2019年7月16日 (火)

日本経済復活の処方箋(案)

おはようございます。

前回は現代上海事情を書きましたが、その中で日本がすでに負けているのでは?と示唆しました。

先週お会いした方に偶然それを具体的に説明頂きましたので、

今回はそれを私見を交えて書きます。(ミスミ 三枝さんの話)

 

かつての日本の製造業が、世界中を席巻したころ、多くの会社は現場の改善作業に力を入れていた。

それを引っ張っていたのは、経営者自身。

経営者自身が自らモノづくりをして、現場の改善も指揮する。

このやり方でホンダやトヨタ、松下電器など戦後多くの企業が大発展していきましたが

多くの企業が特に現場を大切にして業績を伸ばした。

 

その頃のアメリカの工場とは、フォード等大成功の時代が過ぎ

劣悪な環境の中で、低賃金の労働者が働く場所になってしまっていた。

自国の低賃金では利益を確保できないと判断すれば、工場を中南米やアジアに移した。

その時大切と考えられていたのは、自己資金で経営することによる企業の延命。

そして株主への配当。

借金は悪。経営者は工場をほとんど顧みず机上の計算に専念。

 

一方ハングリーな日本企業は、経営者自ら米国の展示会等に出向いて一生懸命勉強。

国は経済産業省主導で、工業立国と言う目標に向かい経済運営。

大蔵省も積極的に資金を貸し出し、会社を育てる。

少数のアメリカ人には恐怖心を持つ人も居たが、

日本人が自分たちを凌駕することなど夢にも思わずいろいろと教えてくれた。

するとアメリカ製品の品質は落ちるところまで落ち、車も電気製品も日本製に圧倒されてしまった。

工場の管理はもちろん、開発や営業においても猛烈に働く日本人のスピード感に

ついて来ることはできなかったから。

この話から:

昨今日本人は決断が遅いと言われますが、それは民族性によるものではないことが分かります。

硬直化した組織の問題でしょうか。実際、創業オーナーが率いている組織は決断が速い気がします。

 

このままの状況が続けば、今でも日本製品が世界を制覇しているはずですが実際はそうなっていません。

モノづくりは中国を筆頭とするアジア各国に奪われ、基礎的半導体技術や各種ソフトの核心部分

は多くがアメリカ企業が牛耳っている。

経済的にアメリカが日本に負けた後、彼らは猛烈に日本の良さを学び始めた。

その時大切にされた言葉は「時」。

時を制する者がビジネスで勝ち残れる。お金はそれを実現するための道具でしかないと。

トヨタの看板方式を徹底的に学んだ結果、半導体においてはインテル社がNECを凌駕し、

パソコン事業ではDELLやHPが日本企業を駆逐。

ユニークな家電製品では、かつてのあこがれの会社ソニーをアップル社が圧倒。

そして何より、時を一番重要と考える会社アマゾン社が、

本屋を手始めにあらゆる小売業をブラックホールの様に飲みこむ。

かつてのアメリカの国営郵便はいつ届くか分からないほど質の悪いものだったのに、

アマゾン社は一社で即日配送可能なシステムを海外にも作り上げてしまった。

それらはすべて、本来日本が得意としていた分野を学びつくした経営戦略の勝利である。

アマゾンの即日配達など、まさしく日本の御用聞きの拡大版ではないでしょうか。

 

あともう一つ大切な考えがあると教えていただきました。

それはベンチャー精神。

日本人は会社経営の失敗=人生の落後者の様にとらえる風潮がありましたが

アメリカでは起業者=挑戦した人

であり結果的に失敗してもそれは経済活動に失敗をしただけで人格否定までには至らないと聞きます。

1990年代シリコンバレーで今につながるネットビジネス関連会社が動き始めたころ、

ほとんどの日本人投資家は現地の様子を見て呆れて帰った。

100社起業して1社成功すれば良い状況、それはギャンブル。

1%の成功しかないところにお金を投資することはできないと。

企業経営者の集まりではなく、遊びの延長の様だとも。

 

この状況は想像つきます。

その判断は間違えだったことは歴史が証明していますが、個人的意見として考えてみますと

それは1%に賭けなかったことではなく、残りの99%を見誤ったことではないでしょうか。

99%は落伍者ではなく、勇気ある挑戦者。そして失敗をすることで己を知り尽くした若者だったのです。

己の弱点を知り、自らを再度鍛えて挑戦する者。

自らに経営者としての才覚がないことに気づき、信頼する人を見極めたうえで最高の従業員を目指す者。

そうです、99%は本物の「経済学」を収めたプロ集団になったのです。

かつて経済的に世界を制覇した日本が没落し、現代アメリカが世界をけん引している。

その最大の原因は、この99%の人たちだと気づかされました。

では日本が再び経済競争を勝ち抜くにはどうしたらよいか。

まず「サラリーマン」というのは一部の特権階級を表現する方法で、

すでに階級としては消滅している事を理解しなければいけません。

会社とはいろいろな理念をもって作られますが、基本は経済活動をするための集団です。

いつもここに書くように、経営者が立派な事を言っても顧客にモノやサービスを買っていただけなければ

その瞬間に消滅するしかありません。

他者に必要とされる存在になるとは個人ですら大変な事ですから、会社はなおさらです。

経済活動の組織を構成する人が仲間になり、自分で考え行動する。

そして各部所で責任を果たす。部所の責任者は、組織を指導し、正しい方向に導き、時に一心に祈る。

これはまさに中小零細企業の社長のやっている事です。時には個人的資産まで担保に入れて。

組織の大小にかかわらず、活性化させ善導するのが経営者の役割です。

その為にも、まずは挑戦者をほめたたえる文化を日本人皆で学ぶことが大切だと思います。

 

東京も梅雨空が続いており、3連休はほとんど読書をしており写真を撮れませんでした。

そこで今朝の通勤路の一枚:

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雨で水分たっぷりなので、緑は濃いですが

枝が上に伸びるのではなく、垂れさがっているように感じます。

人の体に例えると、食べ過ぎで運動不足の状態でしょうか。

雨音の陰で、セミたちが地中でうずうずしているのを感じます。

もう少しの辛抱だ!

今日も読んで下さりありがとうございました。

2019年7月 8日 (月)

一年半ぶりの中国

おはようございます。

先週は一年半ぶりに中国(蘇州、上海)に出張。

現地の友人や会社関係者、そして日本人の友人とも会食でき

とて有意義で良い時間を過ごすことが出来ました。

仕事の面では、当初予想通りやはり環境規制が厳しくなっており

金属製品に対するめっきが難しくなっているようです。

プレス品単体だとまだ中国コストには勝てないことが多いですが、

自動車部品向け等の高品位のメッキ付き品であれば、勝機はありそうです。

 

身近で具体的な環境規制としては、ちょうど訪問していた7/1から上海でも

ごみの仕分けが始まったそうです。

今まで仕分けをしていなかったのが不思議ですが、

中国と言う場所はやると決めると非常に厳格に始めるので、

次回訪問時はゴミ分別先進国になっているかもしれません。

やると決めると一気に始める例としては、最近あったマフィアの取り締まり。

マフィアの資金源は女性の夜の仕事だ!

という事であらゆる接客業が禁止になったそうです。

足裏マッサージで、女性が男性客に施術する事すら禁止!

その結果繁華街はシャッター通りになり、女性店員たちは早い夏休みを満喫し始めることに。

現代中国では彼女たちは裕福なことが多いですから、へっちゃらの様です。

結果、男性市民や出張者の不満が高まるだけで効果が少ないことが分かり制度変更。

今は警察官に対する監視を強めているそうです。

マフィアの取り締まりの為、警察官に対する監視を強める。

分かりやすい制度変更です。

 

街の様子としては、特に上海ではすべての交差点や町中に監視カメラがあり

スリ等の犯罪は全くなくなったそうです。(半面ネット詐欺が横行)

車もクラクションを鳴らすたびにカメラが光るので、あれほどうるさかった街中も静かです。

ただし、運転の仕方が変わったわけではないので(無理やりな車線変更)

むしろ自分の存在を知らせるという意味でのクラクションが無くなってしまったので

より交通事故の危険性が増したようにも感じます。

(日本では怒りの表現で鳴らすクラクションが多いですが、中国では単なる自己存在表現です)

 

また日本でも街中でスマホを覗いている人が多いですが、中国はその比ではありません。

実際の機能としてもほぼ完全なキャッシュレスなので、スマホだけを持っている人も多いです。

つまり、スマホの電池切れ=社会的無能者になる事を意味します。

今回一緒にいた蘇州出身の友人と上海で一緒に過ごし、夜10時位。

一緒にホテルに帰ろうとすると、彼のスマホ残りバッテリーが4%。

どうするかと思ったら…

コンビニに入り、勝手に自分のバッテリーを壁のコンセントににさして充電し始めました。

日本人である僕はとっさに「怒られる」と思い、不要な物を買う為に品物を選び始めましたが、

充電している本人、店員、他の客もだーれも気にしていません。

ただ一人焦っているのは自分だけ。

喜劇の出演者になった気分でした。

 

中国の人は、一見忙しくセカセカして生きているように見えても、ゆったり構えているところがあります。

タクシーでも運転手は平気でタバコを吸いますし、話している最中にとんでもない大あくびをかいたりします。

声を出す大あくびを、話している最中にされる。

日本人なら誰でもその運転手に怒りの感情を持つでしょうが、現地では普通です。

だって悪気はないのですから、何を怒っているんだと逆に驚かれるでしょう。

良い悪いではなく、文化の違いですね。

 

日本にいると、最近は交通マナーが悪い(赤信号でも突っ込んでくる、曲がるときにウインカーを出さない等)

とイライラする気持ちがありましたが、良くも悪くも中国に数日いただけで気にならなくなります。

反面、気になる事があります。

羽田空港から京急線で家路に。

夕方の帰社時間という事もあり車内はほぼ満員、もちろん学生もいます。

本来ホッと一息ついて、日本の良さを実感するところですが、

この日は乗ってきた現場作業員風の初老の男性二人組が、乗り込むや酒盛りを始めました。

おつまみまで開けだして匂いも充満、ロング缶二本目の突入。

しかも大声で話している内容が仕事に対する愚痴。

これは異常な状況です。

 

日本が中国に勝つ/負けるという議論がありますが、

もしかしたらもう取り返しのつかない事態に陥っているかもしれません。

もちろん日本が負けているという状況で。

日本は民主義国家で、現代中国のように強制的に社会の仕組みを変えることが出来ません。

民主主義とは多数決主義とも言えますが、悪い方向にもあっという間に流される危険性があります。

国としての国家目標、会社の経営目標、家庭内での子供に対する教育目標。

それらを実生活にしっかり落とし込み、各人が自分を律して生きる。

そうすればどのような社会システムからも超越した、独立した個人を確立できます。

その様な人が多数いるからこそ、民主主義とはすばらしい仕組みになるはずです。

多くの人が愚痴を言い、人のせいにして、あげく自分の責任すら認知していない。

自分の責任とは自分で給料を稼ぐ事で、それさえあれば後は関知せず。

大切にすべき精神的高まりをまったくないがしろにして、ただ肉体の安楽を追求する。

その行きつく先は民主主義の敗北です。

他者との比較ではなく、昨日の自分との比較をすることの大切さ。

昨日の自分に勝てる自分になる。敵対する相手は外ではなく内。

中国で大切な気づきをもらえました。

写真ですが中国の街の一コマ:

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果物がにぎわう季節です。

特に無錫の桃が旬。友人に買ってもらい分けました。

とてもおいしいですが、一個300円弱。普段の物価は本当に高くなりました。

そんな果物の陰に、かわいい新規参入者が:

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きっと上海でたくましく育つでしょう。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2019年7月 1日 (月)

自由に生きるために

おはようございます。

先週は経営者仲間や大先輩社長といろいろと話をする機会がありました。

これからの経済状況ですが、日向も含め3社とも現状はそこそこ受注はあっても

9月以降の今年後半の事は全く見通せないという事で意見が一致しました。

国際情勢や、国内の増税問題…経済は世間が安定していないと伸びませんから心配です。

今回教えていただいたのですが、ある地区の広域統計では

経営者の8割が一般従業員より給料が低いそうです。

これは実感として分かります。

銀行借り入れがあれば、返しきらない限り仕事は止められません。

高齢の経営者は給料を払うため、自分の給料を下げて年金を受給しながら仕事を続ける。

従業員には給料を払わないわけにはいきませんから。

必然的にこうなります。

ではその会社は後継者が育つでしょうか?とても難しです。

この状況の会社が80%。

製造業を取り巻く環境が、10年後には一変していると言われ納得しました。

製造業の基盤が揺らいでいます。

10年先と言わず、身近なところに目を向けると...

個人経営のパン屋さん、中華料理屋さん、クリーニング店、喫茶店…

気づけばコンビニだけになり、そのコンビニも多くの問題が顕在化しています。

そして製造業を取り巻くもう一つの側面として:

現代日本社会は人に必要なものがいきわたっている為、

急激な経済成長の可能性は無いというのは、基本認識として持っていた方が良いという事です。

例えば氷で冷やす氷室しかなかった時代に、電気で冷える冷蔵庫が発売!

それは皆、他の生活費を削っても買いますよね。

食べ物を家で保存できるなど、夢の世界の話だったと思います。

製品の貴重さ故安売り競争などありませんから作る会社はもうかる。

従業員の給料は増える。

そういう会社で働きたくて一生懸命に勉強する。社会に大企業を中心とした秩序が生まれる。

そうこうするうちに、テレビやクーラーなど、更に生活の質を根本から変える製品が生み出される。

これらはまさに魔法の箱です。何としても手に入れたくなります。

そして良い製品は国境を超えて世界中で売れた。

経済が躍動し始めるときです。

生活の基本が満たされれば、今度は贅沢な嗜好品に目が移り、

その流れをとらえた会社が大儲けする。高度成長期の物とお金の動きです。

ところが現代、そのように社会を根底から変える製品はありません。

あえて言えばスマホだったかもしれませんが、当時の製品と比較してしまえば最初から過当競争で安価です。

ごく一部の企業が少し潤って、社会的動きまでには至りません。

時々ヒット商品があっても、また短い期間に次の物にとってかわられてしまうので、

製造業としてはピークに合わせた設備投資が難しくなっています。

設備はとても高価な場合が多いので、自己資金で買える事は稀で、

普通は経営計画に基づいて、銀行からの借り入れに頼ります。

この借金は、買った設備が一定期間フル稼働することを前提に借りますので、

もし不景気が来て設備が止まってしまえば、あっという間に支払いに困窮します。

すると今日の題に書いたのと反対に、企業活動に自由さが失われます。

製造業の企業経営者はいつもその判断を迫られています。

では個人において「自由に生きる」ためにはどんな考え方や行動が必要でしょうか。

いくら良い大学を出て一流とされる企業に就職しても、45歳過ぎは一斉に希望退職を募られるのが

珍しくない現代です。

もちろん企業に就職しても自分磨きを怠らず、自分が社会で必要とされる技を身につけていれば

「希望退職」に自信満々で真っ先に応募できるでしょう。

技とは、その人が存在することにより周りの人が幸せになれる人間性がベースでなければいけません。

その技術が世界唯一でありつづけるなら、独善的でも頼られ続ける可能性はありますが

そんな技術はまずありません。

仕事とは仲間と一緒に成し遂げるものです。

まず大切なのは仲間を大切にできる人間性、そして頼られ組織として責任を成し遂げる。

この様にどんな世相でも、他者に必要とされる人は自由を感じて生きられます。

さらに深く考えると、

自由に生きるとは=他者からの期待に応える=その責任を果たし続けるという事です。

どんな状況であろうと、他者の期待に応えるために責任を投げ出さないという覚悟。

何か問題が起きれば、自分で責任をとるという潔い覚悟。

そんな人は周りから見ると堂々としていて自由に見えるんです。

反面、何か起きるとすぐに他者や社会のせいにしてしまう。

そんな人はいつもビクビクしながら生きています。

社会は自分が作っている、自分が社会とまっすぐつながっているという自覚がない、

現代社会の病気と言って良いと思います。

責任から逃れていたら、いつまでたっても清々しい気持ちで自由を感じながら生きることはできません。

盲目的科学信仰を脱し、先週書いたように本能を伸ばす考え方が重要になってくると思います。

製造業はそれに寄り添うようにバランスを保つ。

近世は物が突出しすぎたのかもしれません。

仲間や大先輩と話して、そんな大切なことを再確認させてもらいました。

いつも自由で良いね、と言われるように責任を果たして頑張ります!

写真は浅草の七夕です:

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いつもの街の風景が一変しワクワクます。

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

2019年6月24日 (月)

ピーマンとシシトウの相性

おはようございます。

今日は梅雨らしい天気で、植物にとっては夏前の大切な水分補給の時期です。

そこで、今日は家庭菜園の話です。

プランターで、ピーマンとシシトウを同時に育てていました。

ちなみにピーマンとシシトウは、苗では全く区別がつかないほどそっくりです。

しかしどうした事か、片方(おそらくピーマン)が成長しません。

ほとんど枯れてしまったので、それは畑の端に植えて再度ピーマンの苗を買いました。

すると、そのピーマンは育ったのですがもう片方のシシトウが全く大きくならない。

さすがにおかしいと思い、ネットで調べると

どうやらこの2つの苗を同時に植えてはいけなかったようです。

相性が悪い、たとえ育ってもピーマンも辛くなってしまうと。

辛くなるのは、シシトウの花粉を受粉する可能性があるからかもしれません。

プランターにはピーマンだけ残して、シシトウのあった場所には空心菜の種をまきました:

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写真上、プランターの上にちょっと映っている小さいのがシシトウです。

数週間たっても苗を買ってきたままの大きさで成長が止まっています。

ちなみにほとんど枯れかけていたシシトウですが、畑に移した後はぐんぐん育っています。

しかし不思議です。

根が絡み合っているわけでもないのに、片方が育たない。

匂い?でしょうか。だとしたら、上の写真の状況でもシシトウが育たないはずですよね。

しばらく実験してみます。

いずれにせよ、お互いが何らかの通信をしてけん制し合っていることは確かなようです。

 

人間の場合でも相性の合う合わないというのはあると思いますが、

植物のように簡単に植え替えるわけにはいきません。

ではどうするか?

努力によってその状況が固定化しない様にする。

それが知性です。

お互い何が気に入らないのか話し合いをする。植物にはできないことです。

かつての日本では、「村社会」と言われ今ほど人の移動が自由ではありませんでした。

気に入らないからと人付き合いをしなければ、行く行くは変人扱いか村八分だったでしょう。

だからこそ、そうならない為にも季節毎のお祭りや

村人力を合わせての伝統継承行事があったのかもしれません。

先人の知恵です。

ところが現代においては、人を指導したり叱ったりすることがとても難しくなっています。

それは成長する機会が失われているという事です。

最も大切なのは子供時代の家庭教育ですが、

今はそこでうまくいかなかった場合の救いどころがとても少ない。

それはとても怖い事です。社会としての常識が崩れてしまいますから。

最近はそんなことが原因の事件が多い気がします。

2人の息子の親として、また会社経営者として、全く他人ごとではありません。

教育、指導と言っても本能まで抑え込んでしまってはいけないと思います。

人としての本能を削るような教育は、元気のない子供を産むだけですから。

本能を大切にしつつ、それをどう生かして他者と強調していけるかと言う知育。

老後のお金の心配よりもはるかに大切な課題です。

家庭菜園から大切な学びをもらいました。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2019年6月17日 (月)

物は人を幸せにするのか

おはようございます。

普段仕事でモノづくりに携わっていながら、今回の題名は矛盾しているかのようですが考察をはじめます。

その基本的考えは、「物は(そのものだけでは)人を幸せにしない」です。

ただし、物と言ってもいろいろあります。

先週のブログに書いたような、食べ物。

これは体を維持するために、最低限の栄養が必要です。

美味しいやまずいの前に、必須です。

物には有機物・無機物がありますが、有機物は大雑把な解釈をすれば「いきもの」です。

もちろん人間は有機物。

対して無機物は、いわゆる「モノ」

身の回りにある、時計や車、スマホや住んでいる部屋…

我々有機物は、無機物を「所有」しながら現代社会を生きています。

有機物は生き物ですから、いずれは朽ちて無くなってしまいますが

無機物はその種類や質、保管方法によってはずっと残ります。

例えば、分かりやすいのは宝石や金(ゴールド)。

何千年も前に誰かに所有されていたそれらを、現在生きている我々が美術展などで鑑賞できる。

そう考えると、それら貴重な無機物の意思によって、

有機物である人間がそれらを所有させられているかのような錯覚を覚えます。

違う言い方をすれば、逆に人間がそれら無機物に観察されているかの様な。

 

現代は情報にあふれ、物を使い捨てにし、また生活に必要以上に物を集めてしまう。

自分の命が永遠であるかのように振舞って…

所有者が亡くなれば、それらの物は主をなくしてさまよいます。

幸運にもまた誰かに使ってもらえるものもあるかもしれませんが、ほとんどはゴミになる運命…

なぜ現代人はこれほどものに固執してしまうのでしょうか。

それはちょっと大げさに言えば、自らの「生存不安」が原因かもしれません。

しかし無機物に囲まれても人は深い安心を得ることが出来ず、その欲望が加速するばかり。

本当に大切なのは、生ある人同士に築かれる、目には見えないつながりです。

それは感謝心であったり、労りであったり、そこから生まれる信頼であったり。

ただ、無機物を介してそれらを醸成する事は大切です。

例えばスマホでお互いの状況を伝えあったり、心地よい家に住んで良い気分で生活できたり。

手段は無機物であっても、本当に得たい物は

「見えないつながり」

という信頼。

現代は、手段が目的になってはいないでしょうか。

周りの人が持っていない最新のスマホを入手する、高級車に乗って自尊心を満足させたい、

大きな家に住んで経済的成功を誇りたい…

その先に目指す生活が見えていないと、際限ない物欲地獄にはまってしまいます。

そうは言っても、先を見通す事は誰にとっても難しいものです。

まずは生活するために必要なお金をしっかり分け、余計な物を買わないように自分を律する。

現代社会は一見便利になりすぎて、大切なことを見失いつつあります。

食物からとる栄養と言う意味では、豊かで命の維持に不安がない現代日本社会の中でも、

精神的に厳しい状態で生活している人も多いです。

厳しい中でも寂しくならないように努力する。

誰かに居てほしいと思われることで、精神的栄養が補給されます。

そして居ないと困ると言われる場所を作る事で、自信がついていきます。

そのためには、日々接する人に気を配り、自らを後にして他者を心地よくする。

挨拶だけでもそれは成し遂げられますから。

写真ですが、この時期だけのご褒美:

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睡蓮の花、去年は咲きませんでしたから見つけたときには一瞬時が止まったような感じでした。

あらゆる花の中で一番きれいだと思います。

昼間だけしか見られず、夕方には:

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それも数日でおしまいです。(よく見ると子メダカが見えます)

あまりにも美しくはかない花の一生。

自分の一生もこうありたいというあこがれが、心を惹きつけるのでしょうか。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2019年6月10日 (月)

フィンランドの食、文化

おはようございます。

今日は先週に続き、フィンランド文化の考察を「食」に絞って書きます。

フィンランドの消費税は24%と高いが、パンやジャガイモ等一般食品は10%

それらの価格は日本とそれほど変わらないが、外食は高い。

会社帰りに軽くビールを一杯飲んでおつまみを食べれば、最低3,500円/人はかかる。

ただし、最高級の店に行っても1.5万円/人位。

ここまでが食の基本情報ですが、ではフィンランド料理とは何か?

講師の渥美氏によれば、美味しいフィンランド料理は無い。

美味しいレストランはほぼロシア料理。(日本食も多いが)

ここで考えさせられました。

言うまでもなく食とは体を維持するエネルギーを補給するための行動。

現代では美食を競ったりしていますが、長い人類の歴史的には

飢餓からの脱出が最優先でした。

特にフィンランドのように寒い地方では、何とか夏場にじゃがいもを確保するのが

最優先課題だったでしょう。

その様な状況で、食を「文化」と呼ぶようになるまで高めるのは考えつかないことだと思います。

この様に気候条件は食文化に大きな影響を与えますが、

もう一つ大切な視点は、王室があるかどうかだと思います。

王室がある=美味しい物を作って献上すると褒めてもらえる。

絶対王制であれば、そこで認めてもらう事は人生の安泰を意味しますから

技を競って磨くと思います。

そう考えると、先週書いたようにフィンランドには王室が無く、気候が寒いので

食文化が発達しなかった。独立してからまだ100年しかたっていないのもその理由でしょう。

他国に当てはめると、

建国約200年のアメリカ、独自の食文化はあまり聞きません。

逆に各地に強力な王族が居て気候も温暖なたイタリア、何を食べても美味しいです。

そして世界三大料理と言われる国々。

絶対王政のフランス、中国、トルコも気候は比較的温暖ですね。

ちょっと不思議なのは、広大な植民地を持ち、今でも英連邦を維持しているのに

イギリス料理はあまり文化としては発達していないことですが、

これ以上の考察をする知識が無いので止めます。

日本料理について考えると、そのシンプルさがすごいと思います。

代表的な鮨。一見ご飯を握って魚を乗せるだけ。でもそこに繊細な技術があり人を感動させる。

各国の高級料理は、味が濃厚でこってりしたものが多いような気がしますが、

日本料理はどこまで行っても素材の味ベースでシンプル。

そして各地に独特な文化が根付いています。

納豆やいぶりガッコ、からしレンコンや明太子…

個人的に大好きなくさや(GWに行った新島/式根島の名産品)。

臭いですが、サプリ並みに栄養満点です。

他にも各地独特発展をしている味噌汁。

丁寧にだしをとって、地方の究極の発酵食品である味噌で味をつけて身近なものを美味しくいただく。

究極の贅沢かもしれません。

日本料理が世界中で人気になるのも当然ですね。

先週は社員皆でそんな日本料理をおいしくいただく機会に恵まれました。

会食場所は上野韻松亭:

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個室を借りられ、窓の外には不忍池。

まだ明るいうちから始まりましたが、夜になると炎が揺らめき雰囲気が変わります。

食事は和食で山海のごちそう、皆満足です。

珍しく集合写真が取れました:

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皆で良い時間を過ごすことが出来ました。

お客様のご支持があってこそです。

気持ちも新たに頑張ります。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2019年6月 3日 (月)

フィンランドの話 異文化理解の続き

おはようございます。

先週は、定例の橋本先生勉強会でフィンランドの話を聞きました。

講師はフィンランド大使館の渥美様(所属部所はビジネスフィンランド:後述)

個人的にも、フィンランドの方と一緒に武道の稽古をした経験もあり、国に対する興味が湧いていました。

また、GW中に読んだ日露戦争関連の本の中に、

「日本がロシアに勝ったことで、フィンランドは大変な勇気をもらった」

と書かれており、自分が歴史を全く知らないことに気づかされました。

日露戦争の勝利によってアジア各国に独立機運が高まったことはしっていましたが、

日露戦争当時、フィンランドはロシアの一部だった事を知りませんでした。

地球儀や地図で確認すると分かりますが、フィンランドと日本はロシアを挟んで隣同士です。

温暖化が進んでいる現在、北極海航路ができると物流面でもとても近い存在になります。

この日の講義は、ビジネス面での話が主かと思っていましたが、歴史を含めた幅広い学びを得られました。

では始めます。

 

フィンランドの基礎的情報:

  • 人口550万人、首都ヘルシンキ
  • 国土面積は日本とほぼ一緒
  • 1917年独立(日露戦争は1904~1905)
  • 言語はフィンランド語、英語、スウェーデン語
  • 法人税率20%
  • 暮らしやすさランキング世界一位
  • 王室はない
  • 緯度が高く、夏はずっと昼間で冬はずっと夜。オーロラが有名
  • ムーミンの故郷

給料は日本とほぼ一緒(EU内では安い方)

国土が広いので家は安い。一般社員でも土地1エーカー(1200坪)の家を買うのは珍しくない。

講師の知人が「隣家の音が気になる」と言うので、どのくらい離れているか聞いたところ20km!

税率が大変高いので、大学含む教育は無料で老後の心配がない代わりに頑張ってもあまり給料が増えない。

租税の国民負担率約65%(日本は40%程度)

 

歴史:

先史時代を経て、12~19世紀までのスウェーデン時代(今でも金持ちには旧スウェーデン人が多い)、

19~20世紀のロシア時代を経て独立。

ロシアから独立後、多くの東欧諸国はソビエト連邦に組み込まれたにが、

フィンランドは独立国として良好な関係を維持。

オイルのパイプラインも止められなかった。

講師曰く、その理由はフィンランド人が「強かったから」ではないかと。

先史時代をひも解くと、大陸からのフン族(遊牧騎馬民)が作った国という俗説もあるそう。

日本にもフン族が来ており、それが両国のサウナ、風呂好きの遺伝子とも。

両国ともに裸でサウナ、風呂に入るが、世界的に見ると珍しい。

日本との外交史では、今年が外交樹立100年、記念式典には秋篠宮ご夫妻が出席される予定。

良好な関係を築いており、飛行機も週に40便飛んでいる。

 

ノキアの歴史から見るフィンランド経済:

1990年代から2011年まで、ノキアは携帯電話において世界トップ企業を維持し続けた。

当時約5万人の従業員の内、半分は外国人(トップマネジメントはフィンランド人の割合が高い)

その後スマホ台頭により携帯電話部門売却、現在はルーセントを傘下に。

その結果ルーセント参加だったベル研究所もノキア傘下になっている。

現在は5G通信システムで世界第二位。次次世代6Gの開発でも先行。

その他通信に限らず幅広い事業展開をしている。

携帯電話部門売却時でも、日本の製造業でいえば大変優秀な利益を出し続けていたが、

先行きを考えて売却。

退職者に退職金+2500万円を払って起業を勧める(起業1,000社計画)

この計画は成功し、色々な分野で優秀なベンチャー企業が育ちフィンランド経済を支えている。

ここで先述した「ビジネスフィンランド」の説明。

これは日本でいう経済産業省の様な組織ですが、企業に対して650億円の直接投資を行っている。

国として積極的にベンチャー投資をしている事もあり、

近年スタートアップ企業のイベント(起業家と投資家の出会いの場)「SLUSH」が大人気。

2018年は12/4、5の2日間に一般参加2万人、スタートアップ3,100社、投資家1,800人、

参加国籍130か国、実施ミーティング2万以上。

「SLUSH」=スタートアップ企業のワールドカップといった様相を呈している。

例えば自動運転に関するスタートアップ企業に対する支援では、資金面だけではなく

実地試験での場所提供も法解釈を柔軟に変えて対応している。

技術的には日本の方が高いかもしれないが、規制が多すぎてテストが進んでいないのと対照的。

また、かつては医療面での遅れが深刻であったが、今は大胆なIT化(電子カルテのビッグデータ処理)

により、医者の少なさを適切なデータ処理でカバーすることで改善している。

 

その他、まとめ:

フィンランドは教育が無料で、教育水準が高い。

社会人になっても、16:00には仕事が終わるので、終業後に大学院に行く人も多い。

ただし個性を重視した教育をするため、勉強嫌いはそのまま大人になり計算もできない人も多いという面もある。

個人で見ると優れた人が多いと思えなくても、組織となると大きな決断を大胆にし環境に適応していく。

また失敗を許せる文化でもある。

そんなところも小さい時からの教育環境によるものなのかもしれない。

ノキアの例でも書いたが、フィンランドの組織において成功したらボーナスが出るのは当然だが、

継続してる事業や研究が上手く行かないとトップが判断したら、

利益が出ていなくてもボーナスを払ってその事業をやめてしまう。

担当者は続けたければそのボーナスで独立すればよいので、好循環が生まれる。

日本の場合は事業が属人的になってしまい

「~君、~さんが頑張っているからもう少し様子を見よう」となってしまうところである。

事業に対する考えがドライで、日本人の様に仕事にしがみついて頑張らない。

実際仕事上の会話においては、ほとんど無駄話はせず、接待も行わない。

接待の代わりにサウナに一緒に入っておしゃべりをする。

大きな会社においては、会議室の横にサウナが併設されてている事も多く、

国全体では100万か所以上のサウナがある。

サウナほどではないが、多いのが巨大室内カート場。

冬の娯楽が少ない(できない)ので発達。実際F1レースにおいてはフィンランド人ドライバーは多い。

また、広大な土地と気候をいかしたラリードライバーも有名人が多い。

一見縁がない遠い国のように感じるフィンランドであるが、学んでみると似ているところも多く

親近感を持つ。

日本との比較では、人口が20倍以上違うので直接比較はできませんが参考にすべき点も多いと感じます。

異文化の理解のための学び、自分の考え方を広めるためにもとても大切だと再認識しました。

食についても考察したいのですが、長くなってしまいましたので来週書きます。

写真ですが、身近な自然に神秘性を感じると言う面もフィンランドに親近感を抱くかと思い、

通勤路のジュンサイ池で:

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この一角では自然にジュンサイを再生しようとしています。本当にきれいな水です。

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

2019年5月27日 (月)

異文化を理解できる度量

おはようございます。

気づけばスカイツリー開業7年でした、このブログも7年続いています。

読んで下さる方のお陰です、ありがとうございます。

先週は取引先(お客様)社長とホテルロビーで待ち合わせ:

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立派なお花とピアノ演奏。

待っている間も読書をしながら豊かな時間を過ごせます。

社長は東北地方で立派な会社を経営されていますが、

今年アジアの新興国に工場を出すことになったそうです。

全く文化の違う国に、工場を独自に新設する。

今の日向には想像できない事なので、経緯等ご指導いただきました。

 

その内容をまとめ、考察すると:

異文化を理解しようとする前に、それぞれ各自の文化を理解することが大切。

それぞれの人間にとって、生まれ育った文化は尊く、大切なもので、それを誇りに思い

深い自信と安心を感じながら堂々と生きる。

そんな人は他者の(外国の)文化にも興味を持ち、それがどんなものであろうと尊重する度量を持っている。

本当に魅力ある人はそんな人である。

また、人を育てるとは知識を詰め込むことではなくそのような考えを持つように育てる事である。

海外に工場を新設するというのは大変な事であるが、現地の文化を尊重し、馴染むように努力する。

これこそ海外工場運営の秘訣である、と。

逆に経済的に優位な自分の国のルールを、現地の人に押し付けてしまえば…

もう最初から失敗は見えています。

本当に大切な話です。

 

これは、海外工場新設と言うような大きな話ではなく、日々接する身近な人々とのふれあいでも

全く同じことです。

どんな文化背景に育っても、自分の文化に誇りを持たず、

自分に自信を持てず、故にそのはけ口を求めるように他者批判ばかりし、怠惰な生き方をしている人は

皆同じような顔つきになってしまい、同じような愚痴を言い続けてしまいます。

そして他者を尊重しないのだから、当然自分も尊重されず

行き場をなくして苦しみながら生き続けることになります。

こうなってしまえば、どんな立派な知識も役に立たないばかりか、屁理屈の上塗りにしかなりません。

 

かつての日本は、それぞれの家や町、会社、そして国としても暗黙のルールがあったように感じます。

一見不合理に見えるルールであったとしても、長い間人の知恵が集まってその状態になったのです。

もし長い歴史の中で「日本」という組織が無くなっていれば、

その瞬間に私有していた財産は没収されてしまっていたでしょう。

財産が没収されるだけなら取り返すこともできますが、

文化が抹殺されることで本当に国は無くなってしまいます。

 

もちろん時代が変われば徐々にそのルールは変わって行くと思いますが、時には大きく変わる事もあります。

近世では明治維新であり、そして昭和20年の敗戦後。

本当に大切なこれらの出来事は、残念ながら戦後教育の中ではほとんど指導を受けません。

ただし学ぶ気があれば、現代日本では学ぶことが出来ます。

「学ぶことが出来る」

これは一見当たり前に感じますが、自由に学ぶことが出来るというのは魂の解放で、素晴らしいことです。

日本が今ある理由、先人の苦労を深く学び、一人一人が先の話の様な魅力ある人を目指せば

国はおのずと繁栄するはずです。

 

令和への年号変わり、国を挙げてお祝いする日本。

諸外国はうらやましい出来事だととらえているという報道に接しました。

守るべき文化をきっちり守っている、その大切さを実感しているのだと思います。

特に国内に紛争を抱えた国が多くなっており、尚更その思いに駆られるのかと。

国民がお祝い事で一体になる、現代社会ではなかなか難しいことになってしまいました。

年号代替わりは自分の場合47年生きてきて二回目。そう頻繁に起こる事ではありません。

家庭において親から家族の昔話を聞く、それを自分の子供や近い人に伝える。

その伝承こそが人に本当の落ち着きを与える、教育の柱です。

日々身近な事、そして国がある事に感謝し生きて、自分を高めていく。

そんな大切なことを深く学べた夜でした。

 

今日も読んで下さりありがとうございました。

2019年5月20日 (月)

不合理への対応

おはようございます。

先週は「世の中不合理」それが現実、そこに気づければ成長すると書きましたが、

そこで終わってしまうと、現在不合理に苦しんでいる人にとっては

救いようが無くなってしまいます。

どう対応すれば、より良く生きられるのか考えます。

 

まず自分の属している様々な組織に対して不満がある方、多いと思います。

極端に言えば、日本人には少ないと思いますが「国自体」嫌だと。

そんな風に考えてしまう人は、

「ではあなたは組織に対して何ができていますか?」

と問いたいです。

もし組織に十分貢献している、組織の仲間に気を配っている

それでも組織とうまくいかない。

それは組織自体に問題がある可能性が高いですよね。

他の組織に移ったり、自分の力で組織を作っても良いかもしれません。

 

ただし、ここで一つ考えなければいけないのは

「人は変化を嫌う」「現状維持を続けてしまう」

という面があるという事です。

自分を変えるより、人が変わることを期待する方が楽ですから。

同じように、本当は起きていることをどう処理するかが大切なのに、

その「事」を変えようとしてしまい悩む。

 

これは自分への戒めでもあります。

自分を変えるのは本当に難しいです。

流行りの服を身にまとったり、高級時計を身につけたり、高級車を買ったり…

それで変わるのは見た目だけです。

もう少し成長して、新しくスポーツに取り組んで運動神経を鍛えたり、ジムで筋肉をつけたり

マラソンを始めて持久力を付けたり…

これなら少しは内面も変わるかもしれません。

でもこれすら本質的な変化にはなりえません。

 

自分の変えるには、自分が両親からいただいた命を何に使うかという方向を変えるしかないです。

現代人はスマホゾンビにさせられていて、ほとんどこれを考えていないのではないでしょうか。

これは一朝一夕に確立できるものではありません、そこでここに到達するために日々何を考えればよいか?

それは「カン」を養う事です。

カンとは、勘、感。

知識ではないこれらの感性は、目をスマホの小さな画面に向けている時にはほとんど働きません。

目からの映像を処理するために、脳の力をほとんど使ってしまうからです。

組織を率いるにはさらに必要なカン:観、肝、貫、幹、寛…様々な「カン」が必要になります。

自然とはそれらが高いレベルでバランスされています。

少しの不合理など吸収してしまうほどに。

本当の学びとは自然と一体化する事、自然からの学びです。知識を詰め込む事ではありません。

 

スマホから解放されたほっと一息つく時間を作り、自分自身と語り合う。

今苦しんでいる人が救われるには、普段の習慣を変えてそんな時間を作ることが大切です。

写真ですが、夜桜ならぬ夜バラ:

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向きを変えて:

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ご近所さんが丹精込めて育てています。

酔っぱらってタクシーを降りた瞬間にバラの香り。

豊かな時間を過ごせ感謝です。

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

2019年5月13日 (月)

子供への問いから考える社会の仕組み

おはようございます

GWの旅行中に子供と話していた際に、ふとこんなことを考えました:

「自分が知っている知識を相手が知っているかを聞くのは、たとえ子供相手でも失礼かもしれない」

と。

もちろん教え導くという理念があればそんなことはないと思いますが、

優越感を持ちたくて問うのは、本当に怖いことだと。

その知識をたまたま知っているだけで、偉いわけはないのですし、

相手は自分の知らないもっと素敵な知識を持っているかもしれませんから。

 

学生時代は学ぶことばかりですから、その確認の為にテストは必要だとは思いますが

先生がどのような気持ちでそれを行っているのか。

今の自分が教師だとしたら、生徒に教えたことをテストで確認するというのは

怖いことのように感じるかもしれません。

結果が悪ければ自分の教え方が悪いという事ですから。

自分が指導される学生側の時は、そんなこと考えもしませんでした。

 

例えば一般の会社でも入社試験や昇進試験はあると思いますが、

面接や普段の態度も加味されて合否が決定することが多いので、

ペーパーテストの結果は参考程度の事が多い気がします。

ペーパーテストは成績がはっきり出ますし、一見合理的に見えます。

しかし、

「たまたま勉強したところがそのまま出れば好成績」

これは合理的でしょうか?

学生の場合は

「そんなものだ」

と割り切ってしまうかもしれませんが、

社会人の場合は、テストで良い点を取っただけではうなくいかないことが多くなり、

不満に思う事も増えていきます。

 

より大切な、

人とうまく付き合う能力、指導する能力、人を惹きつける力…

それは「たまたまの勉強」でに身につくものではありません。

 

社会人と学生の間にある「壁」って実はここにあるのかもしれません。

基準が変わっているのです。

学生:

テストで良い点を取る=分かりやすく合理的。世の中の判断基準はこうあるべき。それが正義だ!

ところが社会に出てみると:

嫌な上司に指導され、その上司は課長にはぺこぺこしていて格好悪い。

先輩はどのようにすれば仕事が上手く行くか教えてくれないし、お客さんにも厳しいことばかり言われる

今でもテストの点数は誰にも負けないのに、そんな知識は聞かれることがない。

結局好き・嫌いで昇進が決まっていて不合理ばかりだ!!と。

 

開き直るようですが、その通りで世の中不合理ばかりなんです。

でもその不合理こそが世の中の現実。

「不」(不足、不満、不幸せ…)あるから、その反対もある。

もし幸せばかりの世の中だったら、そこに「生」のエネルギーはあるでしょうか?

人だって、悪いことをしり、嘘をついたことのない人など魅力があるでしょうか?

絶対的な正義や合理などあるわけがないのです。

だから人生は面白い、これに気づいた人は成長が速いです。

あっという間に自分の殻を破り、どんどん現実世界の知識を吸収していきますから。

その時になりやっと役に立つのが、学生時代の知識。

役に立つというレベルではなく、武器にすらなります。

これが、行動と知識のバランスが取れているという状態です。

社会に出てから学べることは、仕事に直接関係する事に限られがちですが、

学生時代は数学、物理、歴史、そして美術や音楽と、やる気次第で幅広く学ぶことが出来ます。

その時は無駄に感じる知識も、知っているか知らないかではその後の人生の広がりが全く変わります。

例えば、

社会に出てから、ふと音楽に触れたくなっても音符の読み方が全く分からないのと、

基礎的な事を知っているのではその間口が違います。

他のすべての科目についても一緒です。

将来何を「するのか」「したくなるのか」は、学生時代には分からないことが殆どです。

 

無駄に見えることに本当の価値があるかもしれない。

損な一見不合理に見える事の裏に、将来の可能性が隠されている。

それこそが社会の仕組みです。

写真ですが、GW中の雨上がりの朝に撮りました:

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ブルーベリーの花と雨雫。

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

 

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