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2019年6月17日 (月)

物は人を幸せにするのか

おはようございます。

普段仕事でモノづくりに携わっていながら、今回の題名は矛盾しているかのようですが考察をはじめます。

その基本的考えは、「物は(そのものだけでは)人を幸せにしない」です。

ただし、物と言ってもいろいろあります。

先週のブログに書いたような、食べ物。

これは体を維持するために、最低限の栄養が必要です。

美味しいやまずいの前に、必須です。

物には有機物・無機物がありますが、有機物は大雑把な解釈をすれば「いきもの」です。

もちろん人間は有機物。

対して無機物は、いわゆる「モノ」

身の回りにある、時計や車、スマホや住んでいる部屋…

我々有機物は、無機物を「所有」しながら現代社会を生きています。

有機物は生き物ですから、いずれは朽ちて無くなってしまいますが

無機物はその種類や質、保管方法によってはずっと残ります。

例えば、分かりやすいのは宝石や金(ゴールド)。

何千年も前に誰かに所有されていたそれらを、現在生きている我々が美術展などで鑑賞できる。

そう考えると、それら貴重な無機物の意思によって、

有機物である人間がそれらを所有させられているかのような錯覚を覚えます。

違う言い方をすれば、逆に人間がそれら無機物に観察されているかの様な。

 

現代は情報にあふれ、物を使い捨てにし、また生活に必要以上に物を集めてしまう。

自分の命が永遠であるかのように振舞って…

所有者が亡くなれば、それらの物は主をなくしてさまよいます。

幸運にもまた誰かに使ってもらえるものもあるかもしれませんが、ほとんどはゴミになる運命…

なぜ現代人はこれほどものに固執してしまうのでしょうか。

それはちょっと大げさに言えば、自らの「生存不安」が原因かもしれません。

しかし無機物に囲まれても人は深い安心を得ることが出来ず、その欲望が加速するばかり。

本当に大切なのは、生ある人同士に築かれる、目には見えないつながりです。

それは感謝心であったり、労りであったり、そこから生まれる信頼であったり。

ただ、無機物を介してそれらを醸成する事は大切です。

例えばスマホでお互いの状況を伝えあったり、心地よい家に住んで良い気分で生活できたり。

手段は無機物であっても、本当に得たい物は

「見えないつながり」

という信頼。

現代は、手段が目的になってはいないでしょうか。

周りの人が持っていない最新のスマホを入手する、高級車に乗って自尊心を満足させたい、

大きな家に住んで経済的成功を誇りたい…

その先に目指す生活が見えていないと、際限ない物欲地獄にはまってしまいます。

そうは言っても、先を見通す事は誰にとっても難しいものです。

まずは生活するために必要なお金をしっかり分け、余計な物を買わないように自分を律する。

現代社会は一見便利になりすぎて、大切なことを見失いつつあります。

食物からとる栄養と言う意味では、豊かで命の維持に不安がない現代日本社会の中でも、

精神的に厳しい状態で生活している人も多いです。

厳しい中でも寂しくならないように努力する。

誰かに居てほしいと思われることで、精神的栄養が補給されます。

そして居ないと困ると言われる場所を作る事で、自信がついていきます。

そのためには、日々接する人に気を配り、自らを後にして他者を心地よくする。

挨拶だけでもそれは成し遂げられますから。

写真ですが、この時期だけのご褒美:

1

睡蓮の花、去年は咲きませんでしたから見つけたときには一瞬時が止まったような感じでした。

あらゆる花の中で一番きれいだと思います。

昼間だけしか見られず、夕方には:

Photo_12

それも数日でおしまいです。(よく見ると子メダカが見えます)

あまりにも美しくはかない花の一生。

自分の一生もこうありたいというあこがれが、心を惹きつけるのでしょうか。

今日も読んで下さりありがとうございました。

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