2018年4月23日 (月)

洗濯機修理 (カバーが閉じない:磁石不良)

おはようございます。

先週は自宅の洗濯機が壊れて修理しました。

妻の話では直前まで全く問題なく動いており、異音もなかったそうですが

「カバー(ふた)が閉まっていません」

というエラーが出てしまい、水をためたところで止まってしまったそうです。

今は無き三洋製だったため、パナソニックの人に来てもらったところ

「カバーの磁石が劣化している、カバーはもうないので直せない」

と言われたそうです。

まず、磁石は劣化しません。そして人が作ったものが直せないわけがない!

と信じていますので修理開始です。

状況を確認するとこうなっていました:

Photo

洗濯機フタの部分が割れて磁石が無くなっています。

(この状況は、後から不要部分を除去してあります)

ふたは、写真下部のヒンジで半分に折れますが、その際にこの部分が直接反対側にあたってしまいます。

磁石部分をカバーする構造にしていれば、壊れないはずです。

これは設計ミスですね。

磁石を探したのですが、無いのでこのように加工しました:

Photo_2

本体側の磁石を認識する部分(磁気センサー)に磁石を突っ込み、二液性のエポキシ接着剤で固定。

この際に使用した磁石は、ハサミでも切れるふにゃふにゃの弱磁性の物で磁力は十分でした。

磁石を認識するので、磁石の隣からロックするための棒が出てくるようになって修理完了です。

とここまでは修理顛末なのですが、実は少し前にこの洗濯機のことがふと気になっていました。

書いてしまうと嘘くさいのですが、本当のことです。

10年使っているので、「よく動いていてくれるな」と思うのは普通だと思うのですが、

その様な感覚ではなかったんですよね。

何か語り掛けてくるような…

きっと壊れそうになっているのを伝えてくれたのですね。

最近は、体と魂の違いについてよく書いていますが、物にも「魂」が宿ると思っています。

大切にすれば長持ちする、大切にするという事はそこに魂を込めているのです。

身近な例では、車、人形またはお花だったり。

車は他の車に浮気心を起こすと途端に調子悪くなりますが、

例えば花なら:

丹精込めて育てた花と、「枯れちゃえばば良いのに」と思いながらいやいや育てるのでは、

もし同じタイミングで水や肥料をやっても育ちが違うのは想像できます。

人形の場合は悲しむのがすぐに伝わりますよね。

また、武士は刀を自分の分身の様に大切に扱いました。

博物館にあるような名刀を鑑賞していると、吸い込まれそうになります。

家電の修理は、ほとんどの場合は今回のようなセンサー部分の接着修理や

はんだ付けで直ります。

はんだ付けは、中学生の必修科目にするべきだと思います。

洗濯機も些細な故障からスクラップになってしまうより、また家族のために働けた方が

うれしいに決まっています。

自分自身が整っていないと、物を大切にするという気が失われる気がします。

その意味では、物=道具を大切にする気持ちと自分の成長は関係しているのです。

単なる「物」が、使い方で人を活かす「道具」へと変わります。

ただし、自分の所有物だけを大切に扱い公共の物は粗雑に扱う。

これでは何の意味もありません。

いつでも物を大切にして感謝している人からは、独特の雰囲気がにじみ出てきます。

モノづくりにかかわらせていただいているので、その気持ちを忘れずに行きたいと思います。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2018年4月16日 (月)

体はラジオ(先週の補足)

おはようございます。

先週のブログには大切なことを書いたと思うのですが、読み返すと話の焦点が絞れておらず、

伝えたかった事がぼけてしまっているように感じました。

今週はタイトルの「体はラジオ」に絞って書きます。

体は他者からの目には見えない、電波のような「気」をいつも受信・発信しています。

ラジオは一般的には受信専門ですが、ここでは受発信できるものと考えてください。

電波を受信できないラジオは、ザーザーと雑音しか鳴りませんよね、人間も一緒です。

母親は子供を育てるためにいつも「大丈夫かな」「危ない目に合わないでね」と

こどもに向けて気を送っています。

それを子供は「安心」という電波として受信して、すくすく育つことができます。

安心を感じられない子供は暴走して大雑音を発してしまいがちです。

それほど良い気を受信するというのは大切なことです。

身近な例でいえば、例えば自分が湖で遊覧船に乗っているとします。

岸にいる子供が一生懸命こちらに嬉しそうに手を振っています。

これこそがまさに体を使って「気」を送るという具体的行動です。

そのしぐさを見た人は、心が温かくなり笑顔になりますよね。

また、カラオケで歌を歌っている人に対して、その人を見ながら楽しそうに手をたたいて一緒に楽しむ。

これも手を合わせるという行動を通じて、気を送っているのです。

神社でパンパンと柏手を打って、神様の気持ちと同調するのと一緒です。

歌を歌っている人も気持ちよくなって、雰囲気が良くなる。

逆に各個人が自分の歌の事しか考えずに、下を向いて選曲ばかりしていたら、雰囲気悪くなりますよね。

普段の学校や会社での生活も、これと全く一緒です。

自分の体を使って良い気を発しない人ほど、自分が雰囲気を悪くしていることに気づかずに他者を悪く言います。

社会で成功し、信頼されている人は皆同じ行動をすることに気づきます。

それは

「人を悪く言わない」

という習慣を持っている事です。

もし嫌な思いをしたらまず自分のせいだったのかと考えてみたり、

自分が直してあげたいと思ったりしますが、

自分で解決できないなら黙ってそこから立ち去ればよいのです。

良い気を受発信できるようになると、自分の正しい想いが他者と波長が合うことで思いがけず大きな力となり、

信じられないような幸運とめぐりえます。

これが先週書いた「強き思いはあっという間に地球を一周する」という意味です。

成功者は多くは、成功の秘訣を問われたときに、

「運が良かった」もしくは「運が良かっただけ」といいますが、

それはそれだけの思いを自分が発信していたからなのです。

今週も良き仲間と一緒にきれいな音が出せるように頑張っていきます。

写真ですが、会社の近所をぶらりと歩いてみました:

植木を並べ、通る人を気分良くさせてくれる。その気遣いが心地よい路地です。

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ここはアトラクションの様でもありますが、もう動いていない鋳物工場の様です。

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建物自体は傷んでおらず、普通に生活してそうですが。

今週も読んでくださりありがとうございました。

2018年4月 9日 (月)

キャリアアップ

おはようございます。

今日は「キャリアアップ」という言葉について考えてみます。

結論から言うと、キャリアアップ=自分を成長させることです。

自分の成長とは、いつも心にゆとりを持ち、他者の心に寄り添える人になることです。

では一般社会人生活において、どのようにこれを実現させるのか:

まず縁あって就いた仕事を頑張る。

そしてその道で究めている人を見定め、目標とする。

これは社内の先輩はもちろん、外でも良いです。

例えば、服を売る仕事についていれば、ユニクロの柳井社長を徹底的に学ぶ。

物を作る仕事をしていれば、京セラの稲森さん、日本電産の永森さん、松下幸之助さんなどを学び、真似る。

社内外の目標とする先輩を決めたら、その人に手紙やメールで連絡を取り会いに行く。

そしてお話を聞かせていただき、その人の持っている力を感じる。

ここを面倒がってしまっては、道は拓けません。

マスコミ等では有名な人でも、会ってみたらつまらないという事もあるでしょう。

もっとも、連絡をしても返事をくれないことも多いと思います。

そこは観光地にある砂金探しと一緒です。

ほとんどは砂利ですが、中にきらりと光るものを見つけた時の喜びです。

体の安全を第一に考えるのであれば、危険な目にあったり、嫌な思いをしたりして

体調を崩すような苦労はしない方が良いに決まっています。

でも苦労をしないと気づけないことが多いのも事実です。

嫌な思いをさせられたから、他者にはそういうことをしないと心に刻めるのです。

体は、自分の持っている魂性を表現する道具です。

体があるから魂があるのではありません。

この点に気づいていない人が本当に多いです。

前にも書きましたが、体は「ラジオ」の様なもので飛び交っている電波を受信できなければ

雑音しか鳴らないうるさい箱に過ぎません。

例えば、雑音とは他者の批評や批判です。

上に書いたように、人と会おうと思うことでその「思い」が相手に発信されます。

それを受け取ってもらえるかどうかは、その思いの質と強さ次第です。

パワーが強ければ、その力はあっという間に地球を一周してしまいます。

ただし、自ら発信せずに受信を待っていてもまず良い電波は入ってきません。

人をだまそうとする人の電波を、好意と勘違いして受信してしまい、泥沼にはまるのが落ちです。

先週も、本当に不思議な経験をしました。

ずっと前にお世話になった大阪に住む方から、その方を知るメンバーと会食しているときに

ふとメールが入りました。ちょっとわかりにくい例ですいません。

これが本当にあり得ないタイミングだったんです。

その後とても楽しくお話ができ、さらに縁が広がりそうです。

思えば、このような自分ではコントロールできないような「縁」が自分にはとても多いです。

それにより自分の人生が動かされているような不思議な感覚に襲われます。

この先何が起きるのか、困難にも正対して乗り越え、楽しみに行きたいと思います。

この様に、キャリアップとは外に求めるものではなく、内を鍛錬することなんですね。

写真ですが、今年最後の桜です

満月と一緒に撮れました、月とはほんとに不思議で強大な存在で

特に満月には吸い込まれそうに感じます:

Photo_2

今日も読んでくださりありがとうございました。

2018年4月 2日 (月)

初午のお祝い

おはようございます。

先週は毎年恒例の、初午祝いを行いました。商売繁盛祈願です。

今年は暖かく、快晴でした。まずは屋上のお稲荷さんにお参りです:

2018

とても立派な鯛を近所のお寿司屋さんが持ってきてくださいました。

そして終業後には全員で会食です。

ここでもお寿司屋さんがありえないほどすごいちらし寿司を作ってくれました:

2018_2

本マグロも入っているのですが、ネタが重なっていて見えないです。(お供えの鯛も乗っています)

ほとんどのネタに丁寧な仕事がされており、ちらしというより「小さなおせち料理」の様でした。

お寿司屋さんは「うを徳」さんといいますが、予約が取れないお店になっているも頷けます。

親方が食を通じて人を喜ばせたいという「気」を飛ばしてくれているのがわかる食事でした。

本当にありがたいことです。

会社というのは人が集って仕事をする場所ですが、

そこには良い「気」を持った人が集わないと、世の中に役立つ仕事はできないと思います。

気を作り出すのは経営者の大切な仕事です。

現在は社会が複雑構造(役割分担)になっていますので、

気の大切さなど忘れさせられていますが、

実際は単純です。

お互いに良い気をぶつけ合って、大きなことをする。

良い気を持つためには、自分を律する。たったこれだけです。

役割(=技術)は、良い気を持った人が使うからこそ生きるものです。

気の大切さに気付かない人がいくら技を身につけても、それは他者の気持ちを動かしません。

運が良い人は皆元気、元気だから運が良くなる!

お寿司を通じて深い指導をいただいた、うを徳小宮大将に感謝です。

今週も読んでくださりありがとうございました。

2018年3月26日 (月)

体の使い方

おはようございます。

先週は水曜日が休みだったため、月曜と金曜が二回ずつある感じで調子が狂いますよね。

また水曜日はとても寒かったため、今季初の風邪をひきそうでしたが何とかセーフ。

体が持ちこたえてくれました。健康な体を親にもらえたことに感謝です。

今日はその体の使い方について書きます。

一年ちょっと前から武道を習い始め、いろいろな動きを学んでいます。

武道は人をやっつけるために習うものではなく、昨日の自分に勝つために修練します。

最初の一年は本当に大変でした、膝、肘、肩、首…体のあらゆる部分が痛くて、

歩くのも苦労するほどの時もありました。

でもそうやって動きに必要な筋肉をつけていかないと、技を習得することはできません。

動きの中でつけていく筋肉ですから、バランスも良いと思います。

それでも宗家や先輩の技には全く及びません。

できるようになったと思っても、まだまだ余計な動きが多い。

最初はつらいことが多かったですが、少しでも

「出来た」と思い、それを先輩に認めていただけると本当にうれしいです。

できるようになった体をほめてあげたくなります。

動きの順番を考え、道具の重さを感じ、足の運びや重心の位置を適切に行う。

考えと体が一致しないときれいに動けません。

良く「力を抜きなさい」と指導を受けますが、抜くためには力がないといけません。

ないものは抜けないですから。

だから日々鍛錬が必要です。

数日さぼると、動きにくくなるのを感じます。

このように体は素直に自分の行動に従います。

これは少し特殊な例でしたが、公の場での体の使い方に違和感を感じることが多いです。

満員電車で足を組んだり、食事をしだしたり、化粧を始める人がいたり…

体を動かす「考え」がおかしくなってしまっています。

よくこのブログでお伝えしている言い方でいえば

「魂」がおかしいという事です。

自分を律して、体をきちんと使っている人は本当に良い顔をされています。

まだ素直な心を持っている幼稚園児が皆かわいいのは、魂が生き生き躍動しているからです。

生きていることが楽しくて仕方ない、だからそれが素直に表情に表れています。

しかし小学生高学年にもなると、現代の教育はなぜか「権利」ばかり教えられる気がします。

教えるべきは徹底的に「義務」です。

義務を果たして感謝されることだけが本当に楽しいことです。娯楽はそのための休息に過ぎません。

極端な報道が多すぎて、教える方も委縮してしまっています。悪循環です。

かつて鎖国中の日本を開国しようと、大きな黒い船に乗ってアメリカ人がやってきました。

歴史の教科書では、日本はそれを恐れて開国させられたように教えていますが、

アメリカ人側はこんな見方をしていたとも:

「あんな誇り高い人たちを侵略するのは不可能、公務員が自分を律して誰もズルをしない」

「船を怖がるどころか、興味をもって見に集まってくる」

「怖い」

と。ここでいう公務員とは武士の事です。

魂がピカピカに輝いていて、ズルいところがない=隙が無かったのです。

体を完璧に使いこなしていたんですね。

現代人は他者との比較や他人の評論に明け暮れ、魂磨きを忘れてしまっています。

本当に大切なものは何なのか、家族や友人と話し合う時間も必要ですね。

魂磨きはつらく厳しいことも多いですが、こんな景色でほっと一息付けます:

2018

新宿御苑の夜桜です。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2018年3月19日 (月)

台湾出張

おはようございます。

先週は台湾出張に行ってきました。

前回のブログで、その台湾関係で大変な間違えをしていました。

もと巨人王選手が「ワンチャン」と呼ばれていたのは、

王という字が日本語で表記すると「ワン」と読むからだそうです。

そうですよね、背番号であれば長嶋さんは「チョーさん」ではなく「サンチャン」になってしまいますから。

野球ファンの皆様、台湾の皆様、大変失礼いたしました。

台湾出張ですが、現地のプレスメーカー二社ととても良い話ができました。

両社共にとても工夫をしてモノづくりをしています。

日本でも最近はなかなか見ないような素晴らしい製品を作っていました。

ただし、めっきに対しては環境規制の強化でとても困っている様子で、

一社では対応できないので数社でまとまってめっき処理施設を管理する動きがあるそうです。

この環境規制の動きは中国でも、タイでも同じ傾向で、めっき費用の高騰が続いています。

多くのプレス部品にはめっきが必要であるため、また海外も賃金高騰があり、

海外=安くできるという構図は崩れています。

ただし、日本においてもモノづくりに携わる人が減っており全く安心はできません。

誰もできないような加工ができる人=社内のだれよりも給料を取る

というのが普通になっていくと思います。

組織の大小は関係ありません、他者のできないモノを作り出せる人が稼ぐのです。

前にも書きましたが、責任を負い、頼られて携わる仕事、そしてその仕事によって

世の中の人が幸せになれる仕事。

世の中に多くの仕事がある中で、モノを作ることはこれを成し遂げられる道だと信じます。

ただし、昨今の様々な報道や社会環境に慣らされてしまい、各人が壁を乗り越える前に

挫折をしてしまい易き方向に逃げやすくなっているのを感じます。

自分の体を何に使うべきなのか、小さなころから教えられていないのです。

それは本当に不幸なことだと思います。

偏差値教育の到達地点、その究極にいるはずの大人たちがだらしのない姿をさらしていますが、

大人が手本とならなければ、子供は育ちません。

壁は何度も連続でやってきます、本当に繰り返しです。

本当に嫌になってしまい、逃げたくもなりますが、乗り越える経験を積むとそれこそが

自分を成長させてくれているんだと気づかされます。

どちらが格好良いですか?

「まったく苦労をせずに、親の遺産で暮らし、好きな人としか付き合ったことのない60歳」

「学校に行けずにモノづくりを志し、従業員に支えられながら工夫を繰り返し会社を経営。

しかし取引先の廃業や海外移転や頼りにしていた従業員の突然の大病で、何度も倒産を覚悟、

でも負けずにやってきた結果会社は大きくなり、社会貢献を続けている60歳」

台湾でお世話になった社長の一人は、体が不自由で車いす。

でも、仕事に対する厳しさの中でも、いつも最高の笑顔で接してくださる本当に大きな人で

まさに後者のような方です。

ある年齢以上になって格好良い(=良い顔をしている)人は、魂磨きを行った人です。

壁を乗り越えることでしか、魂は磨けません。

モノづくりが人気職業になる日を信じて今週も頑張ります!

写真ですが、台湾MRT(地下鉄)で撮ったものです:

Mrt

対面座敷のわきには、ワイヤレスのスマホ充電器がありました。

一昔前の特急電車ではタバコを吸っていましたが、すごい変わり様です。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2018年3月12日 (月)

変わるものと変わらないもの

おはようございます。

先日総武線で市川から中野に向かっていますと、中央線快速で人身事故発生。

総武線も止まってしまいました。止まった場所が錦糸町。

地下鉄半蔵門線に乗り換えて、東西線の中野まで行けるなと考えていたところ。。。

前にいた若い女性たちもいろいろ相談しています。

「ワンチャンあるね、それだね」と。

ワンチャン??

確かに錦糸町駅そばの公園は王監督ゆかりの地で、資料館や記念碑もありますが。

まさか

「電車止まったから、ワンチャン見に行こうよ!」ではないですよね。

(逆注:王監督は現役時代背番号1番で、「わんちゃん」という愛称で呼ばれていました)

意味が分からないので、帰宅後に中二の息子に聞いたところ笑われました。

ワンチャンはone chanceのことで、その可能性あるね!のような意味だそうです。

知りませんでした。

事故発生時のルート検索にはぴったりの言葉ですね。

(逆注:王監督は現役時代背番号1番で、「わんちゃん」という愛称で呼ばれていました)

言葉は日々変わっていきます。それは自然なことだと思います。

ただし、古い言葉を学ぶことも大切です。

それは、古い文献が読めなくなってしまうからです。

情報が発達していなかった時代、人は今より深く思考したと思います。

そこから紡ぎだされる言葉は、現代では信じられないほどに高度なものが多いです。

すべての人がそうすべきだとは思いませんが、一部の人でも古い文献を解釈し

現代人にもわかりやすい言葉で書き直す。

それを読んだ人が原書に触れたくなり勉強をする。

良き循環が生まれます。

日本のアニメに触発された海外の方が、日本語を勉強するような感じでしょうか。

言葉を学ぶことは、その国を理解する為ににとても重要なことです。

このように、変わっていくものと同時に、変えてはいけない大切なものもあります。

なぜ、変えてはいけないのか。

それは「道」をあらわしているからです。

現代は娯楽の情報にあふれ、人生の道を考えることは減っている気がします。

でも成し遂げた人は気づいています。

若い時にはあたかも多くの可能性があると思いますが、結局道は一本だったと。

修業を重ねていると、

自分は一人で生きているわけではないという事に気づき、

親や支えてくれる人への感謝に開眼する瞬間が訪れます。

現代ははいろいろな問題があるのか、そこに到達できないままに体の一生を終える人が本当に多いです。

もちろん前向きな努力によって、その道を広くしたり、舗装したり、高速道路にしてしまうことも可能ですが、

いずれにしても道は一本。

どんな仕事でも、極めている人は同じようなことをおっしゃります。

そして皆表情が良い!

自分の技を通じて、人に貢献できる事に絶対の自信があるからなんですね。

剣道、柔道と同じように、人生も「人生道」です。

写真ですが、そんな人生道にほっと一息つける贅沢な時です:

2018

通勤路にある見事な梅園。

この時期はいつもより少し家を出て、見事な景色と香りを楽しんでいます。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2018年3月 5日 (月)

社会に根を張る

おはようございます。

先週は社員のお嬢さんが高校受験結果発表。

結果は無事合格だったそうで、よかったです。

そこでちょっと考えてみました。

今の社会情勢下だと、高校をどういう気持ちで過ごすかというのは、とても大切です。

自分のころはまだ社会が前向きで余裕があり、もちろん大学を選ぶ人はいましたが、

就職のことを気にしている人は自分の周りにはいなかったように思います。

ただ、やはり振り返ってみますと、学生時代から将来を見据え、

「将来は上場企業社長になる」

と自分でビジネスを始めた友人がいました。

最初は小さなビジネスでしたが、結果その男は上場企業の社長になりました。

ゴルフ部だったのですが、

「経営者を志すならゴルフはしてはいけない」

という経営者先輩のアドバイスに従い、

今でもゴルフはしていません。

裁量労働の報道がありますが、自分で決めた目標に到達するためには結果を出すしかありません。

本人曰く「なんども死ぬかと思ったほど(長時間)働いたよ」と。

そして今では自分で時間を管理できる中で、仕事に取り組んでいます。

極端な例かもしれませんが、思いを遂げる=社会に責任を持つためには

修業期間というのは必ず要ります。必須です。

それを過ぎて、周りに認められ、初めて自分らしい仕事ができるようになる。

根を張る大切さ。関係性を深める。

本当に楽しいことは、自分が力を出したことに対して、他者が感謝してくれること。

もちろん多くの場合、そこには「対価=おかね」が絡みますが、それは一番大切なものではなく二次的なものです。

責任をもって良い仕事をしている友人達を見ますと、大学卒業後の仕事のキャリアを切っていません。

最初に就職して与えられた仕事で認められ、管理職になる、同じ種類の仕事をしている会社に転職していく。

若いうちは自分の判断で転職していく人もいましたが、30歳を過ぎてからは乞われて

転職していかないとうまくいかないようにも感じます。

立派な会社に勤める友人に聞いても、若手の定着率が本当に悪くて困っている。という話が多いです。

現代人、特に男は前に書いた元服式のような考え方を持つことが必要かもしれません。

(ただし責任感が強すぎても、明らかにおかしい労働条件の会社もありますので、

そこに対する社会としても管理・監視体制は必要だと思います。)

現代高校生の置かれてる環境の中で、国会等で大人たちが労働者側の権利を大声で話し合っている姿を見せられる。

これは良くない状況だと思います。

先に書いた友人の話のように、目標に向かって突き進み、夢をかなえ、社会をよくする仕事をする。

こんな話を身近に聞くことこそが、自分を見つめる良い機会になると思います。

一人一人の考え方のみが世の中を作っていくのですから。

良い気分でいる状況を、人のせいにせずに自分で作り出す。

そのために修行をして、社会に責任の根を張る。自分の責任が広範囲に及ぶことを自覚できれば、

それが自信となり、仕事が楽しくなっていきます。

良い循環は自分で産まなければいけません、待ちの姿勢ではいつまでたっても人のせい。

頼りにされていない人は弱いです。それでは格好悪いです。

仕事とは、自分のしたいことをするのではく、自分が必要とされることを極めようとすること。

そんな風に高校生に背中で教えられる大人になりたいなと思いました。

先週から東京は一気に春らしくなってきました。

冬らしい写真としては今シーズン最後になると思います、出張先の岩手県で撮ったものです:

Photo

遠くから二度見してしまいました。工場にできた巨大なつらら。

次の日の最低気温が-17℃だったそうですが、温かい屋根で溶かされた水があっという間に凍ってしまうのですね。

試しに一本取ってみましたが、立派な刀の様でした。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2018年2月26日 (月)

石の神様

おはようございます。

先週は石の勉強をしました。

磐座(イワクラ)という奇跡の石の話です。

ずいぶん前に「水石」の話を書きました。

こんなものです:

Photo_2

川に落ちている自然の石ですが、まるで作ったかの様に滝が流れています。

こんなパターンも:

Photo_4

サイズとしてはどちらも幅30センチくらいの大きさです。

今回学んだ磐座はサイズは様々ですが、代表的なものは:

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こんな感じで神社の境内にひっそりあることが多いです。

しめ縄がしてあることでわかりますが、ここに神様が宿っていると考えられています。

「神は美しいところにしか宿らない」と。

神が宿ると岩に対する信仰を「磐座」と呼ぶそうです。

そう知ってから岩を見ると、確かに岩が神々しく見えてきます。

またこんな不思議な岩もあることを知りました:

Photo

とても大きな岩です。

よく見ると、左側の岩とは接していません。浮いています!

これは良く仕事で行く岩手県遠野市にあるそうです。

氷河期からの悠久の時が作り上げたそうですが、神を感じずにはいられません。

たどり着く道は、冬は雪と氷で閉ざされそうですから、夏場にぜひ行ってみたいと思います。

また岩手には石巻にもこんな不思議な磐座もあるそうです:

Photo_2

なぜ落ちないのでしょう。受験生がお参りに来るそうです。

東北震災の時には、色が変わっているところまで津波が来たそうです。

古い神社は、皆津波を避けられるところに立てているそうです。

津波が来たら「なるべく古い神社の階段を駆け上がれ」が常識ということでした。

小さい磐座としては:

15070123

春日大社、水谷神社にあるものです。

知らずに見ると、石ころが転がっているようにしか見えませんが、

もともとあった磐座を漆喰で塗り、そこを避けて梁を通したそうです。

1200年前にそれほど深く信仰されていたんですね、現代は御神木ですら切ってしまいますから、

きっとこの磐座もどかされてしまいそうです。

世の中には知らないことがたくさんあります。

おそらく現代科学をいくら学んでも、その仕組みは理解できません。

圧倒的なものを目の前にしたとき、

人間はあまりに傲慢に、そして逆に矮小化されていることに気づかされます。

遠野や石巻の磐座は東北震災でもびくともせず、これからもずっと同じところに存在し続けます。

人間は長生きしても体の寿命は100年ほど。

あっという間です。

講義の最後に、磐座をお参りする際の作法についてご指導いただきました。

  • 利を願うものではなく
  • 石に宿る霊に語りかける
  • さすれば、我に向かってへんじをするはず

講師の先生は、最近の「パワースポット」という表現に違和感を覚えるそうです。

自身が利を得ようとするのではなく、大自然に感謝し、自分もその一部だと自覚する。

他者への貢献こそが大切だと気付かされます。

古来日本には、石橋を…石の上にも…一石…雨だれ石を穿つ…

石を敬う言葉がたくさんあります。

石ころと言いますが、その石が出来るまでの時間は何万年も必要だったはずです。

八百万(やおよろず)、感謝の対象として石を崇める。

それは、古来の日本人にとっては当たり前だったのかもしれません。

現代人は大切なことを見えなくさせられています。

それを深く思わせてせていただく講義でした。

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

2018年2月19日 (月)

電気自動車(EV)の今後

おはようございます。

先週は、EVシフトの行方についての講習を受けました。

EVというと最新の技術のように感じますが、自動車の歴史を振り返りますと:

ガソリン自動車はドイツのダイムラー社により1886年に、

電気自動車はそれより13年前に、イギリスでそれぞれ実用化。

当初は電気自動車の方が人気があったそうですが、

1908年にT型フォードが圧倒的コストパフォーマンスで市場を席巻。

電気自動車ブームはあっという間に去ってしまったそうです。

ただしエジソンは電気自動車こそ本命と考え、1912年に実現した車では

一回の充電での走行距離160kmを成し遂げていたそうです。

流石エジソン、100年先取りしていたんですね。

現代は環境問題もあり、自動車のEV化が進んでいると考えますが、

車が排ガスを出さないことより、どうやって電気を作るかのほうが問題です。

石炭火力発電で作った電力で充電しても、環境対策にはなりませんから。

ただ、現在は各国の法規制により、車を売るならEV化を進めなければいけない状況になっています。

ここにもからくりがあることを学びました。その前提として:

  1. フォルクスワーゲンのディーゼル不正問題:欧州メーカーはディーゼルこそ環境対策車といってきたが、その計測方法に不正があった。ディーゼル拡販はイメージ的にも難しくなり、方針転換した。
  2. ドイツは2050年までに再生可能エネルギー発電比率を80%に上げるという国家目標に向かって進んでいる。
  3. ハイブリッドで攻勢をかけるトヨタ包囲網。これこそが環境規制に名を借りた、欧州の勝手なルールつくり。

欧州はスキー複合競技に見られるように、自分たちに有利になるようにルールを変えることがありますが、

自動車についてもそうなっています。

なぜそう言えるのか?

最近の車カタログを見ると、ベンツやBMW等大型の車にPHV(プラグインハイブリッド)が目立ちます。

これは自動車会社が売るすべての車のCO2排出量(=燃費)を一定基準以下にしないと

罰金が科せられるというルールがあるからです。

当たり前のように感じますが、その計算方法がおかしいです。

細かい計算方法がありますが、割愛して要点を言うとEV走行を少しだけしかできない車(すぐにエンジンが動く)

の方が、EV走行を長くできる車より「環境にやさしい」という判定がされてしまいます。

さらにおかしなことに、EV走行距離が同じ車の場合、HV走行(エンジン駆動)のCO2排出量が大きい方が

「環境にやさしい車」と判定されるルールになっています。

まったくおかしな事です。

実際BMW最上機種の7シリーズに、740eという車がありますが、電気の実で走れる距離は20キロほど

さらにガソリンが45リットルしか入らないため、2トンを超える車ではあっという間に

ガソリンを消費してしまいます。

なぜこんなスペックで売り出したのか不思議だったのですが、トータルCO2排出規制逃れの為と考えると腑に落ちます。

運転すれば素晴らしい車で、普通のガソリン車よりはるかにコストがかかっているのがわかりましたが、

なんと7シリーズの中ではこのモデルが最安値で販売されています。分かりやすいです。

そんな外圧に負けずに、日本のメーカーもより良い車を生み出していってほしいです。

今の世間風潮では長時間働くこと=悪となっていますが、

仕事が面白ければそんなことないと思います。むしろ自分を育てますし。

もちろん体調を壊すのは問題ですが、好きなことをしているときは体は応えてくれると思います。

近い将来を予見させる話として、こんなことを指導いただきました:

東京においては6割の人が集合住宅に住んでいるそうです。

電気自動車を普及させるには、なんといっても自宅に200V給電出来る設備があることが必須です。

集合住宅にあらたに何らかの設備をつけるには、住民合意が必要ですが

当然車を持っていない人はそんなものにお金を使いたくありません。

とここで話が終わってしまってたのですが、

2018年の東京都予算に、集合住宅への充電設備補助金が付いたそうです。

トヨタも電気自動車開発に本腰を入れてきそうですし、一気に広まりそうです。

ただし補助金がついても、やっぱり車を持っていない人は「邪魔だ」と文句が出るかもしれませんね、

それについては「エレベーターと一緒」と考えればよいと。

一階の人には必要のないエレベーター、でも文句言う人いませんよね。

それは上階の人にとっては必須なものだからです。

EV給電装置もこれからはエレベーターと同じくらい普通のものになっていきます。

エンジンの鼓動が好きな自分としてはさみしい思いですが、

残されたエンジン車との生活を満喫していきます!

古いものにも味があってよいですが、やはり絶対的に新しい方が良いものもあります。

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日向の会議室で使われていたエアコンです。軽く40年以上使っていたものです。

先日の大雪でついに壊れてしまいました。

壊れる寸前まで温/冷ともに活躍してくれました。

新しいものが入りましたが、風量が全く違い温度コントロールも繊細で快適です。

古い機会にも、新しい機会にも感謝です。

今日も読んでくださりありがとうございました。

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