2019年1月15日 (火)

怒りは敵

おはようございます。

年末年始の休みの間、各種報道で隣国との政治問題が大きく取り上げられていました。

ネット上の匿名書きこみでは、とても極端な意見が多く怖い思いで見ていました。

そこで「怒り」について考えてみます。

まず人はいくつもの事に対して、同時に怒ることはできません。

その時もっとも身近にある不愉快なことに集中して怒ってしまうものです。

この身近にあることが、外国との摩擦になってしまう事は、大変異様な事態です。

普通に生きていれば、家族や会社の仲間など、 身近な人との問題に感情が高ぶって

しまう事も良くありますよね。

特に子育て中の親や、酔っ払いの旦那がいる奥様は(いつもすいません)…

でも感情の昂ぶりを、毎度怒りで表現していたら、家庭や友人関係はすぐに壊れてしまいます。

だから大人は上手にその感情をコントロールしているまずです。

ではなぜ直接生活に関係ない、外国との出来事には直接的な怒りを表現してしまうのか。

それは怒りをぶつける事実に対して、無責任な外野にいるからではないでしょうか。

もしくは日々の生活に多くのストレスを抱えてしまっている人は、それを一気に吐き出している可能性も無いでしょうか。

いくつもの小さな怒りの種を、まとめて一気に吐き出してしまう。

何の解決にもなりません。

隣国との外交は、本当に難しいものです。世界中で同様な問題を抱えていますし、

歴史的にみても多くの問題が起こり、それが記録として残されています。

歴史は繰り返されます、安易に批判するより事実をまず学ばなければいけません。

怒りの爆発からの破局は、当事者どちらも不幸になります。

怒りは敵、これを肝に銘じて自分を鍛えていかなければいけません。

怒りは主体的でなければいけないし、

コントロールして状況を良い方向にもっていかなければエネルギーの無駄使いに終わってしまいます。

本物の大人は、怒りをカーッという熱には変えずに、静かに知恵に変えて頭をフル回転させます。

怒っている自分に気づければ、その理由を考えてみる。案外意味がない事が多いと思います。

人間の知恵が試されています。

怒りの発散は最後の手段であり、使えば使った方にも大きなダメージが残りますから。

三連休の週末は、年末年始はずっと山にいた長男が帰ってきたので、

久しぶりに家族四人で初詣を兼ねて東京観光に。

日枝神社でお参りを済ませてから:

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一歩一歩俗世界に降りていきます。

しかし!少し歩くとこんな場所に:

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迎賓館です。

館内写真撮影禁止です。

三連休でもガラガラで、行けばすぐに中に入れました。大人1,500円、中学生500円、小学生無料。

休みの日は市川で野球ばかりしていた二男にとっては、刺激的な一日になったようです。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2019年1月 7日 (月)

平成31年 新年 あけましておめでとうございます 蔵王でガッツ乱平からの考察

あけましておめでとうございます。

今年も自分の経験したことをもとに、日々考えていることを書いていきます。

ずっと書き続けるという事は、ずっと学び続けなければいけないという事だと深く思います。

本を読むことはもちろん、日々の言動にも気を付け、いろいろな事をより見逃さないように

感度を高くして生活するようになります。

それを表現するという事は、読んでくださる方のお陰でつらいことではなく楽しいことになります。

感想をいただく方がいるから続けられることです。

本当にありがとうございます。

年始は蔵王にスキーに行ってきました。

今年は雪が少なく、クリスマス過ぎまで全コースのオープンができない状態でしたが、

年末に雪が降り続けたので、良い状況で滑ることができました。

蔵王と言えば「モンスター:樹氷のお化け」ですが、まだ成長中でした:

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この写真だとちょっとわかりにくいですが、はるか遠くまで樹氷原が広がっています。

標高が高いコースは視界が悪いことも多かったですが、下部コースは:

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天国でした。

1月の蔵王で、このような晴れた天候というのはかつては奇跡的な事だったそうです。

温暖化?の影響かもしれませんが今回はラッキーでした。

さて今日の主題ですが、2泊したペンション木もれ陽での出来事です。

ペンションや民宿によくあるように、ここにも漫画がたくさんありました。

ふと見ると、かつて読んだ記憶があるような漫画が。

「ガッツ乱平」

内容を全く覚えていなかったのですが、なんとなく惹かれて一巻を読み進めるとそこには:

スカートめくり、恐喝、喧嘩、その他現在では書くのもはばかるような内容が…

35年前には少年ジャンプに普通に連載されていたと思うと、平成の世の時間の流れを感じます。

当時の自分と同じ年頃の小6の次男がどう感じるかと読ませたところ、ほぼ拒否反応ですぐに終了。

自分の頃は漫画に何が書かれていても、大人が騒ぐことはなかったと思います。

漫画という枠の中の、ギャグ:おふざけですから。

今は表現の規制が厳しすぎて、逆に本質から遠ざかっている気がします。

規制の中では分かったつもりでいても、それは実社会からは離れていて役に立たないかもしれません。

これは今が悪く、かつてが良かったという様な単純な事ではなく、

気を付けなければいけないという自分の気づきです。

ちなみに、ガッツ乱平はただめちゃくちゃなだけでなく、友情の大切さや真の男の格好よさを描いている漫画です。

時代を戻して、自分起点に同じように35年遡ると、それはちょうど大戦終了直後になります。

自分と子供の時代の差など誤差と言えるほどの大きな変化があった時代です。

それこそ当時の小6の自分から考えたら、理解できない世界でした。

大人たちもあえて触れていなかった気がしますし。

当然ネット・スマホ世代の自分の子供には全く理解できないでしょう。

では1世代、70年で人間自体は大きく変わったのでしょうか?

本質は全く変わっていないと思います。

ただ周りの環境があまりに速く変わりすぎて、気を付けないと振り回されてしまいます。

新しいテクノロジーを身につける、最新情報を後れを取らないように知る。

その競争の先に幸せは待っていません。

かつての先人が、現代的視点で言えば不自由な環境で自身に問いかけ、

鍛えながら身につけた生き方こそ本質に近いものです。

自由に考え、本当に大切なものに気づき、魂が自由に生き生きと躍動していたとは言えないでしょうか。

そんなことを考えるのに、少しでも役立つようにこのブログを書いていきますので、

ふとした時に読んでいただけたら幸いです。

今年もよろしくお願いいたします!

2018年12月29日 (土)

2018最終営業日

おはようございます。

本日で平成30年最終営業日です。年始は1/7より営業です。

年末としては平成最後ですが、平成は31年まであるんですよね。

次の年号がどうなるのか、皆で想像するのも楽しいですね。

日向工業にとって平成の30年間はどんな年だったのか、東北の震災があったり、

リーマンショックで休業せざるを得なくなったり。

反面、新しいお客様と取引いただいて、逆にかつてのお得意様が会社ごと無くなってしまったり…

人間の体は3年ですべて細胞が入れ替わると言われますが(分かりやすいのは、爪が伸びるように)、

会社も常に変化をしているのを実感します。

健全に体を維持、成長させるためには、細胞ががん化しないように栄養を取って、

運動をして良い睡眠をとる。

会社も一緒です。

小さなほころびが、大きな問題となって組織を壊してしまう怖さがあります。

社員が健康で前向きな気持ちを維持できるようにし、お客様のご要望にいつでも

応えられる状態を保ち続ける。

世の中の状況にかかわらず、社会に必要とされる存在でいられるよう

来年も頑張っていきます。

今年も大変お世話になりました。

つたないブログにお付き合いいただきありがとうございました。

恒例のもちつき中です。

まずは社長から:

2018_2

ことしは顧問も:

2108

皆様良いお年を。

2018年12月25日 (火)

中学受験 中三になって総括

おはようございます。

今週が平成30年最後の営業週になります。

何を書こうか考えたのですが、このブログでも書いていた現在中三になった長男受験その後を書きます。

現代の中学受験はかつて自分が経験したのとは様相が異なります。

塾の進める高度にシステム化された授業についていく気力と体力が続かないと

あっという間に挫折してしまいます。

受験をさせるかさせないか、はっきり決めてから入塾説明会に行かないと

家族がバラバラになる危険性があるほどだと思います。

長男の場合も、そんな事とは知らずにダメなら止めればよいと、深く考えずに始めてしまいました。

当然問題がたびたび起こり、夫婦で本当に色々話しましたし、時には険悪な雰囲気にもなりました。

自分もそうですが、親は自分の子供に対して

「わが子はもしかしたら秀才なのではないか」

と淡い期待を持ちつつ塾に通い始めますが、当然ほとんどの場合普通の子です。

それに気づいた時には、すでに塾にはまっており抜け出すのが難しいです。

学校の勉強とは全く異質の、とても難しい問題に

「システムとして」

取り組んでしまっていますから。

算数はもはや数学ですし、現代文や社会は高校生レベルです。

大手塾の偏差値50(真ん中)は、一般の小学生なら天才レベルだと思います。

しかし、塾が本当に大切にするのは偏差値60以上の超天才です。

でも、塾も落ちこぼれないように普通の子に対しては各種補習講座(別途有料:高額)を用意しています。

もうこの時点でもお金に対する感覚がおかしくなってきます。

現代の受験は一握りの学業エリートの選別に、多くの普通の子が付き合わされている

と言ったら言い過ぎでしょうか。

結果的に長男は、今通っている学校の先生に

「私がうらやましいと思うほど、学校生活を楽しんでいる」

と言われるほど毎日楽しそうに学校に行っていますので良かったですが、

今年小6の次男には受験勉強を全くさせませんでした。

野球に空手と運動大好きな次男(長男も好きでしたが)には犠牲が大きすぎると判断しました。

結果オーライというには、現代の中学受験は時間的経済的負担が大きすぎ、

ダメだった時にあまりにもリスクが大きすぎます。

ダメ、とは全部の中学に落ちる、もしくは入った学校が合わずに不登校になる。

気を許せる昔からの友達は地元の公立中学に行ってしまっていて会えずに、ますます追い込まれる。

勉強する習慣がつくから良いという人も居ますが、

落ちてしまえば逆に抜け殻のようになってしまう危険性も高いと思います。

自分が子供だった頃の受験動機は、親が:

公立学校が荒れているから、将来良い会社に入ってほしいからその近道として

というような感覚だったと思います。

ところが現代においては、公立学校も行儀がよく、将来良い会社に入ったとしてもその会社が無くなってしまう世の中です。

たった30数年で大きく様相が変わりました。

これから更に30年後など、予想がつかないです。

では30年後、世の中がどうなろうと真に学ぶべきこととは何か。

まず大切なのは真の友人関係を築くことです。スポーツでも勉強でも、文化的活動でも

真剣に取り組むことでお互い信頼し何でも話せる「友」を作る。

それはこの時代にしかできません。

そしてその上で大切なのは、各人が持っている文化、歴史を知ることです。

今はこの教育が全くされていません。

学校であれば「校風」、家族であれば両親や祖父母から受け継ぐ「家風」、会社でいえば「社風」

そんなのありませんという人がいるかもしれませんが、それは必ずあるのです。

ただ教えられていないだけ。

たった一度の人生だから、全力で生きるという「考え方」は大切です。

ただしここで言う一度の人生とは「体」の事だけです。

それは確かに有限ですが、親の思いを受け継ぎ、子供を育てる。

その時点で三世代はすでに「心」でつながっています。

そして会ったことのない、同じ時代には「体」が無かったご先祖様とも。

今いる自分は、その歴史・文化のバトン・襷(たすき)を担っている。

まずそれを知ることが本当に大切です。

知ることができると、自分の役割に気づき自然と生きる力が湧いてきます。

文化とはその人の生き方そのものです。その集合体が「国」と定義されるはずです。

その各人が持っている生き方こそが「個性」で、その個性を引き出す事こそ教育の肝です。

自分の進むべき道を教師から諭してもらえる。

こんな「師」に巡り合えれば、本当に幸せなことです。

その道を進み、他者に感謝される人に成長する。

感謝を集められる人は30年後に社会がどうなっていようと、自立した不動の魂を持っています。

そんな人は他者のせいにしたり、社会のせいにして逃げたりしません。

自分が社会という文化を「今」担っているのですから。

これこそが真の教育の目指すところです。

子供の学びの基本は家庭です。学校ではありません。

大人は社会を作る仕事をして、子供に手本を示す。学校はその補完をする。

子供の教育に熱心になる前に、大人こそが日々勉強、日々努力です。

写真ですが、先日会社で問題発生!

Photo

リフターの上下可動部に布が挟まってしまい、全く使えなくなってしましました。

従業員総出で直そうとしましたが、びくともしません。

業者さんに電話したところ「もう直らない可能性もある」と言われ途方に暮れていたところ、

大きなハンマーでたたく、というアイディアを思いついてくれた社員のおかげで

直すことができました。

直接の仕事ではありませんが、みんなで協力して修理ができた達成感で皆が笑顔に。

チームワークと具体的な達成感の大切さ、仕事の本質を見た気がしました。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2018年12月17日 (月)

漫才と落語

おはようございます。

東京は暖かい日が続いていましたが、先週から一気に気温が下がりすっかり冬の様相です。

平成30年もあと約二週間。

あっという間の気もしますが、実際に起こったことを振り返ると日々できる限りのことをして来た

という充実感もあります。

実際の仕事でいえば、新規のお客様に日向の製品を認めていただき、大手企業様に新規直接口座開設をいただいたり、

社内の金型開発でも画期的な進歩があったり、これからの展開が楽しみな状況です。

新入社員二名も会社になじみ、本格的な戦力として力を発揮してくれています。

まだまだできることも残っていますので、来年に向けて気を引き締めていきます。

先週は、大切なのは資本主義ではなく、魂主義。資本は道具に過ぎないという事を書きました。

昨今のニュースでなぜか「漫才」の話題が多かったので、

自分の好きな落語と比較してみたいと思います。

まず自分の解釈では漫才は、その時代時代の皆が気づいているけど、深く考えていない現象を

きれいに切り取り、笑いに変えていく事だと思っています。

切り取り方は漫才師の個性であり、毒舌だったり上品だったり、体を張ったり。

現代はすごいスピードで社会現象を使い捨てにしてしまうので、漫才もどんどん変わらないと

あっという間に飽きられてしまいます。

人を笑わせるというのは大変高度な知性が必要ですが、

苦労して確立したと思ったらあっという間に飽きられてしまう事も多い。

本当に大変な職業だと思います。

一方落語は、基本「古典」です。

もちろん新作もありますが、人気があるのは圧倒的に古典だと思います。

古典とは、客がすでに筋(内容)を完全に知っている状況から始まります。

多少の工夫はあっても、そこにあるのは

「型」

です。型を崩してしまっては、話が成り立ちませんし、そんなことになれば客が不安を感じてしまい

笑いどころではありませんから。

自分も経験がありますが同じ演題でも、話す人によって全く印象が異なるんです。

まだ修業中の若手の場合、大げさな身振り等で笑いをとることがあっても情景が浮かびにくいです。

それが達人になると、動きは小さくてもまるでその場に居合わせるかのような緊張感・臨場感で

話に吸い込まれていくようです。舞台に宇宙的広がりを感じるというか…

そして漫才と決定的に違うのは、話に吸い込まれた上に泣かされてしまう演題がある事です。

非常に長い演題もありますが、まったく時間を感じさせず、泣いたと思えば笑い、

笑ったと思えば泣いている。

言葉に全人格をかけた「魂」を乗せているからです。

そうでなければ、「落ち」が分かっている話を何度聞いても楽しいはずがありませんから。

決して漫才を否定しているわけではなく、もともと違うものなのです。

ちなみに新作落語は、古典を完璧に身につけた人が挑めるもので

これができる人を「型破り」な人と言います。

昨今ではロボットが接客したり、スマホの検索も音声で出来たりします。

そして外国語の同時通訳もかなりの精度で出来てしまいます。

この様に、機械が発する言葉は便利ですが、感動を呼ぶことはありません。

ただの記号のようなものですから。

この違いは深く考える必要があると思います。

先生は学生に発する言葉により、その人の一生を変えてしまう。

深く心に刻む気づきを与え、良い方向(他者に必要とされ、感謝される。親が子を誇りに思う)

に行くことが理想ですが、言葉を発する先生が未熟だと逆に行ってしまう場合もあります。

言葉によって人は生かされ、反対もあり得る。

真剣に生きている人しか、人を正しい道に導くことはできない。

今年より来年、そんな自分に近づけるように頑張ります。

先週末は取引先様もお誘いして忘年会でした:

2018

去年は一等商品を堂々と?持って帰った社長でしたが、(ダイソン掃除機:ちょうど家の掃除機が故障中)

今年の獲得商品、素敵な時計は無事に新入社員の手に渡りました。

めでたしめでたしです。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2018年12月10日 (月)

東北出張記、現代に必要な考え方「主義」について

おはようございます。

先週は岩手、宮城への出張が続きました。

岩手は樹脂成型メーカーさん、宮城は金型メーカーさんです。

樹脂メーカーさんは、樹脂製品を買わせていただいているのと同時に弊社金属部品を購入していただいています。

金型メーカーさんは弊社に高品質金型を供給いただいています。

弊社にとってはとても大切な企業様です。

お客様が大切なのは言うまでもありませんが、このような取引先様は自分の体の一部の様に大切です。

その体を使って貢献をさせていただくのがお客様です。

貢献させていただく相手は変わるとしても、体は変わりません。

どちらが大切か、比べられる対象ではないです。

金型メーカー様にはずっとお世話になっていたのですが、工場には行ったことがありませんでした。

いつか行きたいと思っていたのですが、先日大混雑の展示会(JIMTOF)で社長とばったり。

待ち合わせても会えないような雰囲気の中で目の前で。

会うように差配されていたとしか思えません。

訪問してからも素晴らしい工場を見せていただき、今後も協力くださると話を頂きました。

現代日本人は資本主義を疑う事もなく信じていますが、資本主義とは何でしょうか?

何にでも値札をつけてしまうという偏った考えかもしれません。

でも一番大切な家族や会社の仲間には価格がつけられません。

会社の資産管理(バランスシート)にも、素晴らしい従業員たちの価値は全く記載されません。

この時点で、資本は「主義」ではなく、道具に一つだとわかります。

ではほんとに大切な考え方、「主義」と呼ぶべきものは何か?

それは「魂」だと思います。

魂がウルウルする事こそが本当の豊かさです。

物作りとは、その物に「魂入れ」をすることで良いものになります。

特に超高精度の金型にはそれが必要です。祈りにも似たものがあります。

魂性の生き生きしている社会では、人は直感(第六感)で動くことができるようになります。

その行動根拠は

何となく、導かれるように、ピンときたから…とあいまいに感じますが、それこそが

現代人が忘れてしまっている大切な感覚です。

気持ちよく仕事をして、その対価としてお金を頂く。

またそのお金を感謝して使う。

この循環こそが、お金が生きる道です。

お金自体が一番偉いなどという事は全くないのです。

お金を拝む「拝金主義」の下では、魂は死んでしまいます。

お金の多寡は結果にしか過ぎませんから。

今回の東北出張では、大切なことを教えていただきました。

写真は今回の出張でお世話になった:

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新幹線!最高速度320キロ/時で快適に、あっという間に東北まで連れて行ってくれました。

この先端部は特にすごいです。まるで巨大な一枚の板を加工したかのような仕上がり。

まさに魂が込められていると実感する造形物です。

物を作ることに携わる仕事を与えられ、本当に良かったと思います。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2018年12月 3日 (月)

正論とは

おはようございます。

先週は正しい言葉を使う事の大切さを、そして悪い言葉を使う事の怖さを書きました。

今週は、言葉を使って表現する「内容」について考えます。

先週の自分の稽古の例でいうと、指導していただいているのですから

先生が上達させようと思っていることは間違いないです。

ただ、自分の未熟故に指導の言葉を否定的にしかとらえられず、

指導が進むほどに体が動かなくなってしまう。

指導の内容は「正論」ですが、言葉として自分の脳に入った時点で「ブレーキ」になってしまう。

相手がどう受け取るか、また言葉を相手が理解できるかを見極めて発言することが大切です。

英語が理解できない人に英語で指導をしても全く意味がないのと同様です。

例えば、相手の意思が通じない例として:

日々の生活においても、親(自分)が子供に投げかける「正論」は時としてお笑いのネタになります。

我が家の朝の日常風景

自分:脱いだパジャマはちゃんとたたみなさい!

子供:パパだってたたんでいないじゃないか!

自分:口答えするな!!

(洗濯機の回り始める音)

妻/母親:ハイハイ私が片付けますから、学校/会社に行ってください。

など。

まず自分ができていないことを人に指導しても、聞いてもらえませんよね。

ここでわかるのは、正論とは説得力ある言葉であり、それは大きな人間性から発するものだという事です。

今は何でも「パワハラ」と切り捨ててしまいますが、自分が心から尊敬する先生や先輩から

命令をされれば、喜んで厳しい状態に進んでいく事もある。

スポーツの指導においては特にそんなことがありますよね。

逆に(言葉を発する)自分が相手に認められていないのであれば、どんなに良い言葉でもそれは

「正論」

にはならないという事です。

つまり何を言うかではなく、

「誰が」

言うかが重要なのですね。

テレビを通じて他人が評論するのを聞きすぎている現代人は、その意見をまるで自分自身の考え

かのように錯覚をして、他者に垂れ流してしまいがちです。

うわべだけの意味がない会話の蔓延。

一人一人が「正論」を吐いていると錯覚してしまっているのですから、質が悪いです。

子供が会社の仕事を語っても、それが正しくても大人に全く相手にされないのと同様です。

うわべだけではなく、相手と高め合う会話をするためには、

まず自分を高める努力をする。 知識を広めると自分が何も知らないことに気づき、

謙虚な気持ちになります。必ず。

そして相手が、自分の言うことを聞きたいなと思うまで待つ。

教えてくださいと言われて、初めて得た知識が全人格をかけた「言葉」になります。

ただし、自分の子供にかける言葉は端から「魂」のこもった真剣な言葉になりますので、

親は注意が必要です。良い面も悪い面も裏も表も、子供はお見通しですから。

写真ですが、出張で行った岩手県遠野駅で撮りました:

Photo

冬の準備が進んでいました。

車の運転は好きですが、改造にはあまり興味がありません。でもこのような実用的な改造は

格好良いと思います。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2018年11月26日 (月)

言葉の怖さ

おはようございます。

今日は言葉について書きます。

今まで何度か書いていると思いますが、皆様と復習できればと思います。

先週武道の指導を受けている最中に、力が入らなくなる経験をしました。

稽古では初めての経験で驚きましたが、

後日いつも体の調整をしていただいている先生にお聞きすると

「それは脳が運動信号を止めているんだよ」

「だから鈴鹿さんの普段ではありえないほどに体が柔らかくなっているし、皮膚も緊張感無く、弛緩している」

と。最近は週に3回、時には4回稽古に行き、この日はそれを見ていただく日だったのですが

緊張もあり全くうまくいかず、ダメなところを指摘され続けてしまいました。

もちろん悪いのは自分ですが、体が動かなくなりました。

気が抜けたのですね。

人は言葉によって気が入り、時には今回のように腑抜けになってしまう。

どのような言葉を使うのか、本当に気を付けなければいけないと深く思います。

心無い言葉によって、意図せず人様を傷つけていないか。

時には暴力より大きな負担を相手に与えてしまいますから。

心無いと書きましたが、発した言葉は独り歩きして影響を持ち続けます。

その意味で、発した(発してしまった)言葉には必ず「心」があるんです。

会社でこんなことがありました、事務所で私が仲間たちに対して

「人のせいにしてはいけない」

「どんなことでも自分に落ち度があると考えて仕事をする」

などと偉そう話していたところ、重い空気になってしまったので

「でもうちの品質問題は~さんの責任だな」と軽口をたたいてしまいました。

もちろんそんなことは全く思っていないのですが、なんとなく場が和むかなと思ってしまい。

そのあと自分の気分がとても落ち込みました。

後味が悪い感じというか、気持ちがザラザラするというか。

もちろん本人には後で謝罪をしました。

この例でも分かるように、悪い言葉は使ってはいけないのです。

すべて自分に返ってきます。

先の指導の話でも、普通は自分が受けた指導方法でしか人を指導できないのかもしれません。

叱られて、叱られて達人になった人は、当然それが上達への近道だと思い指導します。

親子関係でもそうですよね。

気づくと、父親がした通りに自分の子供を指導している。

でも時にそれを踏まえて、より良い指導方法を見出す人が居ます。

自分の苦労を踏まえて、精神面の大切なところはそのままにより前向きな指導を見出す。

それを人の「進化」と呼ぶのかもしれません。

集う人を幸せにする人が最も価値があり、本物の人生の成功者ですから。

人を楽しくするから自分も楽しい。これは究極の真理です。

ただ自ら努力もせずに、楽しい気分になるのを待っている人には本当の豊かな時間はやってきません。

決して!

それを実現する最大の武器が「言葉」です。

刃物も居合に使えば精神鍛錬の道具、むやみに人に向ければ「犯罪の道具」です。

言葉をどう操るか、特に男は言葉により責任を負わなければいけませんから。

人生一生終わりなき修行です。

写真ですが、小6次男の最後の公式戦:

Photo

今まで見たことないようなナイスピッチングでした。

きっと本人にとってもこれからの人生の糧になると思います。

指導してくださった監督、コーチ、そして産み育ててくれた妻にに心から感謝します。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2018年11月19日 (月)

韓国の話

おはようございます。

今朝の東京は曇り空ですが空気がしっとりしていて、寒さもそれほどでなく気持ち良い朝です。

会社につき、着替えていると朝早くからどこからかプレス機のリズミカルな音が聞こえてきました。

かつての墨田区では当たり前の音だったのですが、最近は減りました。

その音を聞いていて、ふと思いました

「乳飲み子からこの音で育てば、リズムを正確に刻めるようになる」

「音楽家や歌手への近道かも」と。

余談でした。内容に名はいります:

先週は、韓国企業で働いていた方にご指導いただきました。

韓国の話はネット上にあふれていていますが、冷静な議論が成立しなくなっている気がします。

感情論昂ぶりが一方的な「怒り」に高まってしまうと、理性が吹っ飛んでとても危険な状態になります。

今日の韓国の話は、現実に起こっている事のみを書きますが、

もし反論や修正依頼等あれば遠慮なくご指示ください。私も勉強になりますので。

韓国の話をする前に、韓国から見える、日本の物づくり企業の危機についてお話しいただきました:

具体名を挙げるまでもなく、日本の大手モノづくり企業は危機的状況で、

すでに多くの会社が中国、台湾を中心とする勢力の支配下にあるのが現状です。

その落ち込んだ分、韓国企業が伸びたというのが数年までの状況でした。

では講師の働かれていた韓国企業の仕事の進め方はどうだったのか、

なぜそんなことができたのか?

  • 日本企業は、すぐれた研究開発が製品に結びつかないことが多い。

  • 研究開発が会社としてのプロジェクトになっていない為、同じようなことを社内の複数部所で開発してしまう。

  • 韓国大手企業では、研究プロジェクト毎に本社と契約して進捗状況を管理する。

  • そして技術を審査する部門が、各技術部門より組織上上位にある。これは日本の組織ではみられない形態。

  • 韓国企業では、製造工程を客先(国別)に最適化している。過剰品質=高コスト体制を防ぐ意味で。日本では常に究極を目指そうとしている。

  • 日本企業は自社技術を囲い込んでしまい、他社との共同開発をほとんどしない。

  • 韓国→チャレンジすることを評価 日本→失敗に対するペナルティ

  • 韓国企業は国際標準規格にかかわる部所に社内で最も優秀な人(ほとんどが海外留学組で、とんでもない人脈を持っている)を配置し、海外に積極的に派遣をする。

  • 韓国企業はリーダーにカリスマ性があり、トップダウンだから決断が速いと言われるが、それだけではない。数十億円規模の投資は社長決裁が不要など、権限の委譲が進んでいる。

ここまで書いてきたことは韓国がスマホ・半導体で世界トップに立った理由であるが、現状は中国に激しく追い上げられ、スマホに関しては完全に抜かれているのが現状。

では韓国が視界不良になってきている原因は:

  • 日本も韓国も儒教思想という意味では共通に感じるが、実際は違う。日本は「忠」を重視した主従関係だが、韓国では「孝」を重視した血縁関係。

  • よって一族が財閥を牛耳り、従業員と大きな格差が生まれる。各財閥のトップや役員が従業員への暴力事件等を起こし社会的問題となり、懲役判決を受けることもあるが、いずれも恩赦・放免で保釈されてしまう事が多い。

  • 色々な基準を財閥の都合の良いように変えてしまう。審査監督する側が財閥へ天下る事を目指している風潮がある。

  • 最近の日本は定年延長で65歳まで働けるようにという話があるが、韓国大企業では38歳、45歳という壁がある。38歳で部長になれなければ早期退職、45歳で役員になれなければ定年。重要な職に就かず56歳まで残っていれば「盗人」と呼ばれる。

  • ただし正社員への手当はとても厚い。社員の子供の海外留学費用も半分負担したり、役員になると交際費200万円/月とも。

  • 上場企業の利益の内62%をサムスンとSKの半導体部門が稼いでいる。中国の急速な追い上げで将来見通しが視界不良に。

  • AIや車載半導体への進出に次世代を託しているが、AIで先行する米国、車載半導体で圧倒的に強い日独は手ごわい。

  • 韓国ではモノづくりをする人を「社会的に低くみなす」風潮がある。大学で理工学の博士課程を優秀な成績で修了した人が「人事部を希望」することが普通に起こる。

  • 最近は政治リスクが高まっている。文大統領は学生活動家だったが、64の重要政治ポストの内23がその仲間で占められている。そのほかも元市民活動家が多数。日本で例えると、かつての全共闘が政府を運営している状況に近い。

  • よって政策としてはどこまで行っても労働者寄りになる。2018年は2017年比較で最低賃金が14%上昇し、来年は更に10%上昇する予定。日本より高賃金になる。

  • 企業は防衛手段として人員削減をせざるを得ない。結果若年者の首が切られやすくなり、大卒者の30~40%に就業先がない、また直近では40歳代の失業率も上がってきている。

  • この結果、富めるものはより富み、貧しいものはより貧しく(貧しさの固定化)が起きている。

  • 当然製造業の海外進出が加速している。製造業の雇用人数は2018年8月には前年同月より10万5000人減少。ベトナム、中国、米国、日本、インドで現地雇用をしている。

  • この結果、北朝鮮とのビジネスに活路を見出そうとする雰囲気が醸成されてきている。一般市民にも北の支持者が増えてきている。

  • しかし北朝鮮は米国や中国の経済制裁によりとても厳しい状況。何とか韓国を引き込みたい、そして文大統領は北の代理人のように動いているように見えている…怖い状況。

  • 北朝鮮は森林が完全に破壊されている(燃料として木を切りつくした)、そして電線は銅を取るために盗まれてしまう。まったくインフラがない。エネルギー枯渇し、発電所を作っても送電できないので無意味な状況。

  • 韓国と北朝鮮は、経済規模に30倍の差がある。

  • 北を正常運営させるには、エネルギー、鉄道、道路のインフラ整備に20兆円位かかる。どこが負担するのか?

  • 北とビジネスをするにはインフラ整備の前に「約束を守る(国)」であると認識されなければならない。

  • 最悪のシナリオとしては、韓半島が世界的に孤立し、北主導の核を持った統一朝鮮ができてしまう事だが…

その他学んだこと:

  • 韓国は世界的に優秀なプロゴルフ選手が多数いるが、国際規格のゴルフ場は済州島に一つしかない。山の南側斜面は伝統的にお墓を作るため。もしお墓を移す場合は、その儀式だけで14年かかるので現実的に不可能。

  • 日本では北朝鮮による拉致被害が問題になるが、韓国ではかつては数万人、現在でもはっきりしているだけでも1,000人以上の被害者がいる。政府はこれを全く問題にしない為、被害者家族の怒りは相当。

まとめ

韓国は隣国であり、天皇家と韓国王室は親戚関係です。近いからこそ問題が大きくなる。

当事者同士での話であればまだ解決もできる可能背もありそうですが、現代はそう行きません。

韓国の宗教は仏教が主ですが同じくらいにキリスト教が盛んで、英語教育も進んでいます。

キリスト教が入り込んだ世界は、かつてのローマ帝国ですら良き方向に行かず滅びる。

まったく不思議なものです。

日本ではキリスト教がほとんど普及しませんでしたが、それは今回の話にもある「階級制」「奴隷制」が

ほとんど無かったからかと思います。

かつての日本は宗教が入り込むすきのない、「忠義」の国でありました。

ただ現代その様相も急速に変わってきており、日本人も変質してきていると思います。

それぞれが世界情勢がどうなろうとしっかりした自分を持ち、周りを良くしようとする。

外に目を向け、他者を評論する前に、まず自分を鍛え自立するのが

良き社会実現の唯一の道です。

写真ですが、先週の秋晴れの日に屋上から撮影しました:

2018

気持ちの良い写真です!(写真ネタ切れで、いつものアングルでした。)

今日も読んでくださりありがとうございました。

2018年11月12日 (月)

西澤潤一先生 第二回

おはようございます。

先週は西澤先生の具体的業績面を書きましたが、今日は私が感じた先生の考え方を書きます。

先生はご自身と同じ東北出身の宮沢賢治の言葉:

「一人でも困っている人が居れば、世界は幸せにならない」をよく噛み締め、

科学技術の進展に少しでも役に立ちたいと考えていた。

80歳当時、お父様が100歳でなくなったことを引き合いにし、

「まだ20年以上ある!」

と、少年の様なキラキラした顔で仰っていました。

ただし、日本の現状については決して楽観していないし、むしろ悲観的に考えていらっしゃいました。曰く:

特に科学の分野では、価値判断ができなくなっているのが致命傷。自分が主体的に物事を

判断するのではなく、前例の有無、発言者の権威に左右されている。

例えばイギリスには今でも法律がない。

その意としては文章で犯罪を律する事が実情が合わなくなっている為。

例えば裁判官が犯罪者に向かって

「シェークスピアの戯曲では~と言っている」

等、臨機応変な裁きをしている。

イギリス人は自分の体験したこと以外はなかなか信用しない頑固な国民性を持っていることも

その一因。

この様な無駄のない裁判制度に反映されているのかもしれない。

また学問においても、先生に対する評価が分野ごとにはっきりしており、

ある研究対象が課題になった時、それを誰に担当してもらえばよいか公明正大にわかる。

よって研究費も効率よく配分できる。

今の日本はこの逆で、論文を書かない(書けない)権威ある先生(時には世襲されている!)が、

恣意的な予算配分を行い、革新的な価値のある研究にはほとんど予算がつかない。

「工」という字は、天の恵み(上の「一」)と人の社会(下の「一」)を結びつけるという意味である。

東洋の科学は人を守るために発展を続けており、世界に誇るべきことが多い。

例えば後藤新平(岩手出身)が行った満州開発(満鉄総裁)や台湾統治(総督代理)では

現地の人々の状況を、

自分の目で見て、現地人が豊かになる政治を行った。

今でも深く感謝する人により、後藤の命日には台湾からの参拝者で

ジャンボジェットが満席になる。

知ることは学びの本質ではない!

科学技術の進歩だけではなく、高い精神文化の実現を目指すべきである。

僭越ながら、個人的まとめ:

有限の死を乗り越えて、名声や思想が子孫の後にまで受け継がれることに気づいたときに、

人類はやがてこれを闘って勝ち取ろうとする。知る教育ばかりではなく、考える教育の上に

「知」「情」のバランスが取れた人材が必要。

写真ですが、究極のバランス!

Photo_2

フィンランド人の友人ですが、普段からこれで活動しています。

満員電車に乗るのはもちろん、走ったりもします。

最初は慣れるまで大変だったそうですが、今では全く問題ないそうです。

先祖が天狗だったのでしょうか、は冗談ですが、体幹の強さが半端ではない人ですから。

自分の国の歴史、その上で哲学をきっちり学び、今は都市計画の博士課程。

いずれは祖国に戻り、当然のように国を背負う人材になると思います。

日本文化を尊び、自らも実践する。頭が下がる思いです。

今日も読んでくださりありがとうございました。

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