2020年1月20日 (月)

1人1人が国を支える

おはようございます。

今年も恒例の新年勉強会で、寺島実郎氏の話を聞いてきました。

(講演会引用始め)

〇昨年同様、日本の高齢化に対する危機:

 ①2050年近辺には人口一億人を切り、その40%は高齢者(65歳以上)

  1966年に一億人を超えた際には、65歳以上人口は6.6%であった。

 ②2019人に生まれてきた「新生人」は86.4万人。これはピーク時の3分の1。

  よって今のままでは大学経営は成立しない。

  大学=60歳以上の人が行く場所になる可能性すら考慮する必要がある。

〇日本経済の異常さ:

 ①株式の筆頭者が日本銀行になっている(上場株式を最も持っているのが日銀)

 ②米国では禁じている、年金基金の株への投資

 これらにより今の株価が維持されているが、株価下落があれば崩壊するシステム。

 歴史を顧みれば絶対安泰などあるはずもなく、実体のない経済になってしまっている。

 (一旦引用終わり)

これらは我々が今暮らしている社会の現状認識として、各人がしっかりと考えなければいけない事です。

この面では、高度成長期に暮らした先輩方の教えが役に立ちにくいとも言えます。

自分たちで切り開いていかなければいけません。

この思いをさらに強くしたのが、寺島氏の次の話(引用再開)

〇米ソ冷戦時代と、現在の米中二極化争いの違い

 ①米ソ冷戦は、資本主義vs社会主義闘い=「理念」の戦い

 ②米中冷戦は「利害」の対立:対立の構図が軽くなっている。

  米国は中東で大きな失敗もしている:

  イランはアメリカにとってベトナム戦争の二の舞になりかねない。

  またイスラエルに肩入れしすぎており、自国の行動が矛盾してしまってる。

      (これがトランプ再選に対する一番の危機)

  イスラエルの非核化等中東和平の仲介ができるのは、日本しかない。

  中国も失敗している:

  かつての元はモンゴル王国、清は満州人。

  それぞれの民族に平定されたという過去を払しょくしたいという思いが強すぎるのか、

  習近平は独裁的になりすぎ、国内、周辺国の嫌悪感を買ってしまった。

  反面「ファミリー」を主に考える民族であるため、

  ビジネスでも国境をたやすく超えて活動するという特徴がある(アジアに広がる華僑経済圏)。

結論:大国の横暴が終わり、地域パワーが復権する。

(引用終わり)

地域間、人種間で大きく隔たりがあった文化の中で、欧州米国を中心とする白人社会がその力で

まとめようとしていたのがこの100年間の傾向であったと思います。

しかし現代、科学の発展により:

船で2か月弱かかった地球の裏側まで、飛行機なら一日で行けるようになり。

また情報も光ファイバーを通じて、一瞬で世界を駆け巡ります。

地域の均質化が行われているように見えます。

武力も強くなりすぎて、逆にもはやその意味を失っているように感じます(地球が壊れてしまいますので)。

いままでの意味での「大国」が出現する土壌がすでに無くなっているのです。

その時に必要になるのが、寺島さんのおっしゃる「地域パワー」だと思います。

「地域」とは、まず日々接する隣の人、仲間です。そして力を合わせて発揮するのが「パワー」

じつはこれ、人にとって一番難しく、知的な行為だとおもいます。

古今東西、人の悩みは「隣人」によって引き起こされますから。

ちょっと長くなりましたので、続きは来週書きます。

写真ですが、仕事に向かう途中の新宿御苑脇のコインパーキングで:

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先ほど科学の発展と書きましたが、この車を見ていると果たしてその方向が正しかったのかと考えさせられます。

もちろんそれは後付けの感想で、見つけたときには

「格好良いな~」「どんな人が乗っているのだろう」「すごいなぁ」

というワクワクする感情だけでした。

ワクワクするというのは、大切なキーワードです。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2020年1月13日 (月)

立っていれば座りたい

おはようございます。

今日は成人式です。昨日は近所でも晴れ着を着ている女性が写真を撮っていました。

小さな時から見ているので、もう成人式なのかと驚かされます。

先週は正月明けで、まだ仕事態勢に切り替わっていない方も多いのではないでしょうか。

しょうがないです、長い休みの後ですから。

皆そうだと思えば、気分も楽になります。

決して「正月病」などと名前をつけて、自分を病気にしないでくださいね。

 

さて今週の題

「立っていれば座りたい」には続きがあります。

状況としては、電車の中や疲れて帰った自宅、立ち飲みで酔っぱらってしまった後…

どんな状況でも良いです。

続きは:

「座っていれば横になりたい」

「横になれば眠りたい」

きっと多くの人がそう感じる事と思います。

そう考えていると、

「立つ」

というのはとても崇高な行為だと気づかされます。

人を立ち上がらせるものは何でしょうか。

「寝たままでは食べられないので、仕方なく立ち上がって食事をする」

「現代の日本では、食事をするにはお金が必要なので仕事に行く」

これは自分の体を維持するための行動ですから、人間以外の動物でも行っている事です。

一般的に動物は他者の為には動きませんから、今回使っている

「立つ」

とは意味が違うという前提で。

 

ここをちょっと補足します。

人間は他の動物に比べてその生活様式がとても多様で、

人間の生活=「これ」と定義する事が出来ないと感じます。

生活する場所も、ビルに囲まれたところの人も居れば、大自然の中で自給自足の方も。

使っている言葉も様々で、同じ人間同士でも全く通じなかったりもします。

また同じような生活様式をとっている仲間の中でも、

「個性的」

と評されるような人が出てきます。

動物や虫の世界に個性はあるのでしょうか?

例えば、アリさん。

よーく見ていると、他と違う面白い動きをしている固体があるでしょうか?

無いですよね。

犬や猫、こうなると少し個性が出てくる気がしますが、それすら本能に従っている

「性質」

と言われるものではないでしょうか。

前(去年9/24、11/25)に書いたように、

人の場合、本能に従っていればあっという間に人間らしさから離れて行ってしまいます。

だから、あえて言えば行きたい方向に向かって

「やせ我慢」

している人。

その度合いを「個性」と呼んでいるのだと思います。

だから多くの、勝手な事をする子供(自分がそうでした…)は個性的ではなく、

良し悪しはともかく「子供らしい」とひとくくりに語られるのだと思います。

 

話を戻して

「立つ」

という事ですが、これは「意思」であり「魂」の働きがそうさせているのです。

「責任感」とも言えます。

それを高め続けることのみが、人を人らしく輝かせる方法です。

でも年初に、

「今年は~を絶対するぞー」

とか決めても、もうすでに挫折している方も多いのではないでしょうか。

それはルーチン化していないからです。

試合前数時間ストレッチをしていたと言われるイチロー選手も、きっと朝起きてすぐに

「今日も野球で頑張るぞ!」

とは思えなかったのではないでしょうか。

だからこそ、まず人より早く球場に行くという簡単なルーチンから始め、

球場に着いたらストレッチ、そして徐々に試合に入る体を自らの意志で作っていったのではないでしょうか。

もし本能や才能だけで試合に臨んでいたら、他の野球選手同様30歳くらいで引退していたことでしょう。

身近で出来るのは、まず早起き、顔を洗って、健康的な朝食をとる。

起きること自体が難しければ、布団の中でストレッチをする。

そして寒くても暑くても、雨が降っていても、一歩外に出ると決める。

その後は各自の仕事の内容に合わせたルーチンを作って、どんな時も続ける。

0→1は大変な力が必要ですが、1→2は簡単に実行できることが多いですから。

自分にとってはここに書き続けるというのは、かなり重要なルーチンになっています。

読んで下さる方がいるからです。

感謝です!

 

写真ですが、今年は新年にスキーに行ったこともあり

初詣の代わりに、年末詣に行ってきました。

年末の山王日枝神社はこの通り:

2020

ガラガラ。

車もいつもの混雑した駐車場ではなく、本殿横まで上がってこられました。

静かに長い時間をかけて一年のお礼参り(お祈り)ができますので、毎年のルーチンになりそうです。

静かな場所だと、お地蔵さんのお清めやお祈りと同じく、身近に神様がいらっしゃることに気づかされます。

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

2020年1月 6日 (月)

令和二年あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

本日より令和二年の営業開始です。

年始は、家族でスキーに行ってきました。

長野の佐久インター近くに宿をとり、車で30分ほどの距離にあるアサマ2000スキー場。

名前の通り標高2000mにあるスキー場で、雪不足の中でも問題なく滑ることができました。

今までは福島の高畑スキー場がうまい人ばかりで

「道場」

だと思っていましたが、ここはそれ以上のスーパー道場でした。

スキーだけではなく、スノーボーダーもうまい人ばかりでした。

2000mから見る景色:

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初日、風は少し強かったですがコースは最高のコンディション。

しかし2日目は、曇り空で佐久からは全く山が見えず。

「これでは視界がゼロでスキーにならないからやめようか」

と話すほどです。

それでも、行くだけ言ってみようということになり出発。

道中はやはり、視界がなくなりライトをつけないと走れない程。

しかし、しばらくすると天候が回復してスキー場につく頃には快晴に。

その正体はこれでした:

Photo_20200105135201

見事な雲海。

幻想的な景色に、ひこまれます。

 

さて、今年の政治経済情勢ですが、良くないと実感しています。

数年前からこの時が来るのを予想して準備も進めていましたので、

個人的にはいよいよ始まったなという所ですが、

あくまでも自分の所属する組織に対する防御しか頭にありません。

 

社会全体の景気を支えるには、一人一人が元気を出すしかないです。

今年は普通に生活してても、暗いニュース(時には絶望感を覚えるほどの)

に接することがとても多いと予想します。

そこで個人個人が委縮してしまっては、余計に気分が落ち込み、景気も悪くなってしまいます。

そこを抜け出すには自分中心の考えをやめ、日々接する人々:

  • 家族
  • 会社の仲間
  • お客様や仕入れ先様
  • バスや電車を運行してくれている方
  • 毎日のようにいくコンビニや食事処の店員さん
  • 近所の人…

の気分を自分が良くする様な行動をとる。

皆頭ではわかっているつもりでも、ほとんどできていないこと:

「自分がしたように他人にされる」

  • 他者を大切にすれば、自分も大切にされる。
  • 他者に攻撃的な態度や不愉快な態度をとれば、結局自分も回りまわってダメージを受ける。

年初にこのことを深く自覚しなければいけないと、深く決意しています。

周りの人を気分良くし、前が見えない世の中でも自分を見失わないように進んでいく。

そうすれば、2枚目の写真にあるように霧は晴れて

「フワッと」

視界が開けます。

旅に出るといつもと違う感性が働き、また思いがけない経験ができます。

今回も自然現象から大切な学びをいただくことができました。

今年も一年よろしくお願いいたします。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2019年12月27日 (金)

順番を守る大切さ

おはようございます。

令和元年、最後のブログになります。

拙い内容にもかかわらず、一年間お付き合いいただきありがとうございました。

今年最後は、順番を守る大切さについて書きます。

 

身近なところでは、人気店で何かを買ったり食べたりするのに人が並びますが、

もしその順番を守らなかったらどうなるでしょう?

1人のわがままが輪を乱し、極端な場合

おそらく警察の方にに頼らざるを得ない事件になってしまうでしょう。

少し前までの中国では、声の大きい人が順番を守らないのが日常茶飯事でしたが

最近は少し変わってきました。

 

もっと大きな順番に目をやりますと、宇宙における星の位置があります。

星の位置が収まるべき正しい位置にあるから、我々も平穏な日常生活を送れます。

もし気ままに太陽が地球に近づいてくれば、

地球上の生物はあっという間に焼き尽くされてしまいます。

 

今は何でも「ハラメント」で片付けられてしまいますが、

目の前のやるべきことに、どんな順番を付けて取り組むかは

とても大切な事です。

運が良いと言われている人は、この選択を正確に行っています。

 

先ほどの話を会社組織なぞらえれば、

直属上司からの指示に従うという、身近な優先すべき順序。

でも家族が緊急入院するなど、緊急事態にはそれを断る事も妥当な順位と言えることもあります。

ただし、会社組織としてお客様の正当な依頼を

「忙しいから」「具合が悪いから」

と断っていれば、あっという間に倒産します。

 

会社組織はお金という血液が途絶えれば、死んでしまいますのが

人間の血液を作っている素とは何でしょうか?

それは古い言い方かもしれませんが、「義理」「人情」だと思います。

お金よりも圧倒的に大切です。

いつも書いているように、お金は道具にしかすぎませんから。

 

矛盾するようですが、上司の命令より親族の命の危機が優先する事もある。

そのために組織の仲間が協力する。

でも、平常時は上司の業務命令には従う。

これを書くと最近はすぐに

「ブラック」

などと言いますが、上司の命令に従えない社員ばかりの組織はすぐに淘汰されます。

本来、尊敬する上司の命令に従う事は楽しい事なのです。

上司が尊敬できないという人も多いと思いますが、それは自分の未熟さ故の事がとても多いです。

まさに自分がそうでした。そして今でもできているのか…

 

入社前の学生たちが無責任な情報に左右され、頭でっかちになって

身構えてしまっているのは本当にもったいないことです。

辛くても義理を果たし続けると、今まで見えなかったことが見えてきます。

それこそがその人の持っている

「個性」

となっていくのです。

子供たちの個性は、ただの持って生まれた性格。もっと言えばただのわがままにしかすぎません。

それを大人の世界に持ち込んでしまったのが昨今のハラスメント騒ぎだと言えば

言い過ぎでしょうか。

令和二年は東京オリンピックの年になりますが、

会社経営の面からは、すでにそれどころではない良くない雰囲気を感じます。

どんな組織なら勝ち残れるのかを考え続けていますが、

優先すべき事柄を、社会に対する

「ご縁」「義理」「人情」

に定めていくというのが来年に対する決意です。

 

今日は今年最終日で、恒例のもちつきをしました。

20191

最初は社長から。

そして若手:

20192

臼を囲んで輪になって、白くて丸い餅を作り出す。

豊かな時間です!

今日も読んで下さりありがとうございました。

皆様良いお年を、来年もよろしくお願いいたします。

2019年12月23日 (月)

教育の大切さ(反日教育の視点から)

おはようございます。

ここ一か月(11/18分より)命の大切さを書いてきたつもりですが、

今週からは通常通りその週に有った事や感じたことを書いていきます。

会社の経営状況としては、先期(2019/8月締め)までは、売上微減ながら

黒字を確保してきました。

まだ始まったばかりですが、今期はどうなるのか?

車載半導体向けは横ばいか微減。

民生向けは激減、もしくは生産終了。

幸い新規に医療品向け重要部品の受注が決まり、試作を完了したところで

これから監査等を経て量産に入っていきます。

医療向けのビジネスは、参入が難しいことが多いですが良いものを作り続けられれば

長く関係が続くので次期以降の柱になると期待しています。

また省エネルギー関連の部品でも、新規ビジネスが進んできており、

その両方が車載向け半導体に続く新しい二本柱になると期待しています。

ただし経営環境はとても厳しいと実感します。

リーマンショックと比較する事がありますが、あの時は期末の在庫処理の関係もあり

1-3月に異様な落ち込みをし、GW明けにはそこそこ戻ってきました。

今はじわじわと侵食され、各社リーマン後は過剰在庫はそもそも持っていない

という意味でより悪くなっていると実感します。

世界トップシェアの製品を作っている仲間も、

「今までそこだけは受注をキープで来ていた「聖域」が崩れてきている」

と言っていました。

この製品は車載や民生などと言うくくりではなく、人の活動全てにかかわるものなので

大変な状況に入っているのを実感します。

「業界」というくくり方が意味をなくしているのを実感します。

 

表題の話ですが、

お世話になっている橋本久義先生の勉強会で、元韓国国防省分析官、高先生の話を聞いての物です。

現在の日韓関係を、地政学、歴史学、民俗学、そして現下の国際政治学まで幅広くご指導いただきましたが、

やはり一番大切なのが「教育」だと実感しました。

 

自分が小学生の時、先生が天皇陛下を

「テンチャン」

と呼称した時の衝撃は、今でも忘れられません。

尊敬する先生が言う事だから間違いない、という思いと

初めて聞く、あまりにもおかしな表現に嫌悪感を抱き

不敬だという思いで頭が混乱しました。

また、先生は自分の家が読売新聞の購読をしている事を知ると、

「朝日新聞の天声人語を読まないといけない」

と言われ、

素直にそれを信じて母親に新聞を変えてもらうようお願いしました

(幸運にも叶えられず)。

結局、小学校を卒業しても先生への信頼は変わらず、

その洗脳?が解けたのは高校生になってあいさつしに行った時でした。

小さな人なんだなと…

先生という存在は、子供にとって絶対的な存在なのです。

 

高先生曰く、今韓国で起こっている事が、まさにこれの更にスケールが大きいことで、

子供達が反日に洗脳されてしまっているそうです。

普通の韓国人は本当は皆、日本が大好きだと。

韓国は儒教社会で、年齢の一つの差でも長幼のマナーが厳格になるそうですから

子供にとっては、先生は上に書いた自分の経験など比較にならないほどの絶対的存在でしょう。

そう考えると、偏った思想を持ってしまうのは(生徒にとっては悲劇的な事ですが)理解できる気もします。

特に韓国の方は素直なのかもしれません、悪く言えば短絡的なのでしょうが…

だからこそ洗脳が解けたときの反動も凄まじくなります。

 

高先生によると、文大統領弾劾抗議デモは今この瞬間も大統領府の前で行われているそうです。

数万人の規模で24時間、大統領が退陣するまで。

確実に悪しき洗脳から脱する人が増えているのです。

高先生の話では、文内閣はどう考えても来年四月の総選挙では勝てないだろうと。

その事実は日本のマスコミから知る事は出来ません。

「テンチャン」と先生に言わせてしまう勢力は、いまでも国の隅々まで行き渡っているからです。

 

事実を知ってから自分の思想を組み立てないと、誰かの意見をコピーするだけになってしまいます。

コピーだけならまだしも、悪しき「拡大コピー」は本当に怖いです。

きちんと起こっている事実を体験し見極める。その上で自分の知識を総動員して理解しようとする。

それが出来るかが「評論」と「分析」の違いです。

今回はプロの分析官から大切な学びを頂きました。

 

写真は:

来週はクリスマスですが、現代のサンタさん!

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プレゼントを満載して、雨の日も雪の日もお届けしてくれます。

本当に頭の下がる思いです。

今週も読んで下さりありがとうございます。

2019年12月16日 (月)

どう生きるかをどう学ぶか

おはようございます。

先週は友人に看取りについて大変重要な学びを頂きました。

今日はそこに至る道、生き方をどうするかという事を考えます。

 

まず目の前にある状況を受け入れ、前向きに生きることが大切です。

状況を受け入れらないとしても、もしそれがどうしても変えられないのであれば

受け入れる努力をするしかありません。

それは時としてとても厳しい道となりますが、

その「輪」から抜け出すことは、体の命が限られた一生の中ではより大きな苦労を背負う事が多いです。

大変な覚悟と行動力が必要になります。

目の前のことに集中していると、多忙な現代社会では自分のことを客観的に

考える時間がなかなか持てないと思います。

でもそれで良いのです、

与えられた事に集中できるというのは人の生き方として素晴らしい姿なのですから。

 

それでも自分を変えたいと思い、新しい学びを欲しますよね。

そんな時は先人の書いた良い書を徹底的に読み込むことです。

このブログに書いている事も、その週に自分の考えたことを書いているつもりでも、

すべて先人のおっしゃっている事をアレンジしているだけとも言えます。

実は人がより良く生きる真理は古今東西あまり変わりはなく、よりよく生きるとは

どうやってそれを自分のモノにするかという一瞬のひらめき(気づき)が大切なのです。

 

長い人間の歴史からすれば、この100年の科学の進歩など実はたいした意味が無いという前提

に立ってみると、多くの事が見えてきます。

もともと自然が完璧なバランスを持っていたからこそ、地球は命をつないできました。

科学が進歩したと言っても樹木一本、人は作れませんし

その木から落ちた葉っぱを完璧に土に還元して肥料に変える菌を作り出すこともできません。

現代科学で便利になったと言ってもも、人の本質は何千年も変わらないのかもしれません。

縁あってこのブログを読んで下さっている方が、

何らかの気づきを得ることは私にとって何よりの励みになります。

たとえ書いている内容が、自分(書いている私)も出来ていない事ばかりで

誰かの考えのアレンジに過ぎないと思われようとも。

 

そんな事を気にしている暇がないほど、人の体の寿命は短いからです。

成長期を終えた体は、日々老いて行きます。

焦る必要はありませんが、事実は認めなければいけません。

ここに書いている事に反発される方ももちろんいらっしゃると思います。

でもここに定期的に来てくださるという「輪」は大切にしなければいけないと考えています。

輪の中にいて下さる限り、付かず離れず円環運動をして

少しの気づきが大きく人生を変える可能性がありますから。

情報洪水の現代社会では、気づきを得られるチャンスが本当に減っています。

 

もし自分の体の命が尽きたら、

ここに書いてあるようなことを誰かが受け継ぎまた新しい輪を作ってくれれば、

意思は引き継がれ=命も尽きないとも言えます。

そしていつか人類が成長し、自他利益同一の大きな「輪」に入ることが出来れば

皆が本来の人間らしい生活に気づくと思います。

命とは、他者に貢献してより良い社会を作るために与えられているものですから。

 

先週末は会社忘年会で、ビンゴ大会もあり楽しかったのですが、

写真を撮り忘れました。

代わりに東京の不思議な光景を:

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札幌の様ですが、看板に東京乗馬倶楽部とありますね。

紅葉がきれいでした!

さてどこでしょう:

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馬場に行ってみました。ちょうど厩舎に入ったところで、馬の写真は撮れず…

その先に見覚えのある建物がありますね。

ここは新宿の隣、代々木(参宮橋)です。

都心にこんな場所があったことを今まで知りませんでした。

明治神宮に隣接している場所ですが、本当に気持ち良い空気が流れています。

一歩外に出ると、新しい発見があります。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2019年12月 9日 (月)

命を看取るという事

おはようございます。

ここのところ、命に関する少し重い話を続けていますが、

先週は医療系のセミナーで大切な学びを頂きましたので

皆様と共有させてください。

 

少し前に、医療もAIに置き換わっていくと書きましたが、今日の話はその逆をいくものです。

偏差値トップの人が目指すべき仕事が「医療従事者」だとすれば、

まさしくAIにとってかわられるでしょうが、

今日書くのは感じる力、共感する力。そして祈る力の大切さです。

 

セミナーの趣旨は「誰もが取り残されることのない医療」

日本は国民皆保険が実現されていますので、その意味では取り残されることは無いはずですが、

現実には社会から切り離されて、病院のベッドの上で寂しくなくなっていく事が増えています。

命を何に使いきるかという事の最後に、どうやって命を終わるのか?という課題が残ります。

ではどの様に考えればよいか?

 

基調講演をされた、友人でもあるT医師の話から:

 

  • 年を重ねていく事を、地域で祝う事がなくなった社会。長寿は良い事という基礎が必要。

      (T医師の話)

 

(私の考察:以下同じ)

長生きが良い事でないと、地域医療は成立しない。これは重い話です。

特に都市部においては、定年退職=社会からの切り離しの様な生活になってしまう男性が多いです。

もともと、定年というのは「サラリーマン」という特権階級における制度だったはずで、

多くの人は他者に役立つ何らかの技を身につけることで生きていましたので、

「定年」などという概念は無かったのです。

 

  • 沖縄は年寄りが少ない、悲惨な地上戦を経験した沖縄だけの現象。これから急激に老人人口が増える。
  • 沖縄だけのとても難しい状況。
  • 1951年まで、病院設立は禁止されていた。沖縄全体で医師が64人しか生き残らなかったから。
  • 現在の沖縄の高齢者は、戦争という歴史の中で慎重に生きてきた。

 

これらの話は、沖縄で実際に医療にかかわっている方から教えていただかなければわからない事です。

テレビや新聞で報道される沖縄は、あまりに極端で沖縄の現地の人の暮らしぶりとは乖離しているのかも

知れないと強く感じます。

沖縄の方は慎重に生きているというのは、自分の想像力では到達し得ない深い示唆でした。

 

  • 治癒の見込みのない、高齢の女性が最後を家で迎えたいという話になった。
  • 独身で子供もなく、他に頼る人はいなかった。
  • T医師は病院の仲間とおばあさんを自宅に送り、対策を考えた。
  • 近所の人を訪ねると、幸い皆協力してくれることになった。
  • 朝、窓を開けて空気を入れ替える人。
  • 夜、戸締りをする人。
  • 見守りという役をこなしつつ、楽しい酒盛りをしだす男たち。
  • 医師からの定期的な指示は、玄関の柱にテープを貼ってそこにマジックで書きこんだ。
  • そうすることで誰もが最新の注意事項を見逃さなかった。
  • 結果おばあさんは安らかに自宅で最期を迎えられた。

沖縄独特の助け合い文化と片付けてしまいそうであるが、会社のある墨田区でも長屋文化として

長く同じような状況があったはずです。

近年の急激な社会変化は主に経済発展が原動力であったが、

我々はそのかわり大切な文化を失ってしまったという事を深く実感する話であった。

 

T医師の結語:

地域医療とは、地域の一体化(役所、病院、周辺住民、ケアマネージャー…)が無いと成立しない。

 

私の感想:

現代社会においては、人間同士が協力し合う「付き合い」が少なくなり、各自ばらばらの砂粒の様な

社会になっているのを実感する。

人は何のために体の命を使い、困った時にはどうすれば良いのか、そして最後をどう看取られるのか。

本当に具合が悪く、かつ孤独な状態にある人はまず病院に行く事すらできません。

また通院できたとしても、退院後にどう生活するかという見守り体制の構築が無ければ、

また同じことの繰り返しになってしまいがちです。

生きるための実地の哲学や宗教的考えが必要だと痛感する場であった。

写真ですが、この時期だけのツリー:

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子供の頃から、宗教行事としてではなく年末のお祭りといった感じで街が盛り上がっていく感じ

が好きでしたが、最近は不景気でそんな雰囲気が無くなってしまいました。

正月の商業施設お休みは個人的には賛成ですが、それが不景気ゆえの事だと思うと寂しいです。

今年の年末年始は、静かに色々と見つめなおす時間にするのも良いですね。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2019年12月 2日 (月)

脳の使い方

おはようございます。

先週のブログで、本能をコントロールすることの大切さを書きましたが、

自分で書いていて説明が足りないなと感じていました。

補足させてください。

 

まず脳の働きですが、

右脳、左脳には役割分担があることが分かっています。

右脳は感情をつかさどり、左脳は言語野計算などの理論を受け持つ。

例えば、社会人が何か難しい資格を取得しようとします。

当然色々な知識を記憶しなければいけなくなりますが、その時には主に左脳に対して

「記憶しなさい」

と自分(先週の言い方でいえば「志」)が命令しています。

難しいことを記憶するというのは、とてもエネルギーを消耗する作業ですから

本能に従っていてはあり得ないことです。

特に学生と違い、大人が自らの意志で取得する資格には大変なパワーが必要です。

成長した動物はこんな困難に挑みません。

脳も手足と同じように、「自分」が使う道具であると知っている。

これが動物と人間を分けています。

 

右脳では感情をつかさどりますので、芸術的発想や時には怒りの感情もわくかもしれません。

それをどう処理するかを選択できるのが人間です。

突発的に怒りの感情が湧いたとしても

「100を数えればなくなる」

と言いますが、これは脳の機能面から見ても正確という事です。

もしそれ以降も怒りが続いているのであれば、

それは右脳で生じた感情を左脳に移してしまい

自分で怒るという選択を理論的にし続けていると言えます。

逆に右脳優先で生きる人は怒りをためずらいのです。

過去の苦痛を論理的に解析し続けるほど、体の一生は長くないです。

 

仕事中など、緊張を要する時にはどうしても左脳優先になりますが、

自然の中でリラックスしていたり、うとうとと夢心地の時には右脳が活発になり、

普段の自分では考えられないような発想が生まれたりします。

それを無理やりに起こすのが「飲酒」という習慣です。

自分も、飲酒をすると理論的思考が薄くなり、

何だか楽しくなってきていろいろと思いついて人に話をしたくなります。

それで右脳を開放し、バランスをとっているのかもしれません。

逆に左脳優先状態が長く続くと、脳全体のバランスが崩れてしまい大変高いストレス状態に置かれるのは

この話からも分かると思います。

 

武道の稽古は対面してくださる方がいますし、真剣に対峙しないと怪我をしますので

理論的に考えていては対応が間に合いません。

自分が反復稽古したことを、無意識にぶつけられるようにならなければ上達しませんから。

達人になると、無心で技が出るそうです。禅の境地と同じそうで、そこに至ると武道は

「立禅」と称させる状態になります。

座禅に対する立禅です。

なかなかそこには行きつきませんが…

 

現代科学では色々なことが分かってきてるように感じますが、我々の先輩たちは

すでに脳を休ませるという「技術」を身につけていたことが分かります。

科学で他者や物を分析しても、到達できないのが本物の技術です。

現代一般的に言う「科学技術」とは質が違うのです。

対象物を見て観察する

「科学」

その中でも人の魂が生き生き豊かになるものを

「技術」

と定義できるかもしれません。

技術とは科学ではなく、真摯に生きる人の歴史が作り出すものだからです。

 

写真ですが、左脳状態から右脳発散の場に変わったと言える場所です:

Photo_20191128111001

これはオリンピックに対して整備された、東京都にある弓道場です。

写真だと分かりにくいですが、まさに弓道の稽古を行っているところです。

とても気持ちの良い場所ですが、ここはどこかと言うと

夢の島=ごみの埋め立て地です。

縁あって初めて行きましたが、豪華なクルーザーがたくさん係留してあるハーバーや、

ごみの焼却排熱を利用した立派な植物園、プール等各種スポーツ施設に宿泊施設、

そして木陰や空き地もたくさんあり心地よいです。

ごみ処理と言う人の理屈から生み出された場所が、現代では魂の錬磨場になっている。

安価な使用料の大きな駐車場もありますので、機会があればぜひ行ってみてください。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2019年11月25日 (月)

体を養生する

おはようございます。

先週は良い睡眠をとって、老廃物を流す、細胞を再生させる大切さを書きましたが

現代社会で働き盛りの40代には、なかなかわかっててもできないことだと思います。

ではその悩みはどこから来るのか考えます。

 

自然界の動植物は、基本的に病気になりません。

本能のまま生きています。

例えば自然に生えている、人が「雑草」と呼んでいる草花に薬をまく人はいませんが、

人工的に作ったバラやコメは放って置くとすぐに病気になります。

野生の動物もほとんど病気になりません。

もっとも野生の世界では病気=死を意味する事が多いですが。

反面動物園にいる元野生動物や、人間が作り出した愛玩犬(ペット)はすぐに病気になります。

身近な動物では、飼い放している猫たちは病気になりにくいですし、

本能のままに生きている昆虫や蚊も病気とは遠い存在と言えます。

 

では人間の場合はどうでしょう。

もし本能のままに生きたら…

あっという間に病気になります。

人間は煩悩の塊ですから、甘いものが欲しければ食べ続け、ラーメンが好きだから毎日食べる。

でも運動は辛いからやらない…

そうならない為に、人間には意思があります。

動物にも意思があるように見えますが、それはその種固有の遺伝的動きであり、

それを見た人間が勝手に感情移入しているだけです。

例えば毛づくろいをするサル、温泉に入って気持ちよさそうにするサル、

日向ぼっこして気持ちよさそうにしているサル、威厳あるボスサルの姿…

人間に近いと言われるサルですら、その行動は全て本能に基づくものです。

 

人間が人間らしく生きるためには、その意思で体をどう使い切るかと言う「志」を定める必要があります。

日本では、かつてはその教育を、武士道教育、寺子屋教育、各家庭内での教えなどで行っていましたが、

現代社会では極めて難しくなっています。

どう生きてよいのかわからないままに体だけ成長し、老いていきます。

反面、その定めた「志」の下では、体をあえて酷使し、

傷つけ、ときには寿命を削ってしまう事も人間らしく生きるためには必要な時もあります。

与えられた人生を生き切るためです。

生き切った人生は、周りから見れば短命でも本人にとっては本望かもしれません。

現代社会ではなかなか難しいですが…

生き切ることが出来るのは人間だけで、動物は本能に従い寿命を迎えるだけです。

 

本能に従ってはいけない、その上で自分で志を定める。

でも志に従うと、体を傷つけてしまう事もある。

人間の成長はその相克(矛盾)の連続です。

例えば悪いストレス等で体調を崩し、また不摂生がたたり風邪をこじらせてしまう。

繰り返しになりますが、野生の動物には無い状態です。

医者に行き薬をもらったりしますが、それは症状を抑えるだけで解決にはなりません。

唯一の解決方法は、自己治癒です。

自己治癒するためには、その悪いストレスや不摂生の元を見据え、それを克服するしかありません。

それが人間の成長ですから。

(人類の進化の証、救急救命は別です。普段と違う異変には迷わず頼り、救急車を呼んでください)

不摂生であれば、健康的な生活に変える。

ストレスがあるのであれば、自分を成長させてそれを乗り越える。もしくは思い切って逃げてしまう。

逃げるという判断は、決して後ろ向きな事ばかりではありません。

今は乗り越えられないのですから、リセットすればよいのです。

唯一の表現手段である体が衰弱し続けるのに、闘い続けるのは不毛です。

新しチャンスをつかむきっかけと前向きにとらえればよいのです、そしてまた場所を変えて頑張る!

 

そうは言ってもどうしても逃れられない責任を負う事もあります。

40歳台になり会社の責任者的立場を任される。

気分はまだ20歳代と変わらない、遊びもお酒も仕事も限界まで頑張ってしまう。

そこで運よく回復可能な病気になれば、一病息災で注意をしますが、

そのまま突っ走ってしまえば…

周りの人を悲しませる結果になってしまいます。

死ぬ気で頑張るのは時として格好良いですが、死ぬほど頑張ってはいけない。

 

だから常に「養生」するという考えを捨ててはいけないのです。

食べるものに気を付け、まずは体に負担のかからない範囲で運動をする。

それは自分の社会的責任を果たすための、最低限の必要条件です。

養生できないのに、責任者になるというのは全くの無責任とすら言えます。

ちょっときつく書きましたが、それほど人とは一人では何もできず、仲間が大切なのです。

きっとここに来てくださる方も、社会的責任を果たされていると思います。

是非今をきっかけにより養生して、周りの人を悲しませないように気を付けてください。

 

写真は出張で行った山形で撮りました:

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単線の踏切に、場違いな「新幹線が通過します」という看板があります。

ホームに入ってきました:

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単線区間は最高時速は120キロ位で走っています。単線に新幹線、新鮮な光景でした。

そして豪雪地帯らしいこんな装備も:

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網ポケット左側の謎のゴム輪。

調べると傘を保持するためのものだそうです。

雪国では折り畳みではなく、大きな傘が必須ですから。

新幹線や飛行機は、席に座れば目的地まで高速で運んでくれるので楽に感じますが、

実際はあり得ない環境に身を置いているので、ただ座っているだけでも体は疲労を感じていることもあります。

景色を目で追ってしまったりすると更に疲れ、その上普通ではない気圧にもさらされますから。

そろそろ、長距離出張は日程は余裕をもって組まなければいけないなと感じています。

養生の為にも。

 

今日も読んで下さりありがとうございました。

2019年11月18日 (月)

日立洗濯機修理 脱水時に止まってしまう 

おはようございます。

本ブログ、一番読まれているのが洗濯機修理の回なんです。

毎日使っているものが壊れて、困って調べてくると、ここに行きついて下さるのでしょう。

そこで第二回目です。

 

新婚当時の20年以上前に、日立から「塩で白くなる」洗濯機を買いました。

当時最高級で10万円くらいしたでしょうか。(調べたら「白い約束」という名前でした)

精製塩を専用の受け口にどぼどぼと入れると、化学反応によってシャツが白くなる。

理系でも特に化学が好きだったので、妻の無関心を押し切って買った覚えがあります。

最高級機種なので、モーターも静かだったり、いろいろな洗濯モードが有ったりして

最初は楽しかったのですが、慣れると同じモードしか使わない。

そして自慢の機能も、いちいち塩を入れるのが面倒くさいので使わなくなりました。

正直効果もいまいちでしたし。

 

数年するとその高機能洗濯機に、思いもかけないトラブルが出るようになります。

それは

「脱水ができない」

脱水で引っかかると、洗濯が止まってしまうので不便この上ない。

すぐに止まるし脱水が進まないので、全自動なのに二層式より手がかかる。

「高かったんだから我慢して使ってくれ」

と言うのも限界になり、

ついに前のブログに書いた一番シンプルでたくさんの量を一度に洗えるマシンに

買い替えることになりました。

日立のは6~7年使ったでしょうか。

その時は脱水ができないという症状に対する修理方法が思いつかず、

自分で直そうとは思いませんでした。

 

ところが電気屋さんが据え付けに来てくれて衝撃の事実が。

「これ配管が詰まっていますね」

塩を使うせいで?配管が詰まりやすかったのでしょうか。

詰まりをとればまだまだ使えたと思いますが、

すでに新品を持ってきているので返品するのも申し訳なく

そのまま超高性能の塩漂白マシンは持って帰っていただきました。

あの後も働いてくれていると嬉しなぁ…

洗濯機の脱水機能は、配管のねじれや詰まりに注意と深く学びました。

 

この話ここで終わっては、本ブログを読んで下さっている方には物足りないですよね。

この事例、日々の仕事にも当てはまると思い書きました。

「老廃物を出さないと、いくらきれいな水でも入らない」

仕事でいえば、煮詰まった仕事やトラブルになった仕事は、なるべく早く解決して

流していかないと、新しい良い仕事が手につかない。

もしくはチャンスに気づかずに見逃してしまう。

人間の体でいえば、悪いストレスをためすぎると良い経験をしていても楽しくないばかりか、

何だかイライラしてしまう。

特に、大切な家族に対してイライラしている方が身近に居れば、

それはきっと悪いストレスと戦っている証拠です。

そっと寄り添ってあげることも大切です。

そして老廃物をどうすれば排出することが出来るのかを一緒に考える。

苦労しているという事を理解してあげることで、老廃物で汚れた心が白くなっていきます。

それは、きっと「塩」より効果が有ります。

 

悪いストレスを流すことで、数年で壊れてしまうことを防いで

もう修理できないという寿命まで使い切る。洗濯機でいえば15~20年くらいでしょうか。

体でいえば80年~健康であればそれ以上まで。

そこまで使い切ると、何とも言えない味が出てくると思います。

それを思い返させてくれるのが、今の季節のこの写真:

2019_20191113143701

紅葉です。

若芽を吹いて緑の新緑に。

その時点では葉っぱ本来の色は見えず、赤や黄色が隠れています。

葉っぱの命を使い切る事により、初めて隠れていたその色が鮮やかに輝きだす。

光合成と言う仕事をやり切り、もうすぐ一生が終わる頃に、その樹木の持っていた本当の姿が見える。

人間も一緒だと思います。

自分がどんな色を持っているのかなんて、若いころには仕事が忙しくて考えもしません。

仕事がやっと終わり、そのストレスから解放されてやりたいことに専念する。

すると仕事仲間とはまた違う様子の人々や子供達が集り、のんびり釣り糸を垂れながら

自分の人生を語って良き指導をできるようになる。

色々な経験が浄化されて、良き思い出になるからです。

だから葉っぱでいえば緑の濃い、働き盛りで木から離れてしまってはいけないのです。

木も困るし、秋の賑わいもさみしくなってしまいます。

皆様、その時を気分良く迎えるためにも、悪いストレスのため過ぎには十分注意してください。

 

では悪いストレスと、そうではないストレスをどう見極めるか?

それは男でいえば、

「ひげが伸びる睡眠をとれるか」

に尽きると思います。

ひげが伸びるとは、体がきちんと新陳代謝できているかという事です。

体は三年前の体(細胞)は全く残っていません。

分かりやすいのは「爪」

爪は伸びれば切るので、数か月で見える範囲は入れ替わるのではないでしょうか。

ストレスが有ったり、酒を飲みすぎて布団に入ると

普段はかかないいびきが大きくなったり、トイレが近くなったりして

全く睡眠がとれていません。泥酔で布団に入るなど、ほぼ気を失っているのと同意です。

酒飲みの男なら皆経験すると思いますが、二日酔いの朝は髭剃りがすぐ終わります。

体がお酒の消化に一生懸命で、全く休んでいない証拠です。

そうすると古い細胞が再生されずに、どんどん劣化していってしまいます。

良き眠りが得られていない状況が長く続く、それは体が危険な状況にある証拠です。

逆に短い時間でも全く時間を忘れ、泥の様に眠ることが出来ればそれは問題ないのです。

人の体はそれぞれですから。

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

 

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