2020年4月 6日 (月)

パニック

おはようございます。

今日は開高健(かいこうたけし)のパニックという本について書きます。

現下の世界情勢を表しているような話です。

 

今のパニックは新型コロナウイルスによって引き起こされていますが、

この本では「笹の花」とそこに吸い寄せられる「ネズミ」によって起こされます。

笹の花は60~120年に一回しか咲かないそうですが、その花の実はとても栄養価が高いそうです。

コメや麦を軽く凌駕するほどに。

初夏に咲いた花をそのままにして冬になってしまうと、食料を求めたネズミが殺到してしまい

農作物に大被害が及ぶことに気づいた役人が居ました。

ネズミは安定した環境下では「ネズミ算式」と呼ばれるように、

あっという間にたくさんの子供を作り出します。

そこで彼が、上司に笹原を焼き払うことを提案しますが、地権者や政治家の反対にあって

現状維持を続けてしまいます。

反対理由は

  • ネズミがたくさん来るという風評被害
  • 焼き払う際に火事にならないか

などどうでも良い事。

花の周期が60年から120年という事は、実際に知っている人がほとんどおらず、

危機感が無い(今日と同じ明日は来る)というのが大きいです。

地震や津波の被害もこれと全く同じ心理状況と言えるかもしれません。

 

一般的にネズミは小さな範囲(せいぜい10~20m四方)でしか活動しないそうです。

しかし、多量の食糧があるという情報は共有するようで、この本の中では

全ての種類のネズミ(ハツカネズミやドブネズミ、クマネズミ)が笹原に集合してしまい

一つの巣に2~3俵もの笹の実を蓄えたとか。

しかしそれも増えすぎた子供によりあっという間に食い尽くされ、

春を待たずに手当たり次第に近くの木に食らいつくことに。

春になって雪が消えれば、雪の下で木は倒れんばかりに細くなるまで食い尽くされている。

 

それでも食べなければ死んでしまうネズミたち。

ここで普段ではありえない行動を起こし始めます。

自分の行動範囲を超えて、また夜行性のネズミが白昼堂々と街を目指す。

全ての下水道がネズミで埋め尽くされるのはもちろん、家のかやぶき屋根まで食い尽くし、

昼間に人間の赤ちゃんを襲うほどに。

 

そしてさらに行き詰まりパニックを起こします。

皆で一斉に同じ方向に向かい走り出します、その先には生の希望もないのに。

 

これから読まれる方もいると思いましたので、人間関係の動きと結末は書かないことにしました。

でもここに出てくる「ねずみ」を「人間」に置き換えても通じてしまいそうな現下の状況。

恐怖心からパニックを起こせば、ネズミの行動を笑って見られないのは歴史も証明しています。

 

ではそうならないために我々はどうするべきか。

それは、ネズミはもちろんすべての人間以外の動物には無い

「克己心」

に対して理想を定めて生きることです。

「克己心」は「気品ある生き方」と言い換えても良いかもしれません。

気品とは、数々の名言を残された哲学者「森信三」によれば

「その独りを慎む」と。

他者の目ではなく、自分自身の内面からにじみ出るものにより、自然体で律する。

明治、大正、昭和、平成を生きた森信三。

その言葉からは武士道に通じる精神性の高さを感じます。

戦後世代の日本人が忘れてしまっているものかもしれません。

国難といえる現在の状況を乗り切るために、偉大な先輩方の言葉から力をもらう。

そして免疫力を高める事でウイルスに打ち勝ちましょう!

陽だまりの無駄話が普通の光景になる日まで。

 

写真ですが、一週遅れで雪の桜です:

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本降りです。止むのを待って公園に行ってみました:

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急に気温が下がったので、湖面が煙って(けぶって)います。

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珍しい景色なので、写真を多めで。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2020年3月30日 (月)

~日後に死ぬ

おはようございます。

先週書いた、お客様社主回想録の話の続きです。

 

その中に、こんな話がありました:

昼に一緒に会食をし、夜もまあ会う約束をした販売パートナーのM氏。

昼の会食後に得意先に出向き、その途中自動車を降りたところで脳出血で急逝。

43歳の若さで…

その昼の会食でこんなことをおっしゃっていたそうです(要約):

「今まで頑張って仕事をしてきたが、大した利益は残っていない」

「自分に万一のことがっても、家族の生活は維持できるだろうが、会社は持たない」

「万一自分に何かあった時はよろしく頼む」

と。

何といっても43歳ですから、その時は

「冗談」で済ませたそうです。

ところが、後から聞くとそれと同様のことを前夜奥様にも話をされていたと。

 

実は同じような事を、私も去年から今年にかけて2人(共に40歳台)経験しました。

突然の脳疾患。

どちらも大切な友人でありパートナーで、今でも悲しみは癒えません。

2人が死の直前にしていたこと:

  • 突然昔の仲間に連絡を取って、数年ぶりに会っていた。
  • 本来自分のやりたかった多くの事を、唐突にSNS上で表明する。
  • 日記のような形で、自分の先行きが長くないと匂わせる。
  • いつもと同じ普通のことをしているだけなのに、深く感謝をする。

など、

残されたご家族にお聞きしてもやはり

「自分が長く生きられないことを知っていたのかも」

と思われるような、いつもと違う言動が有ったとも聞きます。

その上で読まさせていただいた今回の回想録。

何となく経験した2つの事が、つながって自分が浮遊するような不思議な感覚に襲われました。

 

また、こんなニュースにも接しました。

2016年にワシントン大学で研究発表で、人の体には体が死んでから活動しだす遺伝子があると。

人間は自分の体の事すら、ほんの一部しか知っていないのかもしれません。

 

このブログで考察させていただいているように、体とは命の表現手段。道具だと思っています。

それは各自にとって唯一の物であり、だからこそもちろん大切。

でも体がある事=命の躍動では無いんですよね。

 

命の躍動とは、例えば人の役に立って感謝される事。

最近の朝の風景、ドラッグストアに並んでいる年配の方も

もしかしたら自分で使う為ではなく、お孫さんの為に並んでいるのかもしれません。

まだまだ寒い朝もありますが、そう思えば力も湧いてくるのも分かる気がします。

 

写真ですが、この時期「力が湧いてくる」景色。

船橋方面に車を走らせていましたが、大渋滞にはまってしまい横道にそれると:

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全く予期していなかった、息を飲む美しい光景が広がりました。(実際はこの写真の数倍の長さ)

渋滞に耐えたご褒美でしょうか。

天国に一番近い景色かもしれません。

(あとで調べたら、木下街道から二和病院へ向かう街道沿いという事です)

今日も読んで下さりありがとうございました。

2020年3月23日 (月)

大正、昭和、平成。そして令和へと続くモノづくり

おはようございます。

 

先週は稼働日4日の内、3日が複数のお客様監査予定でしたがすべてキャンセルになってしまいました。

工場の管理状況を定期的にお客様の目で確認いただくことは、

品質管理の面からも最重要な機会だととらえていますので、

残念な事態となってしまいました。

いつ肺炎騒動が収まっても、すぐに対応できる体制を維持していきます。

 

時間の有効活用のためにも、お客様(N社様)の社主による回顧録を読ませていただきました。

帯鋼帯メーカー様なのですが、大正からシナ事変、戦前、戦中、戦後という

ダイナミックに社会が動いた時代に、一途に良い製品を作る事を進めてきた方の話です。

恐慌になろうとも、戦争が起ころうとも、226事件が起きようとも、

仲間を大切に、そして時には助けられ幾度もそれを乗り切り

工場の維持発展につとめている姿は感動的でした。

今日有名になっている会社とのN社様の古いつながり、競合先との深い縁の学びもとても面白かったです。

そして長い歴史には、隆盛を誇りながら残念ながら消えていく会社も…

そこには常に真剣に事業に立ち向かう人間がいたと思うと、身が引き締まる思いです。

 

N社様が作る物:

金属の帯鋼(ロール材:芯に巻き付けてある)は、今では一般的な製品ですが、

当時日本では基本的に板材(四角状の材料)しかありませんでした。

帯材の起こりは、小型モーターが出来るまでは大変貴重な動力だった

「ゼンマイ」

の薄物鋼板。

そこで社主は、材料を輸入したり、国内最大手のメーカーに掛け合ったりして、材料を用意したそうです。

その材料を少しずつ引き延ばして、狙いの厚さ(寸法)にし、次のステップとして芯に巻き付ける。

言われてみれば、この引き延ばす作業(=圧延)がいかに難しいか分かりますが、

本を読ませていただくまでは完全に勘違いしていました。

まず材料が有って、それを加工メーカーに指示をして薄くしているものだと。

 

日向工業で行っている加工を考えると、こんな風に考えがちになります:

例えば銅を供給してくださる会社は数社ありますが、

難易度の高い加工の場合その金型を設計製造できる会社は限られる。

またその金型の性能を狙い通りに引き出し、金型の摩耗を読み切って

予備パーツを用意して長期間狙い寸法通りの加工をし続けられるメーカーはほんの一握りになる。

ここで材料に対する感謝を忘れてしまいがちです。

 

以前に中国出張に行った際に、現地同業メーカーの使っているロール材の品質の悪さに

驚いたことを思い出しました。

明らかに材料の寸法精度が悪く、表面状態はくすみ、

サイドのカット状況(スリッター精度)も悪くて波打っている。

 

反して普段自社工場で接している日本の一流メーカーの材料は、ビシッと美しく、

安心して高速プレスの金型に材料供給ができる。

精度が悪い材料を無理やり入れれば、スムースに材料が動かないばかりか、

最悪材料が詰まって高価な金型がバラバラに壊れてしまいます。

高速プレスに使う金型は、超硬材といって金属ながらガラスの様な特性を持った材料だからです。

 

母材を圧延すると言っても、この様に高品質に仕上げるのがどれほど難しいか。

熱を加えすぎれば、脱炭を起こして品質が変わってしまう。

また、どんな雰囲気中で熱処理をするかでも、表面品質は全く変わってしまう。

無理やり厚さを変えようとすれば、ひずみが残ってしまうし見た目にも問題が起こる。

無理やり加工するという事は、機械にもストレスを与えることになり故障の原因になります。

そしてやっと狙い通りに仕上がっても、最後のスリッター加工(狙い幅への切り分け)で

失敗してしまえば、材料が蛇行したり、切り口がギザギザになってしまい

それまでの工程における苦労が水泡に帰してしまう…

大変な作業です。

 

社主は当時の先進国、イギリスやスウェーデンを視察し

「おもったよりたいしたことないな」

「これなら勝てる」

と自ら現場に立ち、機械を改善/改造し続けて、自信をもって事業を推進していかれます。

欧州を視察すると言っても、直通航空便をつかって半日で行けてしまう今と違い、

船で片道一か月以上。

さらに世の中も不安定な時期ですからまさに命がけです。

そこまでするから何でも吸収しようという「気魄」が相手に伝わるのでしょう。

普段は見せてもらえない工程も見られたそうです。

不安になるなら相手に飛び込み、そして技術を見切って腹をくくる。あとは前進あるのみ!

大正から昭和にかけて基礎を築き、平成の世でもそれを続けられた。

そして令和時代。また大きく社会が変わりそうです。

創業者精神を再度発揮する時が来た様です!

監査が中止になったおかげで、大変重要な学びを得られました。

実はもう一点、社史を読ませていただいて学んだことがあるのですが

長くなりましたのでそれは来週書きます。

 

写真ですが、いつの世でも、世の中がどうであろうと人の心を癒してくれる桜:

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週末の昼間に撮影。

同じアングルで夜桜は:

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何だか妖艶さを増します。

そして今朝、違う桜です:

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素晴らしいです。

春先に咲く梅が好きと言いながら、やっぱり桜の豪華さを目にしてしまうと心揺らぎます。

自分の浮気心に気づかされますが、きっと梅→桜という順番が良いのでしょうね。

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

 

2020年3月16日 (月)

歴史について考える

おはようございます。

肺炎騒動は、さらに大きくなっており世界的に経済が停滞してきています。

終息が見えない状況では、経済的被害はどんどん大きくなり着地点すら見えません。

この状況:

主に中国からの流通の遮断による、部品不足による工場停止

学校活動の停止

食料(マスク)危機

国際的人的移動の制限…

経済においては悪い意味で「リーマン級」と表現することがありますが、

このまま状況が悪化すれば、もしかしたら「(準)世界大戦級」とも言えるかもしれません。

病気で亡くなる人と同時に、経済的恐慌が原因の死者も増えてしまいますから。

 

ここで分析しても仕方ないですね。

今日は歴史について書きます。

歴史学という場合、いろいろな資料や遺跡などを分析し根拠ある歴史を現出させようとします。

でも今回いう「歴史」は、それではなくまさに我々の存在、記憶に基づく歴史です。

我々が名乗っている苗字、家庭の雰囲気、両親や親戚の存在。

無意識かもしれませんが、それは全て体に刻み込まれています。

僕の好きなTV番組、「ファミリーヒストリー」では、思いもかけない先祖の苦労や苦難を知り、

先祖の偉大さに恥じない様に生きようと涙したり、決意を新たにしたりします。

その時に何とも言えないエネルギーが、その方の体に入っていくのを感じます。

その作用こそが「歴史」の力です。

 

日本は戦後の社会的システムの変更で、家族の在り方が根底から崩れてしまい、

この「歴史」を失ってしまいました。

歴史とは「一族の誇り」と言い換えても良いです。

皆それぞれに歴史を背負って生きているのに、それを知らずに生活をしてしまう。

人としての「誇り」や「筋」を見いだせないままに。

それでは困難にぶつかった時に、腹の底からの力が出ません。

 

少し前までは、その代わりになる存在が会社でした。

立派な事業をしている会社で「課長」になると課長らしく振舞う。

「部長」になれば、だれがどう見ても堂々として立派な人であった。

それは服装や髪形だけではなく、外からのエネルギー(社会的に重要な役割を果たすという誇り)が

そうさせていたのです。

ところが現在、金銭至上主義に染まった人々は、会社の役職からそこまでのエネルギーを受け取ることが

難しくなってしまいました。

 

この状況は目標を失って、呆然としているかのように見えます。

そんな時に起きたのが、今回の肺炎騒動。

戦後先輩たちが作ってきたシステムが曲がり角に来ている。角を曲がるまでは先が見通せず暗いです。

今はその苦しみの時ではないでしょうか。

 

自分が今存在するという事は、その歴史は古事記や日本書紀ともダイレクトにつながっている。

全員必ずそうです。

1300年前に書かれたそれらの書は、その時点で皆の記憶に残る事柄が書かれています。

歴史にうそも本当もなく、書く人々が書き残したいと思うほど印象深いことが残っているのです。

歴史とは記憶だからです。

そして歴史とは与えられるものではなく、勝ち取るものです。

勝ち取るとはいっても、相手を倒すのではなくて自分の弱い心に勝つ!

日々の報道に右顧左眄せず、日々の役割を果たしていきましょう!

 

週末は東京で桜の開花も宣言されたので、ほころびを探しに行こうと思ったところ

天候はまさかの雪!

外に出るとこんな写真を撮れました。

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きれいな黄色に白と緑のカーペット。

初めて見る景色でした。

得した気分です!こんな風に与えられるものは気分が良いです。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2020年3月 9日 (月)

命の重さを何で測るか

おはようございます。

先週書いたブログコメント欄に、大変大切な問いかけをしていただきました。

コメントへの返信はさせていただいたのですが、

復習の意味も兼ねてさらに深めたいと思います。

 

質問の前段で書いていただいた、かつての風邪への対応と今の違い:

かつて妹が住んでいたイギリスでは、基本医療費が無料でした。

大人でも薬代のみの負担でOK。

しかしこれには裏があります。

まず最初のアプローチが「電話」。

そこで一般的な「風邪」症状だと判断されれば

「暖かくして寝てくださいね」

で終わり。

決して日本のように抗生物質は出しません。

抗生物質に慣れてしまう怖さを社会が共有しているのかもしれません。

それでも病院に行きたければ、一週間や10日後の日時を指定されます。

(結果、軽い風邪では病院に行かなくなります)

妹は出産もイギリスでしたのですが、日本と比べると唖然とするような質素な対応。

出産は病気ではありませんので、生まれたらすぐ退院。

2人目の時は、子供に先天性の障害が疑われました(結果は問題なし)が、

無料の公立病院では「陽性(悪い)」

検査体制のレベルの低さや熱意の無さを感じたのか、

妹は大変おカネの掛かる、私立の病院でも検査を繰り返しました。

その結果「陰性だろう」「問題ないよ」となり無事出産。

なぜ検査を繰り返したかと言うと、イギリスでは先天性障害の子はほぼ堕胎するからです。

外国の良い一面だけを見て日本を否定する論調が目立ちますが、やめた方が良いというのが、

この様な実地の話を聞くと実感します。

このイギリスの医療現場の話はちょっと特殊かもしれませんが、

かつては日本でも大人は風邪では病院に行かず、各家庭に伝わる伝統的な治療法で直したのではいでしょうか。

 

そして、もう一ついただいた大切な問いかけ「命の重さ」です。

人間は、他の生物を食べることで生きる、という基本的に背負っている罪があります。

いつも書いている「体」の命の維持です。

コメント欄に返答を書かせていただいたので、今回はそれには触れずに行きます。

「魂」としてみた場合、その重さは

「他者にどれだけ必要とされているか」

でわかると思います。

人が一生のうちにかかわれる人は、その数の違いはあったとしてもとても限られています。

この状態を考えたときに

「人生はずっと学校(にいる)」

と考えてはどうでしょうか?

学校で、毎年ワクワクしたり不安になる年度枚の「クラス替え」。

社会人でいえば、会社内で担当が変わったり、部所が変わったり。

転校生が入ってくるのも、新入生や途中入社の社員と一緒ですね。

学級委員を選ぶのも、組合の責任者を選ぶんだり、新プロジェクトの責任者を選ぶのと似ていますね。

学校ではもちろん「勉強」をしますが、それは社会人でも一緒です。

こう考えると、学校で出来ないことは社会人になってもできないと気づかされます。

ただ一つ違うのは、大人は社会に対する「責任」があるという事です。

もちろん子供だって、学校に行くという責任はありますが多くの場合その対象は「親」に限られます。

そしてその責任は放棄しても逃げ場があるかもしれませんが、

大人は責任を放棄すれば社会に必要とされず、居場所を作れなくなってしまう事が殆どです。

 

大人も子供も、日々使う言葉、他者に対する行動が将来の自分の人生に、

「全て」「直接」

つながっている事を忘れてはいけません。

その意味で、一時的な「ラッキー」「タナボタの得」はむしろ害になる可能性すらあります。

自分の生きる姿勢、それを身につけることを大人と言い、それが極まっていく姿を人は

「格好良い生き方をしている人」

と呼びます。

全ての人には、役割がある。

それに気づき、頑張って研鑽すれば、皆がそこに到達できると信じたいです。

それができる社会、そんな人が多い社会を

「良い社会」

と呼ぶからです。

コメントをいただいたおかげで、とても大切な考察をすることが出来ました。

「金型屋の営業」様。いつもありがとうございます!

 

写真ですが、先週は旧暦の初午お祝いをしました。

まずは屋上でお参り:

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雨の予報でしたが、この時だけ奇跡的に止んでいました。感謝です。

そして夜は皆で会食。

今年も近所のうを徳さんに素晴らしいちらし寿司を作っていただきました:

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今年目玉は左側の巨大ボタンエビ!

後でお聞きしたら、普段なら仕入れ値で一匹2千円近くするとか…

肺炎騒動の影響で安かったそうですが(それでも千円は軽くオーバー)、

外食産業への肺炎影響は甚大だと気づかされます。

 

今日も読んで下さりありがとうございました。質問もお待ちしています!

 

2020年3月 2日 (月)

既視感

おはようございます。

新型コロナウィルス騒動がますます大きくなっています。

先週の三連休中日の日曜日、甥っ子がディズニーランドに一日の予定で行きましたが、

夕方にはアトラクションを遊びつくしてしまい帰ったそうです。

全く並ぶ必要が無いのでしょう。

遊ぶ方としては空いていて良いですが、経済的損失は大変だと心配になります。

 

今回の肺炎も、特別致死率が高いという情報はありません。

そもそも抵抗力の弱い方(年齢にかかわらず)は、最後は肺炎で亡くなる事が多いです。

それほど息を吸う、そして酸素を取り込むというのは体にとって大仕事という事なのです。

 

20年くらい前の自分の経験ですが、仕事中に風邪の症状が悪化し、

大人になってはじめて風邪で病院に(会社すぐそばの)行きました。

何やら注射を打たれ、薬を飲んだところ魔法のように症状が軽くなりました。

その時は

「やっぱり市販薬ではなく、病院に行かなければだめだな」

と強く思いました。

そして再度風邪をひくと、また注射と薬。

その間隔が少しずつ短くなり、治りも悪くなったところでより強い薬に切り替えていただきました。

(その時は先生を信じていたので、感謝しました)

しかしそのうちそれも効き辛くなり、気づけばしょっちゅう病院に行く事に。

自分の判断が誤っていたことに気づいた決定打は

「病院からの暑中見舞い」

すっかり常連になっており、抜け出せなくなっていました。

それからは薬断ちをして、風邪気味の時は体を温かくして早く寝る事に。

いまは寝込むような風邪はひかなくなりました。

 

結局インフルエンザを含む、あらゆる「風邪」にはウィルス自体を殺す特効薬はなく、

回復するかどうかは自分に免疫力があるかどうかの様です。

免疫力が負ければ、重症化する=体の寿命とも言えるかもしれません。

だから、薬に頼るのではなく自分の体を強くする方法を考えないと

結局薬漬けになり、自分の免疫が弱くなってしまい新しい種類の菌にあっけなく負けてしまいます。

人間の体を宿主とするウィルス。

人類の歴史はウイルスとの共存の歴史です。

ウイルスが圧勝してしまえば、宿主(寄生先)の人間が死んでしまい自分も死にます。

長い歴史の中では、どこかで折り合いをつけ続けています。

 

今回の肺炎騒動では、

「検査をしてくれない」

と国を批判する人が居ると報道されていますが、

検査の精度自体が50%とも言われています。

検査をしてほしいという事は、どこか体が弱っているから。

50%の精度しかない検査を受けるために、一番感染の危険性が高い病院に出向く。

行くときには感染していなくても、病院で菌をもらってしまう。

検査結果がすぐ出て、「陰性」となってもその精度は50%。

無事だったと勘違いして、自分が菌をばらまいてしまう…

そしてなにより陽性だったとしても「薬」は無いのです。

たとえ検査の精度が80%以上あったとしても、病院に行く意味があるのか。

冷静に対応する必要があります。

 

この報道姿勢、既視感があります。

それは東北大震災の時。

それまで社会派の良質な情報を無料で流していたネットの報道媒体が、

地震が起きてすぐに

「日本は終わった」「暴動の連鎖になるだろう」

のような極端な情報を即座に流し始めたのです。もちろん全く検証なしに。

自分はこう考えました

日本を混乱状況に陥れるという命題があるのでは?

そのために、いままで良質な情報を無料で提供して

信頼できるサイトだという事を信じ込ませようとしていたと。

一つの嘘の為に、何年にもわたって価値ある情報を無料で大量に配信する、

と言ったら言い過ぎでしょうか。

普通は信じてしまいますよね。

これが報道の怖さです。

 

今回の騒動も、中国の都市封鎖など理解が難しい状況はありますが、

後で振り返ればただの「風邪」で終わると思います。

オイルショックの時にトイレットペーパーがなくなったと笑いますが、

(今回もまた少し起きてしまいましたが)

2020年にはマスクがなくなって大騒動だったんだよと。

 

今回の騒動を乗り切るためには、まず体力、抵抗力をつける。

それができているかの判断基準は

「腹の底から笑えるか」

テレビやネットを見てでも良いですが、本当に良いのは人と会って笑い合う事。

その時に栄養満点の食事があれば最高です。

写真はそんな一例:

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曳舟駅近くで台湾薬膳鍋。定例の営業会議後、顧問二人も一緒に宴会です!

元看護師の美人店長さんが、薬の限界を感じて自ら研究して最近オープンした店です。

すでにこの評価:

https://tabelog.com/tokyo/A1312/A131203/13242939/

化学調味料は一切使わず、この鍋も具材以外に10種類の薬膳が入っているそうです。

薬膳といっても全く癖もなく、最後はおいしい麺(千寿麺)を入れてみんなでいただきました。

美味しくて、体も元気に。そして皆で大笑い。

これ以上の贅沢な時間はありません。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2020年2月24日 (月)

新型肺炎下における経営環境考察

おはようございます。

先週は新しいプレス材料の加工方法について、材料メーカー様に勉強会を開いていただきました。

ご指導いただいた材料メーカー様、そして一緒に勉強した金型メーカー様も前向きに

取り組んでいただけそうです。

仲間が力を合わせ、世の中に新しい価値を提供できる。

その可能性を実感しゾクゾクする様な高揚した気分を味わえました。

仕事って面白いです。

 

ただ足元の経済状況は急速に悪化してきたように感じます。

日向としては、向こう三か月の予想は横ばいで推移していますが、

いつオーダーキャンセルになるかは見通せないです。

その主たる原因は、疫病による中国経済のストップ。

これは、結果的にはすぐに回復したリーマンショックと比べて、圧倒的に大きな負の影響を及ぼしそうです。

以下に中国でも会社を経営していた大先輩にご指導いただいた内容を踏まえ、その考察を記載します。

 

現在、世界的に見ても現在の中国は様々な製品の製造拠点になっています。

日本だけではなく、世界が中国に製造を依存しているのが現状の世界経済の仕組みです。

しかし今回の騒動により、すでに外資が中国から撤退を始めています。

すると外から外貨が入らず、経済成長は止まり、国民は職を失い、政情不安になります。

そして一番重要なの視点は、通貨についてです。

中国元も国際通貨にはなっていますが、実際には決済通貨にはなり切れていません。

(中国との貿易でも、製品の支払いでは米ドルやユーロ、円で行う。実際にはほとんどが米ドル)

外資の撤退により、外貨が減り、財政投融資(公共投資)の資金が枯渇してさらに政治に求心力がなくなる。

アメリカと貿易戦争をしているように見えますが、アメリカが為替を少し締め上げれば、

中国経済はあっという間に危機に瀕します。

仮想通貨高騰という足音も不気味です。

 

もちろん日本も対岸の火事という訳にはいかず、大打撃を受けます。

現状ではこれ以上の考察は出来ませんが、安定した社会基盤が失われるのは確かだと思います。

情報が多すぎて、どう理解して良いか分からなくなりますが

こうして書いてみると自分の頭を整理できます。

これは決して悲観論ではなく、冷静な現状認識です。

状況は変わらないとすれば、それを前向きにとらえる努力が必要です。

続けます:

 

方や、今一般の日本人がしている生活について整理しますと:

一年中快適な温度が実現できるエアコン完備の部屋で、大画面テレビで映画を見たり、

手元のスマホで世界中の情報が得られたりする。

食事も、近くにあるコンビニやスーパーで冷凍食品を買い、

電子レンジさえあればいつでもとてもおいしい料理が食べられる。

また、スマホからのオーダーで、家に居ながらにしてありとあらゆるものを翌日には届けてもらえる。

さらにお風呂に入れば一度単位で好みの温度に設定できる!

これは人類史を振り返れば、圧倒的権力を持った君主より

「王様」

の生活です。(個人の快楽という)表面的には。

行きつくところまで行きました。これ以上の便利さはもう無いのです。

この様な生活を維持するには、現状に感謝し、感謝しているのあればその実践をする。

それは自分がその維持成長に力を発揮し、その責任を果たし続ける事です。

社会に貢献する、自分の技を勉強して身につける。そしてそれを磨く。

難しい事ではありません、まずは自分の家や会社の周りを掃除する事から始めればよいです。

そうしなければ、どこかで誰かが一生懸命働くことによって作り上げた、

今の便利な生活もあっという間に失ってしまうかもしれないのです。

もし自分が他者に貢献しているという深い自信があれば、世の中の状況がどうあろうと

堂々と生きていられます。

便利=幸せではなく、

幸せ=他者に貢献できている自分を実感する事

ですから。

職種にかかわらず、それが出来ている人を

「職人」

と呼ぶのだと思います。

どのような世の中が来ても、次世代につなげるべく力強く前向きに生きる。

それが楽観的思考の基本で、知識の詰込みよりはるかに大切な本物の「知性」と言えます。

先週の仕事に取り組みながら、そんな事を深く実感しました。

 

写真ですが、また修理ネタです:

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事務所で10年以上使っている加湿器が壊れました。

症状は動き出してもすぐにエラーで止まってしまう。

いつものように作業開始です。

結果は、イオン発生器のはんだ部不良(ほぼ取れかけ:触ったらぽろっと落ちました)。

はんだ付けしなおして、組み込み。しかし30分ほどするとエラー。

再度分解して発生器自体を磨いたら、今度は治りました。

ここでの学び:

センサーやCPUなどコンピューターが高度化しても、信頼性の不安点(ボトルネック)は

結局「はんだ」

これは最高レベルに精密な現代のスマートフォンでも同様です。

現下数円のはんだの不良で、数万円、数十万円の機械が機能を失う。怖いです。

理屈っぽく書きましたが、シンプルに

「直ると気持ちいい~!」

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

2020年2月17日 (月)

高気圧と低気圧

おはようございます。

先週は火曜日が「建国記念日」でした。

初代天皇神武天皇の即位された日「紀元節」です。

その意味を考えることなく、ただの祝日にしてしまっていないでしょうか。

もし多くの国民が、ただのお休みの日としてしまっているのであれば、

将来的には無くなっていくと思います、それが自然な事です。

一度なくなり、再度必要と思えば祝日としてその意味を味わう日にすればよいです。

神話を大切にすることに気づけば、それからは大切な日だと認識するでしょう。

建国記念日がない国などありませんから。

2月を紀元節がある月ではなく、下品な巻物を頬張る月にしてしまっていれば、

先行きが心配になります。

 

さて表題の話ですが、天気予報を見ている時に中一の次男が発した

「高気圧と低気圧はどっちが良いの?」

という発言からとったものです。

ドキッとしましたし、危ないと感じ、すぐに指導をしましたが今週はその内容を書きます。

 

なんでドキッとしたか:

現代社会においては多くの事を「善と悪」「良し悪し」で判断しようとする傾向があると感じます。

絶対的な「善」、確実な「悪」などこの世に存在しないにも関わらず。

陰があるから陽があります。

陽だけの社会、善人だけの社会、それが理想だとしてもあり得るでしょうか?

暗闇がない世界では、人はいつでも明かりを求め続けます。蛾のように…

 

自分の使命に気づき、立派な人生を送ることが出来る人が居れば、

体の命をうまく使えず、苦しみながら一生を終えるのもまた人生です。

現代の表面的な知識尊重社会では、本当の体の使い方を教えられないのですから、

苦しむ人もあえて言えば被害者と言えるかもしれません。

 

ここで「低気圧と高気圧」

気圧の差があるから雲が生まれ、大地に雨が降り作物の芽吹きをもたらします。

高気圧が優勢になる事で、空が晴れ、太陽光が若芽にエネルギーをもたらします。

時には超低気圧が大型台風を作り出し、大きな被害をもたらしますが

それすら川の氾濫により、大地を肥沃に保つという効果すらあります。

しかし例えばエジプトでは、かつての肥沃な大地も、気候変動により砂漠化してしまいました。

日本人にとって身近な、国旗にも描かれる「太陽」は、砂漠の民にとっては大地を焼く恐怖の存在です。

大切なのはバランスです。

 

一見悪く見える存在も、人間の根源的な欲求の発露であり、

ある時はそれこそが落ち着く存在で会ったりします。

分かりやすいのは、繁華街。

例えば夜の新宿では、きれいな高層ビル群のある西口より、

ゴールデン街や歌舞伎町に人が引き寄せられていきます。

暗闇を背景に、夜の花がたくさん咲いています。

そこでは危ないこともあるとは思いますが、基本的に人の笑顔があふれています。

世界最高に規律に厳しいと言われるシンガポールでも、国営の売春地域が有ったりするのです。

秘すれば花の世界ですね。

 

現実から目を背けて、自分の小さな知識の中で善悪を語ることほど薄っぺらい事はありません。

それよりも、本当の人間らしい生き方とは何なのか。

そのために自分は何をするべきか。

中学生や高校生には、こんな悩みに正面からぶつかってほしいと思います。

苦悩しつつ、少しづつ実践して自分の肌でそれを感じる。

実践とは「恩」と「縁」を大切にし、それを自分なりに表現することです。

そうすることでしか、人は世の中に認められません。

それに気づいてこそ、はじめて日々の学びが世の中に役に立つのです。

 

ちょっと難しい話でしたので、ほっとする写真を:

Photo_20200213143501

曳舟駅に展示してあった、地元小学生が考えたゆるキャラ。

たくさんあったのですが、これが気に入りました。

ダンボちゃんとガムテちゃん。

それぞれが、ダンボールとガムテープでかくれんぼしている設定!

ダンボールやガムテープ自身ではないんです。相当小さいです。

会社でも両方たくさん使っていますので、よく見て探してみます!

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

2020年2月10日 (月)

祈り

おはようございます。

中国初の肺炎蔓延、経済的なダメージもじわじわと出てきているように感じます。

クルーズ船の混乱は、船の旅が好き(伊豆七島ですが)なので想像できます。

船は揺れることを踏まえて、手すりが部屋を出てから例えばレストランまでずっと続きます。

年配者であれば、揺れが無くてもそれに頼るのは自然な事ですからあっという間に広がってしまいます。

 

ダメージについて、当事者の具体的な話をお聞きしました:

先週は中部地方の機械メーカー社長と久しぶりに会食。

社長がおっしゃるには、完成した複雑な機械を中国の客先に輸出するのには出荷前研修が必要。

しかし客先の中国人は出国できずに、研修が開ける見通しが立たないと。

研修をしなければ出荷できず、検収も上がらない(入金されない)と

頭を抱えていました。

同じような状況はこれからますます増えていきそうです。

実態が分からない中、出来ることは今日の題に書いた

「祈り」

しかないような気もしてきます。

 

今日は「祈り」を会社内の役割として切り取ります:

会社内の役職表記は、各社それぞれで分かりにくいことも多いです。

特にカタカナやローマ字表記はわからないですよね。

でも本質は一緒で、役職が上がれば上がる程

「祈る」

事が大切になります。

学校を卒業して新入社員として入った場合、まず「祈り」などないです。

日々仕事に必要とされる知識の習得に努め、先輩の指導に従う日々。

それを繰り返すうちに、なんとなく「型」のようなものが身につき、

新規の顧客対応や開発担当をできるようになる。

ほとんどの場合最初は上手く行きませんが、失敗を繰り返すことにより「様」になってきます。

すると成果を出せるようになり、自信がついて評定や態度にも余裕が出てきます。

しばらくすると逆に担当する新人がつくようになり、仕事のやり方を教えるようになるでしょう。

さて、ここまではほとんど「祈り」の要素がありません。

必要になるのはその先です。

カタカタ言葉では

プレーヤーからマネージャーへ。

日本語では何ていうのか…

担当者から管理者へでしょうか。

一般的に、マネージャー(課長)になると自分の担当する、守るべき組織ができます。

マネージャー(課長)とはその組織を自分の体として思い、動いてもらうことにより成果を上げます。

マネージャーになっても

「自分でやった方が早いから」

と、営業に行ったり設計したりしてしまえば、部下が育ちませんし、

責任者としての自分の仕事=目配りがおろそかになってしまいます。

出来る限りの指導をしていったん動き出した後は、片眼をつむって良いところだけを見る。

その時に必要になるのが「祈り」です。

祈るしかないのです。

この転換が「言うは易き行うは難し」でなかなかうまくいかないです。

 

企業における事業承継が、税制面はもちろん人材面でも大きな問題になっていますが、

人材面の評価基準がとても重要です。

それは経営学ではなく、やはり祈りの力ではないでしょうか。

代々経営を引き継いでいる、もしくはこれからも経営を継続反映させる会社の創業社長と、

社員幹部、役員、社員出身社長、二代目社長…に差があるとすれば、

それは表面的な能力差ではなくこの差かもしれません。

創業者は、祈ることがルーチンワークになっています。

それは上にあげたマネージャー(課長)のレベルとは全く異なる全人格をかけた「祈り」です。

気づいたら周りに誰もいない恐怖に打ち勝って、決断し続ける。

机上の知識も参考程度には役立ちますが、最後に必要なのは人間としての力です。

 

身近なところでこの「祈り」を圧倒的に体現しているのが、母の子に対する祈りです。

母はいつでも子が安全に育つことを思うのはもちろん、

時には命すら投げ出す覚悟ができていますから。

どんなに立派な社長でもそれには敵わないかもしれません。

男は大きな責任を負い、長年かかってやっとその境地に到達する。

そう考えると、どんな状況になろうと挫折しないで頑張らなければいけませんね!

 

先週は今年初めて、氷点下の朝でした。

メダカたちの住み家もこの通り:

2020_20200207091301

氷の厚さは、人が乗っても割れないほどに。

でも同時に春の息吹も:

2020-1

張り詰めた氷と、花のほころびの対比。

祈りを超越した、自然の摂理に圧倒されます。

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

2020年2月 3日 (月)

おべっかをつかいましょう

おはようございます。

新年から世界中でいろいろな驚くような事件や事故が多発しています。

国際紛争や、世界的な病気の流行。有名人の事件や事故。

もう去年起きた事柄が昔に感じるほどです。

この様な情報洪水の中では、その情報をどう処理するかという能力が試されます。

無防備に受け取っていれば、おそらく自己を失いさまよってしまうと思います。

報道に接しながら、

学校では教えないかもしれないほんとに大切な知性や能力とは何だろうと考えました。

それが今週の題にある「おべっか」です。

 

おべっかとは他者を認め、褒めることです。

悪い意味では、自己利益のために他者に媚を売ったり、へりくだったりというのがありますが

それは一度外に置いて考えてください。

もちろんおべっかは「ウソ」ではあってはいけません。むしろ本音で。

 

おべっかを使うとは、他者を心地良くしようとする配慮です。

そのためには全身で相手を観察しなければいけません。

もちろんその前提として興味を持って。

また思いついたことを言うには、すばやい決断と行動力も必要です。

効果的におべっかをつかう為には、相手の趣味嗜好や行動パターンも知っていなければいけません。

例えば:

お酒を飲んで騒ぐのが好きな人におべっかを使うには、自分もそのパターンにはまるのが早道です。

逆に「お酒は嫌いです」「騒がないでください」

と言ってしまえば、もう話の糸口すらありません。

他者と円滑な関係を築くのは、自分の力を認めてもらう入口です。

 

先ほど一度外においてもらった「媚を売る、へりくだる」を考えます。

こう考えると、その考えが変わるのではないでしょうか:

「おべっかは家族間でこそ必要」

自分の立場とすれば、妻に対しておべっかを言う。

子供達に対しても、その姿を認め家にいることを気分良いと感じさせる。

まず円滑な家族関係が無いと、教育の根本が成立しませんから。

もちろん、いろいろな嫌な事をばねにして成長するという事もあると思いますが、

それはギャンブルではないでしょうか。

どちらの場合でも親に必要なのは、

子供を自立させ世の中の役に立つ人間に育てるという、責任に対する深い自覚です。

 

責任と言う意味では、仕事を通じて合う相手にもそれはあります。

責任を果たすために相手との関係をよく保とうとする。

だから「おべっか」をつかう。家族間と一緒です。

家族も会社も刻々と自分の立場は変わって行きます。

家族であれば、恋人が妻になり、妻が母になり、子供が成人し、自分がおじいちゃんになり…

会社でいえば新入社員が、主任、課長…とプレーヤーからマネージャーに変わって行きます。

立場が変わるという事はその役割も変わっていくのです。

 

自分の社会的な役割に気づき、それを限られた時間=体の命を使って果たしきる。

それが出来ることが人生の納得感(満足感)につながります。

長生きした方が可能性が増えますが、それは目標ではありません。

長生きではなく、「生き切る」ために知力と想像力を総動員して

「おべっか」をつかう事が大切です。

 

そして、もし役割を見失ってしまった時にもまた

「おべっか」をつかってみましょう。

きっと新しい道が見えてくると思います。

気づきを得られた人の可能性は無限大です、蓋を外して行きましょう!

 

写真は、知性と配慮の具現化:

まずはブリスター(薬のパッケージ):

Photo_20200131093302

プラスチックの部分が、適応する臓器の形になっていて間違いを防げます。

字の説明だけだと、どうしても小さくなってしまいますので

触って確認できるのはありがたいです。

もう一つの写真:

Photo_20200131093301

洋服の展示。

着る人を心地良くさせる素材、かわいいデザイン、女性をきれいに見せるカット…

知性と配慮の塊です。

好みの服を見つけて、その日を気分良く過ごす。

女性のおしゃれは、その周りの雰囲気も変える力があります。

もうすぐ春になりますね!女性が楽しく服を選んでいる姿は幸せの象徴だと思います。

今日も読んで下さりありがとうございます。

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