2019年8月12日 (月)

中高生の夏休み事情から見る会社経営

おはようございます。

8/15まで夏季休暇をいただきます、お急ぎの内容は担当携帯まで連絡いただければ幸いです。

 

今日の話ですが、子供らの夏休みの状況です。

毎年夏休みには、どこかに家族旅行に行っていましたが今年は学校行事が忙しすぎて

お盆休みの時期しか皆で一緒に過ごすことが出来ずに断念しました。

また、いつもの夏休みは子供らが家にいることで生活リズムが変わり、

疲労を訴える妻が、今年は逆に2人を心配する状況になっています。

どうしてかと言うと:

 

まず私立中高一貫校に通う長男は、去年まではスキー部で夏は暇でしたが、

高校に入った今年からバレーボール部に入部。

スキー部は全国大会常連でしたが、成績上位者はメーカーサポートを受けていて

夏にはニュージーランドで合宿をするような部活で、普通入部者は肩身が狭かったようです。

反面、男子バレーボール部は中学には無く高校からなのでほぼ横一線スタート。

スキーで鍛えた基礎体力と、運動神経には自信のある長男には面白くて仕方がないようです。

ほぼ毎日学校での練習か対外試合に出かけていきます。

遠くの学校での試合の場合は、ゴルフに行くかのような早朝に出かけていきます。

 

長男も忙しいですが、中学受験をせずに地元の公立中学に通っている次男は更に大忙しです。

部活は野球部なのですが、良くも悪くも「昭和の部活」です。

試合に負ければ日が暮れるまで特訓、誰かのミスは連帯責任でグランド10周、

試合中のサイン見逃しなどもすぐに集合して円陣、監督の雷が落ちる…

こちらも長男に負けず、ほぼ毎日朝から練習か対外試合。

二人に早朝から(時には5時前から)弁当を作る妻は本当に大変です。感謝。

先輩たちの活躍で「強いチーム」となっていて、とんでもない遠く(銚子や木更津)まで

対外試合に呼ばれて行きます。

大体夕方に帰ってきて、シャワーを浴びてすぐに塾の夏期講習。

帰ってくるのは22:00過ぎです。

もちろん合間に休みもありますが、次男は体力回復に努めています。

学校が楽しくて仕方がない長男は休みの日も遊びまわっていますが、すごい体力です。

 

でも本当に大変なのは、毎日指導してくださっている先生です。

僕らの頃は、先生の指導などなくても生徒が勝手に部活動もしていたようにも感じますが

今は事故の心配もありそんな事は許されない様です。

特に次男の野球の先生は、「野球だけ出来てもダメ」という信念をお持ちで、

部活の時間が始まる前の午前中に、勉強の指導もしてくれています。

その上、全部員が毎日の部活の後に書いている「野球ノート」のチェックも欠かさずに。

最近の中学生は皆礼儀正しくかわいいです。

スクールウォーズ世代としては地元公立校の変わり様にびっくりです。

先生には全く頭の下がる思いです。

 

7月初めに行った中国(上海、蘇州)では、ちょうど夏休みが始まった時期でしたが、

部活動などなく、7、8月の2か月間は全くの休暇と言っていました。

その分塾が人気になりそうです。最近まで一人っ子政策だった中国は教育熱もすごいですから。

日本でも地域性はあると思います、夏休みの課題もなく、テストの採点ですら親にまかせっきりで

先生は定時に帰ってしまう学校もあるそうですから。

 

ちょっと脱線しました。

あまりにも忙しいので、息子2人に聞きました

「辛くないのか?」と。

すると2人とも、どう見ても辛そうなのに、

「楽しいからやっている」と言うんですよね。

自分で決めて、指導に従って頑張る事によって個人の能力が上がり、チームとしても成果を出せる。

それは体力的には辛くても、

「とても気分が良い事」

なのだと思います。

あとは先輩に指導してもらったり、褒めてもらったり、そして一番大切なのが

「仲間に頼られる」

という事。そりゃ魂が揺さぶられて気分が良いです。

まさに「生きている」という状況ですね。

運動を通して仲間と共にチームプレイという最も大切な学びができている。

2人の周りにいる中高生を見ていると、日本の将来が楽しみになります。

 

この状況、チーム意識の大切さ、社会人の会社組織でも全く一緒ですよね。

ある意味、仕事=部活。しかも部活よりはるかに長い期間続く。

国としての経済成長期を過ぎ、成熟期に入った日本。

今までの様に、「作れば売れる」時代はもう来ないと思います。

昨日と同じことを一生懸命やれば給料が増える、という「夢」

従業員はもちろん組織もそんな夢を見られなくなってきています。

かと言って、部活と違い会社は利益を生み出せなくなれば存続させることが出来ません。

会社を続けるために必要なのが夢ならば、経営者が先頭に立って皆で作り出すしかないのです。

 

最初は良く分からずに始めた仕事、でも長い時間過ごすことにより

指導する立場にもなり、お客様や仲間から頼られるようになる。

そうなれば仕事はむしろ楽しくなり、気分が良くなる。

そう考えると、「残業」に対する考えも変わらないでしょうか?

特に製造業においては、技を磨きたいから、またお客様や仲間の期待に応えたいから

定時で帰らずに静かな中で集中して仕事をしたい。

もちろん生産を間に合わせるために、個人の体力や時間を無視した重労働は問題ですが

個人の意思で時間外労働をしたいというのは、むしろ健全というのは言い過ぎでしょうか。

もちろんすべての人や組織がこのような仕事をできるとは思いませんが、

そこを目指すことをやめてはいけないと思います。

夢を作り出すために。

 

息子らの一見苦しそうに見える部活から、大切な学びをもらえました。

 

写真は近所の公園、盆踊りの風景(昼間)です。

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死者を供養する行事を、年代関係なく人が集まって行う。

また、娯楽の少なかった時代はお祭り的要素=男女の出会いの場といった意味も合ったそうです。

どちらもとても大切な事だと思います。

現代人は「個の尊重」ばかりを教えられ、自分が属する組織を守る大切さ・価値を教えられません。

組織無き人は全くの根無し草になってしまいます。

周りに人が居てくださってこその自分、一枚の写真からも良き学びが得られます。

今日も読んで下さりありがとうございます。

 

 

2019年8月 5日 (月)

クルマの未来

おはようございます。

7月は会社主催で一泊ゴルフに行ったことを報告しましたが、

その際に会社の車(トヨタ クラウン)を使いました。

この車には自動運転技術が搭載されており、

  • 前車との車間距離を一定に保つ
  • その際の車速は任意(新東名開通に合わせ、115キロ/時といった上限廃止)
  • 渋滞時は完全停車まで自動、再起動・加速はアクセルをちょっと踏めばOK
  • 車線の白線がきちんとあればハンドル操作も自動(工事等無ければ問題なし)

  補足:ちなみに、日本は規制が厳しいのか上記までの対応ですが、最新の欧州車は

     ウインカーの操作だけで周りの車の状況を判断して勝手に車線変更をしてくれるのも珍しくないです。

といった機能のお陰で、高速に乗ってから降りるまでボーッとハンドルを持っているだけでした。

おかげで暇な時間にこれから書くようなことを考えました:

 

今回この自動運転機能を使って長距離を運転するのは二回目でしたが、一回目は疲れました。

初めての自動運転体験への緊張、

どこまで信用して良いか分からない不安、

自分の感覚とちょっとずれた車線内の位置と加速感覚。

楽になるはずの自動運転でも、慣れないと逆に数倍疲れます。

今回は二度目だったので、そんな疲れもなく目的地に到着。

ここで思いました。

もともと車が大好きで、運転すること自体が趣味。

ただこの日は、運転した感覚がないんですよね。考えれば当たり前ですが…

車の運転をする喜びは、

アクセルを踏んで加速する、

適切なブレーキ操作で減速、

そしてハンドルを切って思い通りに曲がる。

そこから生まれる車との一体感。

ハンドル操作すら不要の自動運転では全くありません。

 

クラウン自体が4気筒エンジン(エンジン音に色気がない)ハイブリッドカーなので、

街中で普通に運転している時も

「なるべくエンジンを動かさない」

で燃費を稼ぐゲーム(20km/l目標)に没頭することにしか楽しみを見出せませんが

高速の自動運転ではエンジンの存在自体無意味になります。

4気筒どうこうではなく、もはやモーターで十分です。

 

これから、もう少し世代が進むと、

「おじいちゃんの若いころは、ガソリンを燃やして走る車に乗っていたんだぞ!」

と孫に話しているかもしれません。

「危ないものを燃やしていたんだね」

なんて言われながら。

 

それを達成するには、革新的なバッテリーの進化が必要ですからすぐには実現できないでしょうが

数十年という単位では必ず達成されると思います。

それまではガソリンに変わって、人工的に作られるバイオ燃料で動く発電用小型エンジンを積み、

高効率バッテリーと合わせててバイオ燃料1リットル当たりの走行距離100km

走るような技術がつないで行くと思います。

おそらくその時には、車の種類は今の家電と同じように機能上の差異はあまり意味をなさず

どれだけの荷物や人を運べるかといったサイズとデザインで区別されると思います。

行先を入力するだけ、後は自分の時間を過ごしていれば目的地に着いてしまうのですから。

こうなると、まさにクルマではなく「自動」車です、そして電動の「電車」。

望みの場所に行けるという意味での「乗り物」としては、現代の様な「電車」と「自動車」の

区別が無くなるかもしれません。

既存インフラである「線路」すら共用するような世界。

 

経営者の仲間でも、車に興味を失ったような人が増えてきています。

たぶん前の世代の経営者であれば、車に興味が無くても新車を買って、

その車に相乗りしてゴルフに行く!というのがステータスだったのかもしれませんが

今は真の車好き以外車の話をしないように感じます。

そして車の話の中身も、レクサスやメルセデスの新車の話ではなく昭和や平成初期のスポーツカーの話。

 

その様に考えると、様々な規制があっても趣味としてのガソリンで動く車は残るかもしれません。

ただ、直せる人が残っているかが課題でしょうが…

 

と自動運転をしていると、運転に集中しなくてよい(疲れるので、してはいけない?)ので

いろいろな事に思いをはせることが出来ます。

便利になって余った時間をどのように使うのか、これが人類にとっての最大の課題かもしれません。

思考を放棄してはいけません。

 

写真ですが、思考を放棄しても良い時間です:

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近所の花火大会。

スマホで録画し、すぐにネット上に配信。もちろん音も鮮明に。

そう考えると、スマホは放送局です。

かつてなら、移動のバス、カメラマン、音声さん、中継にかかわる多くの技術者…

それが小さな箱にすべて入ってしまう。

そんなこと考えずにただ、無心で花火を見る:

するとこの日に向けて準備してくださっている人の魂に通じ、よりきれいに見えます。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2019年7月29日 (月)

お金とマネーの違い そして電波時計修理

おはようございます。

先週はISOの継続審査があり、従業員の努力により無事更新が進みました。

定期的に外部の方の目が入るという事は、とても大切で貴重な機会だと思います。

 

今週の題ですが、前にも使ったことがあるかもしれません。

7年も同じようなことを繰り返し書いているので、似通ってしまいます。

内容はその時に気づいた最新のものなので、皆様と共有させていただければ幸いです。

 

先週はこんな風景に出会いました。

会社の近所のお肉屋さんで、お昼の弁当を注文し出来上がるのを待っていたところ

一人の少年がまっすぐ入ってきました。夏休み期間ですからね。

小学生の高学年くらいでしょうか、慣れない雰囲気でちょっと緊張気味です。

店員さんに一生懸命に注文するのですが、ちょっと活舌が悪くなかなか聞き取ってもらえません。

店員さんも若くないですからなおさらです。

やっと家族の分と思われる注文が通ると、大切そうに持っていた白い小さながま口を丁寧に取り出し、

お金があるか確認しています。

きっとお母さんが普段使っているものなのでしょう。

別にどおってことない日常の風景ですが、何だかその光景に心を奪われました。

姿勢を全く崩すことなくすくっと立ち、疑いのない涼しい目で必要な物だけを見すくめるような表情。

なかなか注文を聞いてもらえなかったから、注文を聞いてもらえなかったのに…

頑張れよと、応援したくなりました。

 

このシーンで大切な役割を果たすのはお金です。

自分の弁当が先にできたので、少年の支払い風景は見られませんでしたが

きっと間違えの無い様に丁寧に、そして謙虚に、感謝しつつ、

落とさない様に丁寧に店員さんに手渡しして支払いを終えたと思います。

お釣りもしっかり入れて、「パチン」とがま口を閉じて。

お金に気が乗り移り、単なる支払いの道具として以上の価値が見える様な気がしてしまいます。

特にこの日に会った少年の様なピュアな人が使うと。

硬貨や紙幣を通じて、気持ちのやり取りをしているのが見える様です。

 

その様に考えると、日本では神社やお寺に行けばお賽銭を感謝しつつ投げる。

お地蔵さんにも同じように感謝しつつお金を置く。

正月のお年玉もかわいいポチ袋に入れて渡す。すぐに中身を確認して叱られたものです。

まずは気持ちを頂くものだからですね。

子供の頃はそんなこと全く気づきませんでした。

 

よく日本ではマネーの勉強をしていないと言いますが、実は小さなころからもっと大切な

「おかね」

の勉強を繰り返してもらっていたのかもしれません。

確かにキャッシュレスは便利かもしれませんが、「気」のやり取りが難しいです。

スイカなら、

「ピッ」

ッというだけで終わりですから。

「ピッ」っと鳴った瞬間に、

「250円確かにお受け取りしました!」

とか明るく言ってくれる店員さんが居れば、雰囲気よくなり、気も動きますね!

 

お金はその量ではなく、どのように稼ぎ、どのように使うかに人間性が現れます。

もちろん生活に必要な最低限のお金は必要ですが、使い方は家庭で教えてもらわないと

なかなか勉強するチャンスがありません。

まさに、親の背中を見て子供は育ちます。

 

今週の写真ですが、K君に怒られたシリーズ?第二弾です。

前会社の後輩でもあったK君には、いつも時間を守ることの大切さを言っていました。

さてゴルフ場の朝、同室のK君からめずらしく

「帰る時間ですよ~」と。

僕は自分の時計を見て

「まだ3分あるじゃないか、何を急いでいるんだ」

するとK君

「おかしなこと言わないでください!早くしてください」

再度時計を確認

「電波ソーラー時計は狂わないんだ、たぶんK君の見ている時計がおかしいんだよ」

とここでK君呆れ顔で退室。

話はここで終わったのですが、家に帰ってきて時計を見るとどうもおかしい。

明らかに時間が三分くるっています。

もう10年以上使っているので、壊れたのかなと。

しかし秒針は正確に動いているので、何とかなりそうとネットで修理方法を検索。

判明しました!:

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落としたか、強い電磁波に当たったため

「基準位置」

がずれてしまっていたようです。

そんな事あるんですね。

取説に従って位置を調整したところ、見事復活。

ごめんねK君。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2019年7月22日 (月)

隣国との関係

おはようございます。

先週は日本経済について書きましたが、今日は切っても切れない隣国との関係を書きます。

 

再度確認ですが:

会社は経済行為の単位であり、儲けを出せなくなったら消え去るしかないです。

逆に経済行為の単位にしかすぎないのですから、時代に合わなくなったら倒産するというのは

経営者が恥ずべきことではなく、自死ししてしまうなどもってのほかともいえるかもしれません。

これは理屈ではわかったつもりでいても、中小零細企業の創業者は会社を自分の分身の様に思い、

経営が維持できないことにとても苦しむことが多いです。

だからこそそうならないため、経営者の仕事は世に必要とされるように組織の魅力を高め続け

その上でとにかく仕事を取ってくる事しかないのです。

 

銀行は会社毎のリスクを勘案し「金利」を設定します。

金利に納得すればその銀行からお金を借りて事業展開をすればよいですし、

納得できなければ、またほかの金融機関と交渉します。

銀行は貸出先の事業を精査し、金利を決めたはずですから

もし事業が上手く行かなくなって、借金を返せなくなればそれは金融機関も見方を誤ったという事です。

端から危ないと思っていれば、貸し出ししていないはずですから。

一生懸命頑張ったうえで、最後に「返せない」という決断をすることは恥ではありません。

 

日本と言う国がしっかりしており、「円」という通貨が信用できるものであれば

上記の考えが通用しますが、国際的な力関係に巻き込まれるとあっという間に前提が変わります。

 

例えば遠く欧州の大銀行が破綻するとします。

その銀行は我々の近隣諸国にも大量の資金を貸し出しているとします。

もちろん欧州の大銀行ですから、アメリカはもちろん日本の銀行もお互い切っても切れない関係になっているでしょう。

すると、その欧州の銀行破綻の影響は一瞬にして地球上を駆け巡るでしょう。

そうなるととても不安になり、生活が苦しくなります。

その時大切な事、それはいつも書くように仲間を大切にすることです。

 

先ほどの銀行の話になぞらえば、銀行の破綻は「経済活動の死」でしかないのです。

人間自体が死んでしまうわけではありません。

健康であれば、仲間同士集いまた新しい秩序を作り出せばよいのです。

 

歴史を鑑みると、ある国の経済的な破綻は、その国から遠く離れたところに武力行使を引き起こすことが多いです。

上に書いた仮定:

「欧州の銀行が破綻したら」

一番遠い場所はどこでしょう?

それは極東。そうです日本を取り巻く地域です。

もう一つ付け加えると、世の中が好景気の時には決して紛争状態に入りません。

好景気のベースは「平和:地域の安定」ですから。

果たして今はどうでしょう…

 

ずいぶん遠回りしましたが、どこの国同士でも隣国は仲が悪いことが多いです。

その上でも、最近の日本を取り巻く隣国とは軽薄で刺激的な報道が多すぎる気がしています。

目の前に相手国当事者が居ても同じことが言えるのか、出来るのか?

極端な発言をしたとしても、その責任を自分で負えるのか?

マスコミやネットの書き込みから得ている情報は、本当に信用できるのか?

歴史は評論すべきものではありません。

一人一人が学び、噛み締め、行動の規範とするべきものです。

日本人は、先の大戦の総括を全くさせてもらえない環境で今まで来てしまいました。

今また大きな危機が迫っている様な気がします、切っても切れない隣国との関係でも

当事者意識をしっかり持って、責任ある発言をしていく事が大切だと思います。

そのためにも、普段からの情の通ったお付き合いがいざという時に最も大切になります。

 

今年も、日向一泊ゴルフコンペを那須で開くことが出来ました。

参加いただいたお客様、取引先様には感謝の気持ちでいっぱいです。

天候が心配されましたが、道中土砂降りでも、プレー時間内は奇跡的に全く問題なし。

終わって会食(撮影、日向工業小野茂):

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この後の二次会では、全員の記憶が無くなるほどの大宴会でした。

ただこのゴルフで、個人的に大失敗をしてしまい

同じ組のK君に大変叱られてしまいました。

その時の写真:

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昼のビールの前に、コーラに口をつけておいしそうに飲んでしまいました!

するとすかさず:

「なにコーラ飲んじゃっているのですか!!(怒)」

普段怒らないK君。目が真剣で、かつ軽蔑のまなざしでした。

心のつぶやき:

「K君、コーラも結構おいしいよ。ビール飲みすぎると、午後のラウンドに響くし…」

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

 

2019年7月16日 (火)

日本経済復活の処方箋(案)

おはようございます。

前回は現代上海事情を書きましたが、その中で日本がすでに負けているのでは?と示唆しました。

先週お会いした方に偶然それを具体的に説明頂きましたので、

今回はそれを私見を交えて書きます。(ミスミ 三枝さんの話)

 

かつての日本の製造業が、世界中を席巻したころ、多くの会社は現場の改善作業に力を入れていた。

それを引っ張っていたのは、経営者自身。

経営者自身が自らモノづくりをして、現場の改善も指揮する。

このやり方でホンダやトヨタ、松下電器など戦後多くの企業が大発展していきましたが

多くの企業が特に現場を大切にして業績を伸ばした。

 

その頃のアメリカの工場とは、フォード等大成功の時代が過ぎ

劣悪な環境の中で、低賃金の労働者が働く場所になってしまっていた。

自国の低賃金では利益を確保できないと判断すれば、工場を中南米やアジアに移した。

その時大切と考えられていたのは、自己資金で経営することによる企業の延命。

そして株主への配当。

借金は悪。経営者は工場をほとんど顧みず机上の計算に専念。

 

一方ハングリーな日本企業は、経営者自ら米国の展示会等に出向いて一生懸命勉強。

国は経済産業省主導で、工業立国と言う目標に向かい経済運営。

大蔵省も積極的に資金を貸し出し、会社を育てる。

少数のアメリカ人には恐怖心を持つ人も居たが、

日本人が自分たちを凌駕することなど夢にも思わずいろいろと教えてくれた。

するとアメリカ製品の品質は落ちるところまで落ち、車も電気製品も日本製に圧倒されてしまった。

工場の管理はもちろん、開発や営業においても猛烈に働く日本人のスピード感に

ついて来ることはできなかったから。

この話から:

昨今日本人は決断が遅いと言われますが、それは民族性によるものではないことが分かります。

硬直化した組織の問題でしょうか。実際、創業オーナーが率いている組織は決断が速い気がします。

 

このままの状況が続けば、今でも日本製品が世界を制覇しているはずですが実際はそうなっていません。

モノづくりは中国を筆頭とするアジア各国に奪われ、基礎的半導体技術や各種ソフトの核心部分

は多くがアメリカ企業が牛耳っている。

経済的にアメリカが日本に負けた後、彼らは猛烈に日本の良さを学び始めた。

その時大切にされた言葉は「時」。

時を制する者がビジネスで勝ち残れる。お金はそれを実現するための道具でしかないと。

トヨタの看板方式を徹底的に学んだ結果、半導体においてはインテル社がNECを凌駕し、

パソコン事業ではDELLやHPが日本企業を駆逐。

ユニークな家電製品では、かつてのあこがれの会社ソニーをアップル社が圧倒。

そして何より、時を一番重要と考える会社アマゾン社が、

本屋を手始めにあらゆる小売業をブラックホールの様に飲みこむ。

かつてのアメリカの国営郵便はいつ届くか分からないほど質の悪いものだったのに、

アマゾン社は一社で即日配送可能なシステムを海外にも作り上げてしまった。

それらはすべて、本来日本が得意としていた分野を学びつくした経営戦略の勝利である。

アマゾンの即日配達など、まさしく日本の御用聞きの拡大版ではないでしょうか。

 

あともう一つ大切な考えがあると教えていただきました。

それはベンチャー精神。

日本人は会社経営の失敗=人生の落後者の様にとらえる風潮がありましたが

アメリカでは起業者=挑戦した人

であり結果的に失敗してもそれは経済活動に失敗をしただけで人格否定までには至らないと聞きます。

1990年代シリコンバレーで今につながるネットビジネス関連会社が動き始めたころ、

ほとんどの日本人投資家は現地の様子を見て呆れて帰った。

100社起業して1社成功すれば良い状況、それはギャンブル。

1%の成功しかないところにお金を投資することはできないと。

企業経営者の集まりではなく、遊びの延長の様だとも。

 

この状況は想像つきます。

その判断は間違えだったことは歴史が証明していますが、個人的意見として考えてみますと

それは1%に賭けなかったことではなく、残りの99%を見誤ったことではないでしょうか。

99%は落伍者ではなく、勇気ある挑戦者。そして失敗をすることで己を知り尽くした若者だったのです。

己の弱点を知り、自らを再度鍛えて挑戦する者。

自らに経営者としての才覚がないことに気づき、信頼する人を見極めたうえで最高の従業員を目指す者。

そうです、99%は本物の「経済学」を収めたプロ集団になったのです。

かつて経済的に世界を制覇した日本が没落し、現代アメリカが世界をけん引している。

その最大の原因は、この99%の人たちだと気づかされました。

では日本が再び経済競争を勝ち抜くにはどうしたらよいか。

まず「サラリーマン」というのは一部の特権階級を表現する方法で、

すでに階級としては消滅している事を理解しなければいけません。

会社とはいろいろな理念をもって作られますが、基本は経済活動をするための集団です。

いつもここに書くように、経営者が立派な事を言っても顧客にモノやサービスを買っていただけなければ

その瞬間に消滅するしかありません。

他者に必要とされる存在になるとは個人ですら大変な事ですから、会社はなおさらです。

経済活動の組織を構成する人が仲間になり、自分で考え行動する。

そして各部所で責任を果たす。部所の責任者は、組織を指導し、正しい方向に導き、時に一心に祈る。

これはまさに中小零細企業の社長のやっている事です。時には個人的資産まで担保に入れて。

組織の大小にかかわらず、活性化させ善導するのが経営者の役割です。

その為にも、まずは挑戦者をほめたたえる文化を日本人皆で学ぶことが大切だと思います。

 

東京も梅雨空が続いており、3連休はほとんど読書をしており写真を撮れませんでした。

そこで今朝の通勤路の一枚:

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雨で水分たっぷりなので、緑は濃いですが

枝が上に伸びるのではなく、垂れさがっているように感じます。

人の体に例えると、食べ過ぎで運動不足の状態でしょうか。

雨音の陰で、セミたちが地中でうずうずしているのを感じます。

もう少しの辛抱だ!

今日も読んで下さりありがとうございました。

2019年7月 8日 (月)

一年半ぶりの中国

おはようございます。

先週は一年半ぶりに中国(蘇州、上海)に出張。

現地の友人や会社関係者、そして日本人の友人とも会食でき

とて有意義で良い時間を過ごすことが出来ました。

仕事の面では、当初予想通りやはり環境規制が厳しくなっており

金属製品に対するめっきが難しくなっているようです。

プレス品単体だとまだ中国コストには勝てないことが多いですが、

自動車部品向け等の高品位のメッキ付き品であれば、勝機はありそうです。

 

身近で具体的な環境規制としては、ちょうど訪問していた7/1から上海でも

ごみの仕分けが始まったそうです。

今まで仕分けをしていなかったのが不思議ですが、

中国と言う場所はやると決めると非常に厳格に始めるので、

次回訪問時はゴミ分別先進国になっているかもしれません。

やると決めると一気に始める例としては、最近あったマフィアの取り締まり。

マフィアの資金源は女性の夜の仕事だ!

という事であらゆる接客業が禁止になったそうです。

足裏マッサージで、女性が男性客に施術する事すら禁止!

その結果繁華街はシャッター通りになり、女性店員たちは早い夏休みを満喫し始めることに。

現代中国では彼女たちは裕福なことが多いですから、へっちゃらの様です。

結果、男性市民や出張者の不満が高まるだけで効果が少ないことが分かり制度変更。

今は警察官に対する監視を強めているそうです。

マフィアの取り締まりの為、警察官に対する監視を強める。

分かりやすい制度変更です。

 

街の様子としては、特に上海ではすべての交差点や町中に監視カメラがあり

スリ等の犯罪は全くなくなったそうです。(半面ネット詐欺が横行)

車もクラクションを鳴らすたびにカメラが光るので、あれほどうるさかった街中も静かです。

ただし、運転の仕方が変わったわけではないので(無理やりな車線変更)

むしろ自分の存在を知らせるという意味でのクラクションが無くなってしまったので

より交通事故の危険性が増したようにも感じます。

(日本では怒りの表現で鳴らすクラクションが多いですが、中国では単なる自己存在表現です)

 

また日本でも街中でスマホを覗いている人が多いですが、中国はその比ではありません。

実際の機能としてもほぼ完全なキャッシュレスなので、スマホだけを持っている人も多いです。

つまり、スマホの電池切れ=社会的無能者になる事を意味します。

今回一緒にいた蘇州出身の友人と上海で一緒に過ごし、夜10時位。

一緒にホテルに帰ろうとすると、彼のスマホ残りバッテリーが4%。

どうするかと思ったら…

コンビニに入り、勝手に自分のバッテリーを壁のコンセントににさして充電し始めました。

日本人である僕はとっさに「怒られる」と思い、不要な物を買う為に品物を選び始めましたが、

充電している本人、店員、他の客もだーれも気にしていません。

ただ一人焦っているのは自分だけ。

喜劇の出演者になった気分でした。

 

中国の人は、一見忙しくセカセカして生きているように見えても、ゆったり構えているところがあります。

タクシーでも運転手は平気でタバコを吸いますし、話している最中にとんでもない大あくびをかいたりします。

声を出す大あくびを、話している最中にされる。

日本人なら誰でもその運転手に怒りの感情を持つでしょうが、現地では普通です。

だって悪気はないのですから、何を怒っているんだと逆に驚かれるでしょう。

良い悪いではなく、文化の違いですね。

 

日本にいると、最近は交通マナーが悪い(赤信号でも突っ込んでくる、曲がるときにウインカーを出さない等)

とイライラする気持ちがありましたが、良くも悪くも中国に数日いただけで気にならなくなります。

反面、気になる事があります。

羽田空港から京急線で家路に。

夕方の帰社時間という事もあり車内はほぼ満員、もちろん学生もいます。

本来ホッと一息ついて、日本の良さを実感するところですが、

この日は乗ってきた現場作業員風の初老の男性二人組が、乗り込むや酒盛りを始めました。

おつまみまで開けだして匂いも充満、ロング缶二本目の突入。

しかも大声で話している内容が仕事に対する愚痴。

これは異常な状況です。

 

日本が中国に勝つ/負けるという議論がありますが、

もしかしたらもう取り返しのつかない事態に陥っているかもしれません。

もちろん日本が負けているという状況で。

日本は民主義国家で、現代中国のように強制的に社会の仕組みを変えることが出来ません。

民主主義とは多数決主義とも言えますが、悪い方向にもあっという間に流される危険性があります。

国としての国家目標、会社の経営目標、家庭内での子供に対する教育目標。

それらを実生活にしっかり落とし込み、各人が自分を律して生きる。

そうすればどのような社会システムからも超越した、独立した個人を確立できます。

その様な人が多数いるからこそ、民主主義とはすばらしい仕組みになるはずです。

多くの人が愚痴を言い、人のせいにして、あげく自分の責任すら認知していない。

自分の責任とは自分で給料を稼ぐ事で、それさえあれば後は関知せず。

大切にすべき精神的高まりをまったくないがしろにして、ただ肉体の安楽を追求する。

その行きつく先は民主主義の敗北です。

他者との比較ではなく、昨日の自分との比較をすることの大切さ。

昨日の自分に勝てる自分になる。敵対する相手は外ではなく内。

中国で大切な気づきをもらえました。

写真ですが中国の街の一コマ:

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果物がにぎわう季節です。

特に無錫の桃が旬。友人に買ってもらい分けました。

とてもおいしいですが、一個300円弱。普段の物価は本当に高くなりました。

そんな果物の陰に、かわいい新規参入者が:

Photo_20190705104101

きっと上海でたくましく育つでしょう。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2019年7月 1日 (月)

自由に生きるために

おはようございます。

先週は経営者仲間や大先輩社長といろいろと話をする機会がありました。

これからの経済状況ですが、日向も含め3社とも現状はそこそこ受注はあっても

9月以降の今年後半の事は全く見通せないという事で意見が一致しました。

国際情勢や、国内の増税問題…経済は世間が安定していないと伸びませんから心配です。

今回教えていただいたのですが、ある地区の広域統計では

経営者の8割が一般従業員より給料が低いそうです。

これは実感として分かります。

銀行借り入れがあれば、返しきらない限り仕事は止められません。

高齢の経営者は給料を払うため、自分の給料を下げて年金を受給しながら仕事を続ける。

従業員には給料を払わないわけにはいきませんから。

必然的にこうなります。

ではその会社は後継者が育つでしょうか?とても難しです。

この状況の会社が80%。

製造業を取り巻く環境が、10年後には一変していると言われ納得しました。

製造業の基盤が揺らいでいます。

10年先と言わず、身近なところに目を向けると...

個人経営のパン屋さん、中華料理屋さん、クリーニング店、喫茶店…

気づけばコンビニだけになり、そのコンビニも多くの問題が顕在化しています。

そして製造業を取り巻くもう一つの側面として:

現代日本社会は人に必要なものがいきわたっている為、

急激な経済成長の可能性は無いというのは、基本認識として持っていた方が良いという事です。

例えば氷で冷やす氷室しかなかった時代に、電気で冷える冷蔵庫が発売!

それは皆、他の生活費を削っても買いますよね。

食べ物を家で保存できるなど、夢の世界の話だったと思います。

製品の貴重さ故安売り競争などありませんから作る会社はもうかる。

従業員の給料は増える。

そういう会社で働きたくて一生懸命に勉強する。社会に大企業を中心とした秩序が生まれる。

そうこうするうちに、テレビやクーラーなど、更に生活の質を根本から変える製品が生み出される。

これらはまさに魔法の箱です。何としても手に入れたくなります。

そして良い製品は国境を超えて世界中で売れた。

経済が躍動し始めるときです。

生活の基本が満たされれば、今度は贅沢な嗜好品に目が移り、

その流れをとらえた会社が大儲けする。高度成長期の物とお金の動きです。

ところが現代、そのように社会を根底から変える製品はありません。

あえて言えばスマホだったかもしれませんが、当時の製品と比較してしまえば最初から過当競争で安価です。

ごく一部の企業が少し潤って、社会的動きまでには至りません。

時々ヒット商品があっても、また短い期間に次の物にとってかわられてしまうので、

製造業としてはピークに合わせた設備投資が難しくなっています。

設備はとても高価な場合が多いので、自己資金で買える事は稀で、

普通は経営計画に基づいて、銀行からの借り入れに頼ります。

この借金は、買った設備が一定期間フル稼働することを前提に借りますので、

もし不景気が来て設備が止まってしまえば、あっという間に支払いに困窮します。

すると今日の題に書いたのと反対に、企業活動に自由さが失われます。

製造業の企業経営者はいつもその判断を迫られています。

では個人において「自由に生きる」ためにはどんな考え方や行動が必要でしょうか。

いくら良い大学を出て一流とされる企業に就職しても、45歳過ぎは一斉に希望退職を募られるのが

珍しくない現代です。

もちろん企業に就職しても自分磨きを怠らず、自分が社会で必要とされる技を身につけていれば

「希望退職」に自信満々で真っ先に応募できるでしょう。

技とは、その人が存在することにより周りの人が幸せになれる人間性がベースでなければいけません。

その技術が世界唯一でありつづけるなら、独善的でも頼られ続ける可能性はありますが

そんな技術はまずありません。

仕事とは仲間と一緒に成し遂げるものです。

まず大切なのは仲間を大切にできる人間性、そして頼られ組織として責任を成し遂げる。

この様にどんな世相でも、他者に必要とされる人は自由を感じて生きられます。

さらに深く考えると、

自由に生きるとは=他者からの期待に応える=その責任を果たし続けるという事です。

どんな状況であろうと、他者の期待に応えるために責任を投げ出さないという覚悟。

何か問題が起きれば、自分で責任をとるという潔い覚悟。

そんな人は周りから見ると堂々としていて自由に見えるんです。

反面、何か起きるとすぐに他者や社会のせいにしてしまう。

そんな人はいつもビクビクしながら生きています。

社会は自分が作っている、自分が社会とまっすぐつながっているという自覚がない、

現代社会の病気と言って良いと思います。

責任から逃れていたら、いつまでたっても清々しい気持ちで自由を感じながら生きることはできません。

盲目的科学信仰を脱し、先週書いたように本能を伸ばす考え方が重要になってくると思います。

製造業はそれに寄り添うようにバランスを保つ。

近世は物が突出しすぎたのかもしれません。

仲間や大先輩と話して、そんな大切なことを再確認させてもらいました。

いつも自由で良いね、と言われるように責任を果たして頑張ります!

写真は浅草の七夕です:

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いつもの街の風景が一変しワクワクます。

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

2019年6月24日 (月)

ピーマンとシシトウの相性

おはようございます。

今日は梅雨らしい天気で、植物にとっては夏前の大切な水分補給の時期です。

そこで、今日は家庭菜園の話です。

プランターで、ピーマンとシシトウを同時に育てていました。

ちなみにピーマンとシシトウは、苗では全く区別がつかないほどそっくりです。

しかしどうした事か、片方(おそらくピーマン)が成長しません。

ほとんど枯れてしまったので、それは畑の端に植えて再度ピーマンの苗を買いました。

すると、そのピーマンは育ったのですがもう片方のシシトウが全く大きくならない。

さすがにおかしいと思い、ネットで調べると

どうやらこの2つの苗を同時に植えてはいけなかったようです。

相性が悪い、たとえ育ってもピーマンも辛くなってしまうと。

辛くなるのは、シシトウの花粉を受粉する可能性があるからかもしれません。

プランターにはピーマンだけ残して、シシトウのあった場所には空心菜の種をまきました:

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写真上、プランターの上にちょっと映っている小さいのがシシトウです。

数週間たっても苗を買ってきたままの大きさで成長が止まっています。

ちなみにほとんど枯れかけていたシシトウですが、畑に移した後はぐんぐん育っています。

しかし不思議です。

根が絡み合っているわけでもないのに、片方が育たない。

匂い?でしょうか。だとしたら、上の写真の状況でもシシトウが育たないはずですよね。

しばらく実験してみます。

いずれにせよ、お互いが何らかの通信をしてけん制し合っていることは確かなようです。

 

人間の場合でも相性の合う合わないというのはあると思いますが、

植物のように簡単に植え替えるわけにはいきません。

ではどうするか?

努力によってその状況が固定化しない様にする。

それが知性です。

お互い何が気に入らないのか話し合いをする。植物にはできないことです。

かつての日本では、「村社会」と言われ今ほど人の移動が自由ではありませんでした。

気に入らないからと人付き合いをしなければ、行く行くは変人扱いか村八分だったでしょう。

だからこそ、そうならない為にも季節毎のお祭りや

村人力を合わせての伝統継承行事があったのかもしれません。

先人の知恵です。

ところが現代においては、人を指導したり叱ったりすることがとても難しくなっています。

それは成長する機会が失われているという事です。

最も大切なのは子供時代の家庭教育ですが、

今はそこでうまくいかなかった場合の救いどころがとても少ない。

それはとても怖い事です。社会としての常識が崩れてしまいますから。

最近はそんなことが原因の事件が多い気がします。

2人の息子の親として、また会社経営者として、全く他人ごとではありません。

教育、指導と言っても本能まで抑え込んでしまってはいけないと思います。

人としての本能を削るような教育は、元気のない子供を産むだけですから。

本能を大切にしつつ、それをどう生かして他者と強調していけるかと言う知育。

老後のお金の心配よりもはるかに大切な課題です。

家庭菜園から大切な学びをもらいました。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2019年6月17日 (月)

物は人を幸せにするのか

おはようございます。

普段仕事でモノづくりに携わっていながら、今回の題名は矛盾しているかのようですが考察をはじめます。

その基本的考えは、「物は(そのものだけでは)人を幸せにしない」です。

ただし、物と言ってもいろいろあります。

先週のブログに書いたような、食べ物。

これは体を維持するために、最低限の栄養が必要です。

美味しいやまずいの前に、必須です。

物には有機物・無機物がありますが、有機物は大雑把な解釈をすれば「いきもの」です。

もちろん人間は有機物。

対して無機物は、いわゆる「モノ」

身の回りにある、時計や車、スマホや住んでいる部屋…

我々有機物は、無機物を「所有」しながら現代社会を生きています。

有機物は生き物ですから、いずれは朽ちて無くなってしまいますが

無機物はその種類や質、保管方法によってはずっと残ります。

例えば、分かりやすいのは宝石や金(ゴールド)。

何千年も前に誰かに所有されていたそれらを、現在生きている我々が美術展などで鑑賞できる。

そう考えると、それら貴重な無機物の意思によって、

有機物である人間がそれらを所有させられているかのような錯覚を覚えます。

違う言い方をすれば、逆に人間がそれら無機物に観察されているかの様な。

 

現代は情報にあふれ、物を使い捨てにし、また生活に必要以上に物を集めてしまう。

自分の命が永遠であるかのように振舞って…

所有者が亡くなれば、それらの物は主をなくしてさまよいます。

幸運にもまた誰かに使ってもらえるものもあるかもしれませんが、ほとんどはゴミになる運命…

なぜ現代人はこれほどものに固執してしまうのでしょうか。

それはちょっと大げさに言えば、自らの「生存不安」が原因かもしれません。

しかし無機物に囲まれても人は深い安心を得ることが出来ず、その欲望が加速するばかり。

本当に大切なのは、生ある人同士に築かれる、目には見えないつながりです。

それは感謝心であったり、労りであったり、そこから生まれる信頼であったり。

ただ、無機物を介してそれらを醸成する事は大切です。

例えばスマホでお互いの状況を伝えあったり、心地よい家に住んで良い気分で生活できたり。

手段は無機物であっても、本当に得たい物は

「見えないつながり」

という信頼。

現代は、手段が目的になってはいないでしょうか。

周りの人が持っていない最新のスマホを入手する、高級車に乗って自尊心を満足させたい、

大きな家に住んで経済的成功を誇りたい…

その先に目指す生活が見えていないと、際限ない物欲地獄にはまってしまいます。

そうは言っても、先を見通す事は誰にとっても難しいものです。

まずは生活するために必要なお金をしっかり分け、余計な物を買わないように自分を律する。

現代社会は一見便利になりすぎて、大切なことを見失いつつあります。

食物からとる栄養と言う意味では、豊かで命の維持に不安がない現代日本社会の中でも、

精神的に厳しい状態で生活している人も多いです。

厳しい中でも寂しくならないように努力する。

誰かに居てほしいと思われることで、精神的栄養が補給されます。

そして居ないと困ると言われる場所を作る事で、自信がついていきます。

そのためには、日々接する人に気を配り、自らを後にして他者を心地よくする。

挨拶だけでもそれは成し遂げられますから。

写真ですが、この時期だけのご褒美:

1

睡蓮の花、去年は咲きませんでしたから見つけたときには一瞬時が止まったような感じでした。

あらゆる花の中で一番きれいだと思います。

昼間だけしか見られず、夕方には:

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それも数日でおしまいです。(よく見ると子メダカが見えます)

あまりにも美しくはかない花の一生。

自分の一生もこうありたいというあこがれが、心を惹きつけるのでしょうか。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2019年6月10日 (月)

フィンランドの食、文化

おはようございます。

今日は先週に続き、フィンランド文化の考察を「食」に絞って書きます。

フィンランドの消費税は24%と高いが、パンやジャガイモ等一般食品は10%

それらの価格は日本とそれほど変わらないが、外食は高い。

会社帰りに軽くビールを一杯飲んでおつまみを食べれば、最低3,500円/人はかかる。

ただし、最高級の店に行っても1.5万円/人位。

ここまでが食の基本情報ですが、ではフィンランド料理とは何か?

講師の渥美氏によれば、美味しいフィンランド料理は無い。

美味しいレストランはほぼロシア料理。(日本食も多いが)

ここで考えさせられました。

言うまでもなく食とは体を維持するエネルギーを補給するための行動。

現代では美食を競ったりしていますが、長い人類の歴史的には

飢餓からの脱出が最優先でした。

特にフィンランドのように寒い地方では、何とか夏場にじゃがいもを確保するのが

最優先課題だったでしょう。

その様な状況で、食を「文化」と呼ぶようになるまで高めるのは考えつかないことだと思います。

この様に気候条件は食文化に大きな影響を与えますが、

もう一つ大切な視点は、王室があるかどうかだと思います。

王室がある=美味しい物を作って献上すると褒めてもらえる。

絶対王制であれば、そこで認めてもらう事は人生の安泰を意味しますから

技を競って磨くと思います。

そう考えると、先週書いたようにフィンランドには王室が無く、気候が寒いので

食文化が発達しなかった。独立してからまだ100年しかたっていないのもその理由でしょう。

他国に当てはめると、

建国約200年のアメリカ、独自の食文化はあまり聞きません。

逆に各地に強力な王族が居て気候も温暖なたイタリア、何を食べても美味しいです。

そして世界三大料理と言われる国々。

絶対王政のフランス、中国、トルコも気候は比較的温暖ですね。

ちょっと不思議なのは、広大な植民地を持ち、今でも英連邦を維持しているのに

イギリス料理はあまり文化としては発達していないことですが、

これ以上の考察をする知識が無いので止めます。

日本料理について考えると、そのシンプルさがすごいと思います。

代表的な鮨。一見ご飯を握って魚を乗せるだけ。でもそこに繊細な技術があり人を感動させる。

各国の高級料理は、味が濃厚でこってりしたものが多いような気がしますが、

日本料理はどこまで行っても素材の味ベースでシンプル。

そして各地に独特な文化が根付いています。

納豆やいぶりガッコ、からしレンコンや明太子…

個人的に大好きなくさや(GWに行った新島/式根島の名産品)。

臭いですが、サプリ並みに栄養満点です。

他にも各地独特発展をしている味噌汁。

丁寧にだしをとって、地方の究極の発酵食品である味噌で味をつけて身近なものを美味しくいただく。

究極の贅沢かもしれません。

日本料理が世界中で人気になるのも当然ですね。

先週は社員皆でそんな日本料理をおいしくいただく機会に恵まれました。

会食場所は上野韻松亭:

Photo_11

個室を借りられ、窓の外には不忍池。

まだ明るいうちから始まりましたが、夜になると炎が揺らめき雰囲気が変わります。

食事は和食で山海のごちそう、皆満足です。

珍しく集合写真が取れました:

2019_3

皆で良い時間を過ごすことが出来ました。

お客様のご支持があってこそです。

気持ちも新たに頑張ります。

今日も読んで下さりありがとうございました。

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