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2018年2月26日 (月)

石の神様

おはようございます。

先週は石の勉強をしました。

磐座(イワクラ)という奇跡の石の話です。

ずいぶん前に「水石」の話を書きました。

こんなものです:

Photo_2

川に落ちている自然の石ですが、まるで作ったかの様に滝が流れています。

こんなパターンも:

Photo_4

サイズとしてはどちらも幅30センチくらいの大きさです。

今回学んだ磐座はサイズは様々ですが、代表的なものは:

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こんな感じで神社の境内にひっそりあることが多いです。

しめ縄がしてあることでわかりますが、ここに神様が宿っていると考えられています。

「神は美しいところにしか宿らない」と。

神が宿ると岩に対する信仰を「磐座」と呼ぶそうです。

そう知ってから岩を見ると、確かに岩が神々しく見えてきます。

またこんな不思議な岩もあることを知りました:

Photo

とても大きな岩です。

よく見ると、左側の岩とは接していません。浮いています!

これは良く仕事で行く岩手県遠野市にあるそうです。

氷河期からの悠久の時が作り上げたそうですが、神を感じずにはいられません。

たどり着く道は、冬は雪と氷で閉ざされそうですから、夏場にぜひ行ってみたいと思います。

また岩手には石巻にもこんな不思議な磐座もあるそうです:

Photo_2

なぜ落ちないのでしょう。受験生がお参りに来るそうです。

東北震災の時には、色が変わっているところまで津波が来たそうです。

古い神社は、皆津波を避けられるところに立てているそうです。

津波が来たら「なるべく古い神社の階段を駆け上がれ」が常識ということでした。

小さい磐座としては:

15070123

春日大社、水谷神社にあるものです。

知らずに見ると、石ころが転がっているようにしか見えませんが、

もともとあった磐座を漆喰で塗り、そこを避けて梁を通したそうです。

1200年前にそれほど深く信仰されていたんですね、現代は御神木ですら切ってしまいますから、

きっとこの磐座もどかされてしまいそうです。

世の中には知らないことがたくさんあります。

おそらく現代科学をいくら学んでも、その仕組みは理解できません。

圧倒的なものを目の前にしたとき、

人間はあまりに傲慢に、そして逆に矮小化されていることに気づかされます。

遠野や石巻の磐座は東北震災でもびくともせず、これからもずっと同じところに存在し続けます。

人間は長生きしても体の寿命は100年ほど。

あっという間です。

講義の最後に、磐座をお参りする際の作法についてご指導いただきました。

  • 利を願うものではなく
  • 石に宿る霊に語りかける
  • さすれば、我に向かってへんじをするはず

講師の先生は、最近の「パワースポット」という表現に違和感を覚えるそうです。

自身が利を得ようとするのではなく、大自然に感謝し、自分もその一部だと自覚する。

他者への貢献こそが大切だと気付かされます。

古来日本には、石橋を…石の上にも…一石…雨だれ石を穿つ…

石を敬う言葉がたくさんあります。

石ころと言いますが、その石が出来るまでの時間は何万年も必要だったはずです。

八百万(やおよろず)、感謝の対象として石を崇める。

それは、古来の日本人にとっては当たり前だったのかもしれません。

現代人は大切なことを見えなくさせられています。

それを深く思わせてせていただく講義でした。

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

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