« 東北出張記、現代に必要な考え方「主義」について | トップページ | 中学受験 中三になって総括 »

2018年12月17日 (月)

漫才と落語

おはようございます。

東京は暖かい日が続いていましたが、先週から一気に気温が下がりすっかり冬の様相です。

平成30年もあと約二週間。

あっという間の気もしますが、実際に起こったことを振り返ると日々できる限りのことをして来た

という充実感もあります。

実際の仕事でいえば、大手企業様に日向の製品を評価してもらい合格、

そして新規直接口座開設をいただいたり、

社内の金型開発でも画期的な進歩があったり、これからの展開が楽しみな状況です。

新入社員二名も会社になじみ、本格的な戦力として力を発揮してくれています。

まだまだできることも残っていますので、来年に向けて気を引き締めていきます。

先週は、大切なのは資本主義ではなく、魂主義。資本は道具に過ぎないという事を書きました。

昨今のニュースでなぜか「漫才」の話題が多かったので、

自分の好きな落語と比較してみたいと思います。

まず自分の解釈では漫才は、その時代時代の皆が気づいているけど、深く考えていない現象を

きれいに切り取り、笑いに変えていく事だと思っています。

切り取り方は漫才師の個性であり、毒舌だったり上品だったり、体を張ったり。

現代はすごいスピードで社会現象を使い捨てにしてしまうので、漫才もどんどん変わらないと

あっという間に飽きられてしまいます。

人を笑わせるというのは大変高度な知性が必要ですが、

苦労して確立したと思ったらあっという間に飽きられてしまう事も多い。

本当に大変な職業だと思います。

一方落語は、基本「古典」です。

もちろん新作もありますが、人気があるのは圧倒的に古典だと思います。

古典とは、客がすでに筋(内容)を完全に知っている状況から始まります。

多少の工夫はあっても、そこにあるのは

「型」

です。型を崩してしまっては、話が成り立ちませんし、そんなことになれば客が不安を感じてしまい

笑いどころではありませんから。

自分も経験がありますが同じ演題でも、話す人によって全く印象が異なるんです。

まだ修業中の若手の場合、大げさな身振り等で笑いをとることがあっても情景が浮かびにくいです。

それが達人になると、動きは小さくてもまるでその場に居合わせるかのような緊張感・臨場感で

話に吸い込まれていくようです。舞台に宇宙的広がりを感じるというか…

そして漫才と決定的に違うのは、話に吸い込まれた上に泣かされてしまう演題がある事です。

非常に長い演題もありますが、まったく時間を感じさせず、泣いたと思えば笑い、

笑ったと思えば泣いている。

言葉に全人格をかけた「魂」を乗せているからです。

そうでなければ、「落ち」が分かっている話を何度聞いても楽しいはずがありませんから。

決して漫才を否定しているわけではなく、もともと違うものなのです。

ちなみに新作落語は、古典を完璧に身につけた人が挑めるもので

これができる人を「型破り」な人と言います。

昨今ではロボットが接客したり、スマホの検索も音声で出来たりします。

そして外国語の同時通訳もかなりの精度で出来てしまいます。

この様に、機械が発する言葉は便利ですが、感動を呼ぶことはありません。

ただの記号のようなものですから。

この違いは深く考える必要があると思います。

先生は学生に発する言葉により、その人の一生を変えてしまう。

深く心に刻む気づきを与え、良い方向(他者に必要とされ、感謝される。親が子を誇りに思う)

に行くことが理想ですが、言葉を発する先生が未熟だと逆に行ってしまう場合もあります。

言葉によって人は生かされ、反対もあり得る。

真剣に生きている人しか、人を正しい道に導くことはできない。

今年より来年、そんな自分に近づけるように頑張ります。

先週末は取引先様もお誘いして忘年会でした:

2018

去年は一等商品を堂々と?持って帰った社長でしたが、(ダイソン掃除機:ちょうど家の掃除機が故障中)

今年の獲得商品、素敵な時計は無事に新入社員の手に渡りました。

めでたしめでたしです。

今日も読んでくださりありがとうございました。

« 東北出張記、現代に必要な考え方「主義」について | トップページ | 中学受験 中三になって総括 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 漫才と落語:

« 東北出張記、現代に必要な考え方「主義」について | トップページ | 中学受験 中三になって総括 »

フォト
無料ブログはココログ