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2020年6月15日 (月)

お金の話 2020

おはようございます。

先週はshu shiraiさんの素敵な写真のおかげで、内容と写真がつながりました。

ストロベリームーンの当日は曇り空で、とてもあんな風に写真が撮れる環境ではありませんでした。

雲が切れるのをじっと待ち続け、一瞬のチャンスを逃さずに切り取ったのが

先週の写真でした。

綺麗な写真の裏に、大変な人間の努力が隠れている。

全ての芸術作品に通じることですが、感じたことをどう表現するか。

感じたこと=感動した事。

本来そこで止めておけば個人的な思い出になって、苦労をすることはありませんが

それを他者に対して表現するという行為は、時として命がけの大変な仕事となります。

まさしく、魂が体を酷使している状態ですね。

 

さてお金の話ですが、2013/3/4のブログを読み返すと、

お金を価値あるものとするには、「良き物」や「信頼」が必要。

それが無いと、お金という道具の価値は下がってしまう。

そしてお金を使うという行為は、道具を使わせていただくだけすから

感謝して使わなければ、お金の品位が下がってしまう。

感謝という「魔法」によってお金が生かされている。

というような話でした。

 

今回はより具体的に考えてみます。

仕事はお金を稼ぐため、それは反対から見ると

「仕事をしてもらった事に対する感謝の表現方法」

とも言えます。

従業員に一生懸命働いてもらって、どうそれに報いるか。

その一番便利な手段です。

ただ通貨に信用が無ければ(すごいインフレなどで)、その通貨の受け取りを拒否

するような事態にもなりかねません。(米ドルで支払い要求するなど)

 

この様に、信用があれば便利な道具であるコインやお札。

それをたくさん持っているという事は、たくさん感謝をされた人と考えるのが普通ですが、

現在の資本主義は個人的にはギャンブル的要素が強すぎる気がします。

それが2013にも書いた

「お金至上主義」

そこでは、お金=目的 そして時として=神。

 

1000万円の車を買える人、すごい。

同時に

1000万円も払ってもらえる車を作り、売る人、すごい。

 まったく同格のはずです。

 

身近なところでは、

100円のガムを買うのに、わざわざ頭を下げてもらおうと思う人は少ないと思います。

でも、

1万円の食事をすれば、なぜか必要以上に店員さんに丁寧に接客してほしくなる。

それとは別に、

自分の好きなアーティストのライブやコンサートにより大きなお金を払っても、

直接のお礼を要求することは少ない。むしろ感動を頂き感謝しながら帰る。

お金をきれいにつかうのは、意外と難しいです。

 

ここまで書いたようにお金の勉強、お金の使い方の勉強、これは本当に大切です。

今、日本人は安定した通貨である日本円を使っておりそれを当たり前と感じています。

しかし、その対外的(対外国)な価値が無くなれば、大金も紙屑に変わってしまいます。

通貨の価値は信用だからです。

信用あればこそ、原価数10円で印刷された札が1万円として流通できるのです。

原価を引いた9900円以上は、外国から見れば日本国家(我々大衆を含む)の収入=信用です。

 

今コロナ騒動の陰で、その根底が崩れているのを感じます。

官僚や政治家を悪く言う風潮は、かなり末期的です。

1人1人がしっかり考えていれば、いい加減な政治家は淘汰されるはずです。

しっかり考え実行するるというのは、

最初に書いた芸術家の苦労と同じように、命がけの努力が必要なはずです。

なぜなら今の社会は全責任を負う「お殿様」や「王様」は現れませんから、

各個人の力が今の政治の力に直結しています。良くも悪くも...

今それが試されているのを感じます。

 

写真ですが、全滅寸前のパプリカ(黄色いピーマン)です:

Photo_20200613112701

最初の食害はカメムシの仕業でしたが、2、3日駆除し続けたところいなくなり

安心していたらこんな姿に。

どうやらナメクジが食べつくしたようです。

奥にあるトマトや、横にあるナスには目もくれず、ピーマン一直線。

子供に嫌われることもある野菜ですが、どうやら虫たちには一番人気の様です。

ここにも、人間の使う貨幣の価値では測れない世界がありました。

今日も読んで下さりありがとうございました。

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