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2019年5月27日 (月)

異文化を理解できる度量

おはようございます。

気づけばスカイツリー開業7年でした、このブログも7年続いています。

読んで下さる方のお陰です、ありがとうございます。

先週は取引先(お客様)社長とホテルロビーで待ち合わせ:

Photo_9

立派なお花とピアノ演奏。

待っている間も読書をしながら豊かな時間を過ごせます。

社長は東北地方で立派な会社を経営されていますが、

今年アジアの新興国に工場を出すことになったそうです。

全く文化の違う国に、工場を独自に新設する。

今の日向には想像できない事なので、経緯等ご指導いただきました。

 

その内容をまとめ、考察すると:

異文化を理解しようとする前に、それぞれ各自の文化を理解することが大切。

それぞれの人間にとって、生まれ育った文化は尊く、大切なもので、それを誇りに思い

深い自信と安心を感じながら堂々と生きる。

そんな人は他者の(外国の)文化にも興味を持ち、それがどんなものであろうと尊重する度量を持っている。

本当に魅力ある人はそんな人である。

また、人を育てるとは知識を詰め込むことではなくそのような考えを持つように育てる事である。

海外に工場を新設するというのは大変な事であるが、現地の文化を尊重し、馴染むように努力する。

これこそ海外工場運営の秘訣である、と。

逆に経済的に優位な自分の国のルールを、現地の人に押し付けてしまえば…

もう最初から失敗は見えています。

本当に大切な話です。

 

これは、海外工場新設と言うような大きな話ではなく、日々接する身近な人々とのふれあいでも

全く同じことです。

どんな文化背景に育っても、自分の文化に誇りを持たず、

自分に自信を持てず、故にそのはけ口を求めるように他者批判ばかりし、怠惰な生き方をしている人は

皆同じような顔つきになってしまい、同じような愚痴を言い続けてしまいます。

そして他者を尊重しないのだから、当然自分も尊重されず

行き場をなくして苦しみながら生き続けることになります。

こうなってしまえば、どんな立派な知識も役に立たないばかりか、屁理屈の上塗りにしかなりません。

 

かつての日本は、それぞれの家や町、会社、そして国としても暗黙のルールがあったように感じます。

一見不合理に見えるルールであったとしても、長い間人の知恵が集まってその状態になったのです。

もし長い歴史の中で「日本」という組織が無くなっていれば、

その瞬間に私有していた財産は没収されてしまっていたでしょう。

財産が没収されるだけなら取り返すこともできますが、

文化が抹殺されることで本当に国は無くなってしまいます。

 

もちろん時代が変われば徐々にそのルールは変わって行くと思いますが、時には大きく変わる事もあります。

近世では明治維新であり、そして昭和20年の敗戦後。

本当に大切なこれらの出来事は、残念ながら戦後教育の中ではほとんど指導を受けません。

ただし学ぶ気があれば、現代日本では学ぶことが出来ます。

「学ぶことが出来る」

これは一見当たり前に感じますが、自由に学ぶことが出来るというのは魂の解放で、素晴らしいことです。

日本が今ある理由、先人の苦労を深く学び、一人一人が先の話の様な魅力ある人を目指せば

国はおのずと繁栄するはずです。

 

令和への年号変わり、国を挙げてお祝いする日本。

諸外国はうらやましい出来事だととらえているという報道に接しました。

守るべき文化をきっちり守っている、その大切さを実感しているのだと思います。

特に国内に紛争を抱えた国が多くなっており、尚更その思いに駆られるのかと。

国民がお祝い事で一体になる、現代社会ではなかなか難しいことになってしまいました。

年号代替わりは自分の場合47年生きてきて二回目。そう頻繁に起こる事ではありません。

家庭において親から家族の昔話を聞く、それを自分の子供や近い人に伝える。

その伝承こそが人に本当の落ち着きを与える、教育の柱です。

日々身近な事、そして国がある事に感謝し生きて、自分を高めていく。

そんな大切なことを深く学べた夜でした。

 

今日も読んで下さりありがとうございました。

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