2019年2月18日 (月)

人生は凸レンズ

おはようございます。

ずっと前にも書きましたが、日向はかつてカメラメーカーでした。

先代社長時代に、ミノックスフィルムを使うカメラを作っていたんです。

その縁もあり、今でもレンズを買っていただいたり、カメラ部品をプレス加工したりしています。

さてタイトルですが、朝会議でカメラレンズの話をしている間に思いつきました。

凸レンズを通すと、画像が逆に結ばれてしまいますが、

更にもう一枚のレンズを通すことで正像に戻ります。

色々な経験をして、成長しながら人生を過ごすことは、まさにこのレンズを増やすようなも

のだと感じるという事を。

子供の頃はレンズは無いという前提です。

身近なものに手当たり次第に影響を受けて成長していき、

学ぶべき事柄は、両親や学校の先生が与えてくれますから。

ところが、思春期に入ると自分の見方(多くは偏った知識に基づく)を持つようになります。

いわゆる反抗期ですね。

自分の時代でいえば、タバコを吸ったり喧嘩をしたり…そして親とぶつかる。

これはまさに一枚目のレンズを手に入れた状態であります。

初めてレンズを手に入れ、色々な物を大きくみられるようになる。

そして何だか自分が偉くなったかの様に錯覚してしまう。

でも本当は上下逆さまに映っているのですから、何が何だか分かっていません。

反抗的態度をとってしまうのも仕方ないのかもしれません。

でもそのままで大人になっては大変です。

先生に叱られ、両親に迷惑をかけ続けるうちに自分の行動を反省するようになります。

それが二枚目のレンズを手に入れた状態であり、やっと正しく物が見えるようになった

という段階です。

ちなみに、先日紹介した千円札を拡大できるカメラは9枚レンズです。

たった2枚手に入れても、起きている事の詳細は全く見えないのは当然です。

でもまだまだ大人としての人生のスタートラインですね。

やっとまっすぐ見えるようになったのもつかの間、社会に出たらまたまた常識がひっくり返ります。

自分の経験ですが、サラリーマン1年目にやる事がなく、

学生時代のバイトの方が充実感があり、先輩に退職すると伝えました。

これなどまさにもう一枚レンズが入った状態ですね。

2枚手に入れたら、もう大人になったつもり。

自分でやるべきことを探さずに、何も与えてもらえないことを嘆いている。酷い物でした。

その時は、T先輩がそっともう一枚レンズを入れてくださり、2年目にしてやっと社会人になれた気がします。

そして、今でも日々いろいろな経験を通じて卑屈な考えを持ったり、絶望したり…

常に正像を見失うような、またピントがずれてしまうようなレンズ(大きな事件)や

フィルター(日々の出来事)が入ってきます。

普通は自分でピント調整しますが、

それでも難しければ人と会って話を聞いたり、本を読んだりして

人として正しい姿に戻るように、自分で努力します。

時には大きな障害にぶつかり、すべてのレンズが割れたのかと思うほどですが、

このレンズはガラスでできているわけではないので壊れても再生するんです。

そしていつしかたくさんのレンズを手に入れた大人は、それらを自由自在に操り

とんでもなく遠くを見たり、近くを見られるようになります。

これこそ本物の大人の余裕です。お金の価値とは全く関係ありません。

では、このレンズはガラスではなく何で出来ているのでしょう?

それは人の痛みを知るという「情」なのかもしれません。

何と読むか、「なさけ」です。

情の分かる大人になれる様に、いろいろな経験を積んでいきます!

写真は毎年恒例の初午(お稲荷さんのお祝い)です。

今年も近所のうを徳さんが立派な鯛を持ってきてくれました、

まずはお供えをしてお参り:

Photo

終業後は皆で会食をしました、お供えした鯛は一度うを徳さんに戻り

こんな姿で帰ってきました:

Photo

湯引きしてお刺身にしてくれた上に、アラは絶品の煮つけに!

そして毎年驚きを与えてくれるどんぶりは:

2019

ものすごいマグロ、とんでもない大きさのホタテ貝柱、大きな煮アワビ、絶品の卵焼き…

世界中誰も作れない海鮮丼だと思います。予約の取れない鮨屋になるのも納得です。

皆でおいしくいただきました!

今週も読んでくださりありがとうございました。

2019年2月12日 (火)

物がつなぐ縁

おはようございます。

先週は横浜でモノづくりの展示会があり、お世話になっているメッキメーカーさんや金型屋さんに

ご挨拶に伺いました。

いくつかの会社にお聞きしましたが、直近の仕事状況が悪くなっているのを実感します。

今まで景気が悪くなっても、

「この商品だけは安定している」

という商品があったが、今回はそれすらも落ちてきていると。

日向では数年前からそのような状況になることを想定し、準備してきましたが、

ついにその時が来たのかもしれません。

かといって、慌てて打てる対策はありませんので柔軟に考えていくしかないのですが。

一層気を引き締めていきます。

そんな展示会のなかで、とても良い話をお聞きしました。

初めて知る会社様だったのですが、機械加工で数々の素晴らしい製品を作らています。

色々と教えていただいた後に、空手の優勝ハチマキ?の様なものがいくつか展示されているのに気づきました。

「社長は空手をされているのですか?」

とお聞きしたところ、

「空手大会にメダルを供給している」

という事でした。

一般的なメダル形状ではなく、金属を複雑に削り出した刀の鍔(つば)の様な

とっても格好良い物でした。

そこで驚く話が:

「このメダル空手大会で勝ち取った選手が、いまうちで働いているんですよ」

と。

一見なんでもない話の様ですが、よく考えると不思議ですよね。そこでこう聞きました:

「メダルの出来があまりに素晴らしいので、訪ねてくれたのですか?」

「メダルには御社名が刻印されていたのですね」と。

すると社長は

「いえいえ、刻印などしていません。本当に偶然です」

と。

社員が何千人もいる会社であればそんな事もあるかもしれませんが、

この会社はうちと同じくらい規模の会社です。

魂を込めて物を作ると、人を引き寄せるのだなと再確認できた素敵な時間でした。

写真ですが、先週はかつてないほどの濃霧の朝がありました:

Photo

通勤路も真っ白。

小学生が集まって、スマホで自撮りしていました。小学生もスマホ所持の時代なんですね。

「ポケベルが鳴らなくて」世代としてはびっくりです。

さらに先に進むと:

Photo_2

水墨画に迷い込んだかのような、不思議な光景が広がっていました。

朝から得した気分で出社できました。

なお、「霧」は江戸川を越えて葛飾区に入ると、あっという間に消えてなくなりました…

今日も読んでくださりありがとうございました。

2019年2月 4日 (月)

延命、そしてデジカメの進化

おはようございます。

今日は社内で仲間と話していた時のことを書きます。

少し前に、本で読んだ「延命」という言葉について話をしていました。

延命の意味は、一般的に

「延命治療」

「延命処置」

などに表現されるように、命を何とか(病院で)伸ばそうとすることだと思います。

体の命は役割合っての物だから、無理やりに長生きをさせることは果たしてどうなのか?

というような話の展開を予想していたのですが、

仲間の一人が

「延命とは、人としてやるべきことをやる事だ」

と。

びっくりしました。

確かにその通りなんですよね、やるべきことに真剣に取り組んでいると、

更に大きな役割を与えられる。

役割を与えられているという事のみが、魂が生き生きすることです。

役割を与えられていると、体がそれに対して全力で答えてくれるので結果的に体も長生き。

昨今の風潮では、体を自分の所有している「モノ」のように感じさせる事が多くないでしょうか。

男女問わず不自然に若く見える事が良い事、その状態を長続きさせることが幸せ。

問題はその先です、そのまま長生きすることが良いとする考えと

老いてしまうなら、いっそ生きる意味がないという状態に陥る極端。

役割を果たすための体なのに、逆転して体から人生をとらえてしまう。

今自分が生きているのは、他者への貢献をするため。

それ以外に意味はないはずです。

他者がいてこそ自分が生きる。

会社も、他社様が必要としてくださるから継続することができる。

自分の事ばかりが大切で、嫌なことは全て「ハラスメント」で切り捨ててしまえば、

結果的に周りに人が居なくなり、孤立します。会社であれば倒産です。

孤立した人生・命は、とても寂しいものです。

若くして孤立した人は、もちろん「今」が楽しくありません。

その人生があと何十年も続くとしたら、それは…

我利我利で自分を小さくしてしまうと、結局社会から何のご褒美ももらえないです。

他者利益追求。どれだけそれに貢献できているかが、その人の面白さの目安です。

自分より優れた存在を、恐れるのではなく認めることができるのは人だけだと思います。

(野生の動物にとっては、優れた者=生命を侵す危険な存在の場合が多い)

そして自分が成長すればするほど、その目は見開かれ、よりたくさんの優れたものを認めます。

そこで恐れ委縮するのではなく、目標として自分を鍛えていく。

そんな考えを持っていれば、体は健康を保とうとするのではないでしょうか。

社内での話し合いから、大切な学びを頂きました。

写真ですが、まずこれを見てください:

Photo

ぎょっとしますが、皆様お持ちの物です。

1000円札、野口英世さんの目です。

この写真、検査室に新たに導入したデジカメで簡単撮影。

そのデジカメとはオリンパス製のTG-5:

Tg5

オプション接写用リング装着状態

総額約5万円。

目で見えない物が見える。(そして水中撮影もこのまま可能です)

プレス製品の傷を確認するには、もはや大がかりな顕微鏡は不要になったと感じます。

1995年にカシオから世界初の民生用液晶画面付きデジカメが出てから24年、

一般デジカメは行きつくところまで行ってしまい、カメラはスマホで十分と思っていましたが、

全くそんなことなかったです。

技術者のモノづくりへの執念を感じる素晴らしい作品です。

改善、改革の芽はどんなところにもあると、再確認させていただきました。

日向も、この様にお客様に感謝してもらえる製品つくりを目指して頑張っていきます。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2019年1月28日 (月)

一生物

おはようございます。

先週は、新たに取り組んでいる仕事で試作品がいくつか出来上がってきました。

複数の協力会社様から入ってきた製品の品質チェックをしていると、

少し差があることに気づきます。

①図面に指定していないところまで、きれいに作りこんでくる会社。

②図面には指示されていないので、傷があっても出荷する会社。

同じものではないので、同列に比較することはできませんが

やはり②の仕事には課題があるので、量産に向けてよく注意指導していかないといけないと気が引き締まります。

その作業をしながら、表題の「一生物」という言葉について考えました。

一生物とは、一般的な解釈としてはやはり

「一生使えるほど品質が良い物」

だと思います。

果たしてこの考え方が適切なのか?

苦労してやっとお金が自由に使えるようになったのが70歳だとします。

そこから平均寿命を考えれば一生の残りは20年弱でしょうか。

もっと極端に、90歳の方が何かを買い求め

「これは一生物だ」

と言っていたとすれば、何か違和感がありますよね。

逆に、中学生が明らかに世界最高品質のバッグを買ってもらい

「私は一生物のバッグを使っている」

と言うのもおかしな感じです。

もっとも、ふつうに買い求めるものでも例えば家電製品であれば、

はんだ付けができれば、たいていの修理は出来てしまいますので長く使うことができます。

服飾品であれば、裁縫ができれば同様ですね。

こう考えると、「一生」とは体の一生を表しているのではないと思えます。

では何なのか?

それは作り手側の気持ちの問題なのではないでしょうか。

一生懸命作るの「一生」

ダメなら死んでも良いと思うほど気を入れて作る「一生」

自分の人生の集大成をこの瞬間に表現しようとする「一生」

腑に落ちます。

そんな一生物を扱うには、当然使う側にも見合ったレベルが要求されます。

直すより、買い替えた方が「安い」からと修理せずに捨ててしまう。

それは購入の金銭面でのコストだけを見た考えで極端すぎます。

物を大切にしない人は、決して一生物とは接点がないと思います。

先の話では、中学生が「一生物」を使うのは論外で、むしろ人の機微を熟知した70歳、

そして人生を極めている90歳の方こそが使うべきだとわかります。

日向で製造するものも、そのようなものになることを目指していきます。

写真ですが、ブログ登場二回目の大谷石資料館です:

Photo

前回は母親と長男の三人で行きましたが、今回は妻と次男。

そして今回は、普段は公開されていない教会区域に入ることができました。

一番奥にあるのですが、本当に清々しい場所でした。(来月中旬までの限定公開)

石を切り出すためにできた無機質な空間が、魂の祈りの場所に変わる。

静かにたたずんでいると、

祈りの場所を作り出すために、石を切り出したのかとも思えてくる空間です。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2019年1月21日 (月)

守破離

おはようございます。

先週は寺島実郎氏の新年講演会に参加してきました。

2019の経済展望という演題でしたが、その中でとても大切な学びを頂きましたので

ここに記し、皆様と共有させていただきます。

あらゆる将来予想の中で、ほとんどぶれることなく当たるのが「人口推計予想」です。

もし外れるとすれば、大移民政策を取り入れるなどの政策転換があった場合のみで

自国民族の人口予想は、ほぼ予想通りに推移します。

それによると、約30年後には日本の総人口が1億人を割り、その時には約4割弱が65歳以上になります。

これは国全体の話であり、一番人口減少幅の大きな秋田県では現在約100万人の人口が、

約4割減って60万人になってしまいます。

東北地方は特に人口減少幅が大きい地域です。

人口が増えるか、ほとんど減らないのは東京都と出生率の高い沖縄県のみです。

現在でも地方には50歳以下が数人、もしくは居ない集落があるほどですが、

それが全国的に珍しくない状況が訪れます。

これは大きな社会変革です。

もちろん、首都圏ですら人口の偏りがはっきりするだろうと。

その象徴として、国道16号線に点在する団地、ニュータウンを挙げていました。

千葉の八千代、松戸、柏、埼玉の三郷、春日部、上尾。

東京の武蔵村山、日野、町田、そして神奈川の多摩、相模原…

この地域は日本の高度成長を支える、猛烈サラリーマンの住居としてほぼ同時期に

発展していきましたが、寺島さんの分析ではこの地域には現状2つのない特有のものがあると。

一つは食(農業)

これは、農地が無いのですから当然で分かりやすいです。

分かりやすいですが、食糧生産が殆ど無い地域がこれほど広がっているのは異様かもしれません。

もう一つは宗教

ある特定の信仰を言うのではなく、死生観=魂の軸という意味です。

死を考えることを避け続け、会社で働くことこそが自分の表現だった世代。

だから退職してからかなり時間のたった方に

「あなたはどんなことをされている方ですか?」

と聞くと

「私は何々会社で、どんな仕事をしていました」

としか表現できない方が多いそうです。

入院してやっと死を悟り、大騒ぎをしだすお年寄りも多いそうです。特に男性…

病院も困ってお坊さんに話をしてもらおうとすると、袈裟を着ているその状態だけを見て

「俺を殺そうとしているのか!先に葬式をするのか!!」とより錯乱することも。

袈裟を脱いで、白衣になってやっと落ち着いたとか…

とここまでが講演の内容でした。

このブログを読んでくださっている方には、当たり前の内容かもしれませんが

やはり本当の教育を受けず、年を重ねる怖さを実感する内容でした。

少子化を止めるためには、非婚化を止めるしかないですが、そのためには今の社会風潮

を変えなければならず、時間もかかるし大変な労力が必要です。

もう一つの死生観の教育は、少子化に比べれば短期間でできる可能性がありそうです。

どうやるのか?

それがタイトルに書いた守破離(しゅ、は、り)です。

武道の心得ですが、まずは先人の教えを「守る」。

家庭であれば親に従う、仕事であれば先輩の言いつけを守り基礎を徹底的に身につける。

武道や華道であれば受け継がれた技を繰り返し鍛錬し、同じ動作ができるようにする。

それができる様になったら、次は「破る」。

基礎や伝統をベースに、新しい境地に至る。

そして「離れる」

別の言い方をすれば、型破り。

型を身につけている人だけが破れるのであり、型のない人が破れば「型無し」…

ただの迷惑な勘違いの人です。

離れるとは、武道でいえば新しい流派に開くことに相当しますが、

人でいえば自分がしっかりした人(子供)の親になる事や、組織で責任ある立場に立つ事でしょうか。

これを行う前提として、高齢者という定義を変えるべきです。

体の年齢と、精神的な年齢は全く関係ないからです。

日々体力維持に努め、学び成長し続ける90歳から見れば、

「君はまだ60歳か、若くて良いな、まだまだ何でもできるな」

となりますから。

いつも書く様に、体の寿命を勝手に決めて、学ぶことをやめればそれこそ生きているとは

言えない状態になります。

学び続けて生き生きしている人は、組織に属していれば力を発揮しますし、

自分の親族や近所の人にも頼りにされるはずです。

若いから可能性があるのではなく、学ぶことで可能性に気づくのです。

そして自分の体を使い切るべき何かを見極める。

見極められる人は、迷いの無い人になり真剣に生きるようになります。

一番身近でそれができているのが、子に対する母の愛情です。

誰もが母親の子供なのですから、一番身近な人が悟っているのです。

前向きな意味で「死」から「生」を見られるようになる。

これこそ人の成長の極致です。

写真ですが、覚醒した長男です:

Photo

自分からピアノをやりたいと言い出し、妻と同じ先生に指導を受け始めました。

今まで夫婦で楽器を演奏していても全く興味を示さなかったのに、

自分からやりたいと言い始めてからは上達が早いです。

数回の指導で、両手で普通に弾いていますから。

啐啄(そったく)の機:卵からかえるちょうど良いタイミングで母鶏が外から殻をつつく。

の大切さを実感します。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2019年1月15日 (火)

怒りは敵

おはようございます。

年末年始の休みの間、各種報道で隣国との政治問題が大きく取り上げられていました。

ネット上の匿名書きこみでは、とても極端な意見が多く怖い思いで見ていました。

そこで「怒り」について考えてみます。

まず人はいくつもの事に対して、同時に怒ることはできません。

その時もっとも身近にある不愉快なことに集中して怒ってしまうものです。

この身近にあることが、外国との摩擦になってしまう事は、大変異様な事態です。

普通に生きていれば、家族や会社の仲間など、 身近な人との問題に感情が高ぶって

しまう事も良くありますよね。

特に子育て中の親や、酔っ払いの旦那がいる奥様は(いつもすいません)…

でも感情の昂ぶりを、毎度怒りで表現していたら、家庭や友人関係はすぐに壊れてしまいます。

だから大人は上手にその感情をコントロールしているまずです。

ではなぜ直接生活に関係ない、外国との出来事には直接的な怒りを表現してしまうのか。

それは怒りをぶつける事実に対して、無責任な外野にいるからではないでしょうか。

もしくは日々の生活に多くのストレスを抱えてしまっている人は、それを一気に吐き出している可能性も無いでしょうか。

いくつもの小さな怒りの種を、まとめて一気に吐き出してしまう。

何の解決にもなりません。

隣国との外交は、本当に難しいものです。世界中で同様な問題を抱えていますし、

歴史的にみても多くの問題が起こり、それが記録として残されています。

歴史は繰り返されます、安易に批判するより事実をまず学ばなければいけません。

怒りの爆発からの破局は、当事者どちらも不幸になります。

怒りは敵、これを肝に銘じて自分を鍛えていかなければいけません。

怒りは主体的でなければいけないし、

コントロールして状況を良い方向にもっていかなければエネルギーの無駄使いに終わってしまいます。

本物の大人は、怒りをカーッという熱には変えずに、静かに知恵に変えて頭をフル回転させます。

怒っている自分に気づければ、その理由を考えてみる。案外意味がない事が多いと思います。

人間の知恵が試されています。

怒りの発散は最後の手段であり、使えば使った方にも大きなダメージが残りますから。

三連休の週末は、年末年始はずっと山にいた長男が帰ってきたので、

久しぶりに家族四人で初詣を兼ねて東京観光に。

日枝神社でお参りを済ませてから:

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一歩一歩俗世界に降りていきます。

しかし!少し歩くとこんな場所に:

Photo_2

迎賓館です。

館内写真撮影禁止です。

三連休でもガラガラで、行けばすぐに中に入れました。大人1,500円、中学生500円、小学生無料。

休みの日は市川で野球ばかりしていた二男にとっては、刺激的な一日になったようです。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2019年1月 7日 (月)

平成31年 新年 あけましておめでとうございます 蔵王でガッツ乱平からの考察

あけましておめでとうございます。

今年も自分の経験したことをもとに、日々考えていることを書いていきます。

ずっと書き続けるという事は、ずっと学び続けなければいけないという事だと深く思います。

本を読むことはもちろん、日々の言動にも気を付け、いろいろな事をより見逃さないように

感度を高くして生活するようになります。

それを表現するという事は、読んでくださる方のお陰でつらいことではなく楽しいことになります。

感想をいただく方がいるから続けられることです。

本当にありがとうございます。

年始は蔵王にスキーに行ってきました。

今年は雪が少なく、クリスマス過ぎまで全コースのオープンができない状態でしたが、

年末に雪が降り続けたので、良い状況で滑ることができました。

蔵王と言えば「モンスター:樹氷のお化け」ですが、まだ成長中でした:

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この写真だとちょっとわかりにくいですが、はるか遠くまで樹氷原が広がっています。

標高が高いコースは視界が悪いことも多かったですが、下部コースは:

Photo_2
天国でした。

1月の蔵王で、このような晴れた天候というのはかつては奇跡的な事だったそうです。

温暖化?の影響かもしれませんが今回はラッキーでした。

さて今日の主題ですが、2泊したペンション木もれ陽での出来事です。

ペンションや民宿によくあるように、ここにも漫画がたくさんありました。

ふと見ると、かつて読んだ記憶があるような漫画が。

「ガッツ乱平」

内容を全く覚えていなかったのですが、なんとなく惹かれて一巻を読み進めるとそこには:

スカートめくり、恐喝、喧嘩、その他現在では書くのもはばかるような内容が…

35年前には少年ジャンプに普通に連載されていたと思うと、平成の世の時間の流れを感じます。

当時の自分と同じ年頃の小6の次男がどう感じるかと読ませたところ、ほぼ拒否反応ですぐに終了。

自分の頃は漫画に何が書かれていても、大人が騒ぐことはなかったと思います。

漫画という枠の中の、ギャグ:おふざけですから。

今は表現の規制が厳しすぎて、逆に本質から遠ざかっている気がします。

規制の中では分かったつもりでいても、それは実社会からは離れていて役に立たないかもしれません。

これは今が悪く、かつてが良かったという様な単純な事ではなく、

気を付けなければいけないという自分の気づきです。

ちなみに、ガッツ乱平はただめちゃくちゃなだけでなく、友情の大切さや真の男の格好よさを描いている漫画です。

時代を戻して、自分起点に同じように35年遡ると、それはちょうど大戦終了直後になります。

自分と子供の時代の差など誤差と言えるほどの大きな変化があった時代です。

それこそ当時の小6の自分から考えたら、理解できない世界でした。

大人たちもあえて触れていなかった気がしますし。

当然ネット・スマホ世代の自分の子供には全く理解できないでしょう。

では1世代、70年で人間自体は大きく変わったのでしょうか?

本質は全く変わっていないと思います。

ただ周りの環境があまりに速く変わりすぎて、気を付けないと振り回されてしまいます。

新しいテクノロジーを身につける、最新情報を後れを取らないように知る。

その競争の先に幸せは待っていません。

かつての先人が、現代的視点で言えば不自由な環境で自身に問いかけ、

鍛えながら身につけた生き方こそ本質に近いものです。

自由に考え、本当に大切なものに気づき、魂が自由に生き生きと躍動していたとは言えないでしょうか。

そんなことを考えるのに、少しでも役立つようにこのブログを書いていきますので、

ふとした時に読んでいただけたら幸いです。

今年もよろしくお願いいたします!

2018年12月29日 (土)

2018最終営業日

おはようございます。

本日で平成30年最終営業日です。年始は1/7より営業です。

年末としては平成最後ですが、平成は31年まであるんですよね。

次の年号がどうなるのか、皆で想像するのも楽しいですね。

日向工業にとって平成の30年間はどんな年だったのか、東北の震災があったり、

リーマンショックで休業せざるを得なくなったり。

反面、新しいお客様と取引いただいて、逆にかつてのお得意様が会社ごと無くなってしまったり…

人間の体は3年ですべて細胞が入れ替わると言われますが(分かりやすいのは、爪が伸びるように)、

会社も常に変化をしているのを実感します。

健全に体を維持、成長させるためには、細胞ががん化しないように栄養を取って、

運動をして良い睡眠をとる。

会社も一緒です。

小さなほころびが、大きな問題となって組織を壊してしまう怖さがあります。

社員が健康で前向きな気持ちを維持できるようにし、お客様のご要望にいつでも

応えられる状態を保ち続ける。

世の中の状況にかかわらず、社会に必要とされる存在でいられるよう

来年も頑張っていきます。

今年も大変お世話になりました。

つたないブログにお付き合いいただきありがとうございました。

恒例のもちつき中です。

まずは社長から:

2018_2

ことしは顧問も:

2108

皆様良いお年を。

2018年12月25日 (火)

中学受験 中三になって総括

おはようございます。

今週が平成30年最後の営業週になります。

何を書こうか考えたのですが、このブログでも書いていた現在中三になった長男受験その後を書きます。

現代の中学受験はかつて自分が経験したのとは様相が異なります。

塾の進める高度にシステム化された授業についていく気力と体力が続かないと

あっという間に挫折してしまいます。

受験をさせるかさせないか、はっきり決めてから入塾説明会に行かないと

家族がバラバラになる危険性があるほどだと思います。

長男の場合も、そんな事とは知らずにダメなら止めればよいと、深く考えずに始めてしまいました。

当然問題がたびたび起こり、夫婦で本当に色々話しましたし、時には険悪な雰囲気にもなりました。

自分もそうですが、親は自分の子供に対して

「わが子はもしかしたら秀才なのではないか」

と淡い期待を持ちつつ塾に通い始めますが、当然ほとんどの場合普通の子です。

それに気づいた時には、すでに塾にはまっており抜け出すのが難しいです。

学校の勉強とは全く異質の、とても難しい問題に

「システムとして」

取り組んでしまっていますから。

算数はもはや数学ですし、現代文や社会は高校生レベルです。

大手塾の偏差値50(真ん中)は、一般の小学生なら天才レベルだと思います。

しかし、塾が本当に大切にするのは偏差値60以上の超天才です。

でも、塾も落ちこぼれないように普通の子に対しては各種補習講座(別途有料:高額)を用意しています。

もうこの時点でもお金に対する感覚がおかしくなってきます。

現代の受験は一握りの学業エリートの選別に、多くの普通の子が付き合わされている

と言ったら言い過ぎでしょうか。

結果的に長男は、今通っている学校の先生に

「私がうらやましいと思うほど、学校生活を楽しんでいる」

と言われるほど毎日楽しそうに学校に行っていますので良かったですが、

今年小6の次男には受験勉強を全くさせませんでした。

野球に空手と運動大好きな次男(長男も好きでしたが)には犠牲が大きすぎると判断しました。

結果オーライというには、現代の中学受験は時間的経済的負担が大きすぎ、

ダメだった時にあまりにもリスクが大きすぎます。

ダメ、とは全部の中学に落ちる、もしくは入った学校が合わずに不登校になる。

気を許せる昔からの友達は地元の公立中学に行ってしまっていて会えずに、ますます追い込まれる。

勉強する習慣がつくから良いという人も居ますが、

落ちてしまえば逆に抜け殻のようになってしまう危険性も高いと思います。

自分が子供だった頃の受験動機は、親が:

公立学校が荒れているから、将来良い会社に入ってほしいからその近道として

というような感覚だったと思います。

ところが現代においては、公立学校も行儀がよく、将来良い会社に入ったとしてもその会社が無くなってしまう世の中です。

たった30数年で大きく様相が変わりました。

これから更に30年後など、予想がつかないです。

では30年後、世の中がどうなろうと真に学ぶべきこととは何か。

まず大切なのは真の友人関係を築くことです。

スポーツでも勉強でも、文化的活動でも

真剣に取り組むことでお互い信頼し何でも話せる「友」を作る。

それはこの時代にしかできません。

そしてその上で大切なのは、各人が持っている文化、歴史を知ることです。

今はこの教育が全くされていません。

学校であれば「校風」、家族であれば両親や祖父母から受け継ぐ「家風」、会社でいえば「社風」

そんなのありませんという人がいるかもしれませんが、それは必ずあるのです。

ただ教えられていないだけ。

たった一度の人生だから、全力で生きるという「考え方」は大切です。

ただしここで言う一度の人生とは「体」の事だけです。

それは確かに有限ですが、親の思いを受け継ぎ、子供を育てる。

その時点で三世代はすでに「心」でつながっています。

そして会ったことのない、同じ時代には「体」が無かったご先祖様とも。

今いる自分は、その歴史・文化のバトン・襷(たすき)を担っている。

まずそれを知ることが本当に大切です。

知ることができると、自分の役割に気づき自然と生きる力が湧いてきます。

文化とはその人の生き方そのものです。その集合体が「国」と定義されるはずです。

その各人が持っている生き方こそが「個性」で、その個性を引き出す事こそ教育の肝です。

自分の進むべき道を教師から諭してもらえる。

こんな「師」に巡り合えれば、本当に幸せなことです。

その道を進み、他者に感謝される人に成長する。

感謝を集められる人は30年後に社会がどうなっていようと、自立した不動の魂を持っています。

そんな人は他者のせいにしたり、社会のせいにして逃げたりしません。

自分が社会という文化を「今」担っているのですから。

これこそが真の教育の目指すところです。

子供の学びの基本は家庭です。学校ではありません。

大人は社会を作る仕事をして、子供に手本を示す。学校はその補完をする。

子供の教育に熱心になる前に、大人こそが日々勉強、日々努力です。

写真ですが、先日会社で問題発生!

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リフターの上下可動部に布が挟まってしまい、全く使えなくなってしましました。

従業員総出で直そうとしましたが、びくともしません。

業者さんに電話したところ「もう直らない可能性もある」と言われ途方に暮れていたところ、

大きなハンマーでたたく、というアイディアを思いついてくれた社員のおかげで

直すことができました。

直接の仕事ではありませんが、社員一丸協力して修理ができた達成感で皆が笑顔に。

チームワークと具体的な達成感の大切さ、仕事の本質を見た気がしました。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2018年12月17日 (月)

漫才と落語

おはようございます。

東京は暖かい日が続いていましたが、先週から一気に気温が下がりすっかり冬の様相です。

平成30年もあと約二週間。

あっという間の気もしますが、実際に起こったことを振り返ると日々できる限りのことをして来た

という充実感もあります。

実際の仕事でいえば、大手企業様に日向の製品を評価してもらい合格、

そして新規直接口座開設をいただいたり、

社内の金型開発でも画期的な進歩があったり、これからの展開が楽しみな状況です。

新入社員二名も会社になじみ、本格的な戦力として力を発揮してくれています。

まだまだできることも残っていますので、来年に向けて気を引き締めていきます。

先週は、大切なのは資本主義ではなく、魂主義。資本は道具に過ぎないという事を書きました。

昨今のニュースでなぜか「漫才」の話題が多かったので、

自分の好きな落語と比較してみたいと思います。

まず自分の解釈では漫才は、その時代時代の皆が気づいているけど、深く考えていない現象を

きれいに切り取り、笑いに変えていく事だと思っています。

切り取り方は漫才師の個性であり、毒舌だったり上品だったり、体を張ったり。

現代はすごいスピードで社会現象を使い捨てにしてしまうので、漫才もどんどん変わらないと

あっという間に飽きられてしまいます。

人を笑わせるというのは大変高度な知性が必要ですが、

苦労して確立したと思ったらあっという間に飽きられてしまう事も多い。

本当に大変な職業だと思います。

一方落語は、基本「古典」です。

もちろん新作もありますが、人気があるのは圧倒的に古典だと思います。

古典とは、客がすでに筋(内容)を完全に知っている状況から始まります。

多少の工夫はあっても、そこにあるのは

「型」

です。型を崩してしまっては、話が成り立ちませんし、そんなことになれば客が不安を感じてしまい

笑いどころではありませんから。

自分も経験がありますが同じ演題でも、話す人によって全く印象が異なるんです。

まだ修業中の若手の場合、大げさな身振り等で笑いをとることがあっても情景が浮かびにくいです。

それが達人になると、動きは小さくてもまるでその場に居合わせるかのような緊張感・臨場感で

話に吸い込まれていくようです。舞台に宇宙的広がりを感じるというか…

そして漫才と決定的に違うのは、話に吸い込まれた上に泣かされてしまう演題がある事です。

非常に長い演題もありますが、まったく時間を感じさせず、泣いたと思えば笑い、

笑ったと思えば泣いている。

言葉に全人格をかけた「魂」を乗せているからです。

そうでなければ、「落ち」が分かっている話を何度聞いても楽しいはずがありませんから。

決して漫才を否定しているわけではなく、もともと違うものなのです。

ちなみに新作落語は、古典を完璧に身につけた人が挑めるもので

これができる人を「型破り」な人と言います。

昨今ではロボットが接客したり、スマホの検索も音声で出来たりします。

そして外国語の同時通訳もかなりの精度で出来てしまいます。

この様に、機械が発する言葉は便利ですが、感動を呼ぶことはありません。

ただの記号のようなものですから。

この違いは深く考える必要があると思います。

先生は学生に発する言葉により、その人の一生を変えてしまう。

深く心に刻む気づきを与え、良い方向(他者に必要とされ、感謝される。親が子を誇りに思う)

に行くことが理想ですが、言葉を発する先生が未熟だと逆に行ってしまう場合もあります。

言葉によって人は生かされ、反対もあり得る。

真剣に生きている人しか、人を正しい道に導くことはできない。

今年より来年、そんな自分に近づけるように頑張ります。

先週末は取引先様もお誘いして忘年会でした:

2018

去年は一等商品を堂々と?持って帰った社長でしたが、(ダイソン掃除機:ちょうど家の掃除機が故障中)

今年の獲得商品、素敵な時計は無事に新入社員の手に渡りました。

めでたしめでたしです。

今日も読んでくださりありがとうございました。

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