« 2018 GW | トップページ

2018年5月14日 (月)

体に圧迫を与える事での気づき

おはようございます。

先週は家族日記にお付き合いいただきありがとうございました。

伊豆七島の海のきれいさに驚いたというような感想もいただきました、

身近なところに本当の贅沢があることを知っていただけたかもしれません。

タイトルの話ですが、最近2つの出来事がつながりました。

① 式根島に行く際、大混雑の乗船口にて後ろから割り込まれて肩同士がぶつかった。

   相手は謝るそぶりも見せずに前に進んでいった。

   待ち合わせに遅れ、一人先に行った彼女を追いかけていたようである。

② 剣術の稽古の際、私の受け身が悪く先輩の竹刀が頭にクリーンヒット!(防具なし)

さてこの二つの出来事でどちらが「痛い」かと言ったら、間違いなく②です。痺れます。

①は少し痛い程度。

どちらが「不愉快」かと言ったら、それは圧倒的に①です。

②は微塵も不快ではありません。

これを考えてみたいと思います。

各人の持つ体は自分を表現する一番大切なもの、と考えれば自ずと答えは出ます。

①は、知らない無礼者にいきなり小突かれる。無礼、現代人が忘れている言葉です。

②は、尊敬する先輩に稽古をしていただいている最中、自分の未熟故。

もちろん、①の場合も謝罪があれば全く問題ありません。

一見些細なことに思えますが、現代社会が他者に対する思いやりを忘れていることを如実に表しています。

学校では義務より権利を教え、

テレビを見れば愚か者が、まじめに生きている人を馬鹿にするのを「お笑い」と称する。

これでは他者に貢献できる一人前の魂は育ちません。

現代人は、この状況がいかに異常かという事に気づかなければいけません。

真剣な稽古では、体と同様魂も鍛えられます。

魂が鍛えられているかは、自分の睫(まつげ)のように一見見ることができませんが、

達人が見れば一発で見抜かれてしまいます。

稽古とは、体を動かすことによる「魂のやり取り」ですから。

自分のミスに対して、真剣に叱っていただくことは決してハラスメントではありません。

その前提としては、上に書いたように指導者を

「尊敬している」

事が前提になるとは思いますが。

武道の稽古をせずとも、仕事や友との交流にて魂を鍛える事はできます。

魂を鍛えることない体は、体の「本気」を出すことができません。

すぐにサボってしまい、病気になりやすくなります。

体はいつも魂からの命令を待っています、そしてそれに応えてくれます。

病弱な「営業部長」はめったにいません。責任を果たすために、体はいつも元気な方が普通です。

体の真の力に気づかないままに、一生を終えてしまうのはもったいないことです。

魂の稽古というと難しく感じますが、

昨日仕事でできなかったこと、ミスしてしまったことを反省し、学び、少しでも成長する。

家族や友にたいして感情を乱してしまったことを反省し、謝る。

つらそうにしている人がいたら声をかける。

街にゴミが落ちていたら拾う。

道行く人や、バスの運転手さんに挨拶をする…

こんな些細なことの繰り返しで、顔が変わってきます。

ある年齢以上になれば、顔を見ればその人がどんな態度で生活しているか丸わかりになります。

老若男女問わず、整った生活をしている人は、本当に良い顔をされています。

この話は本当に大切なことなので、来週も考えていきます。

先週の続きで、式根島の写真です。

式根島には温泉がたくさんあります。有料の施設もありますが、ほとんどが無料で、

海沿いに点在しています。

その一つが地鉈(じなた)温泉です。

そこにたどり着くまで:

Photo

階段を下りていきます

Photo_2

まさに地面を鉈で割ったような景観です。

到着:

Photo_3

ちょうどよい温度でした。水着で入れるのですが、今回は足湯のみ。

周りの岩にはこんな痕跡が:

Photo_4

昭和13年とあります。

かなり彫り込んでありますので、いたずらというよりお金を払って掘ってもらった感じです。

今日も読んでくださりありがとうございました。

« 2018 GW | トップページ

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1378527/73464911

この記事へのトラックバック一覧です: 体に圧迫を与える事での気づき:

« 2018 GW | トップページ

フォト
無料ブログはココログ