2019年3月25日 (月)

身近にある幸せ

おはようございます。
先週は、家族で日帰りスキーに行ってきました。
行先は長男が合宿で良く行く鹿沢(かざわ)スキー場、長野と群馬の県境、群馬側あります。
小さなスキー場ですが、全く無駄がなく、毎朝完璧なレーシングバーンに仕上げてあります。
車で言えばサーキットの様な場所でした。
ちょうど大学生がレースをしていましたが、一般客はほとんどいなかったようで、
貸し切りの様な状態で滑ることができました。
人にぶつかる心配が無いので、久しぶりに
「これは転んだら死ぬな」
というスピードを楽しめました。
アクセスは車しかありません、また道も相当険しいので(先週でもスタッドレス必須)
注意が必要ですが、苦労して行く価値があると思います。おすすめです。
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表題の件ですが、上信越道の小諸インターからスキー場に向かうときの出来事です。
県道を走っていると、交差点脇のコンビニか出てこようとしている車が居ました。
赤信号を確認して、その車が余裕をもって合流できるよう早めに減速。普通の事です。
驚きはここから:
普通は合流後に数回ハザードを出して終わりですよね、
ところこの車のおじさん(北の国からの五郎さんの様な感じ)、
まず走り出す前にお礼。
そして県道に入る際にもお礼。
そして更にハンドルを切って合流する際に、再度深くお辞儀。
これにはびっくりしました。
家族全員で笑顔になりましたよ。
人を幸せにするには、予想外の良いことをする。
言葉にするのは簡単ですが、実際に行動に移せる人はなかなかいないですよね。
スキーをする前に、すでに幸せな気分でいっぱいでした。
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予想外の良いことをするというのは、この様な普段の生活はもちろんですが、
仕事においても最も大切な考え方だと思います。
分かりやすいのは、営業担当がお客様に:
  • 予想より早い納期で製品を納める。
  • 見積価格が他社より安い。
  • 不良対策において、普段の営業活動以上の力を注ぎお客様の不安を解消する。
  • 繰り返し不良を出さないよう、原因究明と対策を完ぺきにこなす。などなど。
しかしお客様に接しない社内関係においても、全く一緒なんです。例えば:
  • 経理担当の負担減少の為、経費精算を誰よりも早く行う。
  • 社内の連絡メールにも、圧倒的に早く回答を行う。社内行事や飲み会の返事に対してでも。
  • 工場内の共用工具、機械を次に使う人の事を考えて適切に配置する。
  • 汚れやすい場所を使うときは、自分が使う前よりきれいにして仕事を終わらせる。
この様に、言ってみれば誰にでもできそうですがやっていないことが多いです。
一つ一つは小さな出来事ですが、皆がこのような考え方で働いている会社は
きっとストレスが少なくなります。
誰もやらないのは問題外ですが、やっているとしても:
「俺は/私はこれらをやっているのに、あの人はやっていない」
「自分だけ損をしている」
と不満一杯でやっていたら、逆に周りの雰囲気が悪くなってしまいます。
やる事が当たり前、また誰も気づかないのが当たり前。
自分が気づいていないところでは、逆に誰かが気を使って手を動かしている。
この様に考えなければいけません。
それほど「普通の状態」は大切ですし、維持するのが難しい事なのです。
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それができれば、きっと長野で会ったおじさんのように良い気分をふりまける人になると思います。
気分が良い人/組織には、人が集い仕事が生まれます。
課題に対して会社の力を結集して解決する。
すると皆が一回り大きくなり組織も安定し、さらに良い仕事に恵まれる。
経済発展の原理です。
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写真ですが、会社の近所で見つけた幸せ。
テイクアウト専門のお寿司屋さん、一か月前の雪の日に店主が転んで休業中(張り紙告知)。
その告知に、最近変化が:
Photo
何だか嬉しい光景です。
今日も読んで下さりありがとうございました。

2019年3月18日 (月)

卒業式のお言葉

おはようございます。

先週末は次男の小学校卒業式でした。

自分の卒業校と同じ事もあり、長男の時に続き出席してきました。

最近はお父さんの参加も多いです、3割くらいは男性でしょうか。

3年前にも書きましたが昨今の卒業式、非常に凝っています。

僕らの時は、国歌、校歌を歌い、卒業証書授与され、校長の長い話を聞いて

伝統的な卒業歌の合唱で終わり。

ところが今は

まず5年生が一緒です。歌や式辞までは一緒ですが、その後に5年生が活躍します。

6年生が壇上に並び、一人一人が大きな声で今までの思い出を語り、

(例えば「楽しかった修学旅行」とか「ありがとう」とか割り振られています)

それに応えるように、5年生も感謝の言葉や最上級生になる意気込みを一人一人返します。

そして合唱も、コンクールのようにパートに分かれて三曲。妻はそれを楽しみにしていました。

10:00に始まり、11:50まで式。

私はそこまでで会社に向かいましたが、

その後は記念撮影と、教室に戻って最後の授業参観とさらに一時間以上…

大変な儀式になっています。

さてタイトルの話ですが、来賓のお言葉に補足をしたいと思います。

会長の言葉は

1.自分肯定が大事、人に褒められるのを待つよりまず自分を褒める。

2.皆幸せになりましょう。親より先に死ぬのはだめ、長生きしましょう。

子供にこう語りかけていましたが、通じるかな?と。

ちょっとつぎ足します:

1の自分を褒める、自分の存在を肯定的にとらえる。確かに大切です。

毎朝の洗顔時、また夜のお風呂時に鏡を見て自分に

「よく頑張っているね」

「すごいよ」

などと語りかける。これ結構難しいです。

きちんと生きていないと、まず自分の顔をまっすぐ見られないですから。

自分の顔を好きになれるためには、良い笑顔を作れるようになることです。

これは練習です。嫌なことがあった日でも、良い笑顔が作れるようになれば合格。

そしてそれが次の2につながります。

良い笑顔を作れると、お友達がたくさんできます。

笑って楽しそうな人の周りには、自然に人の輪ができるからです。

学生にとっては、気の合う/許せる友達がたくさんいる事が何より幸せなことです。

でも大人になると、幸せに対する考えが変わります。

大人はその友達を含めた社会から使命を与えられたときに、そしてそれを果たした時に

幸せを実感できます。

それは難しい物を作る事だったり、人を幸せにする研究だったり、困っている人を助ける事だったり。

難しい課題(使命)だからこそ、それを達成できた時の充実感も大きくなり

その時に心の底からの幸せを感じられます。

幸せになるとは、他者から与えられるものでは決してなく、自分で苦労して作り出す空間の事です。

皆と協力して幸せな空間を作ることができれば、結果的に幸せになっていることに気づきます。

ちょっと難しい言い方ですが、それは自分の体の命が尽きてから実現できるかもしれません。

それほど使命とは尊く大きなものなのです。

体の命があってこそ取り組める大仕事が使命。

体が頑張ってくれるから、難しいことに取り組めるのです。

長生きは結果、過程こそが大切です。

故に大切な体、そして健康を保つこと。

当然、他人の体も自分の体と同じように尊重しなければいけません。

そんな大切な体を頂き、ここまで育ててくれたお母さん、お父さんに深く感謝しましょう。

そして自分の使命に巡り合えるよう、中学生になっても一生懸命勉強しましょう。

僕がPTA会長でなくて良かったです、きっと校長先生より長い話になりますから。

式の最中、次男は「長生きしましょう」に「あれっ」と違和感をもったそうです。

いつも言われている事と違うと…順調に育っています。

写真ですが、先週話した「折れない刃」です:

Photo

メーカーがまさかの「OLFA」 

この会社名「折る刃」から来ているのですよね。

先ほどの話、自己肯定ではなく完璧な自己否定!

大人の世界は複雑です(笑)。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2019年3月11日 (月)

工場監査からの学び (VDA規格)

おはようございます。

先週はお客様に工程、工場の監査を2日間に渡ってしていただきました。

初めてお聞きした監査基準で、VDAという規格に則ったものです。

VDAとはドイツ自動車工業会の事で、弊社製品を使ってお客様が組み立てをし

その最終ユーザーがドイツの自動車メーカー系列との事で。

今までの監査と違う事は、オープンディスカッションという仕組みで

何やら楽しそうな名前に感じますが、実際には前もって用意できない様に

監査員が気づいた点を現場の社員の突然ヒアリングをするというものです。

配置の意味や、マシンの管理状況。そして仮定の質問、例えば:

  • スクラップボックスに本来入っていないはずの品種が入っている。どんな原因が考えれますか?

これは貴重な質問です。

プレス機の中に、前に打っていた金型の製品が滞留している?

シュートホース(製品が落ちるときに通る)内にくっついている?

スクラップボック自体を他の製品と使いまわしてしまっている?

等様々な原因が考えられます。

日々の仕事において、あらゆる場面を想定しておくことはとても大切です。

「想定外でした」

と言って許してもらえる事はないですし、何も考えてないんだなと判断されますから。

面白かったのは、「折れる刃タイプのカッター」は使わない方が良いという助言。

刃を出したまま落としてしまい、それがどこかに混入する/けがをする危険性があるから。

確かにご指示いただいた通りですが、これは想定していませんでした。すぐ対応します。

この様にかなり詳細に見ていただきましたが、書類、現場共によく対応して合格点を頂けることになりました。

監査と言えば対応が大変、面倒といった意見もあると思いますが

むしろ無料で業務チェックをしていただける貴重な機会だと考えています。

監査にきちんと対応するには、会社内の各部署の風通しがよくないといけないと痛感します。

その意味で社内で他者を批判する人は、仕事ができない事よりはるかに悪いことだと断言できます。

人を批判するという事は、自分がその人より優れていると勘違いしているという事ですから。

はっきりした問題があるのであれば、公式の会議の議題にして社員協力して問題解決に当たらなければいけません。

他者に対する一方的批評は、悪意の循環に入ってしまい抜け出せなくなります。

これと同じことを、週末に武道の先生にも指導していただきました。

同じ道が数百年も続くということは、その時々で皆が他者ではなく自分を鍛えることに専念したからだ、

自分の周りの事に気を取られて、武道の会の先行きを心配してる暇などない。

今の自分が正しい生き方をしているかどうかは、300年後の人が判断してくださると。

天を見据え、どっしりとした生き方をしろということ。

一瞬の自分の命、他者を批評している暇などないということです。

武道は体を鍛えるのはもちろん、大切な学びを頂ける貴重な機会です。

お客様、先生から多くの気づきを頂けました。有り難いことです。

写真ですが、ネットからの拾い物です:

130

はなまるうどん、かけうどん小!

二日酔い気味のランチ、近所のうどん屋さんで一番さっぱりしたものを頼み

300円を握りしめてお会計に並んでいると驚愕の一言

「130円になります」!!

聞き間違えかと思いましたよ。だって他のシンプルなうどんは皆300円ですから。

写真のように揚げ玉、天かす、ゴマはトッピングし放題で130円。

後で調べたら、130円にはうどんを広めたいという経営者の思いがこもっているようです。

ちょっとびっくりしたランチでした。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2019年3月 4日 (月)

変化と進化の違い

おはようございます。

前回は家庭の在り方について書きました。

その中で、家電製品の導入による生活の変化について触れました。

家電製品により、生活は「変化」しましたが、「進化」はしていないともお伝えしようと選んだ例です。

家電ではなく、違う方向からもう一度考えてみます。

最近よく一緒に稽古をしているフィンランド人の仲間がいます。

30歳で大学の博士課程に通い、将来は国を背負う事間違いなしのすばらしい人格者です。

彼の稽古は誰より厳しいです。人に厳しいだけではなく、自分にも厳しいです。

様々な技に対して、真剣で立ち会っている時と同じ気魄を要求してきますし、

実際に全力でぶつかることを要求します。

もし初心者に同じことをすれば、あっという間にやめてしまうと思いますが、

彼の人間性の素晴らしさを知っている人たちにとっては、清々しい時間となります。

日本人の武道を日本人より愛し、実践し、日々真剣に高めようとしている。

もちろん先輩の指導は何でも頭を低くして聞き入れ、実践に生かしています。

自分を高め、周りを気持ちの良い空間に変える。

これこそ人間ができる「進化」です。

例えば、彼は誰が見ても西洋人の背格好をしています。

我々日本人より、立派な体格で格好良く見えるかもしれません。

でもこれは進化ではありません、変化です。

彼の血統でも、今後何世代にもわたり赤道直下の地に住めばその地に適応した体に変わるはずです。

北極圏近くに適応した体のままでは、世代をつなげなくなってしまいますから。

この様に一見大きく違う様に見える人間の外見の変化など、精神の進化に比べれば誤差です。

なぜ現代人は外見にこだわり、外見が綺麗に/格好良く/かわいくなることが進化だと

勘違いしているのか。

それはダーウィンの進化論がベースにあるからかもしれません。

個人的には、この考えは間違えたものだと判断しています。

人間がサルから進化したとしたら…

縄文時代の象形文字からでも、当時サルと人間が触れ合っていたのが分かると思います。

当時からサルはサル。文字でわかっているだけでも何千年、何万年もサルなんです。

サルは全く進化しません、ただ生きるのに精いっぱい。

その中で少しほっとして長野の温泉につかっているのを世界中の人が擬人化して見に来る。

もしくはたまにちょっと計算ができるようになる。

そこにあるのはちょっとした変化だけです。

それに比べて、人間の進化できる可能性はとんでもなく大きいです。

進化のスタートとはまず自分を知ることです。

親の庇護下にいて偉そうな事を言っていても進化は始まりません。

そのままの状態で体だけ大人になってしまえば、悲劇しか待っていません。

他者の幸福こそ自分の幸福になると気づき、その気づきを理解できる体を頂いた親に感謝する。

体があるから社会活動ができていることに気づけば、自分の体の命にリミットがあると悟れます。

そうすれば、わがままを言っている暇はなくなり限られた体の一生で何をするべきか考えるようになります。

すると今まで一人前の様にふるまっていた自分の成果が、実は皆周りの人に助けてもらって

出来ていただけだと気づくことができます。

そこで生まれる感情が、感謝、そしてさらに心から謝罪をする気持ちとそれに伴う勇気です。

真の勇気を持てるようになると、相手を許せるようになります。

不思議なことに、自分が成長すると周りにいる人もそれに引っ張られて成長します。

同じような豊かな空間が生まれるのです。

更に不思議なのが、何の接点もないような遠い外国でも同じような空間が生まれることです。

スポーツの記録が世界で高まったり、同じような発明や気づきが同時多発的に起きたりする事と

同じような事なのかもしれません。

ただし、これには逆もあります。悪い感情に世界中が引っ張られてしまう。

怖いことです。

この恐怖に対抗するには、そんな悪い世界を批評して分かったようなことを言うのではなく、

自分の周りを気持ち良い空間に変える様に、他者の痛みにまず気を配ることです。

自ずと良い人の集まりに変わって行きます。

人の進化に定年などありません。

むしろ年を重ねるほど深化していくはずです。

他者依存ばかりの大人は悪です。

自立した大人が増えれば、世の中の問題は解決され良い方向に向かうと信じます。

写真ですが、ネット通販で古本を買ったらこうなっていました。

Photo

計算すると、本来必要な分より多く切手が貼ってあるようです。

それは「優しさ」なのでしょうか??

今週も読んでくださりありがとうございました。

2019年2月25日 (月)

家庭での学び

おはようございます。

今朝は総武線中央線が停電で止まっており、通勤で使う北総線も大混雑でした。

御茶ノ水駅工事の影響だと思いますが、現場の力が落ちていることをとても心配します。

モノづくりに携わる人として、他人事ではありませんので気を引き締めていきます。

先週は人の成長をレンズに例えてみましたが、

今週はより具体的に学びの内容を考えます。

最近の報道でもありましたが、子供を虐待してしまう親、

その絶望の中で体が育ってしまう子供。

その子供はまた悲劇の家庭を生み出してしまうか、家庭を持つことを拒否してしまう。

永遠の悪循環の始まりです。

それは極端な例としても、理想的な家庭とはどんなものでしょうか?

例えば労働について。

かつての家電製品がなかった時代、更に電気やガスもなかった時代には

家事は重労働でした。

真冬に洗濯板で家族全員分の衣類を洗濯する。

ご飯を炊いたり、調理をするためにかまどに火をつける。

掃除はもちろん箒で丁寧に。

近年ではこれらが便利な家電製品で、簡単に行えるようになっていますが

長い歴史から見ればむしろ近年の状況が特殊なことが分かります。

その近年の中で、さらに異様だったのが

「高度成長期」

だと思います。

経済成長を極限まで追い求め、皆猛烈に働く。給料はどんどん増えていく。

この時代に初めて生まれたのが

「専業主婦」

という呼称です。

これも長い歴史の中では、特異な状況です。

長い歴史の中では、むしろ大変な家事を子供が手伝わなければ、家庭を運営できなかったです。

子供が家事の担い手。そして大家族の中では子供が妹や弟の面倒も見る。

この状況、皆様はどう感じるでしょうか?例えば:

「子供に労働をさせてかわいそう」

「勉強をする時間が無くなってしまうのでは」

「これこそ虐待だ!」…

果たしてそうでしょうか?

子供が一番安心する状況は、親が喜んでいる姿を見ることです。

例えば先日の我家の光景ですが、

長男が友人の家に遊びに行き、予定変更でそのまま泊まるので帰らないと。

それを聞いた妻はプリプリ怒り出します。

するとそばにいた次男は、普段なら自分からは絶対にしない手伝いをしだしたり、

妻の気をひくような言葉を掛け出したりとバランスをとるような行動をしだしました。

分かりやすすぎて、夫婦で笑ってしまいました。

家庭は学びの宝庫です。

まず子供が安心できる居場所にならなければいけないです。

家庭は安心できる場所だと深く理解している。

その状況では、手伝いをすることは子供にとって嫌な事ではなくなります。

そして親は世のために一生懸命働く。その背中を見せ、仕事を語る。

子供が学ぶべきことはここに集約される気がします。

それを土台に様々な習い事や塾、学校があります。

主客転倒してしまっていれば、せっかくの外での学びが生きません。

書くと簡単にできそうですが、これは本当に難しいことです。

家族がお互いを尊敬し合い、協力する。これを目指して頑張ります。

写真ですが、この季節のご褒美。2019

良い香りに包まれます。

2019_2

繊細な花の付き方が、また良いです。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2019年2月18日 (月)

人生は凸レンズ

おはようございます。

ずっと前にも書きましたが、日向はかつてカメラメーカーでした。

先代社長時代に、ミノックスフィルムを使うカメラを作っていたんです。

その縁もあり、今でもレンズを買っていただいたり、カメラ部品をプレス加工したりしています。

さてタイトルですが、朝会議でカメラレンズの話をしている間に思いつきました。

凸レンズを通すと、画像が逆に結ばれてしまいますが、

更にもう一枚のレンズを通すことで正像に戻ります。

色々な経験をして、成長しながら人生を過ごすことは、まさにこのレンズを増やすようなも

のだと感じるという事を。

子供の頃はレンズは無いという前提です。

身近なものに手当たり次第に影響を受けて成長していき、

学ぶべき事柄は、両親や学校の先生が与えてくれますから。

ところが、思春期に入ると自分の見方(多くは偏った知識に基づく)を持つようになります。

いわゆる反抗期ですね。

自分の時代でいえば、タバコを吸ったり喧嘩をしたり…そして親とぶつかる。

これはまさに一枚目のレンズを手に入れた状態であります。

初めてレンズを手に入れ、色々な物を大きくみられるようになる。

そして何だか自分が偉くなったかの様に錯覚してしまう。

でも本当は上下逆さまに映っているのですから、何が何だか分かっていません。

反抗的態度をとってしまうのも仕方ないのかもしれません。

でもそのままで大人になっては大変です。

先生に叱られ、両親に迷惑をかけ続けるうちに自分の行動を反省するようになります。

それが二枚目のレンズを手に入れた状態であり、やっと正しく物が見えるようになった

という段階です。

ちなみに、先日紹介した千円札を拡大できるカメラは9枚レンズです。

たった2枚手に入れても、起きている事の詳細は全く見えないのは当然です。

でもまだまだ大人としての人生のスタートラインですね。

やっとまっすぐ見えるようになったのもつかの間、社会に出たらまたまた常識がひっくり返ります。

自分の経験ですが、サラリーマン1年目にやる事がなく、

学生時代のバイトの方が充実感があり、先輩に退職すると伝えました。

これなどまさにもう一枚レンズが入った状態ですね。

2枚手に入れたら、もう大人になったつもり。

自分でやるべきことを探さずに、何も与えてもらえないことを嘆いている。酷い物でした。

その時は、T先輩がそっともう一枚レンズを入れてくださり、2年目にしてやっと社会人になれた気がします。

そして、今でも日々いろいろな経験を通じて卑屈な考えを持ったり、絶望したり…

常に正像を見失うような、またピントがずれてしまうようなレンズ(大きな事件)や

フィルター(日々の出来事)が入ってきます。

普通は自分でピント調整しますが、

それでも難しければ人と会って話を聞いたり、本を読んだりして

人として正しい姿に戻るように、自分で努力します。

時には大きな障害にぶつかり、すべてのレンズが割れたのかと思うほどですが、

このレンズはガラスでできているわけではないので壊れても再生するんです。

そしていつしかたくさんのレンズを手に入れた大人は、それらを自由自在に操り

とんでもなく遠くを見たり、近くを見られるようになります。

これこそ本物の大人の余裕です。お金の価値とは全く関係ありません。

では、このレンズはガラスではなく何で出来ているのでしょう?

それは人の痛みを知るという「情」なのかもしれません。

何と読むか、「なさけ」です。

情の分かる大人になれる様に、いろいろな経験を積んでいきます!

写真は毎年恒例の初午(お稲荷さんのお祝い)です。

今年も近所のうを徳さんが立派な鯛を持ってきてくれました、

まずはお供えをしてお参り:

Photo

終業後は皆で会食をしました、お供えした鯛は一度うを徳さんに戻り

こんな姿で帰ってきました:

Photo

湯引きしてお刺身にしてくれた上に、アラは絶品の煮つけに!

そして毎年驚きを与えてくれるどんぶりは:

2019

ものすごいマグロ、とんでもない大きさのホタテ貝柱、大きな煮アワビ、絶品の卵焼き…

世界中誰も作れない海鮮丼だと思います。予約の取れない鮨屋になるのも納得です。

皆でおいしくいただきました!

今週も読んでくださりありがとうございました。

2019年2月12日 (火)

物がつなぐ縁

おはようございます。

先週は横浜でモノづくりの展示会があり、お世話になっているメッキメーカーさんや金型屋さんに

ご挨拶に伺いました。

いくつかの会社にお聞きしましたが、直近の仕事状況が悪くなっているのを実感します。

今まで景気が悪くなっても、

「この商品だけは安定している」

という商品があったが、今回はそれすらも落ちてきていると。

日向では数年前からそのような状況になることを想定し、準備してきましたが、

ついにその時が来たのかもしれません。

かといって、慌てて打てる対策はありませんので柔軟に考えていくしかないのですが。

一層気を引き締めていきます。

そんな展示会のなかで、とても良い話をお聞きしました。

初めて知る会社様だったのですが、機械加工で数々の素晴らしい製品を作らています。

色々と教えていただいた後に、空手の優勝ハチマキ?の様なものがいくつか展示されているのに気づきました。

「社長は空手をされているのですか?」

とお聞きしたところ、

「空手大会にメダルを供給している」

という事でした。

一般的なメダル形状ではなく、金属を複雑に削り出した刀の鍔(つば)の様な

とっても格好良い物でした。

そこで驚く話が:

「このメダル空手大会で勝ち取った選手が、いまうちで働いているんですよ」

と。

一見なんでもない話の様ですが、よく考えると不思議ですよね。そこでこう聞きました:

「メダルの出来があまりに素晴らしいので、訪ねてくれたのですか?」

「メダルには御社名が刻印されていたのですね」と。

すると社長は

「いえいえ、刻印などしていません。本当に偶然です」

と。

社員が何千人もいる会社であればそんな事もあるかもしれませんが、

この会社はうちと同じくらい規模の会社です。

魂を込めて物を作ると、人を引き寄せるのだなと再確認できた素敵な時間でした。

写真ですが、先週はかつてないほどの濃霧の朝がありました:

Photo

通勤路も真っ白。

小学生が集まって、スマホで自撮りしていました。小学生もスマホ所持の時代なんですね。

「ポケベルが鳴らなくて」世代としてはびっくりです。

さらに先に進むと:

Photo_2

水墨画に迷い込んだかのような、不思議な光景が広がっていました。

朝から得した気分で出社できました。

なお、「霧」は江戸川を越えて葛飾区に入ると、あっという間に消えてなくなりました…

今日も読んでくださりありがとうございました。

2019年2月 4日 (月)

延命、そしてデジカメ(TG-5)の進化

おはようございます。

今日は社内で仲間と話していた時のことを書きます。

少し前に、本で読んだ「延命」という言葉について話をしていました。

延命の意味は、一般的に

「延命治療」

「延命処置」

などに表現されるように、命を何とか(病院で)伸ばそうとすることだと思います。

体の命は役割合っての物だから、無理やりに長生きをさせることは果たしてどうなのか?

というような話の展開を予想していたのですが、

仲間の一人が

「延命とは、人としてやるべきことをやる事だ」

と。

びっくりしました。

確かにその通りなんですよね、やるべきことに真剣に取り組んでいると、

更に大きな役割を与えられる。

役割を与えられているという事のみが、魂が生き生きすることです。

役割を与えられていると、体がそれに対して全力で答えてくれるので結果的に体も長生き。

昨今の風潮では、体を自分の所有している「モノ」のように感じさせる事が多くないでしょうか。

男女問わず不自然に若く見える事が良い事、その状態を長続きさせることが幸せ。

問題はその先です、そのまま長生きすることが良いとする考えと

老いてしまうなら、いっそ生きる意味がないという状態に陥る極端。

役割を果たすための体なのに、逆転して体から人生をとらえてしまう。

今自分が生きているのは、他者への貢献をするため。

それ以外に意味はないはずです。

他者がいてこそ自分が生きる。

会社も、他社様が必要としてくださるから継続することができる。

自分の事ばかりが大切で、嫌なことは全て「ハラスメント」で切り捨ててしまえば、

結果的に周りに人が居なくなり、孤立します。会社であれば倒産です。

孤立した人生・命は、とても寂しいものです。

若くして孤立した人は、もちろん「今」が楽しくありません。

その人生があと何十年も続くとしたら、それは…

我利我利で自分を小さくしてしまうと、結局社会から何のご褒美ももらえないです。

他者利益追求。どれだけそれに貢献できているかが、人生の面白さの目安です。

自分より優れた存在を、恐れるのではなく認めることができるのは人だけだと思います。

(野生の動物にとっては、優れた者=生命を侵す危険な存在の場合が多い)

そして自分が成長すればするほど、その目は見開かれ、よりたくさんの優れたものを認めます。

そこで恐れ委縮するのではなく、目標として自分を鍛えていく。

そんな考えを持っていれば、体は健康を保とうとするのではないでしょうか。

社内での話し合いから、大切な学びを頂きました。

写真ですが、まずこれを見てください:

Photo

ぎょっとしますが、皆様お持ちの物です。

1000円札、野口英世さんの目です。

この写真、検査室に新たに導入したデジカメで簡単撮影。

そのデジカメとはオリンパス製のTG-5:

Tg5

オプション接写用リング装着状態

総額約5万円。

目で見えない物が見える。(そして水中撮影もこのまま可能です)

プレス製品の傷を確認するには、もはや大がかりな顕微鏡は不要になったと感じます。

1995年にカシオから世界初の民生用液晶画面付きデジカメが出てから24年、

一般デジカメは行きつくところまで行ってしまい、カメラはスマホで十分と思っていましたが、

全くそんなことなかったです。

技術者のモノづくりへの執念を感じる素晴らしい作品です。

改善、改革の芽はどんなところにもあると、再確認させていただきました。

日向も、この様にお客様に感謝してもらえる製品つくりを目指して頑張っていきます。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2019年1月28日 (月)

一生物

おはようございます。

先週は、新たに取り組んでいる仕事で試作品がいくつか出来上がってきました。

複数の協力会社様から入ってきた製品の品質チェックをしていると、

少し差があることに気づきます。

①図面に指定していないところまで、きれいに作りこんでくる会社。

②図面には指示されていないので、傷があっても出荷する会社。

同じものではないので、同列に比較することはできませんが

やはり②の仕事には課題があるので、量産に向けてよく注意指導していかないといけないと気が引き締まります。

その作業をしながら、表題の「一生物」という言葉について考えました。

一生物とは、一般的な解釈としてはやはり

「一生使えるほど品質が良い物」

だと思います。

果たしてこの考え方が適切なのか?

苦労してやっとお金が自由に使えるようになったのが70歳だとします。

そこから平均寿命を考えれば一生の残りは20年弱でしょうか。

もっと極端に、90歳の方が何かを買い求め

「これは一生物だ」

と言っていたとすれば、何か違和感がありますよね。

逆に、中学生が明らかに世界最高品質のバッグを買ってもらい

「私は一生物のバッグを使っている」

と言うのもおかしな感じです。

もっとも、ふつうに買い求めるものでも例えば家電製品であれば、

はんだ付けができれば、たいていの修理は出来てしまいますので長く使うことができます。

服飾品であれば、裁縫ができれば同様ですね。

こう考えると、「一生」とは体の一生を表しているのではないと思えます。

では何なのか?

それは作り手側の気持ちの問題なのではないでしょうか。

一生懸命作るの「一生」

ダメなら死んでも良いと思うほど気を入れて作る「一生」

自分の人生の集大成をこの瞬間に表現しようとする「一生」

腑に落ちます。

そんな一生物を扱うには、当然使う側にも見合ったレベルが要求されます。

直すより、買い替えた方が「安い」からと修理せずに捨ててしまう。

それは購入の金銭面でのコストだけを見た考えで極端すぎます。

物を大切にしない人は、決して一生物とは接点がないと思います。

先の話では、中学生が「一生物」を使うのは論外で、むしろ人の機微を熟知した70歳、

そして人生を極めている90歳の方こそが使うべきだとわかります。

日向で製造するものも、そのようなものになることを目指していきます。

写真ですが、ブログ登場二回目の大谷石資料館です:

Photo

前回は母親と長男の三人で行きましたが、今回は妻と次男。

そして今回は、普段は公開されていない教会区域に入ることができました。

一番奥にあるのですが、本当に清々しい場所でした。(来月中旬までの限定公開)

石を切り出すためにできた無機質な空間が、魂の祈りの場所に変わる。

静かにたたずんでいると、

祈りの場所を作り出すために、石を切り出したのかとも思えてくる空間です。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2019年1月21日 (月)

守破離

おはようございます。

先週は寺島実郎氏の新年講演会に参加してきました。

2019の経済展望という演題でしたが、その中でとても大切な学びを頂きましたので

ここに記し、皆様と共有させていただきます。

あらゆる将来予想の中で、ほとんどぶれることなく当たるのが「人口推計予想」です。

もし外れるとすれば、大移民政策を取り入れるなどの政策転換があった場合のみで

自国民族の人口予想は、ほぼ予想通りに推移します。

それによると、約30年後には日本の総人口が1億人を割り、その時には約4割弱が65歳以上になります。

これは国全体の話であり、一番人口減少幅の大きな秋田県では現在約100万人の人口が、

約4割減って60万人になってしまいます。

東北地方は特に人口減少幅が大きい地域です。

人口が増えるか、ほとんど減らないのは東京都と出生率の高い沖縄県のみです。

現在でも地方には50歳以下が数人、もしくは居ない集落があるほどですが、

それが全国的に珍しくない状況が訪れます。

これは大きな社会変革です。

もちろん、首都圏ですら人口の偏りがはっきりするだろうと。

その象徴として、国道16号線に点在する団地、ニュータウンを挙げていました。

千葉の八千代、松戸、柏、埼玉の三郷、春日部、上尾。

東京の武蔵村山、日野、町田、そして神奈川の多摩、相模原…

この地域は日本の高度成長を支える、猛烈サラリーマンの住居としてほぼ同時期に

発展していきましたが、寺島さんの分析ではこの地域に特有の2つの「無い」ものがあると。

一つは食(農業)

これは、農地が無いのですから当然で分かりやすいです。

分かりやすいですが、食糧生産が殆ど無い地域がこれほど広がっているのは異様かもしれません。

もう一つは宗教

ある特定の信仰を言うのではなく、死生観=魂の軸という意味です。

死を考えることを避け続け、会社で働くことこそが自分の表現だった世代。

だから退職してからかなり時間のたった方に

「あなたはどんなことをされている方ですか?」

と聞くと

「私は何々会社で、どんな仕事をしていました」

としか表現できない方が多いそうです。

入院してやっと死を悟り、大騒ぎをしだすお年寄りも多いそうです。特に男性…

病院も困ってお坊さんに話をしてもらおうとすると、袈裟を着ているその状態だけを見て

「俺を殺そうとしているのか!先に葬式をするのか!!」とより錯乱することも。

袈裟を脱いで、白衣になってやっと落ち着いたとか…

とここまでが講演の内容でした。

このブログを読んでくださっている方には、当たり前の内容かもしれませんが

やはり本当の教育を受けず、年を重ねる怖さを実感する内容でした。

少子化を止めるためには、非婚化を止めるしかないですが、そのためには今の社会風潮

を変えなければならず、時間もかかるし大変な労力が必要です。

もう一つの死生観の教育は、少子化に比べれば短期間でできる可能性がありそうです。

どうやるのか?

それがタイトルに書いた守破離(しゅ、は、り)です。

武道の心得ですが、まずは先人の教えを「守る」。

家庭であれば親に従う、仕事であれば先輩の言いつけを守り基礎を徹底的に身につける。

武道や華道であれば受け継がれた技を繰り返し鍛錬し、同じ動作ができるようにする。

それができる様になったら、次は「破る」。

基礎や伝統をベースに、新しい境地に至る。

そして「離れる」

別の言い方をすれば、型破り。

型を身につけている人だけが破れるのであり、型のない人が破れば「型無し」…

ただの迷惑な勘違いの人です。

離れるとは、武道でいえば新しい流派に開くことに相当しますが、

人でいえば自分がしっかりした人(子供)の親になる事や、組織で責任ある立場に立つ事でしょうか。

これを行う前提として、高齢者という定義を変えるべきです。

体の年齢と、精神的な年齢は全く関係ないからです。

例えば、日本の会社員では一般的に役職定年の年齢とされる60歳。

日々体力維持に努め、学び成長し続ける90歳から見れば、

「君はまだ60歳か、若くて良いな、まだまだ何でもできるな」

となりますから。

いつも書く様に、体の寿命を勝手に決めて、学ぶことをやめればそれこそ生きているとは

言えない状態になります。

学び続けて生き生きしている人は、組織に属していれば力を発揮しますし、

自分の親族や近所の人にも頼りにされるはずです。

若いから可能性があるのではなく、学ぶことで可能性に気づくのです。

そして自分の体を使い切るべき何かを見極める。

見極められる人は、迷いの無い人になり真剣に生きるようになります。

一番身近でそれができているのが、子に対する母の愛情です。

誰もが母親の子供なのですから、一番身近な人が悟っているのです。

前向きな意味で「死」から「生」を見られるようになる。

これこそ人の成長の極致です。

写真ですが、覚醒した長男です:

Photo

自分からピアノをやりたいと言い出し、妻と同じ先生に指導を受け始めました。

今まで夫婦で楽器を演奏していても全く興味を示さなかったのに、

自分からやりたいと言い始めてからは上達が早いです。

数回の指導で、両手で普通に弾いていますから。

啐啄(そったく)の機:卵からかえるちょうど良いタイミングで母鶏が外から殻をつつく。

の大切さを実感します。

今日も読んでくださりありがとうございました。

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