2019年11月18日 (月)

日立洗濯機修理 脱水できない

おはようございます。

本ブログ、一番読まれているのが洗濯機修理の回なんです。

調べてくると、ここに行きつくのでしょう。

そこで第二回目です。

 

新婚当時の20年以上前に、日立から「塩で白くなる」洗濯機を買いました。

当時最高級で10万円くらいしたでしょうか。

精製塩をどぼどぼと入れると、化学反応によってシャツが白くなる。

理系でも特に科学が好きだったので、妻の無関心を押し切って買った覚えがあります。

最高級機種なので、モーターも静かだったり、いろいろな洗濯モードが有ったりして

最初は楽しかったのですが、慣れると同じモードしか使わない。

そして自慢の機能も、いちいち塩を入れるのが面倒くさいので使わなくなりました。

正直効果もいまいちでしたし。

 

数年するとその高機能洗濯機に、思いもかけないトラブルが出るようになります。

それは

「脱水ができない」

脱水で引っかかると、洗濯が止まってしまうので不便この上ない。

すぐに止まるし脱水が進まないので、全自動なのに二層式より手がかかる。

「高かったんだから我慢して使ってくれ」

と言うのも限界になり、

ついに前のブログに書いた一番シンプルでたくさんの量を一度に洗えるマシンに

買い替えることに。

日立のは6~7年使ったでしょうか。

その時は脱水ができないという症状に対する修理方法が思いつかず、

自分で直そうとは思いませんでした。

 

ところが電気屋さんが据え付けに来てくれて衝撃の事実が。

「これ配管が詰まっていますね」

塩を使うせいで?配管が詰まりやすかったのでしょうか。

詰まりをとればまだまだ使えたと思いますが、

すでに新品を持ってきているので返品するのも申し訳なく

そのまま超高性能の塩漂白マシンは持って帰っていただきました。

あの後も働いてくれていると嬉しなぁ…

洗濯機の脱水機能は、配管のねじれや詰まりに注意と深く学びました。

 

この話ここで終わっては、本ブログを読んで下さっている方には物足りないですよね。

この事例、日々の仕事にも当てはまると思い書きました。

「老廃物を出さないと、いくらきれいな水でも入らない」

仕事でいえば、煮詰まった仕事やトラブルになった仕事は、なるべく早く解決して

流していかないと、新しい良い仕事が手につかない。

もしくはチャンスに気づかずに見逃してしまう。

人間の体でいえば、悪いストレスをためすぎると良い経験をしていても楽しくないばかりか、

何だかイライラしてしまう。

特に、大切な家族に対してイライラしている方が身近に居れば、

それはきっと悪いストレスと戦っている証拠です。

そっと寄り添ってあげることも大切です。

そして老廃物をどうすれば排出することが出来るのかを一緒に考える。

苦労しているという事を理解してあげることで、老廃物で汚れた心が白くなっていきます。

それは、きっと「塩」より効果が有ります。

 

悪いストレスを流すことで、数年で壊れてしまうことを防いで

もう修理できないという寿命まで使い切る。洗濯機でいえば15~20年くらいでしょうか。

体でいえば70~80年。

そこまで使い切ると、何とも言えない味が出てくると思います。

それを思い返させてくれるのが、今の季節のこの写真:

2019_20191113143701

紅葉です。

若芽を吹いて緑の新緑に。

その時点では葉っぱ本来の色は見えず、赤や黄色が隠れています。

葉っぱの命を使い切る事により、初めて隠れていたその色が鮮やかに輝きだす。

光合成と言う仕事をやり切り、もうすぐ一生が終わる頃に、その人の持っていた本当の姿が見える。

人間も一緒だと思います。

自分がどんな色を持っているのかなんて、若いころには仕事が忙しくて考えもしません。

仕事がやっと終わり、そのストレスから解放されてやりたいことに専念する。

すると仕事仲間とはまた違う様子の人々、子供達が集ってのんびり釣り糸を垂れながら

自分の人生を語って良き指導をできるようになる。

だから葉っぱでいえば緑の濃い、働き盛りで木から離れてしまってはいけないのです。

木も困るし、秋の賑わいもさみしくなってしまいます。

皆様、その時を気分良く迎えるためにも、悪いストレスのため過ぎには十分注意してください。

 

では悪いストレスと、そうではないストレスをどう見極めるか?

それは男でいえば、

「ひげが伸びる睡眠をとれるか」

に尽きると思います。

ひげが伸びるとは、体がきちんと新陳代謝できているかという事です。

体は三年前の体(細胞)は全く残っていません。

分かりやすいのは「爪」

爪は伸びれば切るので、数か月で見える範囲は入れ替わるのではないでしょうか。

ストレスが有ったり、酒を飲みすぎて布団に入ると

普段はかかないいびきが大きくなったり、トイレが近くなったりして

全く睡眠がとれていません。泥酔で布団に入るなど、ほぼ気を失っているのと同意です。

酒飲みの男なら皆経験すると思いますが、二日酔いの朝は髭剃りがすぐ終わります。

体がお酒の消化に一生懸命で、全く休んでいない証拠です。

そうすると古い細胞が再生されずに、どんどん劣化していってしまいます。

良き眠りが得られていない状況が長く続く、それは体が危険な状況にある証拠です。

逆に短い時間でも全く時間を忘れ、泥の様に眠ることが出来ればそれは問題ないのです。

人の体はそれぞれですから。

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

 

2019年11月11日 (月)

権威の考察

おはようございます。

昨日の祝賀パレードは、晴天の中多くの人にお祝いされて日本のすばらしさを実感する時間でした。

理屈抜きで人を包み込むエネルギーを感じます。

先週は権威について書きましたが、このエネルギーについて考えることで深めたいと思います。

 

先週剣道の稽古後の食事会で、50年近く稽古を積んでいる大先輩に

「かつての稽古は怖かった、真剣での打ち込みをしているのと同じ気魄を感じた」

「思い切り体をぶつけるように打ってくるので、吹っ飛ばされるのは日常茶飯事」

「少しくらいの擦り傷や打ち身は怪我の内に入らない無かった」

「激しい稽古をしていると、だんだん無心になって行き勝手に体が動くようになる」

そして

「本当に強い人は、剣を合わせなくても相手を退けることが出来た」

これは武道の世界だけではなく、その道を究めた人は皆同じことをおっしゃいます。

座っているだけでその人の技量が分かると。

この目に見えざるものこそ、権威=エネルギーです。

前向きなエネルギーに満ちている人から感じる状態を、威厳と表現します。

 

例えば動物の世界の例を挙げると

身近な犬:

散歩中に向こうから来る犬を観察し、強い犬が来るのを察知すると弱い犬は一瞬ひるんだのち

「ワンワン!」と身の危険から逃れたいと吠え始めます。

吠えられても強い犬は平然としています。

皆様も経験があると思いますが、体の小さな犬が平然としている事もあります。

犬同士はエネルギーを察知できるのです。

野生のライオン:

ライオンは食べるために仕留めた獲物も、二時間過ぎたら見向きもしません。

動物の王者ライオンはその威厳ある地位を守るため、

他者の「生(せい)」エネルギーを食らって生きているのです。

仕留めてから時間がたってしまうと、エネルギーが弱くなってしまい役に立たなくなります。

そのあとはハイエナや小動物が残ったエネルギーを摂り、最後はハエ、そして菌により骨だけに。

ライオンには、科学的に数値化される栄養素とは違うエネルギーが見えているのです。

ライオンは、獲物の隣に「から揚げ」があっても見向きもしないでしょう。

 

我々も体は問題なく、たっぷり栄養を採っていのに、何だか元気がない。

それはエネルギー不足かもしれません。

サプリに頼り切っていると元気がなくなり、新鮮な肉や魚を食べると元気になる。

新鮮な野菜や果物は生き続けており、やはりエネルギーに満ちています。

だから病人はリンゴをそのまま食べるのではなく、

摺り下ろしてエネルギーを減らして(消化できるように)栄養を摂ろとします。

もし体が衰弱し、死の床についている老人の口に新鮮な刺身を入れたとすれば…

それは命を脅かす毒物になってしまいます。

 

野生動物は、人間が見えなくなったそのエネルギーのやり取りを日々繰り返して生きています。

王者であるライオンも、生きるために獲物をしとめるだけで、決して無意味な殺し合いはしません。

場をわきまえています。

互いのエネルギーを感じながら、共存共栄。

ライオンが王者であるからこそ、野生の場の秩序が保たれている。

秩序が崩れた無秩序状態では、結局皆が不幸になってしまう事を本能的に知っているのです。

 

先に書いた武道の話では、毎年奉納演武が行われる明治神宮や鹿島神宮は厳か且つ清冽な力を感じます。

最近はパワースポット巡り、そして御朱印帳の記帳が趣味な人もとても多く

現代人も金銭至上主義の呪縛を解かれ、本能的に欲しているものに従って行動し始めているのかもしれません。

でもパワースポットに行くより、毎日できる大切なことがあります。

それは、

大地からエネルギーをもらうように歩く。

そうすると日々同じ道を歩いていても、空気の微妙な違いを感じ取れるようになり、

危機を察知する能力も磨かれます。

気づく力が身に着くのです。

周りに気が配れるようになることは、ペーパーテストで高得点を取るよりはるかに大切な事です。

その基本が大地を踏みしめ、まっすぐ歩くこと。

現代人はそれが出来なくなっており、またそれが原因ですぐに体調を悪くします。

真剣を持って対峙している時に相手を忘れてうつむいていたら…あっと言う間にやられてしまいます。

スマホの画面からの情報、スマホのナビの画面よりも大切な、

人生を良く生きるための情報や生きるための気づきを、

大地のエネルギーを感じながらまっすぐ歩くことで得ましょう。

そしてそのエネルギーで体内を満たし、前向きに生きる。

するとお金では買えない権威を身につけることが出来ます。

 

写真ですが、神宮第二球場(ゴルフ練習場)です:

Photo_20191107170701

11/3に息子の通う高校の秋季野球大会があり、久しぶりに妻とこの球場に行ったのですが

まさかの大行列で入れず。

3塁側のネット越しに野球を見ているところです。

スマホだと前のネットに焦点が合ってしまうのでこんな画像になりますが、実際はもう少しだけ見えます。

行列の理由が、この日が野球場としては最終日だったからだそうです。

それは混みますよね。バックネット裏にしか席が無いので、5,000人くらいしか入れませんし。

この場所は自分が高校時代にも応援に行きましたが、ゴルフスクールにも通った思い出があります。

場所柄いろいろな人が通っており、良い思い出が多いです。

夜のレッスンが終わって、絵画館前を通って信濃町駅に歩いていく。

都会とは思えない静寂の時がありました。

高校野球は、毎日の練習成果を試合の一打席、一投という今の一瞬に爆発させる。

それによってさまざまな未来が紡ぎ出される。砂時計の様に。

神宮第二球場はそれを発揮する貴重な場所でした、有り難いです。

来年以降、この場所にラグビー場が移り、ラグビー場に新球場、

今の神宮(第一)球場は多目的広場や施設ができるそうです。

10年もすれば、神宮に「第二」球場が有ったんだよと語る事になりますね。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2019年11月 5日 (火)

権威と権力の違い

おはようございます。

ラグビーワールドカップが南アフリカの優勝で幕を下ろしました。

スクラムの圧倒的な強さに、イングランドは何もできずに完敗。

そのあとの表彰式での銀メダル拒否もありましたが、

今回の日本開催は大成功でした。

何かこの流れ、今後の世界を暗示しているかのようですが

先週のブログを少し補足しつつ今週の話を進めます。

 

先週は「民主主義」という言葉の分かりにくさを書きましたが、

ネットで調べると、一般的には

「民主主義=デモクラシー」の日本語訳と言われているそうです。

この意味は、

「人民が権利を持つ」

という事と解されているようです。

これで意味が分かるでしょうか?

デモクラシーの定義を考え出すと、きっと大学の卒業論文になってしまうと思います。

それほど文化的、社会的背景によって定義が変わるからです。

 

例えば、「ルネサンス」という言葉があります。

義務教育で使う一般的な教科書では、文化が花開いた良いイメージで学ぶと思いますが、

もう一つ、人工物による自然支配と科学至上思考がはじまった時期とも解釈されます。

科学とは、見るものとみられるものを分ける考え方で

従来からの自然一体の共生思想からの大きな転換です。

どちらが良いとも言い切れませんが、現代社会は科学至上主義が行きついてしまったとも言えるのではないでしょうか。

その反動としての、キャンプアウトドアや伊勢神宮をはじめとする神社・パワースポット巡りブーム。

 

言葉の定義は、その時々の社会情勢を切り取って誰かの都合が良いように後付けされたものが多いです。

新しいものには、多くの人がびっくりして信用してしまう側面がありますから。

一時的な精神的麻痺状態です。

 

そこで今日の題、権利と権威について考えてみます。

人民が「権利」を持つ。

かつての絶対王政(人民にとって悪性と言う意味合いで)時に、困窮した市民を救うための考えが

デモクラシー=民主主義。

悪い王様が統治する世界、体の一生は生き切っても数十年しかないのですからそれはつらい状況です。

そこで押さえつけられた民が権利を主張して蜂起する。

その結果民が力を取り戻したように見えますが、

歴史を学ぶと結局またその民の中での権力闘争が始まる事が分かります。

混沌、混乱状態に。

そのままでは安心して暮らせませんから、統治する人が出てくる。

新しく統治する人は、前の王様を否定する意味で新しい体制であることをアピールする。

その一つの言葉が民主主義に過ぎないのではないでしょうか。

新しい統治者にまず必要な物、それが「権威」だからです。

 

権威とは、立場もありますが、その人の人間性が周りに与える影響と言う側面が強いです。

例えば人が大勢集まっているとしても、

絶対的権力者(会社でいえば社長、政治家でいえば総理大臣)が権力を盾に恐怖心をあおって無理やり集合しているのと、

権威ある人に吸い込まれるように集合しているのでは、

一見同じように見えても中身が全く違います。

先日の即位礼正殿の儀には、世界194か国中183か国(約95%)からの要人参加があったそうです。

これはもちろん義務ではありません。

そして天皇陛下には「権力」は全くありません。

「私(わたくし)心」が無いので、苗字もありません。

日本国の象徴として祈りをささげてくださる存在だからです。

もし権力が有っても、世界の95%の国から要人を参加させることなど決してできないでしょう。

権威なき権力者がはびこる現代に、自らの力を他者に使う事だけを考えている

「権力無き権威」を謙虚に体現される方が国を代表する。

まさに平和の象徴だと思います。

真の権威者の姿と言えるのではないでしょうか。

 

権威なき権力者が、その権力をコントロールせずに振るう事を

「パワハラ」

と言います。

真の権威者からの指示や指導は、つらいことはあっても

ハラスメントなどと言う薄っぺらい言葉で表現されることはありません。

スマホゾンビの現代人は、この権威を身につけることがとても難しくなっています。

その上で権力だけは握りたがりますから世の中良くなるはずがありません。

権威を付けるには経験が必要です。

若くして才能が有れば、事業で成功して権力は握れるかもしれませんが

権威は身につけることは難しいです。

持って生まれた才能が有っても、自分で経験しないと身につかないものだからです。

金(カネ)は権力ではありますが、権威ではないからです。

逆に本物の権威=器の大きさを持っていれば、知識など伴わなくても一角の人になるはずです。

周りが放って置きませんから。

例えば、家康公が現代にタイムスリップしたら…ワクワクします。

その意味で「老いる」と言うのは本来とても素敵な事なのです。

これからの日本を支える学生たちには、下をうつ向いて歩くのではなく

まっすぐ前を向いて、大地から気を頂くように歩いてほしいです。

真の権威は、他者から尊敬されるものだからです。

ラグビーでも、たとえ一時の勝負に負けても権威すら失ってしまってはいけないのです。

 

写真ですが先週の東京は凄い霧でした。

出社時に千葉の自宅を出るときに霧がかかっていても、

東京に入って川を2つ超える頃には晴れているのが普通ですが

この日はこの通り:

Photo_20191031110603

やわらかい水分に包まれた幻想的な景色も、2時間後にはこうなっていました:

Photo_20191031110601

なんだか得した気分です。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2019年10月28日 (月)

平和の大切さ

おはようございます。

先週火曜日、「即位礼正殿の儀」が執り行われました。

雨降りの祝日で、妻とテレビで式を見ていたのですが、

式の始まる時間になると、東京近郊にある自宅でも急に晴れて行くのが分かりました。

明け方の大変な土砂降りのような雨が徐々に止み、ちょうど陛下の帳が開かれるときに陽がさす。

服装を含め絵巻物世界が現実にある事を、約2,000人の世界中の要人が劇を見る様に目の当たりにする。

先週書こうとしていた平和の大切さは、ここにすべて表現されていました。

 

人の存在とは、かように魂性の究極の姿なのです。

それを体を使って日々表現するのが、人間の生活。

当然そこには役割が生じます。

役割の話をすると、現代社会ではなぜか会話がおかしな方向に行きますが、

「役割」

とは差別とは全く関係なく、むしろ対極にあるものです。

総理大臣の役割、もう少し身近なら社長の役割、もっと身近なら家族の中の役割分担…

それは適材適所の結果であれば、どれも平等です。

本来、誇りをもって実践している役割に貴賎などありません。

 

例えば今回の様な国を挙げての儀式になれば、総理大臣の役割は超多忙です。

分刻みに各国の王様や元首との会談、食事会、明日の打ち合わせ、寝る暇もないと思います。

それを知って、うらやましいと思うでしょうか?

またその責任を破綻なく果たせる自信があるでしょうか?

自分を含め多くの人には無理だと思います。

逆に総理大臣が、肉体労働をしようと思えばあっという間にギブアップするかもしれません。

もちろん責任に応じた、報酬他の権利はあると思いますが、

ここで大切な考え方は:

何を自分が要求するのか?

これが適材適所です。

とにかく大きな報酬や地位、名誉、階級が欲しい。自分の自由はいらないという人も居れば、

人に縛られずに自由に生きたい。欲しい物も無いので、ほどほどの報酬があればよい。

これはどちらが良いというものでもありません。

 

あえて言えば、環境がその人に要請していることにチャンネルが合っているか。

そこが狂っていると、その人生は苦しくなってしまいます。

その場合は自分のチャンネルの幅(出来ることや感じることの範囲)を広げるしかありません。

その可能性を追求する自由が平等あるかどうか。

これが人の幸せ実現にとってとても大切です。

怠け者が勤勉な人と同じ満足度が得られる社会、それはむしろ不平等と理解しなければいけません。

この自由がある状態こそが、

「平和」

と呼ぶ状態です。今の日本は平和です。

 

かつて日本にあった戦国時代、その時代を勝ち抜いた徳川家康公は

「二度と決して戦争の世にはしない」

と固く決意されていたのだと思います。

そのために自分のできることを、体の命がある限りすべてやりつくす。

自分の持っているエネルギーを限界を超えて燃焼しつくす。

その結果あるのが現代日本社会、特に東京は家康公が居なければ果たして首都になっていたか。

圧倒的な権力者になった家康公、その徳川幕府も天皇制と共にあった組織であったことは、

世界的に見れば奇跡的で、全く考えられないかもしれません。

 

この様に強い意志を持った政治家が実務を運営する国は幸せです。

その際、資本主義や社会主義、そして共産主義などの「主義」は実はあまり関係ないのです。

民の本当の幸せを実現する、その強い意志の前には誤差に過ぎないからです。

その意味では、深く考えないで使う

「民主主義」

と言うのはとても危険です。

だいたい「民主」の「主義」、ではここで民主とは何なのか?

「民が主」の主義でしょうか。

民は国民、当然大臣だって社長だって国民ですから、

逆に民が主でない主義なんてあり得るのでしょうか?

民の「主(あるじ)」の主義ならもっと訳が分からなくなります。

 

民主主義の実現した社会構造を市民社会と言う様です。

では一般的な独裁国家では、市民に権利は無いのでしょうか?

歴史上、もっとも幸せな事態ともいわれる繁栄期の古代ローマ帝国は、

独裁的な権力者を擁する共和制。

でもそこには差別的階級に落とし込められた方もたくさんいました。

現代的価値観では、きっと認められる体制ではないでしょう。

 

歴史は移り変わり進んでいるのです。

1人1人が社会に貢献し、その上でどんな体制が自分たちにとって最も良いのかを考える。

今の日本はまさにこれができる環境ですが、現代人にとってはそれがベースで生活をしている為

その素晴らしさに気づき、感謝できていないのかもしれません。

先週書いた「負」無き「正」の最たるものです。

感謝と努力、そして守り抜くという根っこが無いのですから、

外部からの力であっと言う間に瓦解してしまいます。

 

政治はだれか自分とは関係ない人がしているのではないのです、

投票に行けば分かりやすいですが、投票に行かないというのも同じく責任なのです。

評論家ばかりでは国は動かないのです。

まず自分がエネルギーを持っていることを自覚する。その表現手段が体。

そしてつらいこともあるけど前向きに頑張る。

エネルギーは物理学でも「仕事量」と表現します。

仕事とはエネルギー燃焼させ自分を表現する場所なのです。報酬はその結果。

自分のエネルギーをぶつける仕事は、前向きに頑張っていれば縁が巡ってきます。

その縁を大切に、そこに自分のエネルギーを注ぎ込む。

それができると、巷にはびこる

「くすぶった状態」

を焼き尽くせるようになり、気にしなくなります。

 

先週からの続きで今日の結論:

平和とは、

やる気のある誰もが、魂の成長を自由にできること

を言います。

 

写真ですが、大尊敬している、エネルギーを燃焼しつくした方です:

Photo_20191025111201

ちょっと「ギョッ」としますが、ろう人形です。

誰でしょうか、筆を握っていますね。

正解は葛飾北斎。最晩年の姿です。

その絵は西洋の名だたる画家たちがこぞって模倣された、

世界最高の画家。

それを見つめているのが、娘の応為(お栄)さん。

父親に負けないほどの天才だったそうです。

粗末な家で、片付けもほとんどしなかったそうです。

墨田区の北斎美術館でいろいろと学ぶことが出来ます。おすすめです。

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

2019年10月21日 (月)

美味しい蕎麦の打ち方

おはようございます。

 

昨日、Wカップ日本戦後半は南アフリカに押し切られ、完敗でした。

大会前からベスト8が目標がチーム目標だったので、目標達成素晴らしいと思います。

事前に、インビクタス/負けざる者たちという南アフリカラグビー代表チームの

映画を見ていたせいもあり、その歴史的背景も含め圧倒されました。

優勝は目指さなければ決して成し遂げられない。

魂のぶつかり合いの現場では、少しの差が圧倒的な差につながるのでしょう。

勝ち残った4チームが優勝を目指すこれからの試合は、きっと日本人を感動させるでしょう。

 

ここのところ仕事について書いていますが、

今日は身近で体験した出来事から考察します。

埼玉のお客様に行く際、その近くにあるお蕎麦屋さんに行くことを楽しみにしていました。

建物も古い平屋の民家を改装したもので趣があり、

立派な床の間や床柱がある大きな和室で蕎麦を頂く。

田舎の親戚に家に行ったかのような心安らぐ空間でした。

自宅からは車で一時間位かかりますが、家族にも食べさせたくて皆で行く事も。

それほど美味しい蕎麦でした。

 

その日もいつものように会社の先輩と、営業前の腹ごしらえにそのお店に。

蕎麦をつゆにつけて一口すすると…二人同時に

「何か変わりましたね」

と。今まで何度も通っているので、すぐに気づきました。

日本蕎麦、しかももり蕎麦という最もシンプルな食事。

味はほとんどつけ汁の味と言っても良いのに、2人が違うと思ったのは蕎麦自体です。

その時はそんなこともあるのか、もしくは気のせいだと思い時間をおいて再度訪問。

ここで確信しました。

「全然違うそばになっている」と。

その後、先代が亡くなり息子さんに代替わりしたと知りました。

使っているそば粉、水、道具、そして基本的手順はきっと同じでしょう。

親子ですから体格や性格も似通っていると思います。

それなのに味が全然違う。

そばに対する気持ちのコメ方が違うとしか言いようがないです。

 

同様な事は、一見シンプルに見える寿司にも言えます。

ネタやシャリが全く一緒でも、握る人の気持ちの込め方で全く味が違います。

もちろん、蕎麦にも寿司にも

「作る技術」

というのはあると思います。でも数値化できる技術であれば、最新鋭の機械で再現できるはずです。

事実工業製品の世界では、職人技をどんどん機械化していますから。

でも味覚という非常に繊細で高度な領域にそれは通じない様です。

食事を味わうというのは、五感、六感をフル稼働させているからです。

上の話とは逆に、同じ人が作った全く同じ料理でも食べる状況で全然味が違います。

  • 高級すしでも緊張する接待の場で食べると、ほとんど味に感想が残らない。
  • 台風の中家族が互いを気遣いながら、身を寄せ合って食べるカップラーメンは美味しい。
  • 楽しい席での酒は、笑う事で消化されるのか次の日に残りにくい…

本物の料理人とは、全知全能をかけて客をもてなすすごい仕事だと気づかされます。

その意味で多くの男が、母の作る家庭料理を一番好きな料理にあげるのも納得です。

 

これは食事に限らずどんな仕事でも同じことがいえると思います。

部品を作るのであれば、それを使う人の気持ちを想像しどれだけ寄り添えるか。

洗濯をするのであれば、開封したときに気持ちの良くなるように気持ちを込めて梱包する。

あらゆる接客業では、その日のお客様の雰囲気を瞬時に察知し最適なサービスを臨機応変に提供する。

 

今の学校の偏差値教育ではこの能力は身につけづらく、数値化もできませんが、

どれだけ良き友人と付き合っているかと言うのはその指標になると思います。

付き合うというのは、スマホの画面を通じたものではなくスポーツや語り合いを通じて。

そして時には互いに悔しい思いをしたり、コンプレックスを感じたりしながら

それをばねにして高め合う。それは「いじめ」「パワハラ」とは全く異質のものです。

人の成長には、正しい事ばかり教えるのではなく、時には「負」の感情を知る事も大切です。

「負」=悔しい思いやコンプレックス

があるから、それを学び克服することで強くなれる。

そして気づくと、以前はあれほど悔しいと思っていたことが全く気にならないばかりか、

その時の「負」の感情に感謝できるようになる。

「負」があるから「正」があるからです。

「負」無き「正」は根っこが無いからすぐに挫折して、その思いを他者の責任に転嫁してしまいます。

子供たちは周りにいる立派な大人に聞いてみてください。

きっと誰もがそんな「負」を前向きなパワーに変えているはずです。

そして気づくはずです、

前向きな大きなエネルギーを発している人ほど、非常につらい「負」を背負い克服していると。

それが人の「魅力」を作り上げているのです。

 

ただしここで大前提があります、世の中は平和でなければいけません。

戦争と言う憎しみの連鎖の中では、人の魂の成長がいびつになってしまうからです。

来週はこのことについて考えます。

ちなみに最初に書いた蕎麦屋さんは、現在は閉店し立派な日本家屋も跡形もなくなって

アパートに変わってしまっています。

きっと多くの人が喪失感でショックを受けていると思いますが、

伝統を引き継ぐとはそれほど責任が重く、かつ難しいものだと実感します。

美味しい蕎麦を打つには、全身全霊で取り組まないと成しえないのですね。

写真ですが、今年もやっと金木犀(きんもくせい)が咲きました

この毎年の色と香りの演出は芸術的だと思います:

2019_20191017140901

去年のブログを見ると、10/1には散っており、オレンジ色のじゅうたんとなっていました。

3週間以上の違い。

少し季節がずれてきているのかもしれません。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2019年10月14日 (月)

JR常磐線自動運転化へ

おはようございます。

台風19号、各地で大きな爪痕を残し今日現在まだ被害範囲が特定できていません。

金曜日には荒川氾濫の危険を感じ、金型やサーバー、製品をできるだけ高いところにあげていました。

結果的には都市部での荒川氾濫はなく、会社には被害はありませんでした。

報道では千葉方面の心配をしていましたが、今回は台風被害が山側に集中しています。

自然災害の恐怖、特に洪水は人との格闘の歴史があり為政者の最大の仕事と言っても良いものです。

今一度、関東湿地での徳川家康公の仕事について皆で学ぶ時かもしれません。

数十年に一度が毎年起こる昨今、防災計画の見直しが必要です。

今週は防災の観点からも必要な考え方について考察します。

 

先週は、JR常磐線が2020年にも自動運転化試験開始という報道がありました。

少し前にも京急線で悲惨な鉄道事故がありましたが、

個人的には自動運転化していれば防げた可能性もあると考えていました。

過去にも人為的ミスによる、鉄道大事故が周期的に起きている気がします。

先日書いた医療診断のAI化でも触れましたが、確かに自動化によるミスもゼロではないと思いますが

人のミスとの比較になると、優位性があります。

近い将来、「電車の運転手」というのは「改札の切符切り」と同じように

昔の風景になってしまう事は避けられないです。

 

かつての切符切りは、電車で通勤通学する人であれば必ず接した日常でした。

きっちり制服を着て、リズミカルに改札ハサミを鳴らし、

子供の目には誇らしげに仕事をしていて格好良く見えました。

まさかその風景がなくなるとは、当時は全く考えませんでした。

又、最近見なくなった風景は、信号機のLED化により

「信号機の電球交換」

の仕事が全く無くなってしまいました。

この考えを進めると、これから選ぶ仕事とは、

今人気があるから、今儲かっているからという尺度ではなく

機械(AI技術)に出来るか、出来ないかで判断しないといけないかの様です。

 

ただし、ここで気を付けなければいけない事があります。

「機械化、自動化の先にある世界はどうなるのか」

という考察です。

世の中が自動化された機械により動くようになると、

逆に人間の生活が機械の一部の様になってしまいます。

知識はスマホから得て、娯楽もスマホゲーム、人とのつながりもスマホのSNSサービス

体調管理もスマホのデータ、仕事の予定調整もスマホで、報告書もスマホで…

会社に行けばパソコンと向き合って、工場でも機械を動かすための端末操作。

自分で思考して身につけたつもりになってる考え方も、

ほぼスマホ先生が教えてくれたことではないでしょうか。

その教えを真似て、反応しているだけ。

体への命令を自分の脳(使命)ではなく、スマホがしている状況です。

 

医療についての考察では、患者を励ます事が出来る医者が必要と書きましたが、

その他一般的に、AI化されない仕事とは何でしょう。

自分の属しているプレス加工分野でいえば、

誰も作ったことのない金型を設計できる能力。

これは絶対に無くなりませんし、ますます価値が増します。

前例がある加工では、今後おそらく設計すら自動化すると思います。

金型もその自動作成されたデータに基づいて部品を作ってしまう世界。

そして必要なのは、やはり工場や会社同士を繋げる人です。

繋げるとは、AIによるマッチングなどではなく:

他者、他社の気持ちや能力を理解し気持ちよく仕事をする関係を築ける人。

互いを尊重し合い、高め合い、感謝し合い、良い気持ちに出来る人。

ここでも他者を気持ちよくできる「気」という事がキーワードです。

 

色々書きましたが、令和の新橋では、まだこんな光景が残っています

Photo_20191009130401

もちろん靴を磨いているだけにも見えますが、

自分には「気」をやり取りしている風景に見えます。

心を込めて磨き上げる、お客さんもそれに応えて感謝の気持ちを送る。

その気を受けたお客さんも靴だけではなく、何だか気持ちも綺麗になる。

だからこそ何とも言えない暖かい空気がそこに流れる。

現代科学はまだ「気」の流れや量、質を定量化(見える化)できないので、

物事を金銭上の損得でしか判断てしまいがちです。

でも近い将来見えるかすれば…きっと仕事の価値を「気」の面からも

はっきり測ることが出来るでしょう。

金銭はそれに応じる付属物。

 

ここに先ほど書いた

「自動化の先考察」

の答えがあります。

人が人らしい生活をして助け合っていれば、どんな仕事でも輝きます。

仕事は選ぶものではなく、運命に従い、使命感を持って磨き上げて行くものだからです。

我々を産み、育ててくれた母は迷いなくそれをしてくれているのです。

被災からの復興については、物の観点からの復興と共に心の観点の復興が重要です。

心配する:気を配る。

祈願:祈り、願う。

出来ることから一歩ずつ。

 

今週も読んで下さりありがとうございました。

2019年10月 7日 (月)

理想の働き方とは

おはようございます。

先週は「必要な仕事」について書きましたが、結論は職種ではなく

どれだけ他者の魂に寄り添え、必要とされるかという事でした。

どんな仕事でも、それができればロボットにはとってかわられる事はありません。

今週はその時の働き方について考えます。

 

高額当選の宝くじの話がでると、

「当たれば一生遊んで暮らせる」

などと話をすることがあると思います。

もちろん多くの場合は、良く考えないでありえない事として話していると思いますが

ここではちょっと具体的に考えてみます。

 

働かなくても、自分の好きなことだけして「暮らせる」お金があるとします。

さて次は、遊んで暮らせるの「遊び」です。

何をしましょうか。

365日ゲームをする?間違いなく体を壊しますね。もしくはEスポーツの世界に進出?

365日毎日ドライブ?せっかくなら個人タクシーの資格を取って、好きな車に毎日乗った方が良いですね。

365日毎日サーフィン。大会に出ないとつまらないですよね、オリンピックめざしましょう。

おっと、いずれの場合も、毎日できるほどの熱意があれば勝手に賞金や給料を稼ぐ

「プロ」

になってしまいますね(笑)。

それでは遊びとは言えません。

目的や目標無く、余暇を兼ねて、でも真剣に何かをする。これはとても難しいです。

体力と気力が維持できません。

もちろん毎日だらだら無目的に過ごす、これなら可能でしょうがすぐに飽きます。

いずれ体力が落ちて、最後には精神が破綻します。

 

では健全な目標とは何か?

すでに答えを書いてしまっていますが、それは:

「周りから見ると、遊んでいるように仕事をする」

なのかも知れません。

でも当人は全身全霊でそれに打ち込んでいるからこそ、

周りから称賛されたり羨まれたりするポジションまで到達できる。

そして自分のやっている事で、他者の役に立ったり、勇気づけたりすることが出来る。

マンガに出てくる、ヒーローの様な存在でしょうか。

 

世間で称賛されている経営者でも、個人的にお付き合いさせていただくと一人の人間です。

毎日起こるいろいろな事に悩まされ、将来の心配の種は尽きない。

それでも自分の力を信じて明日を切り開いて行き、外ではだれにでも明るく振舞う。

自分が組織を運営するという使命をもっていると、深く自覚しているからこそ

愚痴など言う気持ちが湧く隙もない。

経営者だけではなく、他の職業でも同じだと思います。

どんな業界でも、トップセールスマンは一見遊んでいるように売り上げを上げます。

顧客からの信頼がある上に、

もしくは信頼を得た社会的影響力の大きな人からの紹介からスタートするので、

今ならラグビーの話などを楽しそうにしながら高額契約をとったりしてしまいます。

頑張っても話さえ聞いてもらえない営業マンから見れば、

「楽しそう」「楽そう」

としか見えませんよね。

でもそこに至るまで、常人では及ばないほどの気配りと苦労を重ねていることが多いです。

その見えない部分こそ

「他者に頼られる技」

です。

 

とんでもない努力をするから、人ができないことが出来るようになり

人ができないことだから、努力していない人からは

「あの人はもともと特殊な能力を持っているんだ」

などと思われる。

人ができないことが出来るのだから、

「楽しそう」

に見える。これが

「遊んでいるように仕事をしている人」

の正体です。

修業を積む年代に人より苦労をし、結果としてその道を究めた人になる。

今は「パワハラ」という何だかあいまいな言葉で、

その修業を積むことがとても難しくなっている気がします。

だから40歳を超えても「自分探し」。

自分は探すものではなく作り上げるものです。全面的に自分の責任で。

今週の写真は、出張で行った岩手県遠野市で撮りました:

Photo_20191004102101

見たことのない土器でした。

なんと3000年前!西暦では紀元前です。

このほかにも石で作られた鋭利な道具も展示されており7万年前!!

周囲を山に囲まれた遠野市、今でも他所と違う文化レベルの高さを感じますが

古くから積み重ねられてきたものだと深く学びました。

今週も読んで下さりありがとうございました。

 

2019年9月30日 (月)

次世代に必要となる仕事とは

おはようございます。

ラグビーワールドカップ、やはり盛り上がってきました。

地元開催で数万人の応援がある、これはとてつもない力を発揮するのですね。

今日はそんな、目には見えない力について書きます。

 

先週の最後に、「モノづくり」で世の中を一変させる偉人について書きました。

今週はこれを補足します。

 

先週末に医師をしている友人と会う機会がありました。

同じ年頃の子供がいるので、

「子供たちは今後はどんな仕事を選ぶべきか」

という話になりました。

彼の答えは

「AI(人工知能)関連」

以外にも

「医者はほとんどいらなくなるよ」と。

曰く、

「症例が細かすぎ、また処方する薬も種類が多すぎるので人間の対応には限界がある」

「AIロボットに症状を話せば、適切な診断を下し、間違いのない薬が適切な量で処方される」

たしかに機械が間違えた診断を下す可能性もありますが、それは人間が診断しても同じです。

ただし、人間の医師にしかできないことがあるとも。それは:

 

「患者さんの声を聞いて励ます事」

 

この話は非常に重要です。

「励ます」とは、科学的に言えば見えない物です。

「かめはめ波」の様に、目に見える電流を相手に注入するわけではありませんから。

また機械の音声でも励ましの言葉を発せますが、そこにはエネルギーはありません。

実はここが現代科学の限界だと思っています。

科学は何でも可視化しようとしますが、いつも観察者である人間を上位に置きます。

でも先週書いたように、人間の存在自体がよく分かっていないのですから

そこには自ずと限界があります。

 

皆知っているのですよね、

信頼する人からの心のこもった励ましが、どれほど強いエネルギー持っているかという事を。

そしてその逆も。

特に自分の体調が悪く、不安に思っている患者さんであれば一層その思いが強いです。

自分にもこんな経験があります。

患者に向き合わずカルテだけ見ながら話しする、先端医療を標榜する医師の言葉に怒りを覚え絶望し、

伝統的手技治療をする先生のまっすぐな視線と

「大丈夫、治るよ」

の言葉で一瞬にして救われたことが。

実はその瞬間に「治療」はほぼ終わっていたのかもしれません。

後は「元気前向きパワー」をもらった体の自己修復機能がメインに。

ときには薬に頼り、安心することでその機能が働くこともあると思いますが、

やはり大きいのは目を見て人から直接いただく言葉によるものだと思います。

それほど、人のエネルギーは大きなものです。

スマホ中毒の現代人は、これを忘れさせられていないでしょうか。

繰り返しますが、適切な診断を下すだけであればAIで十分ですから。

でもその場合、「救われる」ことから始める治療はかなり難しいかもしれません。

 

「医師はいらなくなる」

「医師が居なければ本当の治療は始まらない」

これ矛盾するようですが合っているのです。

「人の気持ちが分からない医師は:いらない」

「人の苦労をくみ取り、励ませる人格を持った医師:引く手あまた、いないと困る」

 

ちょっと遠回りしましたが、これはモノづくりにおいても同じです。

一見同じようなものに見えても、そこに工夫や努力が詰まっているものは光ります。

そういうものは、分解しない限り見えないところまできっちり作ってあります。

日本が施工すると信頼性が高い、トンネルや橋、高層ビルといった大きな構造物に目を奪われますが、

実際に身近で使っているものにも、先人の努力が詰まっているものが多いです。

規格化されたものであれば、きっとロボットが複製大量生産できる世の中になると思います。

でも誰も作ったことのないものは、人間がエネルギーを注ぎこまなければ実現できません。

その「エネルギーを注ぎ込む」

という行為こそが、人が生きていると実感できる事です。

もっとも身近な例でいえば、「おはよう」「おやすみ」といった日常のあいさつです。

そして自分のしたことが人の役に立ち、感謝される

これほど幸せな状況はありません。

そんな仕事を職人仕事と表現することが多いですが、

物のない時代は誰もが職人気質をもって仕事に取り組んでいたと思います。

困っている人、必要としてくれる人のために、自分ができる範囲で物を作る。

人の一番幸せを実感する仕事を、儲けは後回しで、地域の皆が協力して行う。

かつての墨田区もそうだったと思います。そりゃ街も活気づきますよね。

 

これから社会に出る子供たちは:

自分が大きな可能性を持っていることに気づき、そのエネルギーを何かにぶつける。

生きている限りぶつけ続けられる、そんな仕事を見つけてほしいです。

きちんと前向きに仕事をしていれば、生活に困る事は決してありませんから。

 

写真ですが、少し前にものせた「セイタカアワダチソウ」です。

Photo_20190927132301

台風15号の風にも負けずまっすぐ立っています。

いくら高くても、子供が片手で引っこ抜けるほど根は浅い。

それでも暴風に耐えてしまう。人の知恵、科学が解明している範囲の狭さを実感します。

でも中にはやっぱり風に負けてしまったのも:

Photo_20190927132501

ちょっと分かりにくいですが、写真右側から左にかけて倒れてしまっています。

そしてその先は、さらにまっすぐに立ち上がり伸びています。

夏も終わりそろそろ枯れ始めているのもありますが、

これは倒れたからか?最後の力を振り絞ってまっすぐに立ち上がろうとしています。

きっと理由や理屈など関係なし、命が燃焼をする姿を見せてくれます。

このエネルギーはたった一粒の種に秘められているのです。

そう思って見ると、大きな力を感じ勇気をもらえます。

今日も読んで下さりありがとうございます。

2019年9月24日 (火)

目標を「立てる」

おはようございます。

先週は、ラグビー誘致を魂で実現された方の話を書きました。

当時はだれもがありえないと思った、ラグビー弱小国日本でのワールドカップ開催。

一人の意志が周りの方を巻き込んで実現させた。

今週の話として、この時の状況を

「目標を立てる」

と表現します。

 

日々暮らしていると、人は横のつながりを頼る事によって生活しています。

母親が子供に弁当を作る、会社に行って仕事をする。

日々の活動をSNSで表現し、友人と共有する。

自分の持っているお金を払って、コンビニで弁当などを買う…

いわゆる日々の活動。

あまり意識しないで行うルーチンワークです。

現代人は飛行機やネットなどを使う為、その活動の範囲がとても広いです。

つながりは、横に横にピザの生地のように広がっていきます。

 

翻って、目標を立てるとは垂直方向の働きをします。

それは「ルーチンワーク」ではないので、一般的に困難を伴います。

まず、普通に生活している人にはなかなか理解してもらえません。

異質な行為ですから。

強い意志が無いと、平らな方向に引き寄せられて終わってしまいます。

でも、前回書いたような命がけの強い意志を持った目標に対しては

その魂性に同調してくれる人が現れ、どんどん高く昇って行きます。

そして多くの人が見あげて称賛するようにすらなる。

この状態を作り出せるのは、体の働きではなくて意思。

意思とは志であり、魂の叫びです。

これができることが、人間と他の動物を分けている唯一の違いかもしれません。

 

動物(犬や猫、豚さんや牛など)も、日々自分の体の安楽と維持を求め暮らしています。

日が照れば日陰に移り、お腹がすけば食事を探し、眠くなったらゴロンと横になる。

飼い主(エサを与えてくれる人)がくればかわいく振舞い、媚を売る事も。

繁殖期に入ればパートナーを探して子供を作る。

その後も、特に雌は自分の子供を一生懸命育てしつけをすることもあるでしょう。

これらは体の命をつないで行くための、横方向の当たり前の行為です。

 

私たち現代人はこの動物たちと同じようなことが出来ることで

満足してしまっているかもしれません。

ふと、それは「逃げ」かもしれないと思う時があります。

もちろん、家事や仕事で工夫をし誰かの役に立つことは尊いことですが、

それも多くの動物がしているとは言えないでしょうか。

身近なアリさんも、力を合わせて来る冬に備えています。

 

仏教に「月のウサギ」という話があります。

力尽きて倒れていた老人を、サル、狐、ウサギが助けようと決意します。

サルは山で木の実を、狐は川で魚をとってきて老人に食べさせます。

ところがウサギは何も取れません。

どうしても老人を助けたいウサギは、サルと狐に頼んで鍋に湯を沸かしてもらいます。

そして煮立ったところで、

「自分の体を食料としてください」

と飛び込みます。

その刹那、老人が本来の姿「帝釈天」に戻り、ウサギを助け、

その善行を後世に伝えるために月へと送った。

という話です。

 

普通に生活している日本人(自分も含め)は、このような考えに接する機会が殆どありません。

上の話を知ると、真の宗教とは何かをお願いする存在ではなく、

人として生きるための垂直の道筋を見せてくれていると気づかされます。

体はそれを実現するための道具であり、人間としての主は「魂」であると。

もし体の安楽が主であれば、他の動物と差がはっきりしなくなります。

 

目標を立てる=志を立てる。

その姿に魂がゆすぶられ人は進化していく。

その思いや波動は、たとえ体の一生が終わろうとも後世まで受け継がれていく。

一代では終わらない真の偉人の一生です。

誰もがそこに到達できる可能性があるのが、人間のすごさです。

モノづくりの世界では時々そんな偉人が現れます

「世界初」の製品化などで世界を一変させますから。

 

写真ですが、雨上がりの朝に会社近くの首都高環状線からの景色(助手席から撮影):

Photo_20190919145801

少し高いところに目線を移すだけで、山の稜線がくっきり見え

正面にはっきりと富士山が見えました。

事務所にいれば決して気づけない景色です。

今週の内容と同様、垂直方向に目線を移す大切さを学んだような気がしました。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2019年9月16日 (月)

ラグビーワールドカップ開幕 誘致実現に至る英雄の話

おはようございます。

今週金曜日、ラグビーワールドカップが開幕です。

ラグビーはイギリスで特に人気があるスポーツですが、

日本ではまだ国全体で盛り上がる程ではないかもしれません。

ただ、実際にスタジアムで観戦すると誰もがその魅力に引き込まれると思います。

激しい中にも、統率の取れた気高さを感じるというか。

きっと今回のワールドカップで日本チームが勝ち進めば、一気に盛り上がると思います。

 

先週、元ラグビーヤマハ監督、清宮克幸氏の講演を聞きましたので、まとめます。

話の骨子は、今回のワールドカップ誘致を言い出した方の話です。

その方は奥克彦氏。

この方は外交官で、清宮氏と同じ早稲田ラグビー部の先輩。イラク銃撃事件で亡くなった方です。

奥克彦さんは、早稲田でラグビー部に入るが、同時に外交官になる夢も持っていました。

ただ学業を続けるためにアルバイトもしなければならず、

泣く泣くラグビーをやめなければいけなかったという経験があったそうです。

その後、願い通り外務省に入省し海外留学に行けることに。

そこではラグビーの本場英国のオックスフォード大学を選択。

そしてラグビー部に入部し、とても異例なことに一年目でレギュラーに抜擢。

そして五試合に出場。

二年目はさらなる飛躍が期待されていたが、ちょうど留学されてきた天皇陛下(当時の皇太子)の世話役を

引き受け試合への出場は減ったそうです。学生ですが、外務省職員ですから。

その当時帰国すると必ず会っていたのが、早稲田ラグビー部先輩の森喜朗氏(元総理)。

ラグビーの話を熱く語り、その中で日本でのワールドカップ開催の話もされていたそうです。

2003年11月に悲しい事件が起きてしまい奥さんが殺害されると、

森さんはその遺志を継ぐために本格的に誘致活動に本腰を。

この経緯を知っていると、ラグビーワールドカップが日本で開催されることが

「偶然」や「幸運」

ではなく、強い意志で達成されたことに気づかされ、観戦にも熱が入るのではないでしょうか。

 

奥さんが常に大切にされていた言葉が

「ノブレスオブリージュ(フランス語)」

直訳すると

「高貴なるものの定め」

この言葉を知り、清宮さんも行動が変わったそうです。

奥さんがテロリストに殺害される直前に、週刊誌に「狙われる外交官」という記事が載ったそうです。

そこには奥さんの名前も。

そこで清宮さんが、奥先輩に注意喚起のメールを送ったところその返事は:

「メールありがとう。今、外交官としてイラクの子供たち、そして日本の為に働き生きている。

 どうして帰れようか。まだハーフタイム。ノーサイドまでは帰れません。ダイハードです(笑)」

それが最後の連絡に。

(ダイハード:映画にちなみ「どんな危険でもなかなか死なない」の意味)

 

奥さんの死後、知人が集まると最初は

「なぜ奥さんが殺されなければならないのか」

と皆荒れたが、次第に

「俺たちのできることをやろう」

と考えがまとまっていったそうです。

そして奥さんがイラクでやろうとしていたことをたどると、それはイラクの子供たちへの教育支援でした。

そこで「奥:井ノ上(一緒に行動し殺害された外交官)基金」を作り、数百の学校に黒板や図書、地図を

送ることが出来たそうです。

贈った黒板には端に日本国旗が描かれているので、多くのイラクの子供たちが日本国旗を見ながら勉強をする事に。

ノブレスオブリージュは、出会う人や、そのタイミング、時間によっても変わって行くと。

清宮さんはヤマハの監督を退任後、一度ラグビー界を離れる決意をされたそうです。

その後協会内のクーデターがあり、再度より重要な責任者としてかかわる事に。

今の清宮さんにとっては日本のラグビーを作り上げる事と仰っていました。

(講演引用ここまで)

 

ラグビーワールドカップ誘致へかける情熱。個人的には森さんへの見方が変わりました。

ここまでスケールの大きな話ではなくても、我々一人一人やるべきことを見据え、

そこからぶれない様に日々大切に一生懸命生きることは、とても大切な事です。

目標は、一見小さなことでも十分貴重だと思います。

学生であれば学年で50位以内に入るとか、スポーツの大会で一回戦を突破するとか。

社会人ならミスなく業務を行う、安全運転で確実にものを届ける、

事故無く日々の予定通りの数量の製造を終える、など。

目標を見据えて生きている人は、一見同じように見えても「歩き方」や「目」が違います。

社会が停滞している外国に行くと、目標無くぶらぶらと歩いている人が多いです。

当然目つきも悪くなり、治安が悪化して共同体が壊れていきます。

自戒の意味も込めて書きますが、

目標無く生きてしまうとあっという間に時は過ぎてしまいます。

逆に見定めた目標は、かなり高い確率で達成できると実感しています。

もし先が見通せない時間があれば、決して不安にならず、

次の目標を見つけるための勉強の時間ととらえればよいです。

目標を見据えるというのは、きちんと生きるために何より大切な事だと思います。

そしてもう一つ、目標を見据えるために必要なこと。それは

「縁を大切にする」

という事。

清宮さんの話は、ここに書いた以外もほぼ全て「早稲田ラグビー部」つながりでしたが、

それは早稲田のラグビー部が特別という訳ではなく、

知り合った縁を大切にして、つないで行った清宮さんのすごさだと思います。

きっと明治のラグビー部に所属していても、同じような仕事をされていたと思います。

一所懸命に。

ラグビーワールドカップ誘致の話から深い学びを頂きました。

 

写真ですが、台風15号の被害状況です。

千葉県は本当にひどい被災状況で、まだ被災状況も分かっていない状況ですが

身近なところでも被害がありました:

Photo_20190912141101

小学校脇の通勤路には、人の手では動かしようがない大きな木が道をふさいでいました。

ちょうどぎりぎり一台分のスペースがあったので、混乱状況にならずに済んでいます。

会社の駐車場では:

Photo_20190912141301

壁が倒れていました。

いつもはこのスペースに皆が自転車を止めています。

こちらもぎりぎり駐車中の営業車をかすめるように倒れています。

どちらも後少しでより被害が大きくなるところでした。

幸運です。

今日も読んで下さりありがとうございました。

«本当は怖い合理的な事

フォト
無料ブログはココログ