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2018年11月12日 (月)

西澤潤一先生 第二回

おはようございます。

先週は西澤先生の具体的業績面を書きましたが、今日は私が感じた先生の考え方を書きます。

先生はご自身と同じ東北出身の宮沢賢治の言葉:

「一人でも困っている人が居れば、世界は幸せにならない」をよく噛み締め、

科学技術の進展に少しでも役に立ちたいと考えていた。

80歳当時、お父様が100歳でなくなったことを引き合いにし、

「まだ20年以上ある!」

と、少年の様なキラキラした顔で仰っていました。

ただし、日本の現状については決して楽観していないし、むしろ悲観的に考えていらっしゃいました。曰く:

特に科学の分野では、価値判断ができなくなっているのが致命傷。自分が主体的に物事を

判断するのではなく、前例の有無、発言者の権威に左右されている。

例えばイギリスには今でも法律がない。

その意としては文章で犯罪を律する事が実情が合わなくなっている為。

例えば裁判官が犯罪者に向かって

「シェークスピアの戯曲では~と言っている」

等、臨機応変な裁きをしている。

イギリス人は自分の体験したこと以外はなかなか信用しない頑固な国民性を持っていることも

その一因。

この様な無駄のない裁判制度に反映されているのかもしれない。

また学問においても、先生に対する評価が分野ごとにはっきりしており、

ある研究対象が課題になった時、それを誰に担当してもらえばよいか公明正大にわかる。

よって研究費も効率よく配分できる。

今の日本はこの逆で、論文を書かない(書けない)権威ある先生(時には世襲されている!)が、

恣意的な予算配分を行い、革新的な価値のある研究にはほとんど予算がつかない。

「工」という字は、天の恵み(上の「一」)と人の社会(下の「一」)を結びつけるという意味である。

東洋の科学は人を守るために発展を続けており、世界に誇るべきことが多い。

例えば後藤新平(岩手出身)が行った満州開発(満鉄総裁)や台湾統治(総督代理)では

現地の人々の状況を、

自分の目で見て、現地人が豊かになる政治を行った。

今でも深く感謝する人により、後藤の命日には台湾からの参拝者で

ジャンボジェットが満席になる。

知ることは学びの本質ではない!

科学技術の進歩だけではなく、高い精神文化の実現を目指すべきである。

僭越ながら、個人的まとめ:

有限の死を乗り越えて、名声や思想が子孫の後にまで受け継がれることに気づいたときに、

人類はやがてこれを闘って勝ち取ろうとする。知る教育ばかりではなく、考える教育の上に

「知」「情」のバランスが取れた人材が必要。

写真ですが、究極のバランス!

Photo_2

フィンランド人の友人ですが、普段からこれで活動しています。

満員電車に乗るのはもちろん、走ったりもします。

最初は慣れるまで大変だったそうですが、今では全く問題ないそうです。

先祖が天狗だったのでしょうか、は冗談ですが、体幹の強さが半端ではない人ですから。

自分の国の歴史、その上で哲学をきっちり学び、今は都市計画の博士課程。

いずれは祖国に戻り、当然のように国を背負う人材になると思います。

日本文化を尊び、自らも実践する。頭が下がる思いです。

今日も読んでくださりありがとうございました。

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