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2019年8月26日 (月)

塾経営から見る経済

おはようございます。

最近のブログで、子供らの夏休みが忙しいと書きましたが

先週は更に驚きの出来事がありました。

中一の次男が通う塾には2泊の夏季合宿があるのですが、

そこでは合格点が取れるまでテストを繰り返すという壁があります。

息子は野球の練習があり、合宿に参加できなかったので塾にて同じ課題を課せられます。

同じように合宿に参加できなかった数十人と一緒に。

その実施日が先週水曜日にありました。昼間に来て、合格する子はテスト後にすぐに解散。

もちろん不合格者は、問題を変えて何度もテストを繰り返されます。

ところがここで問題。

野球部活動のある息子は、対外試合が組まれており試合が終わるまで塾に行けません。

トーナメントなので、早々に負ければ昼過ぎに帰ってくる予定だったそうですが

結局帰ってきたのは18:00過ぎ!

そこから急いでシャワーを浴びて、おにぎり頬張って塾に。

ちなみに塾は行き帰りのバス送迎がありますが、時間短縮のため自家用車で送っていきました。

19:00にテストスタート。英語はパスし、数学と国語で少し躓き再テストを数回。

その間、塾が用意してくれたおにぎりを食べつつ。

結局合格して帰ってきたのは22:00過ぎ。

その時間でもまだ合格できない生徒もおり、

今までの例では夜中の1:00まで掛かったこともあったそうです。

先生もドライバーさんも大変です。

この塾はまだ小さな規模ですが、校長(オーナー経営者)の

「すべての生徒を志望校に合格させる」

という強い決意と、それに共鳴した先生、ドライバーさんたちの集まりです。

決して進学塾ではありませんが、当然地元では人気の塾でいつも定員いっぱいです。

 

この事実を前に、考えさせられました。

この塾が「ブラック職場」であるかなどと言う議論ではなく、経済とは何か?についてです。

当然自分(親)は塾に頭の下がる思いです。

大手進学塾に比べれば圧倒的に安価な講習費で、この様な対応をしてくださることに。

テストで合格点が取れない子がいる=先生も付き添って残業をする。

かといってなかなか合格しない生徒の親に、その経費分の請求がある訳でもない。

あるのは、ただただ感謝です。

 

日本は資本主義経済国なので、その経済活動の道具として、

紙幣やコイン、そして数字のデータがありますがそれは手段でしかありません。

例えば、日本の高校生がバイトをすれば1時間に700-800円位もらえると思います。

それが単純な作業であっても、国によってその額が保証されているからですが

全くの初心者が、ほとんど指導を受けながら手探りでやった作業にも対価としてお金が支払われる。

例えば、レストランチェーン店でのバイト。

入店したばかりで、先輩たちが忙しく働く中、皿洗いや掃除を一生懸命する。

当然それは立派な仕事です。

ではその対価はどこから来るのか?

当然お客さんが受けたサービスの対価(ハンバーグ定食700円とか)として払うのですが、

そのお客さんも、何かしらの経済活動を通じてその700円を稼いでいるのですよね。

サービスを供給する側、対価を支払う側、皆が当たり前に紙やコインの数値を信じている。

これ、今の日本では当たり前の様ですが、考えると不思議ではないでしょうか?

 

経済的な発展をしていない国で、何か手伝い(良い仕事)をするとします。

極端な話、自給自足の生活で貨幣を持たないと仮定すると、

その対価はきっと食事をもらうとか、マッサージをしてもらうとか

「気」が発する心地良い「好意」の恩返しになるはずです。

ここまで極端ではなくても、深いの感謝の場面ではもし通貨があっても、

それで感謝を表現するのは失礼と感じてしまうかもしれません。

「気」が乗っていませんから。

 

この様に、資本主義経済下だと当たり前と思っている事は、決して当たり前ではありません。

資本主義、貨幣経済というのは、そこに参加する人すべてが一生懸命にそれを守るという決意をしなければ

崩れてしまいます。

給料が安いから適当に働く、

人をだましてお金を手に入れる、

こんな考えの人の割合が増えれば崩壊するでしょう。

その状況ではシステムが回らなくなって、お金が人より偉くなって治安が悪化するでしょうから。

この様に、崩れるというのは生活の自由が無くなるという事です。

経済活動の基盤は、しっかりしているように見えて意外にもろいものかもしれません。

 

先の塾の話に戻ると、自分がお会いした先生方は職業に誇りを持ち、

生徒の成績を上げ同時に人格を育てることに、志高い責任を感じているように感じました。

指導をすることが好きで、先生と生徒がお互いの存在に感謝している。

きっとこの組織は徐々に大きくなると思います。資本の理論で膨張するのではなく、成長。

それは、例えば現代資本主義とは関係ない体制になったとしても。言い過ぎでしょうか。

今の体制は曲がり角に差し掛かっているかもしれません。

マネー至上主義の行きついた先の曲がり角。

どんな新しい時代が来るのか。

考えても分かりませんので、日々目の変えの事に取り組みます!

 

写真ですが、上の文章を見ている時に会社の近所で撮影したものです。

この時代には今の様に物質的には豊かではなかったかもしれませんが、

精神的にはどうだったのかな?しばし考えさせられました。

曲がり角にある、道標(みちしるべ)です:

Photo_20190823132201

右に行くと「やくしみち」、左に行くと「えど」と書いてあります。

そしてその裏には、現在地:

2

かつてのこのあたりの地名「大畠村」と書いてあります。

日向にも、地元出身の同じ苗字の方が働いてくれていますが、

ひそかに大地主だったのではないかと思っています(笑)。

ちなみにやくしみちの「やくし」とは、この先荒川を渡った葛飾区にある木下川薬師の事です。

この神社は徳川家の祈願所で、約400年前に徳川吉宗公が作らせたそうです。

吉宗公も僕と一緒で方向音痴だったのでしょうか?

なんだか一つの石から、豊かな時間の使い方をしていた当時に思いを馳せることが出来ました。

今日も読んで下さりありがとうございました。

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