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2020年6月 1日 (月)

木の話2:まっすぐみる

おはようございます。

先週は「新月に切った木」の話を書きましたが、

あまり身近に感じない事柄だったかもしれません。

今日は違う側面で木の話を書きます。

 

大先輩にお聞きした木に関する話です。

子供の頃おじい様と、大きな木のある庭にいると。

「木がまっすぐに見える場所を探しなさい」

と言われたそうです。

少年時代からまじめな先輩は、一生懸命に木の周りをぐるぐる回って

うねった木の枝、そして幹が比較的まっすぐに見える場所を探します。

候補地を探し出すと

「おじいちゃん、有ったよ」

と喜んで呼びに行きますが、おじいさんは

「違う」

と、一言。

更に探し続けますが、結果は同じ事。

ここでおじいさんは宿題にしたそうです。

すぐに教えてくれないところが、結果的には良いのですね。

 

ちょっと脱線します:

現代に生きる我々は、答えをすぐに求めてしまう傾向があります。

テレビ世代の自分もそうです。

それでも学生時代は、レポートを書くために必死で図書館通いをしましたが

自分の子供はすっかりスマホ世代。

もう答えは手中に収めている感じでしょうか。

でも、自分でも経験ありますが、

教えてもらったことは身につかない。自分で考え抜いて初めて本物の知識になると。

やれと言われれば、仕事でもない限りやりたくなるのと同じような物でしょうか…

 

そして日が過ぎて、さすがに考えあぐねた少年。

おじいさんも見かねて答えを教えます。

こう見るんだよ、と木をよく観察することもなくすくっと立ったそうです。

「あれっ」

と一瞬思いましたが、すぐに気づいたそうです。

まっすぐに見るとは、木を正面から見据えるという意味で

木を構成している枝や幹がまっすぐに見えるという事ではなかったのです。

 

何だか意地悪な質問のようにも聞こえますが、

自分はとても深い良い話だと思いました。

大きな木は人間の体の一生より長い年月をかけて育っています。

その木の魂に接するには、自分がそれを敬い、共鳴しなければ見ることはできません。

人間でも、自分にやましいところがあると相手の目をまっすぐに見られないことがありますが、

それほどまっすぐに見るというのは、自分の心が整っていないと出来ない事なのです。

 

最近は情勢が悪い方向に色々と変わり、表面に見える事柄に心が支配されてしまいがちです。

自分も大木の様に大地から霊気を吸い込むように歩き、呼吸し、

まっすぐにものが見えているか自問しなければいけないと、今週はこの話を書かせていただきました。

 

写真は、金曜日のブルーインパルス医療応援飛行を載せようと思ったのですが、

スマホカメラでは難しかったです。

そこで、先日JR東神奈川駅にも復活した「伝言板」を:

Photo_20200529150201

携帯やスマホが無かった時代、駅での待ち合わせには必須でした。

こうやって内容を見ると、字にも内容にも味があります。魂を感じるというか。

たかが伝言板、されど伝言板。

情報は早い方が便利ですが、

便利さの追求で失ってしまったものがあるのを実感します。

今日も読んで下さってありがとうございます。

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