去を否定してしまってはいけないという事です。

今おかしく見えても、過去にその形になったのは

さらにその前からのしがらみ(理由)が有ったのです。

そこに想像力を働かせないと、ただ破壊するだけになってしまいます。

だからこそ「否定」ではなくて「修正」。

批判するだけの意見は、役に立たないのです。

大切なのは「実行」です。

 

写真ですが、車通勤が多かったため

しばらく通っていなかった公園の道で帰ると:

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水面に目の覚めるような黄色いじゅうたんが敷いてありました。(黄ショウブ)

花はだまって大仕事!

自然にはいつも教えられます。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2020年5月11日 (月)

大来佐武朗「わが志は千里にあり」その二

おはようございます。

今日は先週木曜日の続きです。

 

大来さんは、著書の中で

「構想・判断そして行動が大切」

と仰っていたと。

そして、

「経済ゼロ成長の時代に直面した時に、大切なのは(人間の)内面の豊かさだ」

と説かれています。

この「内面の豊かさ」を具体的に考え、判断し、実行する事は

まさに現代に生きる我々に問われているように感じます。

考察していきます

 

経済成長=善とする社会。

はたして経済がずっと成長することなどあり得るのでしょうか。

日本においては、縄文はもちろん江戸時代ですらほぼ経済成長がない(定常成長)と言われています。

よく、本当に価値あるものは

「プライスレス:貨幣価値では測れない」

と言いますが、縄文や江戸は、この様なものであふれていたのかと想像すると楽しくなります。

それこそが、現代が忘れてしまったものであり、再確認しなければいけない物とも言えます。

 

ではそれ(=内面の豊かさ)とは何か?

考えるに、

それを感じるためには分からないことを無理に分かろうとせず、

時の流れに身を任せる。

流されるのではなく、任せる。

凄く頑張り、各自の義務をしっかり果たしたうえで任せる。

任せた上は、どんな事態が起きようと泰然と構える。

 

ちょっと分かりにくいですね:

それは「信頼」、また別の言葉でいえば「絆」と言うものと考えてはどうでしょうか。

お金を大切にするあまり、あっけなく他者からの信頼を失い、

心の絆を自ら断ち切っている事に気づかない現代人。

かつて豊かに暮らしていた人たちは、それを失うことを最も恐れ、

また恥と考えてきました。

現代では、金銭効率主義全盛になってしまいふと気づけば寂しさにさいなまれている…

決してお金では埋まらない溝。

信頼と絆があれば、困難は時が解決してくれると言えば言い過ぎでしょうか。

 

確かに、金銭で買えるものは体に快楽を与えてくれるかもしれません。

しかしそれは刹那的なものである場合が殆どで、

他者と分かち合えるようなものではないです。

反対に、

「信頼」「絆」に基づく満足感は魂に響き、人に涙させます。

仕事でいえば難しい仕事を、上司やお客様から頂き、

「頼られ」「がんばってこなし」「感謝される」

真の仕事の面白さは、ここにあります。

給料の多寡はそれの付随要因でしかないのです。

これから大人になる子供達、これに気づいて自分を高めていってほしいです。

そうすれば、大来さんの様に世界中の人々に頼られる

「真の国際人」

に近づけると思います。

先週書いたように:

日本が関係ない、外国同士のトラブルに際し、

もうこじれてしまい、当事者同士では決裂するしかない状況。

そこで

「大来を呼んでくれ」

何て言われ、颯爽と現れて解決してしまう。

なんて格好良いのでしょう!

最後に、本からの引用を載せます:

「常に前向きな楽観主義者である大来は、現在日本社会が直面している難局は多少時間がかかっても

克服できる、と確信していた。と同時に、これは明治維新以来と言っても良いほどの大きな変革を、

政治、経済から、人々の生き方まですべての分野に迫るものであることも冷静に認識していた」

「21世紀の日本の方向は、世界の動向を見据えた上で、他国に影響されることなく自分で決めな

ければならない。そのためには構想力、判断力、行動力を持ち、国際舞台で縦横に活躍できる

第二、第三の大来佐武朗が特に若い人の間から次々に出てくることが望まれる。

そのことを一番望んでいたのは、実は大来佐武朗その人であっただろう」

GWに良い本に巡り合え、皆様と共有させていただくことが出来て幸せでした。

 

写真ですが、近所のこんにゃく稲荷です:

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すっかり夏空の様です。

こんにゃくが護符(お守り)で、買うことが出来ます。

のどに良いようで、歌手やアナウンサーもお参りに来るようです。

 

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

 

2020年5月 7日 (木)

2020 GW 大来佐武朗の書

おはようございます。

昨日まででGWが終わりましたが、いつもと全く違う日々を過ごしました。

この間は掃除したり、家をメンテナンスしたり、

積んであった本を読んだり、TVやPCで映画を見たり…

今回は偶然手に取った本で、とても大切な学びを得ましたので共有させていただきたいと思います。

 

今回のコロナ自粛の件ですが、冷静に考えるとその前後で世間が変わってしまったことを実感します。

今までの資本主義(おかね主義)は、コロナウイルスの前に吹き飛ばされてしまいました。

そしてGW中に、更に「自粛」が延長されることが発表され、その深刻度はさらに増し

今までは業種(飲食や観光業)に偏ってその影響を語っていましたが、

もうその区分けなく、誰もが大きな影響を受けることになります。

もちろん自分の会社も大変な影響を受けることを覚悟しています。

 

今まで信じてきた主義(資本主義)が壊れたとき、人心も壊れていきます。

ある人は生きる力をなくし、またある人はイライラから粗暴に振舞う。

そうなると…

社会は、その秩序を乱す最低レベルの人に合わせてルールを決めますので、

世の中が規制だらけになってギスギスしだします。

 

補足:

会社も社会も、義務を当たり前と考え、権利はありがたく行使する人ばかりであれば、

ルールなど必要ありません。

「あたりまえ」ですべてが片付くからです。

 

さて冒頭に書いた書ですが、

大来佐武郎氏の回顧録「わが志は千里にあり」

です。

(大変立派な装丁の分厚い本で、重量も重いためにかってから読まずに置きっぱなしになっていました)

大来(おおきた)氏は戦前戦後を型破りの外務・経済官僚として生き、

晩年には外務大臣就任、そして国際人を育てるための大学創立(学長)と活躍された方です。

全く知らない方でしたが、その生き方は現代に大変重要な示唆を与えてくれました。

大きなくくりとして、以下の二つを上げます:

 

● 危機に際して

先の大戦中から敗戦を見通し、まだ大陸と往復できていた時に将来の食糧事情悪化を見通し、

本土への食糧運搬を行う。

● 真の国際化

大来氏は、世界中に足を運び、現地に友人知人を作りながら日本の舵取りを担ってきたが

国際化=欧米化ではないと痛感されている。

言葉が話せるのはもちろん重要だが、それ以上に必要なのは

現地の状況を理解しようとし、その地域に寄り添う心。

そして他者を尊重しつつも、自分をしっかりアピールし妥協点を探る理性。

それが出来て初めて2国間、また多国間のトラブルを仲介する力を得られる。

 

最初の「危機に際して」を読んだ時には、まさに現下のコロナ騒動の後を考えることが大切だと

叱られたような気分でした。

当時軍に逆らい、実行する公務員がいた!

次の真の国際化にも通じるのですが、どんな状況でも動じない自分を確立する事。

その為には資本主義ではない新しい考え方をしなければ、流されてしまうと。

いつの世の中にも、人知れず国、そして組織を支えている人が居ます。

 

現在、テレビ等で良い意見を言っているように見える人、

その多くが演説口調になっているのはとても気になります。

一見正論なのですが、人に考えさせる暇を与えず、その意見に吸い込まれてしまいます。

それは無防備に対してしまえば、とても危険な事態を招きます。

なぜならそれは、

「支え、作り上げる」

という力には決してならず、

「批判し、破壊しつくす」

という暴力的な方向にしか行かないからです。

歴史を学べば、今回の様な不景気になるといつの世もそれが繰り返されていることが学べます。

今回はそれを繰り返してはいけません。

破壊は容易く、創造は遥かに難しいのです。

次回からは大来さんの話を具体的に考えていきます。

 

写真ですが、庭の草むしり中に撮ったブルーベリーの花です:

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今年もかわいい花が咲きました。

甘い蜜をご褒美に、蜂さんに受粉をさせています。

当たり前のように感じますが、本当に不思議です。

かわいいミツバチがせっせと蜜を集めていますが、どこから来るのか、どうしてわかるのか?

そして蜂を応援するかの様に、蝶々がひらひらと。

うららかな春の一日、天国の情景が庭に!

自然の奥深さを実感します。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2020年4月27日 (月)

製造業におけるテレワーク考察

おはようございます。

今週からついにGWに突入ですが、ウキウキした気分が全くないです。

テレビや新聞、ネットでも毎日のように元気のなくなる情報ばかりを流しますから

意思を持ってそれに立ち向かわないと、消極的な感情に流されてしまいます。

コロナ風邪に注意をしなくて良いという話ではなく、

何に注意をすれば安心できるかを分けることが大切です。

 

事実に注目してみますと、

日本での現在のコロナ風邪による死者は、

年によって変動ありますが季節性のインフルエンザより少ないそうです。

はっきりしている数値で見ると:

2019年、年間日本人死亡者数は約137万人(厚生労働省ホームページより)。

月当たりにすると10万人以上がなくなっています。

日本でのコロナウィルス死者はトータル約300人。

一部重症化した方や、著名人の死亡の情報に偏りますのでその酷さを感じますが

インフルエンザでも40℃近くの熱が出ることはありますし、

基礎疾患があれば肺炎も併発し重症化するでしょう。

確かに今回の風邪の方が重症化率は高い可能性はあるかもしれませんが、

未知の物ゆえ怖がりすぎているという側面があるのを感じます。

インフルエンザにおける「タミフル」の様に、

早期処方の「アビガン」が効くことがはっきりすれば騒動は収まりそうです。

そのためには、精度が低く煩雑な今の検査方式ではなく、新しい検査方法の確立も必要です。

コロナを恐れすぎていると、

「想像コロナ」

で実際にその症状に引っ張られてしまいますのでご用心。

落ち着いて対策を進めることが大切です。

不安になったら指の爪を短く整えると、気分も落ち着くかもしれません。

手洗い、消毒効果も上がります!

 

今日の話、テレワークですが多くの会社が採用しています。

自分の場合、モノづくりにかかわる企業が多いのでその評判は芳しくありません。

打ち合わせと言っても、モノづくりの相談の場合

「知恵の出しあい」

の様な側面があります。

それはお互いの熱を感じながらの真剣勝負といった風情があります。

ところがネットによる打ち合わせだと

  • 回線が途切れる
  • タイムラグがある(昔の海外通話の様に)
  • スピーカーの性能にもよるが、声が聞き取りづらくつい大声になる…

と知恵を出し合うどころか、意思の疎通で精一杯です。

個人的には特に「タイムラグ」が一番の問題だと思います。

例えば、全く同じ返事の

「そうですね」

という反応も、

  • 間髪入れず
  • ちょっと間が開く
  • 声のトーンが低い/高い

で全く違う返事として受け取るのが日本語です。

 

特に製造業は、とても繊細に日本語を使い分けていと思いますので尚更です。

部品を提案するのも、カタログ商品とは違い新規開発が多いです。

その場合、お客様が何に困っているのか深くお聞きする。

図面があればその図面の意図を読み取り、

その上で独自の提案をしたりして認めていただく。

自分の会社で出来る能力(技術や生産能力)を把握した上で、

お客様の要望とすり合わせ、納得いただく提案をしていく。

想う力、祈る力が必要です。

決してAIで入札すれば終わりと言う風にはいきません。

 

反面テレワークに適した仕事もあるのかと思います。

ただ、その先には完全AI化で人間が不要になる怖さを感じるといったら言い過ぎでしょうか。

事実、証券や金融の世界では、一般業務はもちろん、審査といった重要業務も

コンピューター対応になっていると聞きます。

結果的に壮大な社会実験を行っているのが現下の日本経済です。

その行きつく先に、人の幸せがあるのか。十分注意しなければいけません。

 

写真ですが、春のもみじに目を奪われました:

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普段は紅葉の「赤」が目立ちますが、「緑」も本当にきれいです。

葉っぱの形がかわいいのがよく分かります。

やはり、最近は空がきれいに感じます

先週は工場の生産活動低下によるものと考察しましたが、

もしかしたら飛行機が飛んでいないこともかかわっているのかもしれません。

ジェット機はすごい勢いで空気を押し出し空をかき回しますから、影響ありますよね。

ちょうど自宅の上空は、成田と羽田の中間で飛行機の大混雑地帯で

絶えず飛行機が飛んでいましたから、今の静けさは貴重な体験です。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2020年4月20日 (月)

なぜ投票に行かなければいけないのか?:中二次男の問い

おはようございます。

最近は毎日家族で食事をとれますので、普段は部活や塾で居ない息子たちと

いろいろ話ができます。

今週の話は、次男が発した

「なぜ投票に行かなければいけないの?」

です。

これは先週の話

「人の批判はしてはいけない、自分の元気がなくなるから」

に対して、

「堂々と意思表明(批判)できる」

唯一と言っても良い貴重な機会だからです。

 

ただし、これは民主主義が健全に運営されている状況下での話であり、

今の日本の状況はかなり危機的に危なくなっていると感じます。

健全に運営されているとは:

  • 一人一人の行動が国政に結びついているという自覚を持つ。
  • 国土や国の権利は、自分で守るという気概を持つ。
  • 社会的責任をしっかり負い、勤勉で道徳心を持った人が集う。

この様な状態になって初めて

「話し合い」

が成立します。

ただ相手を馬鹿にし、上げ足をとり、論破する事が目的化の様な下劣な人々が集ってしまっては

もはや民主主義は機能しません。

そうなってしまっては、話し合いを解決する最終手段

「多数決」

ですら、分断をはっきりさせるだけです。

つまり政治状況が悪いという事は、その国のレベルが下がってしまっているという事なのです。

追い詰められた国民は、かつてのドイツがそうであったように

民主主義体制でも、独裁政治下の恐怖政治を生み出してしまいます。

 

今回のコロナ肺炎騒動でもはっきりするように、すべての国民が

「食べ物に困らない」

という状況は、貴重で成し遂げるのが難しい、とても素晴らしい社会状況です。

日本は先人の努力でそれを勝ち取ったのですが、

平和な状態が続くと、その状況が当たり前と錯覚しています。

資本主義、民主主義、社会主義、共産主義、絶対王政…

社会制度は、それを支える民衆の心理的同意が無ければ長続きしませんが、

どんな体制であろうと、まずその目指すところは人々が

「食える」

状況を作り出すことです。そうしないと安定した社会基盤ができないからです。

そして現下日本、象徴天皇制という基での

「自由民主主義」

という国家体制は、政府の暴走を止める権利を国民が持っているという得難いシステムです。

その質を上げるのは我々一人一人の研鑽しかありません。

 

これから来る危機に立ち向かうには、大人が頑張るのはもちろんですが

次世代を担う若者も意識を変えていかなければいけません。

事象を語る人に耳を傾けるのではなく、

自分の命をどう使い切るかという哲学を学ぶ。

その上で、与えられた貴重な権利、投票権を堂々と行使する。

民主主義のほころびを繕えるのは、一人一人の心構えです。

 

次男に回答をするつもりが、まだまだ語り足りません。

学びが必要性を痛感します。

 

写真は、コロナ騒動下のスカイツリーです:

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会社前の道路から撮影しましたが、いつもよりとても近くに見えます。

(写真だとうまく伝わりませんね)

大陸での生産活動低下に伴い、空気が綺麗になっているのかもしれません。

例年なら花粉症に悩む人も、今年は症状がかる人が多いのも同じ理由でしょうか。

今日も読んで下さりありがとうございます。

 

2020年4月13日 (月)

薬より言葉

おはようございます。

コロナ対策で、GW明けまで終業時間を16:00とさせていただきます。

出勤体系ですが、工場が稼働状態のためテレワークではなく通常勤務体制です。

 

先週のブログ「パニック」でも書きましたが、非常事態には言葉の重要性がとても高くなります。

言葉一つでパニックになったり、落ち込んだりしますが

逆に良い言葉により奮い立ち元気が出る。

昨今の報道を見ていると、心配になる言葉ばかり、人を批評する言葉ばかりで

本当に元気がなくなります。

元気がなくなれば、当然免疫力も落ちてウイルスに対する抵抗力を失います。

評論するなら対案をもって、命がけで全責任を負って行う。

今回の様な未知の災害に対しては、評論家の意見はほとんど聞く価値がありません。

 

いいかげんな評論を聞くことですら、これほどの悪影響があるのですから

自ら言うのは本当に危険です。

「他者の批評は自分の元気をなくす」

と肝に銘じた方が良いです。

命の燃焼こそ元気の素、

無責任な批評や批判はそれに反するくすぶり行為です。

 

良い言葉を使う事が大切、それが分かってもどうすれば良いか:

自分の子供を見ていてもそうですが、文字を読むと言ってもスマホばかり。

スマホの中には、魂のこもった言葉はほとんどありません。

もちろん昨今の「本」にだって、それは少ないですが、

歴史的名著=古典にはそれが有るからこそ、時代を超えて残っているものが多いです。

 

悩んだり困ったりしたときに、ふと手に取った本によって人生が救われる。

薬ではなく言葉によって。

そんな奇跡的出会いがあるからこそ、読書家は本を大切にし、

感謝の意味も込めて読み終わっても大切に取っておきます。

時には命の恩人ですらありますから。

 

今自分が見ていると思っている対象物は、本当にまっすぐみられているのか。

特に自分が悩み恐れて暗闇にいる時には、注意をしなければいけません。

もしかしたらそれは実物ではなく、まやかしの光に照らされた

「影」

に過ぎないかもしれません。

様々な質の悪い光によって映し出される影におびえてしまう。

全く不毛です。

正確に物事を判断するには、

まず暗闇から脱して健康な体と、健全な判断力を持たなければいけません。

 

外出規制になると、まず体の健康を失ってしまいます。

そうなれば、健全な判断などできません。

各自工夫して運動をすることが大切です。

一歩踏み出せれば、二歩目からは簡単になります。

 

せっかく体が健康になっても気を病んでしまえば、すべてに対して逃げの姿勢になってしまいます。

もしくは逃げ故の、弱い(自分に立ち向かってこない)対象物への攻撃や非難。

それを防ぐためにも、ニュースはある程度の客観的情報を得たら遮断し、良い本を丹念に読む。

心配しすぎは、その状態ですでに病気ですから。

 

写真ですが、先週書いた

「陽だまりの無駄話」にも通じる場所です:

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会社近くの、京成八広駅前にある文具店。

入ったことは無いのですが、駄菓子やちょっとしたおもちゃも売っていそうです。

いつもここに大勢の小学生が溢れんばかりに集まっているのを、

とても良い気分で見ていました。

今は御覧の通り…

失って気づく、日々の大切な光景です。

子供が楽しく学び、遊び、成長できる社会。

これこそ、我々大人たちが責任をもって実現、維持しなければいけない事だと痛感します。

 

今日も読んで下さりありがとうございました。

2020年4月 6日 (月)

パニック

おはようございます。

今日は開高健(かいこうたけし)のパニックという本について書きます。

現下の世界情勢を表しているような話です。

 

今のパニックは新型コロナウイルスによって引き起こされていますが、

この本では「笹の花」とそこに吸い寄せられる「ネズミ」によって起こされます。

笹の花は60~120年に一回しか咲かないそうですが、その花の実はとても栄養価が高いそうです。

コメや麦を軽く凌駕するほどに。

初夏に咲いた花をそのままにして冬になってしまうと、食料を求めたネズミが殺到してしまい

農作物に大被害が及ぶことに気づいた役人が居ました。

ネズミは安定した環境下では「ネズミ算式」と呼ばれるように、

あっという間にたくさんの子供を作り出します。

そこで彼が、上司に笹原を焼き払うことを提案しますが、地権者や政治家の反対にあって

現状維持を続けてしまいます。

反対理由は

  • ネズミがたくさん来るという風評被害
  • 焼き払う際に火事にならないか

などどうでも良い事。

花の周期が60年から120年という事は、実際に知っている人がほとんどおらず、

危機感が無い(今日と同じ明日は来る)というのが大きいです。

地震や津波の被害もこれと全く同じ心理状況と言えるかもしれません。

 

一般的にネズミは小さな範囲(せいぜい10~20m四方)でしか活動しないそうです。

しかし、多量の食糧があるという情報は共有するようで、この本の中では

全ての種類のネズミ(ハツカネズミやドブネズミ、クマネズミ)が笹原に集合してしまい

一つの巣に2~3俵もの笹の実を蓄えたとか。

しかしそれも増えすぎた子供によりあっという間に食い尽くされ、

春を待たずに手当たり次第に近くの木に食らいつくことに。

春になって雪が消えれば、雪の下で木は倒れんばかりに細くなるまで食い尽くされている。

 

それでも食べなければ死んでしまうネズミたち。

ここで普段ではありえない行動を起こし始めます。

自分の行動範囲を超えて、また夜行性のネズミが白昼堂々と街を目指す。

全ての下水道がネズミで埋め尽くされるのはもちろん、家のかやぶき屋根まで食い尽くし、

昼間に人間の赤ちゃんを襲うほどに。

 

そしてさらに行き詰まりパニックを起こします。

皆で一斉に同じ方向に向かい走り出します、その先には生の希望もないのに。

 

これから読まれる方もいると思いますので、人間関係の動きと結末は書かないことにしました。

でもここに出てくる「ねずみ」を「人間」に置き換えても通じてしまいそうな現下の状況。

恐怖心からパニックを起こせば、ネズミの行動を笑って見られないのは歴史も証明しています。

 

ではそうならないために我々はどうするべきか。

それは、ネズミはもちろん人間以外のすべての動物には無い

「克己心」

に対して理想を定めて生きることです。

「克己心」は「気品ある生き方」と言い換えても良いかもしれません。

気品とは、数々の名言を残された哲学者「森信三」によれば

「その独りを慎む」と。

他者の目ではなく、自分自身の内面からにじみ出るものにより、自然体で律する。

明治、大正、昭和、平成を生きた森信三。

その言葉からは武士道に通じる精神性の高さを感じます。

戦後世代の日本人が忘れてしまっているものかもしれません。

国難といえる現在の状況を乗り切るために、偉大な先輩方の言葉から力をもらう。

そして免疫力を高める事でウイルスに打ち勝ちましょう!

陽だまりの無駄話が普通の光景になる日まで。

 

写真ですが、一週遅れで雪の桜です:

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本降りです。止むのを待って公園に行ってみました:

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急に気温が下がったので、湖面が煙って(けぶって)います。

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珍しい景色なので、写真を多めで。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2020年3月30日 (月)

~日後に死ぬ

おはようございます。

先週書いた、お客様社主回想録の話の続きです。

 

その中に、こんな話がありました:

昼に一緒に会食をし、夜もまた会う約束をした販売パートナーのM氏。

昼の会食後に得意先に出向き、その途中自動車を降りたところで脳出血で急逝。

43歳の若さで…

その昼の会食でこんなことをおっしゃっていたそうです(要約):

「今まで頑張って仕事をしてきたが、大した利益は残っていない」

「自分に万一のことがっても、家族の生活は維持できるだろうが、会社は持たない」

「万一自分に何かあった時はよろしく頼む」

と。

何といっても43歳ですから、その時は

「冗談」で済ませたそうです。

ところが、後から聞くとそれと同様のことを前夜奥様にも話をされていたと。

 

実は同じような事を、私も去年から今年にかけて2人(共に40歳台)経験しました。

2人とも突然の脳疾患。

大切な友人でありパートナーで、今でも悲しみは癒えません。

2人が死の直前にしていたこと:

  • 突然昔の仲間に連絡を取って、数年ぶりに会っていた。
  • 本来自分のやりたかった多くの事を、唐突にSNS上で表明する。
  • 日記のような形で、自分の先行きが長くないと匂わせる。
  • いつもと同じ普通のことをしているだけなのに、深く感謝をする。

など、

残されたご家族にお聞きしてもやはり

「自分が長く生きられないことを知っていたのかも」

と思われるような、いつもと違う言動が有ったとも聞きます。

その上で読まさせていただいた今回の回想録。

何となく経験した2つの事がつながって、自分が浮遊するような不思議な感覚に襲われました。

 

また、こんなニュースにも接しました。

2016年にワシントン大学で研究発表で、人の体には体が死んでから活動しだす遺伝子があると。

人間は自分の体の事すら、ほんの一部しか知っていないのかもしれません。

 

このブログで考察させていただいているように、体とは命の表現手段。

道具だと思っています。

それは各自にとって唯一の物であり、だからこそもちろん大切。

でも体がある事=命の躍動では無いんですよね。

 

命の躍動とは、例えば人の役に立って感謝される事。

最近の朝の風景、ドラッグストアに並んでいる年配の方も

もしかしたら自分で使う為ではなく、お孫さんの為に並んでいるのかもしれません。

まだまだ寒い朝もありますが、そう思えば力も湧いてくるのも分かる気がします。

 

写真ですが、この時期「力が湧いてくる」景色。

船橋方面に車を走らせていましたが、大渋滞にはまってしまい横道にそれると:

Photo_20200326130101

全く予期していなかった、息を飲む美しい光景が広がりました。(実際はこの写真の数倍の長さ)

渋滞に耐えたご褒美でしょうか。

天国に一番近い景色かもしれません。

(あとで調べたら、木下街道から二和病院へ向かう街道沿いという事です)

今日も読んで下さりありがとうございました。

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