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2019年5月13日 (月)

子供への問いから考える社会の仕組み

おはようございます

GWの旅行中に子供と話していた際に、ふとこんなことを考えました:

「自分が知っている知識を相手が知っているかを聞くのは、たとえ子供相手でも失礼かもしれない」

と。

もちろん教え導くという理念があればそんなことはないと思いますが、

優越感を持ちたくて問うのは、本当に怖いことだと。

その知識をたまたま知っているだけで、偉いわけはないのですし、

相手は自分の知らないもっと素敵な知識を持っているかもしれませんから。

 

学生時代は学ぶことばかりですから、その確認の為にテストは必要だとは思いますが

先生がどのような気持ちでそれを行っているのか。

今の自分が教師だとしたら、生徒に教えたことをテストで確認するというのは

怖いことのように感じるかもしれません。

結果が悪ければ自分の教え方が悪いという事ですから。

自分が指導される学生側の時は、そんなこと考えもしませんでした。

 

例えば一般の会社でも入社試験や昇進試験はあると思いますが、

面接や普段の態度も加味されて合否が決定することが多いので、

ペーパーテストの結果は参考程度の事が多い気がします。

ペーパーテストは成績がはっきり出ますし、一見合理的に見えます。

しかし、

「たまたま勉強したところがそのまま出れば好成績」

これは合理的でしょうか?

学生の場合は

「そんなものだ」

と割り切ってしまうかもしれませんが、

社会人の場合は、テストで良い点を取っただけではうなくいかないことが多くなり、

不満に思う事も増えていきます。

 

より大切な、

人とうまく付き合う能力、指導する能力、人を惹きつける力…

それは「たまたまの勉強」でに身につくものではありません。

 

社会人と学生の間にある「壁」って実はここにあるのかもしれません。

基準が変わっているのです。

学生:

テストで良い点を取る=分かりやすく合理的。世の中の判断基準はこうあるべき。それが正義だ!

ところが社会に出てみると:

嫌な上司に指導され、その上司は課長にはぺこぺこしていて格好悪い。

先輩はどのようにすれば仕事が上手く行くか教えてくれないし、お客さんにも厳しいことばかり言われる

今でもテストの点数は誰にも負けないのに、そんな知識は聞かれることがない。

結局好き・嫌いで昇進が決まっていて不合理ばかりだ!!と。

 

開き直るようですが、その通りで世の中不合理ばかりなんです。

でもその不合理こそが世の中の現実。

「不」(不足、不満、不幸せ…)あるから、その反対もある。

もし幸せばかりの世の中だったら、そこに「生」のエネルギーはあるでしょうか?

人だって、悪いことをしり、嘘をついたことのない人など魅力があるでしょうか?

絶対的な正義や合理などあるわけがないのです。

だから人生は面白い、これに気づいた人は成長が速いです。

あっという間に自分の殻を破り、どんどん現実世界の知識を吸収していきますから。

その時になりやっと役に立つのが、学生時代の知識。

役に立つというレベルではなく、武器にすらなります。

これが、行動と知識のバランスが取れているという状態です。

社会に出てから学べることは、仕事に直接関係する事に限られがちですが、

学生時代は数学、物理、歴史、そして美術や音楽と、やる気次第で幅広く学ぶことが出来ます。

その時は無駄に感じる知識も、知っているか知らないかではその後の人生の広がりが全く変わります。

例えば、

社会に出てから、ふと音楽に触れたくなっても音符の読み方が全く分からないのと、

基礎的な事を知っているのではその間口が違います。

他のすべての科目についても一緒です。

将来何を「するのか」「したくなるのか」は、学生時代には分からないことが殆どです。

 

無駄に見えることに本当の価値があるかもしれない。

損な一見不合理に見える事の裏に、将来の可能性が隠されている。

それこそが社会の仕組みです。

写真ですが、GW中の雨上がりの朝に撮りました:

2019_2

ブルーベリーの花と雨雫。

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

 

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