心と体

2020年8月 3日 (月)

アパレル(服)は魂の表現手段

おはようございます。

前回はアパレルの話を書きましたが、もう少し考えてみます。

 

先週、お客様のとの打ち合わせで都心部に行きましたが、公共交通機関で出会う人が

ほぼ全員がマスク着用しているのは本当に日本らしい光景だと思います。

しかし、気温は30℃位でしたが、スーツ、ネクタイ着用はおそらく自分だけ。

特にネクタイは絶滅危惧なのを実感します。

我慢してきているわけではなく、好きだから着ているのですが

周りから見るとちょっと異様に見えるのかもしれません。

大切な打ち合わせがあるときには、この方が身が引き締まりますし

不思議と汗もかきません。

商社営業時代からの「職業病」かもしれません。

 

最近は服装からその方の職業を見極めるのがとても難しいと感じます。

公共機関や銀行でも「クールビズ」推奨ですから仕方ないですね。

服装は軽く、体に負担が無いようにして環境にも配慮?が流れですから。

 

ここで今週の表題「服は魂の表現手段」について考えます。

例えば「抜刀」という武道について考察してみますと

刀を「型」に沿って動かす。

実際に見た方は気づかれると思いますが、達人の「演武」には誰もが引き込まれる力があります。

ではその求心力は何なのか?

刀の動きだけであれば、現代日本の最先端ロボットが完璧に再現できます。

刃の向き、振り下ろすスピード、納刀する際の微妙な動き...

その動きは人を「感心」させることはできると思いますが、

「感動」させて涙を誘う事は無いように感じます。

何がロボットでは再現できないか:

演武は入場する時から始まっていますので、その足取り・表情・そして刀に対する感謝の念...

そして何よりその道着の着こなし。

特に袴の上にギュッと締める帯、臍下丹田にこめた力を逃がさぬように。

更にそのきつく締めた帯に隙間を作り、魂の存在である「刀」の鞘を納めます。

もしすべてが完璧でも、服装がジャージと鞘を固定するゴムバンドであれば...

気が抜けてしまい、もはや抜刀は成立しません。

服装を整え、臍下丹田にためた力(魂)を刀を通じて自由自在に外に表現出来るようになるのです。

 

スーツと道着の比較、違っているように見えて似ているように感じます。

これはいつも書いている

「体」が主なのか、「魂」が主なのかにも通じる話だと思います。

例えば女性のおしゃれは、本当に世の中を明るくします。

それはおしゃれをしている女性の楽しい気分が、世界に発散されているからではないでしょうか。

男も自分の立場なりの服を着て、秘めた魂を外に発散する。

それは決して「威圧」ではなく、服によって良い思いが増幅されているという状態で。

 

男女ともに良き魂の発露は、真の自由の表現をしていると言い換えられると思います。

上で考える様に「自由」とは体が楽になる事ではなく、

それを超えて発展しようとする魂の自由自在な動きであり、

精神的なものだとも言えるのかもしれません。

それを人は「文化」と呼んでいます。

文化とは苦しい側面があるから、輝きを放つのですね。

現代は何か冷めた感じが漂っていると感じますが、更にコロナにより蓋をされてしまいました。

騒動が収まったら、おしゃれをして外出して、楽しい気をふりまきましょう!

 

写真も先週に続き:

2020_20200802153201

やっと梅雨明けした週末。

三年生最後の試合が終わりました。(息子は二年生)

この日は勝って市内三位。

コロナの影響があり、違う意味で苦しい年となってしまいましたが

その分輝きを放つような生き方をしてくれると思います。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2020年2月10日 (月)

祈り

おはようございます。

中国発の肺炎蔓延、経済的なダメージもじわじわと出てきているように感じます。

クルーズ船の混乱は、船の旅が好き(伊豆七島ですが)なので想像できます。

船は揺れることを踏まえて、手すりが部屋を出てから例えばレストランまでずっと続きます。

年配者であれば、揺れが無くてもそれに頼るのは自然な事ですからあっという間に広がってしまいます。

 

ダメージについて、当事者の具体的な話をお聞きしました:

先週は中部地方の機械メーカー社長と久しぶりに会食。

社長がおっしゃるには、完成した複雑な機械を中国の客先に輸出するのには出荷前研修が必要。

しかし客先の中国人は出国できずに、研修を出来る見通しが立たないと。

研修をしなければ出荷できず、検収も上がらない(入金されない)と

頭を抱えていました。

同じような状況はこれからますます増えていきそうです。

実態が分からない中、出来ることは今日の題に書いた

「祈り」

しかないような気もしてきます。

 

今日は「祈り」を会社内の役割として切り取ります:

会社内の役職表記は、各社それぞれで分かりにくいことも多いです。

特にカタカナやローマ字表記はわからないですよね。

でも本質は一緒で、役職が上がれば上がる程

「祈る」

事が大切になります。

学校を卒業して新入社員として入った場合、まず「祈り」などないです。

日々仕事に必要とされる知識の習得に努め、先輩の指導に従う日々。

それを繰り返すうちに、なんとなく「型」のようなものが身につき、

新規の顧客対応や開発担当をできるようになる。

ほとんどの場合最初は上手く行きませんが、失敗を繰り返すことにより「様」になってきます。

すると成果を出せるようになり、自信がついて評定や態度にも余裕が出てきます。

しばらくすると逆に担当する新人がつくようになり、仕事のやり方を教えるようになるでしょう。

さて、ここまではほとんど「祈り」の要素がありません。

必要になるのはその先です。

カタカタ言葉では

プレーヤーからマネージャーへ。

日本語では何ていうのか…

担当者から管理者へでしょうか。

一般的に、マネージャー(課長)になると自分の担当する、守るべき組織ができます。

マネージャー(課長)とはその組織を自分の体として思い、動いてもらうことにより成果を上げます。

マネージャーになっても

「自分でやった方が早いから」

と、営業に行ったり設計したりしてしまえば、部下が育ちませんし、

責任者としての自分の仕事=目配りがおろそかになってしまいます。

出来る限りの指導をしていったん動き出した後は、片眼をつむって良いところだけを見る。

その時に必要になるのが「祈り」です。

祈るしかないのです。

この転換が「言うは易き行うは難し」でなかなかうまくいかないです。

 

企業における事業承継が、税制面はもちろん人材面でも大きな問題になっていますが、

人材面の評価基準がとても重要です。

それは経営学ではなく、やはり祈りの力ではないでしょうか。

代々経営を引き継いでいる、もしくはこれからも経営を継続反映させる会社の創業社長と、

社員幹部、役員、社員出身社長、二代目社長…に差があるとすれば、

それは表面的な能力差ではなくこの差かもしれません。

創業者は、祈ることがルーチンワークになっています。

それは上にあげたマネージャー(課長)のレベルとは全く異なる全人格をかけた「祈り」です。

気づいたら周りに誰もいない恐怖に打ち勝って、決断し続ける。

机上の知識も参考程度には役立ちますが、最後に必要なのは人間としての力です。

 

身近なところでこの「祈り」を圧倒的に体現しているのが、子に対する母の祈りです。

母はいつでも子が安全に育つことを思うのはもちろん、

時には命すら投げ出す覚悟ができていますから。

どんなに立派な社長でもそれには敵わないかもしれません。

男は大きな責任を負い、長年かかってやっとその境地に到達する。

そう考えると、どんな状況になろうと挫折しないで頑張らなければいけませんね!

 

先週は今年初めて、氷点下の朝でした。

メダカたちの住み家もこの通り:

2020_20200207091301

氷の厚さは、人が乗っても割れないほどに。

でも同時に春の息吹も:

2020-1

張り詰めた氷と、花のほころびの対比。

祈りを超越した、自然の摂理に圧倒されます。

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

2020年2月 3日 (月)

おべっかをつかいましょう

おはようございます。

新年から世界中でいろいろな驚くような事件や事故が多発しています。

国際紛争や、世界的な病気の流行。有名人の事件や事故。

もう去年起きた事柄が昔に感じるほどです。

この様な情報洪水の中では、その情報をどう処理するかという能力が試されます。

無防備に受け取っていれば、おそらく自己を失いさまよってしまうと思います。

報道に接しながら、

学校では教えないかもしれないほんとに大切な知性や能力とは何だろうと考えました。

それが今週の題にある「おべっか」です。

 

おべっかとは他者を認め、褒めることです。

悪い意味では、自己利益のために他者に媚を売ったり、へりくだったりというのがありますが

それは一度外に置いて考えてください。

もちろんおべっかは「ウソ」ではあってはいけません。むしろ本音で。

 

おべっかを使うとは、他者を心地良くしようとする配慮です。

そのためには全身で相手を観察しなければいけません。

もちろんその前提として興味を持って。

また思いついたことを言うには、すばやい決断と行動力も必要です。

効果的におべっかをつかう為には、相手の趣味嗜好や行動パターンも知っていなければいけません。

例えば:

お酒を飲んで騒ぐのが好きな人におべっかを使うには、自分もそのパターンにはまるのが早道です。

逆に「お酒は嫌いです」「騒がないでください」

と言ってしまえば、もう話の糸口すらありません。

他者と円滑な関係を築くのは、自分の力を認めてもらう入口です。

 

先ほど一度外においてもらった「媚を売る、へりくだる」を考えます。

こう考えると、その考えが変わるのではないでしょうか:

「おべっかは家族間でこそ必要」

自分の立場とすれば、妻に対しておべっかを言う。

子供達に対しても、その姿を認め家にいることを気分良いと感じさせる。

まず円滑な家族関係が無いと、教育の根本が成立しませんから。

もちろん、いろいろな嫌な事をばねにして成長するという事もあると思いますが、

それはギャンブルではないでしょうか。

どちらの場合でも親に必要なのは、

子供を自立させ世の中の役に立つ人間に育てるという、責任に対する深い自覚です。

 

責任と言う意味では、仕事を通じて合う相手にもそれはあります。

責任を果たすために相手との関係をよく保とうとする。

だから「おべっか」をつかう。家族間と一緒です。

家族も会社も刻々と自分の立場は変わって行きます。

家族であれば、恋人が妻になり、妻が母になり、子供が成人し、自分がおじいちゃんになり…

会社でいえば新入社員が、主任、課長…とプレーヤーからマネージャーに変わって行きます。

立場が変わるという事はその役割も変わっていくのです。

 

自分の社会的な役割に気づき、それを限られた時間=体の命を使って果たしきる。

それが出来ることが人生の納得感(満足感)につながります。

長生きした方が可能性が増えますが、それは目標ではありません。

長生きではなく、「生き切る」ために知力と想像力を総動員して

「おべっか」をつかう事が大切です。

 

そして、もし役割を見失ってしまった時にもまた

「おべっか」をつかってみましょう。

きっと新しい道が見えてくると思います。

気づきを得られた人の可能性は無限大です、蓋を外して行きましょう!

 

写真は、知性と配慮の具現化:

まずはブリスター(薬のパッケージ):

Photo_20200131093302

プラスチックの部分が、適応する臓器の形になっていて間違いを防げます。

字の説明だけだと、どうしても小さくなってしまいますので

触って確認できるのはありがたいです。

もう一つの写真:

Photo_20200131093301

洋服の展示。

着る人を心地良くさせる素材、かわいいデザイン、女性をきれいに見せるカット…

知性と配慮の塊です。

好みの服を見つけて、その日を気分良く過ごす。

女性のおしゃれは、その周りの雰囲気も変える力があります。

もうすぐ春になりますね!女性が楽しく服を選んでいる姿は幸せの象徴だと思います。

今日も読んで下さりありがとうございます。

2020年1月13日 (月)

立っていれば座りたい

おはようございます。

今日は成人式です。昨日は近所でも晴れ着を着ている女性が写真を撮っていました。

小さな時から見ているので、もう成人式なのかと驚かされます。

先週は正月明けで、まだ仕事態勢に切り替わっていない方も多いのではないでしょうか。

しょうがないです、長い休みの後ですから。

皆そうだと思えば、気分も楽になります。

決して「正月病」などと名前をつけて、自分を病気にしないでくださいね。

 

さて今週の題

「立っていれば座りたい」には続きがあります。

状況としては、電車の中や疲れて帰った自宅、立ち飲みで酔っぱらってしまった後…

どんな状況でも良いです。

続きは:

「座っていれば横になりたい」

「横になれば眠りたい」

きっと多くの人がそう感じる事と思います。

そう考えていると、

「立つ」

というのはとても崇高な行為だと気づかされます。

人を立ち上がらせるものは何でしょうか。

「寝たままでは食べられないので、仕方なく立ち上がって食事をする」

「現代の日本では、食事をするにはお金が必要なので仕事に行く」

これは自分の体を維持するための行動ですから、人間以外の動物でも行っている事です。

一般的に動物は他者の為には動きませんから、今回使っている

「立つ」

とは意味が違うという前提で。

 

ここをちょっと補足します。

人間は他の動物に比べてその生活様式がとても多様で、

人間の生活=「これ」と定義する事が出来ないと感じます。

生活する場所も、ビルに囲まれたところの人も居れば、大自然の中で自給自足の方も。

使っている言葉も様々で、同じ人間同士でも全く通じなかったりもします。

また同じような生活様式をとっている仲間の中でも、

「個性的」

と評されるような人が出てきます。

動物や虫の世界に個性はあるのでしょうか?

例えば、アリさん。

よーく見ていると、他と違う面白い動きをしている固体があるでしょうか?

無いですよね。

犬や猫、こうなると少し個性が出てくる気がしますが、それすら本能に従っている

「性質」

と言われるものではないでしょうか。

前(去年9/24、11/25)に書いたように、

人の場合、本能に従っていればあっという間に人間らしさから離れて行ってしまいます。

だから、あえて言えば行きたい方向に向かって

「やせ我慢」

している人。

その度合いを「個性」と呼んでいるのだと思います。

だから多くの、勝手な事をする子供(自分がそうでした…)は個性的ではなく、

良し悪しはともかく「子供らしい」とひとくくりに語られるのだと思います。

 

話を戻して

「立つ」

という事ですが、これは「意思」であり「魂」の働きがそうさせているのです。

「責任感」とも言えます。

それを高め続けることのみが、人を人らしく輝かせる方法です。

でも年初に、

「今年は~を絶対するぞー」

とか決めても、もうすでに挫折している方も多いのではないでしょうか。

それはルーチン化していないからです。

試合前数時間ストレッチをしていたと言われるイチロー選手も、きっと朝起きてすぐに

「今日も野球で頑張るぞ!」

とは思えなかったのではないでしょうか。

だからこそ、まず人より早く球場に行くという簡単なルーチンから始め、

球場に着いたらストレッチ、そして徐々に試合に入る体を自らの意志で作っていったのではないでしょうか。

もし本能や才能だけで試合に臨んでいたら、他の野球選手同様30歳くらいで引退していたことでしょう。

身近で出来るのは、まず早起き、顔を洗って、健康的な朝食をとる。

起きること自体が難しければ、布団の中でストレッチをする。

そして寒くても暑くても、雨が降っていても、一歩外に出ると決める。

その後は各自の仕事の内容に合わせたルーチンを作って、どんな時も続ける。

0→1は大変な力が必要ですが、1→2は簡単に実行できることが多いですから。

自分にとってはここに書き続けるというのは、かなり重要なルーチンになっています。

読んで下さる方がいるからです。

感謝です!

 

写真ですが、今年は新年にスキーに行ったこともあり

初詣の代わりに、年末詣に行ってきました。

年末の山王日枝神社はこの通り:

2020

ガラガラ。

車もいつもの混雑した駐車場ではなく、本殿横まで上がってこられました。

静かに長い時間をかけて一年のお礼参り(お祈り)ができますので、毎年のルーチンになりそうです。

静かな場所だと、お地蔵さんのお清めやお祈りと同じく、身近に神様がいらっしゃることに気づかされます。

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

2019年12月27日 (金)

順番を守る大切さ

おはようございます。

令和元年、最後のブログになります。

拙い内容にもかかわらず、一年間お付き合いいただきありがとうございました。

今年最後は、順番を守る大切さについて書きます。

 

身近なところでは、人気店で何かを買ったり食べたりするのに並びますが、

もしその順番を守らなかったらどうなるでしょう?

1人のわがままが輪を乱し、極端な場合

おそらく警察の方にに頼らざるを得ない事件になってしまうでしょう。

少し前までの中国では、声の大きい人が順番を守らないのが日常茶飯事でしたが

最近は少し変わってきました。

 

もっと大きな順番に目をやりますと、宇宙における星の位置があります。

星の位置が収まるべき正しい位置にあるから、我々も平穏な日常生活を送れます。

もし気ままに太陽が地球に近づいてくれば、

地球上の生物はあっという間に焼き尽くされてしまいます。

 

今は何でも「ハラメント」で片付けられてしまいますが、

目の前のやるべきことに、どんな順番を付けて取り組むかは

とても大切な事です。

運が良いと言われている人は、この選択を正確に行っています。

 

先ほどの話を会社組織なぞらえれば、

直属上司からの指示に従うという、身近な優先すべき順序。

でも家族が緊急入院するなど、緊急事態にはそれを断る事も妥当な順位と言えることもあります。

ただし、会社組織としてお客様の正当な依頼を

「忙しいから」「具合が悪いから」

と断っていれば、あっという間に倒産します。

 

会社組織はお金という血液が途絶えれば、死んでしまいますが

人間の血液を作っている素とは何でしょうか?

それは古い言い方かもしれませんが、「義理」「人情」だと思います。

お金よりも圧倒的に大切です。

いつも書いているように、お金は道具にしかすぎませんから。

 

矛盾するようですが、上司の命令より親族の命の危機が優先する事もある。

そのために組織の仲間が協力する。

でも、平常時は上司の業務命令には従う。

これを書くと最近はすぐに

「ブラック」

などと言いますが、上司の命令に従えない社員ばかりの組織はすぐに淘汰されます。

本来、尊敬する上司の命令に従う事は楽しい事なのです。

上司が尊敬できないという人も多いと思いますが、それは自分の未熟さ故の事がとても多いです。

まさに自分がそうでした。そして今でもできているのか…

 

入社前の学生たちが無責任な情報に左右され、頭でっかちになって

身構えてしまっているのは本当にもったいないことです。

辛くても義理を果たし続けると、今まで見えなかったことが見えてきます。

それこそがその人の持っている

「個性」

となっていくのです。

子供たちの個性は、ただの持って生まれた性格。もっと言えばただのわがままにしかすぎません。

それを大人の世界に持ち込んでしまったのが昨今のハラスメント騒ぎだと言えば

言い過ぎでしょうか。

令和二年は東京オリンピックの年になりますが、

会社経営の面からは、すでにそれどころではない良くない雰囲気を感じます。

どんな組織なら勝ち残れるのかを考え続けていますが、

優先すべき事柄を、社会に対する

「ご縁」「義理」「人情」

に定めていくというのが来年に対する決意です。

 

今日は今年最終日で、恒例のもちつきをしました。

20191

最初は社長から。

そして若手:

20192

臼を囲んで輪になって、白くて丸い餅を作り出す。

豊かな時間です!

今日も読んで下さりありがとうございました。

皆様良いお年を、来年もよろしくお願いいたします。

2019年12月 2日 (月)

脳の使い方

おはようございます。

先週のブログで、本能をコントロールすることの大切さを書きましたが、

自分で書いていて説明が足りないなと感じていました。

補足させてください。

 

まず脳の働きですが、

右脳、左脳には役割分担があることが分かっています。

右脳は感情をつかさどり、左脳は言語野計算などの理論を受け持つ。

例えば、社会人が何か難しい資格を取得しようとします。

当然色々な知識を記憶しなければいけなくなりますが、その時には主に左脳に対して

「記憶しなさい」

と自分(先週の言い方でいえば「志」)が命令しています。

難しいことを記憶するというのは、とてもエネルギーを消耗する作業ですから

本能に従っていてはあり得ないことです。

特に学生と違い、大人が自らの意志で取得する資格には大変なパワーが必要です。

成長した動物はこんな困難に挑みません。

脳も手足と同じように、「自分」が使う道具であると知っている。

これが動物と人間を分けています。

 

右脳では感情をつかさどりますので、芸術的発想や時には怒りの感情もわくかもしれません。

それをどう処理するかを選択できるのが人間です。

突発的に怒りの感情が湧いたとしても

「100を数えればなくなる」

と言いますが、これは脳の機能面から見ても正確という事です。

もしそれ以降も怒りが続いているのであれば、

それは右脳で生じた感情を左脳に移してしまい

自分で怒るという選択を理論的にし続けていると言えます。

逆に右脳優先で生きる人は怒りをためずらいのです。

過去の苦痛を論理的に解析し続けるほど、体の一生は長くないです。

 

仕事中など、緊張を要する時にはどうしても左脳優先になりますが、

自然の中でリラックスしていたり、うとうとと夢心地の時には右脳が活発になり、

普段の自分では考えられないような発想が生まれたりします。

それを無理やりに起こすのが「飲酒」という習慣です。

自分も、飲酒をすると理論的思考が薄くなり、

何だか楽しくなってきていろいろと思いついて人に話をしたくなります。

それで右脳を開放し、バランスをとっているのかもしれません。

逆に左脳優先状態が長く続くと、脳全体のバランスが崩れてしまい大変高いストレス状態に置かれるのは

この話からも分かると思います。

 

武道の稽古は対面してくださる方がいますし、真剣に対峙しないと怪我をしますので

理論的に考えていては対応が間に合いません。

自分が反復稽古したことを、無意識にぶつけられるようにならなければ上達しませんから。

達人になると、無心で技が出るそうです。禅の境地と同じそうで、そこに至ると武道は

「立禅」と称させる状態になります。

座禅に対する立禅です。

なかなかそこには行きつきませんが…

 

現代科学では色々なことが分かってきてるように感じますが、我々の先輩たちは

すでに脳を休ませるという「技術」を身につけていたことが分かります。

科学で他者や物を分析しても、到達できないのが本物の技術です。

現代一般的に言う「科学技術」とは質が違うのです。

対象物を見て観察する

「科学」

その中でも人の魂が生き生き豊かになるものを

「技術」

と定義できるかもしれません。

技術とは科学ではなく、真摯に生きる人の歴史が作り出すものだからです。

 

写真ですが、左脳状態から右脳発散の場に変わったと言える場所です:

Photo_20191128111001

これはオリンピックに対して整備された、東京都にある弓道場です。

写真だと分かりにくいですが、まさに弓道の稽古を行っているところです。

とても気持ちの良い場所ですが、ここはどこかと言うと

夢の島=ごみの埋め立て地です。

縁あって初めて行きましたが、豪華なクルーザーがたくさん係留してあるハーバーや、

ごみの焼却排熱を利用した立派な植物園、プール等各種スポーツ施設に宿泊施設、

そして木陰や空き地もたくさんあり心地よいです。

ごみ処理と言う人の理屈から生み出された場所が、現代では魂の錬磨場になっている。

安価な使用料の大きな駐車場もありますので、機会があればぜひ行ってみてください。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2019年11月25日 (月)

体を養生する

おはようございます。

先週は良い睡眠をとって、老廃物を流す、細胞を再生させる大切さを書きましたが

現代社会で働き盛りの40代には、なかなか分かっていてもできないことだと思います。

ではその悩みはどこから来るのか考えます。

 

自然界の動植物は、基本的に病気になりません。

本能のまま生きています。

例えば自然に生えている、人が「雑草」と呼んでいる草花に薬をまく人はいませんが、

人工的に作ったバラやコメは放って置くとすぐに病気になります。

野生の動物もほとんど病気になりません。

もっとも野生の世界では病気=死を意味する事が多いですが。

反面動物園にいる元野生動物や、人間が作り出した愛玩犬(ペット)はすぐに病気になります。

身近な動物では、飼い放している猫たちは病気になりにくいですし、

本能のままに生きている昆虫や蚊も病気とは遠い存在と言えます。

 

では人間の場合はどうでしょう。

もし本能のままに生きたら…

あっという間に病気になります。

人間は煩悩の塊ですから、甘いものが欲しければ食べ続け、ラーメンが好きだから毎日食べる。

でも運動は辛いからやらない…

そうならない為に、人間には意思があります。

動物にも意思があるように見えますが、それはその種固有の遺伝的動きであり、

それを見た人間が勝手に感情移入しているだけです。

例えば毛づくろいをするサル、温泉に入って気持ちよさそうにするサル、

日向ぼっこして気持ちよさそうにしているサル、威厳あるボスサルの姿…

人間に近いと言われるサルですら、その行動は全て本能に基づくものです。

 

人間が人間らしく生きるためには、その意思で体をどう使い切るかと言う「志」を定める必要があります。

日本では、かつてはその教育を、武士道教育、寺子屋教育、各家庭内での教えなどで行っていましたが、

現代社会では極めて難しくなっています。

どう生きてよいのかわからないままに体だけ成長し、老いていきます。

反面、その定めた「志」の下では、体をあえて酷使し、

傷つけ、ときには寿命を削ってしまう事も人間らしく生きるためには必要な時もあります。

与えられた人生を生き切るためです。

生き切った人生は、周りから見れば短命でも本人にとっては本望かもしれません。

現代社会ではなかなか難しいですが…

生き切ることが出来るのは人間だけで、動物は本能に従い寿命を迎えるだけです。

 

本能に従ってはいけない、その上で自分で志を定める。

でも志に従うと、体を傷つけてしまう事もある。

人間の成長はその相克(矛盾)の連続です。

例えば悪いストレス等で体調を崩し、また不摂生がたたり風邪をこじらせてしまう。

繰り返しになりますが、野生の動物には無い状態です。

医者に行き薬をもらったりしますが、それは症状を抑えるだけで解決にはなりません。

唯一の解決方法は、自己治癒です。

自己治癒するためには、その悪いストレスや不摂生の元を見据え、それを克服するしかありません。

それが人間の成長ですから。

(人類の進化の証、救急救命は別です。普段と違う異変には迷わず頼り、救急車を呼んでください)

不摂生であれば、健康的な生活に変える。

ストレスがあるのであれば、自分を成長させてそれを乗り越える。もしくは思い切って逃げてしまう。

逃げるという判断は、決して後ろ向きな事ばかりではありません。

今は乗り越えられないのですから、リセットすればよいのです。

唯一の表現手段である体が衰弱し続けるのに、闘い続けるのは不毛です。

新しチャンスをつかむきっかけと前向きにとらえればよいのです、そしてまた場所を変えて頑張る!

 

そうは言ってもどうしても逃れられない責任を負う事もあります。

40歳台になり会社の責任者的立場を任される。

気分はまだ20歳代と変わらない、遊びもお酒も仕事も限界まで頑張ってしまう。

そこで運よく回復可能な病気になれば、一病息災で注意をしますが、

そのまま突っ走ってしまえば…

周りの人を悲しませる結果になってしまいます。

死ぬ気で頑張るのは時として格好良いですが、死ぬほど頑張ってはいけない。

 

だから常に「養生」するという考えを捨ててはいけないのです。

食べるものに気を付け、まずは体に負担のかからない範囲で運動をする。

それは自分の社会的責任を果たすための、最低限の必要条件です。

養生できないのに、責任者になるというのは全くの無責任とすら言えます。

ちょっときつく書きましたが、それほど人とは一人では何もできず、仲間が大切なのです。

きっとここに来てくださる方も、社会的責任を果たされていると思います。

是非今をきっかけにより養生して、周りの人を悲しませないように気を付けてください。

 

写真は出張で行った山形で撮りました:

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単線の踏切に、場違いな「新幹線が通過します」という看板があります。

ホームに入ってきました:

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単線区間は最高時速は120キロ位で走っています。単線に新幹線、新鮮な光景でした。

そして豪雪地帯らしいこんな装備も:

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網ポケット左側の謎のゴム輪。

調べると傘を保持するためのものだそうです。

雪国では折り畳みではなく、大きな傘が必須ですから。

新幹線や飛行機は、席に座れば目的地まで高速で運んでくれるので楽に感じますが、

実際はあり得ない環境に身を置いているので、ただ座っているだけでも体は疲労を感じていることもあります。

景色を目で追ってしまったりすると更に疲れ、その上普通ではない気圧にもさらされますから。

そろそろ、長距離出張は日程は余裕をもって組まなければいけないなと感じています。

養生の為にも。

 

今日も読んで下さりありがとうございました。

2019年11月18日 (月)

日立洗濯機修理 脱水時に止まってしまう 

おはようございます。

本ブログ、一番読まれているのが洗濯機修理の回なんです。

毎日使っているものが壊れて、困って調べてくると、ここに行きついて下さるのでしょう。

そこで第二回目です。

 

新婚当時の20年以上前に、日立から「塩で白くなる」洗濯機を買いました。

当時最高級で10万円くらいしたでしょうか。(調べたら「白い約束」という名前でした)

精製塩を専用の受け口にどぼどぼと入れると、化学反応によってシャツが白くなる。

理系でも特に化学が好きだったので、妻の無関心を押し切って買った覚えがあります。

最高級機種なので、モーターも静かだったり、いろいろな洗濯モードが有ったりして

最初は楽しかったのですが、慣れると同じモードしか使わない。

そして自慢の機能も、いちいち塩を入れるのが面倒くさいので使わなくなりました。

正直効果もいまいちでしたし。

 

数年するとその高機能洗濯機に、思いもかけないトラブルが出るようになります。

それは

「脱水ができない」

脱水で引っかかると、洗濯が止まってしまうので不便この上ない。

すぐに止まるし脱水が進まないので、全自動なのに二層式より手がかかる。

「高かったんだから我慢して使ってくれ」

と言うのも限界になり、

ついに前のブログに書いた一番シンプルでたくさんの量を一度に洗えるマシンに

買い替えることになりました。

日立のは6~7年使ったでしょうか。

その時は脱水ができないという症状に対する修理方法が思いつかず、

自分で直そうとは思いませんでした。

 

ところが電気屋さんが据え付けに来てくれて衝撃の事実が。

「これ配管が詰まっていますね」

塩を使うせいで?配管が詰まりやすかったのでしょうか。

詰まりをとればまだまだ使えたと思いますが、

すでに新品を持ってきているので返品するのも申し訳なく

そのまま超高性能の塩漂白マシンは持って帰っていただきました。

あの後も働いてくれていると嬉しなぁ…

洗濯機の脱水機能は、配管のねじれや詰まりに注意と深く学びました。

 

この話ここで終わっては、本ブログを読んで下さっている方には物足りないですよね。

この事例、日々の仕事にも当てはまると思い書きました。

「老廃物を出さないと、いくらきれいな水でも入らない」

仕事でいえば、煮詰まった仕事やトラブルになった仕事は、なるべく早く解決して

流していかないと、新しい良い仕事が手につかない。

もしくはチャンスに気づかずに見逃してしまう。

人間の体でいえば、悪いストレスをためすぎると良い経験をしていても楽しくないばかりか、

何だかイライラしてしまう。

特に、大切な家族に対してイライラしている方が身近に居れば、

それはきっと悪いストレスと戦っている証拠です。

そっと寄り添ってあげることも大切です。

そして老廃物をどうすれば排出することが出来るのかを一緒に考える。

苦労しているという事を理解してあげることで、老廃物で汚れた心が白くなっていきます。

それは、きっと「塩」より効果が有ります。

 

悪いストレスを流すことで、数年で壊れてしまうことを防いで

もう修理できないという寿命まで使い切る。洗濯機でいえば15~20年くらいでしょうか。

体でいえば80年~健康であればそれ以上まで。

そこまで使い切ると、何とも言えない味が出てくると思います。

それを思い返させてくれるのが、今の季節のこの写真:

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紅葉です。

若芽を吹いて緑の新緑に。

その時点では葉っぱ本来の色は見えず、赤や黄色が隠れています。

葉っぱの命を使い切る事により、初めて隠れていたその色が鮮やかに輝きだす。

光合成と言う仕事をやり切り、もうすぐ一生が終わる頃に、その樹木の持っていた本当の姿が見える。

人間も一緒だと思います。

自分がどんな色を持っているのかなんて、若いころには仕事が忙しくて考えもしません。

仕事がやっと終わり、そのストレスから解放されてやりたいことに専念する。

すると仕事仲間とはまた違う様子の人々や子供達が集り、のんびり釣り糸を垂れながら

自分の人生を語って良き指導をできるようになる。

色々な経験が浄化されて、良き思い出になるからです。

だから葉っぱでいえば緑の濃い、働き盛りで木から離れてしまってはいけないのです。

木も困るし、秋の賑わいもさみしくなってしまいます。

皆様、その時を気分良く迎えるためにも、悪いストレスのため過ぎには十分注意してください。

 

では悪いストレスと、そうではないストレスをどう見極めるか?

それは男でいえば、

「ひげが伸びる睡眠をとれるか」

に尽きると思います。

ひげが伸びるとは、体がきちんと新陳代謝できているかという事です。

体は三年前の体(細胞)は全く残っていません。

分かりやすいのは「爪」

爪は伸びれば切るので、数か月で見える範囲は入れ替わるのではないでしょうか。

ストレスが有ったり、酒を飲みすぎて布団に入ると

普段はかかないいびきが大きくなったり、トイレが近くなったりして

全く睡眠がとれていません。泥酔で布団に入るなど、ほぼ気を失っているのと同意です。

酒飲みの男なら皆経験すると思いますが、二日酔いの朝は髭剃りがすぐ終わります。

体がお酒の消化に一生懸命で、全く休んでいない証拠です。

そうすると古い細胞が再生されずに、どんどん劣化していってしまいます。

良き眠りが得られていない状況が長く続く、それは体が危険な状況にある証拠です。

逆に短い時間でも全く時間を忘れ、泥の様に眠ることが出来ればそれは問題ないのです。

人の体はそれぞれですから。

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

 

2015年11月 2日 (月)

経営者の責任

おはようございます。

 

今朝は冷たい雨で、季節が急に進んだ感じです。

 

今週は、東京でも本格的に冬支度が始まりそうです。

 

先週は、ある大手企業(製造業)で働いていた方から勉強させていただきました。

 

その方は財務担当として、歴代社長を支えられましたがその会社は昨今苦境が伝えられています。

 

そこに至る過程をご自分の意見で語ってくださり迫力がありました。

 

得られた学びは「会社は社長次第」

 

中小企業はオーナー企業が多く、個人の責任で資金を集め(銀行から借りて)、方針を決め、

 

事業を運営していきます。

 

実際大手上場企業でも、好業績を上げている会社はオーナー経営を実践している

 

ところが多いです。

 

どんなに大きな会社でも、社長が「上がり」の役職になる傾向があればもろいのかもしれません。

 

もちろん組織運営上の「権力」は握るのですが、自分で集めた金で運営するという

 

我々中小企業では当然の「責任」「恐怖心」が伴わないという状況が...

 

もちろん、上場していれば「株主に対する責任」が発生しますが、

 

それは限られた「任期」の中での話であり、少し方向が違うような気がします。

 

そしてモノづくり企業のトップとして、時代に合った技術を見極め、方針を決め、

 

現場を大切にする。

 

そして分かりやすい言葉でそれを従業員に伝えて徹底する(社是として)。

 

普通に生きていれば、誰かがルールを決め、それは世の中や組織をよくする為のモノだと

 

無意識に信じ、したがって行動していることが多いです。

 

しかし経営者はそれを疑い、学び、自分を律し、自分を超え、

 

本質が何かをつかんで決断・実行していかなければなりません。

 

これは何も経営者に限った事ではなく、すべての人に必要な「学び」だと思います。

 

一見安定しているように見える状態でも、組織を構成している人がばらばらの方向

 

を向いていれば、あっという間に壊れてしまう事を学べました。感謝です。

 

写真は秋葉原のあたらしいオフィスビルで見つけた、動物園です:

 

Photo

外見の未来感とのギャップが最高です。

 

見る人のその日の状況により、ワニの表情も変わって見えるかもしれません。

 

会社に行くのが楽しくなりそうです。

 

今週も読んでくださりありがとうございました。