善意前提が崩れた社会とは
おはようございます。
先週は、医療分野におけるAIの初期診療への適応について書きました。
必ず患者さんの目を見て、体に触れて手技で伝統的診療をされている
S先生から大切な話をご指導いただきましたので今日は考察します。
S先生は
「初期診断にこそ人間の勘が必要」
「AI化は治療する機会を失してしまう危険性が高い」
と。
ただし
「勘が働かない診療であれば、同じことである」
と。
考察と言いながら、すべての答えはこれらの言葉で出てしまっています。
確かに、自分でも
「初期診療はAIが良いのでは?」
と書いた後に疑問を持ちました。
AIの診断を潜り抜け、先生に診てもらう方法!を検索してたどり着いてしまう人が
出てくるのではないか?と。
そして結局長い待ち時間と医師の疲労…
善意が前提でないと、システム自体が崩壊してしまう危険性があります。
S先生は、もっと深いことをおっしゃっています。
「人間性を失ってしまえば機械に負けてしまい、つまらない社会になってしまう」
と。
では人間性とは何か?
それは他者を尊重し、魂の価値に気づく事だと思います。
小さく柔らかく、弱い体を持つ
「人間」
何がその存在を他の動物と分けているかと言えば、それは意思の力です。
意思の力=魂力
小さな体なのに、その意志の力で仲間とともに世界を変えようとしたり、
宇宙に飛び出したり出来てしまいます。
弱い体の弱点を補って…
凄い事です。
逆に、自分の小さな体の安楽を最重視して生きるようであれば…
それはS先生のおっしゃる
「つまらん社会」
になってしまうでしょう。
その状態はすでに家畜化された状態だからです。
「自分さえよければよい」
弱い一人一人がそう思う事は
「自由だし勝手」
と思いがちですが、それは違います。
混雑した、狭い電車の中で足を組んでいる人がいます。
一人の迷惑さを他者の我慢で補い、平静が保たれていますが
もし座っている人全員が足を組んでしまったらどうなるでしょう?
それと同じことが、歩きスマホ、街中でのイヤホンでも起こっています。
これは社会のほころび=破綻への道の象徴的な出来事です。
善意前提どころか、他者を無視、自分だけの世界を公共の場に広げているのですから。
ほころびが進んでしまえば、社会は壊れてしまいます。
防ぐためには厳罰化のトラップが待ち構えた社会が待っています。
会社経営でも、本当は1600年以上前に制定された17条憲法の様に
信義を重んじ、皆で議論をして、各々の責務を果たして良い会社を作る。
その上で経営者は従業員の幸福の最大化を目指す。
だけで良いはずです。
それさえできていれば、あとの事は皆で決めていけばよい。
ところが今は、社会からの要請、社員の問題行動により
どんどん規制が増えてしまっているのが現状です。
社会にあるいろいろな規則、全てを読んで理解するのは難しいのではないでしょうか。
今人間社会は大変な問題に直面していると、日々実感しています。
自分に何ができるのか、考え、即実行。
先ほど書いた17条憲法、1600年以上前に制定と書きましたが
それから1200年以上たち制定された五箇条のご誓文(1868年)にもその精神は
生きています。
悪い習慣を捨て、世界から知識を集め、万機公論に決すべし!と。
時代の危機に際し、また気持ちを新たにする時が来ました。
S先生、いつも貴重なご指導をいただきありがとうございます。
写真の前に、先週の「イトヨリ」の話をさせてください。
週末妻と買い物に行くと、近所のスーパーに立派なイトヨリが売っていました。
凄い偶然です。
蒸していただきましたが、本当においしい魚でした。
書き、望むと叶う。実感しました。
今日の写真は大好きな建造物、東京青山にあるスパイラルビルです:
友人との待ち合わせで行きましたが、青山通りに面して席がたくさんあり、本を読めます。
そしてなんといってもこの
「螺旋:スパイラル」
の贅沢さ。行くたびに嬉しくなって、上り下りしてしまいます。
床がじゅうたんになっているのも素敵です。
動画で見るだけではこの建造物のすばらしさは分かりません。
実際に行き五感をフル活動して初めて理解できます。
今日も読んでくださりありがとうございました。
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