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2024年10月13日 (日)

責任の先にあるもの 先週の続き

おはようございます。

先週は

「果たした責任に応じた自由がある」

と書きましたが、じつはそこには先があります。

 

まず、「自由(で楽しい)」という状態を2つの例から考えてみます。

 

1.うちの長男

勉強が得意ではない大学三年生。

電気工学を学んでいて、学校の勉強では苦戦しているようですが

学生ですから当たり前です。

その反面、就職は全く気にしなくてよいようで近い将来については不安はなさそうです。

それ以外の時間は、本当に自由を満喫しています。

ガソリンスタンドでハードにバイトしつつ、稼いだお金は自分のお金。

車を改造したり、友人と遊んだり、デートしたり…

近くで見ていても、良く体がもつなと思う程精力的に動いています。

自由で楽しそうですが、社会的責任を果たすのはこれからでしょう。

 

2.fire

前にも書きましたが、この言葉を知り合いが発した時にはびっくりしました。

「fireしたい」

と。

自分の中では

「fire=くび、解雇」

でしたから。

?マークだらけで聞くと、どうやら金融資産等を持って働かないで収入を得て暮らすことの様です。

お金の制約からの解放、自由ですね。

 

2の場合で目指しているのって、1の息子の生活に近いような気がします。

自宅があり、母親がご飯を作ってくれる。

バイトで稼いだお金は自分の小遣い…

息子の場合は責任を負うはこれからですが、なるべく若いうちから責任なく生きたいという思考。

 

では、もう一人の友人の例を考えます。

大学の部活時代からずっと仲の良いI君。

複数の会社を渡り歩き、今はアメリカの会社に(少し前に書いた面接最強のY君とは別の友人)。

誰にも負けずにバリバリ仕事をする!

という雰囲気は持っていないI君。

その生き方の秘訣を本人に聞くと

「鈴鹿、長い物には巻かれろだよ」

と。

あと、

「No2が心地よい」

とも。

まじめで、とても気持ちの良い男です。

仕事の話はあまりしないのですが、

少し前のナスダックの暴落時にその対象銘柄として、

聞いたことのある会社名が報道されていました。

それが今のI君の勤務先。

日本ではほとんど知られていませんでしたが、時価総額的にはとんでもなく大きい会社でした。

そんなI君と遊んだ際に、そろそろ社長か?

と話を振ったところ

珍しくまじめな顔で

「鈴鹿、そうなんだよ、内示を受けた」

と。

おそらく日本の企業ではあり得ないような報酬を得られると思いますが、笑顔は無し。

その多岐にわたる仕事の範囲と、責任の重さに押しつぶされないように

じっと耐えていたのかもしれません。

 

「責任の行きつく先に有るのは自由ではなく、不自由」

話の続きは、先週とは逆の話になってしまいました。

 

でもそれで合っているんです。

行きついた先にある、好むと好まざるとに関わらず背負う事になる責任=不自由。

それは、今の人間社会そのものを支える立場になったと言う事です。

別の言い方をすれば

「腹をくくる」

という状態でしょう。

逃げる場所はありません。

腹をくくるの反対は、

「しらける」

若くして、責任から逃れたい人から感じる雰囲気です。

一緒に居ても全然面白くないことが多いです。

 

逆に:

山頂からは360℃の景色が味わえる半面、全方位から風を受ける。

それに立ち向かう人生。

格好良いです。

 

写真ですが、先週の起雲閣内部です:

Photo_20241017130001

太宰と三島。多くの、ゆかりのある有名作家が同じようにパネルになっていましたが、

この二人の並び。

中学高校と太宰を読みふけり、その後三島も。

いつしか、ふと思ったんです

「この二人似ている」

と。

その後いろいろな書に接すると、太宰を嫌っていたと言われていた三島さん自身が

「俺は太宰に似ている」

と認めたと知り、びっくりしました。

亡くなり方も両極端なように見えて、同じようでもある。

それをはっきり実感したのが、一度読んで忘れていた

「命売ります」

という三島さんの本を先日再読したとき。

読みながら薄々感じていたのですが、それを書いた年を見てそれを確信。

一般的には、豊饒の海が最後の作品と言われていますが、この本はほぼ同時期に書かれていました。

読みやすい平文で書かれ、週刊プレイボーイに連載されていたそうです。

死に至る自分の心情の吐露。

まさに遺書としか読めませんでした。

最近そんな経験をして、熱海でこのパネルの並び。

人生には必然しかないと実感しました。

今日も読んでくださりありがとうございました。

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