自由の解釈
おはようございます。
先週、先々週と、
「自由」
と
「権利」
について考えてみました。
2回にわたり、定義を正確にせずに使っていた言葉があります。
それは
「自由」
だから、最初と二回目でその定義が正反対になってしまいました。
どうとも取れるという事です。
考える人によって幅がとても広くなる言葉だからです。
では、ここで再定義します。
自由は、魂の解放であり、とても楽しい状態である。
でもこの考察も難しいと理解します。
繰り返しになりますが、現代自由主義経済社会においては
まずある程度の金銭的な自由がないと、何も考えられなくなってしまう危険性が高いからです。
どの様な環境で育ち、生きているかは、とても大きな違いを生みますが、
ここでは、この条件はクリアしているという前提で話を続けさせてください。
「自由」で一番楽しい事。
それを一番実感できるのは、人が自分を尋ねて来てくれることだと思います。
この場合の
「人」
とは、
「去った後の後味が良い人」
です。
また会いたいなという、豊かな雰囲気を作ってくれる人。
これは簡単なようで難しいです。
わがままばかり言って、自分優先、他者批判が旺盛な人にはだれも近づきませんし、
お金だけでつながっている人だとしたら、集まってくる人もその目的は
「お金」
でしかないでしょう。
ではどのような生き方をすれば、この様な機会に恵まれるでしょう。
それは
「人を育てた人」
だと思います。
「恩師」
が最も近い存在。
友人同士でも、良い刺激を受け合っていれば同じような存在になれるでしょう。
ここではっきり分かります。
体の限られた時間を使ってする、もっとも大切な行為(仕事)は
大切な仲間(友人)と力を合わせて、続く世代の教育、育成をする事だと。
そのためには、自分が最後の一瞬まで学び、成長し続ける必要があります。
いつ訪れるかわからない
「その時」
まで。
そうは言っても、ある程度の年齢に達すれば体の機能的な限界が来ます。
100歳を超えて元気に指導をすることは難しいですから。
そんな時に使われた言葉が
「ご隠居」
のような気がしています。
現役時代に多くの人に良い影響与えた人だけがつけるポジションのような気がします。
現代ではほとんど聞かなくなってしまいました…
豊かなご隠居になれるよう、頑張ります!
写真ですが、通勤途中の風景:
コスモスかな?と思って妻に聞いたところ
「キバナコスモス」
と言うそうです。
花を見て心和むように、自然体で生きることが大切だと実感します。
今は通勤途中での風景でも不自然が多く、
スマホを持たず、まっすぐ歩いている人を見かけるだけで美しいと感じてしまいます…
今日も読んでくださりありがとうございました。
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