生きるという事

2024年11月 3日 (日)

組織における教育ついて

おはようございます。

先週は教育のすばらしさについて考えましたが、

企業という資本主義における組織活動体のなかで、

それをどうやって実現するかはとても難しい問題です。

 

例えば、高度成長しているときの日本を代表するような大企業…

よく昔のコントなどでも見られる様に、

「上司に絶対服従」

「三次会は上司の自宅で、奥様のお酌で一杯」

が、それほど異常とも思わない環境だったような気がします。

 

なぜそうなるか?

企業自体が成長している、ベビーブーマ世代が主力社員で人はたくさんいる。

鉄鋼をはじめとする日本の製品は、世界最高の品質と価格競争力を持っている。

その時に、最も重視されてしまったであろうことが

「好き嫌い」

特に言葉の上での齟齬。

命令違反や口答えがあれば、すぐに違う部所に飛ばされてしまったでしょう。

 

今も当時も、中小企業にはそんな人的な余裕はありませんし、

移動させるような部所はありませんが、

日本を代表するような大きな企業では、大体そんな雰囲気があった気がします。

 

高度成長という事態が、いかに特殊だったか考える必要があります。

 

翻って景気減速の今、

あるのは、部所ごと消えてしまう=リストラになってしまっています。

大きな会社でも、会社ごと無くなる事にも驚かない世相です。

 

そんな中で人の教育をどうやって行っていくのか?

これは本当に難しい問題です。

 

指導される側というより、まず指導する側の心構えが出来ないといけません。

主任を指導する課長、

課長を指導する部長、

部長を指導する役員…

役員を指導する社長!

結局社長の考えが、その企業のすべてを決めてしまうと言っても過言ではないです。

 

経済的成長が難しくなり、大手と言えども安泰などない社会。

任期が区切られているとすれば、

社長と言えどもすべての事に全身全霊を傾ける事は現実的にできないでしょう。

 

では何を重視すればよいのか?

それは何処まで行っても

「現場」

だと思います。

製造であれば工場。

販売であれば店舗。

商社であればお客様に関するすべて。

現場や物の価値があってこその金融(ファイナンス)です。

 

現場を忘れ、好き嫌いで人事をすれば人はすぐにいなくなってしまいます。

忍耐です。

人の力が弱くなっているのを感じます。

教育する方、される方、両方が考えながら取り組まない課題です。

 

写真は、そんな課題にヒントをもらったある日の午後:

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メインバンク様主催の学校見学(産学連携交流会)

日大理工学部、船橋キャンパスでの一コマです。

学生の中に、スーツを着た軍団。

異様ですよね(自分も含め)。

施設見学をしたのですが、素晴らしかったです。

前職で、関東の新品の設備を買える理工学部にはほとんど行きましたが、

東大/東工大レベルの設備と感じました。

シリコンウエハーに回路を形成でき、それに対応した各種検査機器。

風洞実験では車メーカーにしかないような大型のものがあり、

土木工学面では数十メートルある構造物を検査できるような設備と建屋!

機械工学では各種汎用機器、NC機器、そして鋳造、溶接。

丁度学生が実習をしていましたが、まさに町工場の雰囲気。

それを学術的に、理論の裏付けとともに学習していました。

大切な学びの場です。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2024年10月27日 (日)

自由の解釈

おはようございます。

先週、先々週と、

「自由」

「権利」

について考えてみました。

 

2回にわたり、定義を正確にせずに使っていた言葉があります。

それは

「自由」

だから、最初と二回目でその定義が正反対になってしまいました。

どうとも取れるという事です。

考える人によって幅がとても広くなる言葉だからです。

では、ここで再定義します。

 

自由は、魂の解放であり、とても楽しい状態である。

 

でもこの考察も難しいと理解します。

繰り返しになりますが、現代自由主義経済社会においては

まずある程度の金銭的な自由がないと、何も考えられなくなってしまう危険性が高いからです。

どの様な環境で育ち、生きているかは、とても大きな違いを生みますが、

ここでは、この条件はクリアしているという前提で話を続けさせてください。

 

「自由」で一番楽しい事。

それを一番実感できるのは、人が自分を尋ねて来てくれることだと思います。

この場合の

「人」

とは、

「去った後の後味が良い人」

です。

また会いたいなという、豊かな雰囲気を作ってくれる人。

 

これは簡単なようで難しいです。

わがままばかり言って、自分優先、他者批判が旺盛な人にはだれも近づきませんし、

お金だけでつながっている人だとしたら、集まってくる人もその目的は

「お金」

でしかないでしょう。

 

ではどのような生き方をすれば、この様な機会に恵まれるでしょう。

それは

「人を育てた人」

だと思います。

「恩師」

が最も近い存在。

友人同士でも、良い刺激を受け合っていれば同じような存在になれるでしょう。

 

ここではっきり分かります。

体の限られた時間を使ってする、もっとも大切な行為(仕事)は

大切な仲間(友人)と力を合わせて、続く世代の教育、育成をする事だと。

そのためには、自分が最後の一瞬まで学び、成長し続ける必要があります。

いつ訪れるかわからない

「その時」

まで。

 

そうは言っても、ある程度の年齢に達すれば体の機能的な限界が来ます。

100歳を超えて元気に指導をすることは難しいですから。

そんな時に使われた言葉が

「ご隠居」

のような気がしています。

現役時代に多くの人に良い影響与えた人だけがつけるポジションのような気がします。

現代ではほとんど聞かなくなってしまいました…

豊かなご隠居になれるよう、頑張ります!

 

写真ですが、通勤途中の風景:

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コスモスかな?と思って妻に聞いたところ

「キバナコスモス」

と言うそうです。

花を見て心和むように、自然体で生きることが大切だと実感します。

今は通勤途中での風景でも不自然が多く、

スマホを持たず、まっすぐ歩いている人を見かけるだけで美しいと感じてしまいます…

今日も読んでくださりありがとうございました。

2024年10月13日 (日)

責任の先にあるもの 先週の続き

おはようございます。

先週は

「果たした責任に応じた自由がある」

と書きましたが、じつはそこには先があります。

 

まず、「自由(で楽しい)」という状態を2つの例から考えてみます。

 

1.うちの長男

勉強が得意ではない大学三年生。

電気工学を学んでいて、学校の勉強では苦戦しているようですが

学生ですから当たり前です。

その反面、就職は全く気にしなくてよいようで近い将来については不安はなさそうです。

それ以外の時間は、本当に自由を満喫しています。

ガソリンスタンドでハードにバイトしつつ、稼いだお金は自分のお金。

車を改造したり、友人と遊んだり、デートしたり…

近くで見ていても、良く体がもつなと思う程精力的に動いています。

自由で楽しそうですが、社会的責任を果たすのはこれからでしょう。

 

2.fire

前にも書きましたが、この言葉を知り合いが発した時にはびっくりしました。

「fireしたい」

と。

自分の中では

「fire=くび、解雇」

でしたから。

?マークだらけで聞くと、どうやら金融資産等を持って働かないで収入を得て暮らすことの様です。

お金の制約からの解放、自由ですね。

 

2の場合で目指しているのって、1の息子の生活に近いような気がします。

自宅があり、母親がご飯を作ってくれる。

バイトで稼いだお金は自分の小遣い…

息子の場合は責任を負うはこれからですが、なるべく若いうちから責任なく生きたいという思考。

 

では、もう一人の友人の例を考えます。

大学の部活時代からずっと仲の良いI君。

複数の会社を渡り歩き、今はアメリカの会社に(少し前に書いた面接最強のY君とは別の友人)。

誰にも負けずにバリバリ仕事をする!

という雰囲気は持っていないI君。

その生き方の秘訣を本人に聞くと

「鈴鹿、長い物には巻かれろだよ」

と。

あと、

「No2が心地よい」

とも。

まじめで、とても気持ちの良い男です。

仕事の話はあまりしないのですが、

少し前のナスダックの暴落時にその対象銘柄として、

聞いたことのある会社名が報道されていました。

それが今のI君の勤務先。

日本ではほとんど知られていませんでしたが、時価総額的にはとんでもなく大きい会社でした。

そんなI君と遊んだ際に、そろそろ社長か?

と話を振ったところ

珍しくまじめな顔で

「鈴鹿、そうなんだよ、内示を受けた」

と。

おそらく日本の企業ではあり得ないような報酬を得られると思いますが、笑顔は無し。

その多岐にわたる仕事の範囲と、責任の重さに押しつぶされないように

じっと耐えていたのかもしれません。

 

「責任の行きつく先に有るのは自由ではなく、不自由」

話の続きは、先週とは逆の話になってしまいました。

 

でもそれで合っているんです。

行きついた先にある、好むと好まざるとに関わらず背負う事になる責任=不自由。

それは、今の人間社会そのものを支える立場になったと言う事です。

別の言い方をすれば

「腹をくくる」

という状態でしょう。

逃げる場所はありません。

腹をくくるの反対は、

「しらける」

若くして、責任から逃れたい人から感じる雰囲気です。

一緒に居ても全然面白くないことが多いです。

 

逆に:

山頂からは360℃の景色が味わえる半面、全方位から風を受ける。

それに立ち向かう人生。

格好良いです。

 

写真ですが、先週の起雲閣内部です:

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太宰と三島。多くの、ゆかりのある有名作家が同じようにパネルになっていましたが、

この二人の並び。

中学高校と太宰を読みふけり、その後三島も。

いつしか、ふと思ったんです

「この二人似ている」

と。

その後いろいろな書に接すると、太宰を嫌っていたと言われていた三島さん自身が

「俺は太宰に似ている」

と認めたと知り、びっくりしました。

亡くなり方も両極端なように見えて、同じようでもある。

それをはっきり実感したのが、一度読んで忘れていた

「命売ります」

という三島さんの本を先日再読したとき。

読みながら薄々感じていたのですが、それを書いた年を見てそれを確信。

一般的には、豊饒の海が最後の作品と言われていますが、この本はほぼ同時期に書かれていました。

読みやすい平文で書かれ、週刊プレイボーイに連載されていたそうです。

死に至る自分の心情の吐露。

まさに遺書としか読めませんでした。

最近そんな経験をして、熱海でこのパネルの並び。

人生には必然しかないと実感しました。

今日も読んでくださりありがとうございました。

幸せの定義

おはようございます。

想像はしていましたが、世の中が大激動で訳が分からなくなっています。

これほど大きな戦闘行為(ミサイルの打ち合い)を長期間続けているのは

本当に異常な状態です。

世界的な移民の問題、政治の腐敗、経済的混乱…

自分を見失わないようにするのに精一杯です。

 

今日の題ですが、その答えは

「平穏」

であることはもちろんだと思います。

でもそれは人間だけでなく、すべての動物や植物にとっても一緒です。

栄養をたっぷり取り、清潔な水がある。

豊かな大地に抱かれて眠り、もしくは根を張る…

では人間にとっての幸せとは何なのか、再度考えてみます。

 

悪い意味で人間における現代的な

「幸せ」

「責任回避」

になってしまっている恐怖を感じます。

自分の一生を、世の中のシステムを守るために使い生きる人がいる。

その状態こそが、平和な世の中の礎になるのではないでしょうか。

交通機関をはじめとする社会インフラにおける、

今までは無かったような

「ポカミス」

に起因するような大トラブルが目立つようになってきました。

 

自分がきちんと生きていないのに

「誰か」

にきちんとした仕事を要求するのは虫が良いです。

自分、そして自分の身近にいる人、組織こそが

「社会」

そのものだからです。

 

社員旅行という習慣が無くなってきました。

「個人の自由を尊重する」

と言えばなんとなく納得してしまいそうになりますが、

組織の団結力は間違いなく落ちていき、

その結果、個人に対する尊重や尊敬もなくなって行くでしょう。

自由を尊重したはずなのに、かえって不自由になっていく。

なんだか騙されたような気分になる人もいるでしょう。

 

本当はどれだけ自由があるか=どれだけ責任を果たしているか

が等量でなければならないはずです。

たまたま社会の波に乗り、大金を稼いだ人が自由を謳歌できている。

これは自然でしょうか?

またその状態の自由は楽しいでしょうか?

いま世界で起こっている紛争を見ていると、お金を持っている事の意味が

どんどん変わってきている様に感じます。

世界中から日本に観光客が来ることもその兆候でしょう。

安定した社会が崩れているから、より安心できる場所を求める。

心の安らぎ=平穏を。

 

仕事をきちんとする事は、良い社会を作る基本だと思います。

色々起きますが、頑張っていきます。

 

写真は熱海の観光地です。

熱海は伊豆へのドライブ途中で何度も通ったことがありましたが、

宿泊は初めてでした。

そして移動は新幹線。

あっという間です、新横浜からだと15分くらい!

街の印象は、ごちゃごちゃしていて、坂が多い。

プリンを筆頭に、甘いものを求めて人がたくさん並んでいます。

原宿の竹下通りの様ですね。

写真はそんな界隈から少し離れた起雲閣:

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素晴らしい建築物で、二時間くらいいました。

所有者は三人の経営者に変わって行きましたが、その都度増築されて今の形になったそうです。

和洋折衷でそれぞれに部屋の趣が違い、時間を忘れます。

ちなみにこの庭は、2代目の所有者根津さん(鉄道王)が故郷の山梨、笛吹川を想い

作ったそうです。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2024年10月 6日 (日)

経営者の仕事

おはようございます。

先月は

「営業」

の仕事に対する考え方を書きました。

結果的には、全職種が営業であるべきという事でした。

では

「経営者の仕事=営業」

で良いのでしょうか?

ちょっと違うと感じていますので、今日は考察します。

 

色々な組織において、

「役職者」

という立場の方がいます。

そのポジションにおける責任者です。

責任を負っている=自分には権力がある

これは当たり前の事です。

ただし、

このバランスが取れていればよいのですが、権利意識が大きくなり過ぎると

色々な反発や齟齬が生まれてしまいます。

ここでいう問題のある人の役職が、例えば、

「課長」や「部長」

だったとします。

この場合は、降格させて代わりの人をつけさせることも出来るかもしれません。

 

では経営者(日向のような小規模の会社の場合)はどうなるか?

経営者に権利意識が大きすぎる人がいたとすれば、それは即会社の危機を意味します。

組織内で人が変わると言うより、社会から退場させられます。

その組織の存在意義が問われることになりますから。

 

もちろん大企業でも同じでしょうが、特に日本を代表するような大きな会社の場合

国と一体化している場合も多く、会社の危機=国の危機に直結するため

国が支えて再起を図ることがあったりもします。

その良し悪しの判断は、難しい問題です。

 

そこまで考え、経営者のやるべきことは何かというと

「総力を結集させる事」

だと実感しています。

もちろん、それぞれの経営者が特技を持ち(技術力や営業力)

それをベースに発展的に考えれればより良いと思います。

ただ、個人の力にはどんなに優れていても限界があります。

だからこそ、人の力を結集させる!

 

その能力は、

社内にどんな人がいて、どんな気技術力やコツ、処理能力があり、

対外的に求められている事柄を見極める。

もちろん、製造業においては特に社外で協力してくださる方の存在は

社内の技術同様にとても大切です。

全方位に対する気づきと実行(即断できるポジションですから)。

それを繰り返して、お客様に支持をいただく。

お金の問題は当然クリアしつつ、周りの人を元気づけて良いものを引き出す

これらをまとめて表現すれば、結局

「全方位営業」

という事になります。

繰り返しになりますが、その上で

「総力を結集させる」

その集中力が必須です。

 

経営の難しく、面白いところはここまで書いてきた様に

良いところを引き出し、大きな力に変える事もとても大切ですが

それぞれの弱点を経営者の力でカバーしてあげる事で、組織力を上げられることです。

やり方は、やはり自分が率先してやり、

組織に貢献している人の存在を認めてあげる事でしょう。

日々難しい事が起きますが、頑張っていきます。

 

写真は分かりやすいこれ:

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金沢に行ってきました。

新しく、日向の力になってくださる会社様と打ち合わせ、工場見学。

若き専務が社長と力を合わせ、現場を元気に率いており、若者が多く働く現場は

まさに

「力を結集」

させており

専務本人は、

「自分の机は持たない」

と、

いつも現場で仕事を見守っている。

安心して仕事をお願いできる事を確認できました。

会社に大きな力が加わり、嬉しい思いです。

良い出張でした。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2024年9月29日 (日)

善意前提が崩れた社会とは

おはようございます。

先週は、医療分野におけるAIの初期診療への適応について書きました。

必ず患者さんの目を見て、体に触れて手技で伝統的診療をされている

S先生から大切な話をご指導いただきましたので今日は考察します。

 

S先生は

「初期診断にこそ人間の勘が必要」

「AI化は治療する機会を失してしまう危険性が高い」

と。

ただし

「勘が働かない診療であれば、同じことである」

と。

考察と言いながら、すべての答えはこれらの言葉で出てしまっています。

確かに、自分でも

「初期診療はAIが良いのでは?」

と書いた後に疑問を持ちました。

AIの診断を潜り抜け、先生に診てもらう方法!を検索してたどり着いてしまう人が

出てくるのではないか?と。

そして結局長い待ち時間と医師の疲労…

善意が前提でないと、システム自体が崩壊してしまう危険性があります。

 

S先生は、もっと深いことをおっしゃっています。

「人間性を失ってしまえば機械に負けてしまい、つまらない社会になってしまう」

と。

では人間性とは何か?

それは他者を尊重し、魂の価値に気づく事だと思います。

小さく柔らかく、弱い体を持つ

「人間」

何がその存在を他の動物と分けているかと言えば、それは意思の力です。

意思の力=魂力

小さな体なのに、その意志の力で仲間とともに世界を変えようとしたり、

宇宙に飛び出したり出来てしまいます。

弱い体の弱点を補って…

凄い事です。

 

逆に、自分の小さな体の安楽を最重視して生きるようであれば…

それはS先生のおっしゃる

「つまらん社会」

になってしまうでしょう。

その状態はすでに家畜化された状態だからです。

 

「自分さえよければよい」

弱い一人一人がそう思う事は

「自由だし勝手」

と思いがちですが、それは違います。

混雑した、狭い電車の中で足を組んでいる人がいます。

一人の迷惑さを他者の我慢で補い、平静が保たれていますが

もし座っている人全員が足を組んでしまったらどうなるでしょう?

それと同じことが、歩きスマホ、街中でのイヤホンでも起こっています。

これは社会のほころび=破綻への道の象徴的な出来事です。

善意前提どころか、他者を無視、自分だけの世界を公共の場に広げているのですから。

 

ほころびが進んでしまえば、社会は壊れてしまいます。

防ぐためには厳罰化のトラップが待ち構えた社会が待っています。

会社経営でも、本当は1600年以上前に制定された17条憲法の様に

信義を重んじ、皆で議論をして、各々の責務を果たして良い会社を作る。

その上で経営者は従業員の幸福の最大化を目指す。

だけで良いはずです。

それさえできていれば、あとの事は皆で決めていけばよい。

ところが今は、社会からの要請、社員の問題行動により

どんどん規制が増えてしまっているのが現状です。

社会にあるいろいろな規則、全てを読んで理解するのは難しいのではないでしょうか。

 

今人間社会は大変な問題に直面していると、日々実感しています。

自分に何ができるのか、考え、即実行。

先ほど書いた17条憲法、1600年以上前に制定と書きましたが

それから1200年以上たち制定された五箇条のご誓文(1868年)にもその精神は

生きています。

悪い習慣を捨て、世界から知識を集め、万機公論に決すべし!と。

時代の危機に際し、また気持ちを新たにする時が来ました。

S先生、いつも貴重なご指導をいただきありがとうございます。

 

写真の前に、先週の「イトヨリ」の話をさせてください。

週末妻と買い物に行くと、近所のスーパーに立派なイトヨリが売っていました。

凄い偶然です。

蒸していただきましたが、本当においしい魚でした。

書き、望むと叶う。実感しました。

今日の写真は大好きな建造物、東京青山にあるスパイラルビルです:

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友人との待ち合わせで行きましたが、青山通りに面して席がたくさんあり、本を読めます。

そしてなんといってもこの

「螺旋:スパイラル」

の贅沢さ。行くたびに嬉しくなって、上り下りしてしまいます。

床がじゅうたんになっているのも素敵です。

動画で見るだけではこの建造物のすばらしさは分かりません。

実際に行き五感をフル活動して初めて理解できます。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2024年9月22日 (日)

営業の役割②

おはようございます。

先週は営業の役割について書くのに、初めから脱線して自分の事ばかり書いてしまいました。

先週書きたかったのは、

とても多くの方にご指導いただき、また縁の不思議さに囲まれ人は生きている。

という事でした。

個人というのは、周りの人の期待によって規定される。

規定される=居場所を作れる

当たり前の様ですが、今はそれが忘れられているように感じます。

失敗したら人のせい、成功したら自分の実力…

そんなことはありません。

 

実力の一例として:

これからの激動社会を生き抜くためには、難しい資格を取る!

というのがあると思います。

でも、これは違うんじゃないのか?というのが今日の主題です。

難しい資格、例えば医師免許や弁護士の資格。

確かにとても難しいでしょう、自分には到底不可能です。

でもAIにとってはどうでしょう?

すでにペーパー試験はクリアできることが分かっているようです。

では実務は?

 

医師の場合(例えば風邪っぽいという症状):

自分の生体データ(血圧や熱、脈拍、顔色など)を事前に打ち込んだり撮影し、

AIの自動応答により診察する。

AIが相手なので、対面だと言いにくい事も時間制限を気にせず言えるでしょう。

初期診断はAIがこなした方が効率的ではないでしょうか?

もちろん病気になって気を落としている患者さんを勇気づけたり、

命の最前線である救急救命で活躍するなど、AIでは全く対応できない分野もあります。

あくまでも体調不良の一次診断の場合です。

 

裁判官(司法試験)の場合:

これは前例踏襲の場合が殆どですから、具体的な事象を読み込ませればあっという間に

判決を下せるのではないでしょうか。

 

業務の正確性においては、ペーパーテストが難しい資格ほど、AIがこなしてしまう場面が多そうです。

では、人が必要な分野はどんなところか。

それは、ペーパーテストでは測れない分野です。

例えば、身近な例ではスーパーでレジを打ってくれる人。

素早く仕事をこなしつつ、常連さんの事を覚え、家族構成も把握する。

普段とちょっと違う買い物かごの中を見て(誕生日向けだなとか)、

「おめでとうございます」

とさりげなく笑顔で伝えたりする(ここ大事)。

人に元気を与えますし、並んでもその人にレジを打ってもらいたくなりますよね。

 

これこそが

「営業」

という仕事の役割です。

全ての業種で一緒です。

営業とは自分の真心を相手に売り込む仕事だからです。

その時にあったほうが良いのが資格であり、

資格があるからと言って営業が不要なわけではありません。

「資格」

だけであれば、ここまで書いてきたように、AIは優秀ですから。

すべての職種において、

「営業」

である事が徹底出来ている組織は強いと思います。

お客様からのリアクションが直接あるようにすれば、気持ちも入り仕事に気が入る!

と、個人的には考えますがどうでしょう?

色々な意見があると思います。

 

写真は市場でひとめぼれ:

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「イトヨリ」

美しさに目を奪われました。

後で調べたら、鯛の仲間なのですね。

妻が調理方法が分からなかったので買いませんでしたが、自然のすごさを実感します。

今日も読んでくださりありがとうございます。

2024年9月15日 (日)

営業の役割①

おはようございます。

今日は改めて、会社組織における営業の役割について考えます。

 

まずは自分の経験から:

大学生の頃の自分の事を振り返ると、やりたい職種や仕事というものもなく、

リクルートの雑誌をめくったり、ハガキを書いていたりしていた気がします。

(当時ははがきで企業に接触するのが当たり前で、一人一人に山のように届いていました)

就職氷河期で、理系とはいえ今のように簡単に就職先が決まる状況ではなく

色々な会社で話を聞くうちに、考えがまとまって行ったような気がします。

当初避けていたワードは

「営業」と「商社」

営業は朝夕関係なく働く、異常に大変というイメージ。

商社は当時、商社不要論などという記事が雑誌に多く乗っていた受け売りでしょう。

いずれにせよ深い考えは無かったのは、結局就職したのが

「商社の営業職」

だったことでも明らかです。

 

本当に多くの会社に行った中で、親身になって仕事の話をしてくれたのが

金ぴかの営業会社でした。

都内の一等地にあり、給料もとても良く、話を聞いてみたいとエントリー。

人助けをしているようなイメージで学生を集めていました。

ただ、話を進めるうちにその会社の営業部長さんから驚きの言葉が

「君はこの会社に来てはいけない」

良い感触で話が進んでいたので、衝撃的で今でも覚えています。

「もっといろいろな会社を見るべきだよ」

とも。

その会社は

「商品先物取引」

の会社でした。当時は何の知識ものなく、給料など表面上の数値で判断していたのでしょう。

確かに物価の平準化を図るという意味では、人の役に立っているとも言えますが、

ギャンブル的要素が強く、もし入社していたら世間に対する立ち位置が変わっていたと思います。

この経験により営業職に対する目が開かれました。

 

その後いろいろな会社に行く中で

「専門商社」

という存在を知ります。

理科学系の機器や、半導体製造装置、大学や研究機関で使う大型装置などを売る仕事で、

営業なのに理系が優先的に採用される職種です。

就職活動をするまで、そんな仕事が世の中にあるとは考えても見なかったです。

営業は「気合」でやるものだと考えていたのでしょう、我ながら愚かです…

知ってからは話が早いです

片っ端からその業界の情報を集め、説明会に行きました。

その中で気づいたのが、世の中には

「系列」

という仕組みがあるという事です。

「(最大手の名前)+ハイテク、ハイテック、システム、エンジニアリング」

と表現してあることが殆どです。

その中の一社の役員面接まで行った中でも、衝撃的な話を課長さんにお聞きしました。

「うちはやめた方が良いよ」

「どんなに頑張っても課長とまりで、部長以上はすべて大手親会社から来てしまうんだ」

と2人だけの会議室でこっそり教えてくださいました。

そんなことも影響したのか、役員面接は上手くこなせず不合格に。

その後に選びなおしたのが、独立系の商社。

この頃になると、自分の学科(金属工学科)に直結した就職活動を進めていた

同級生はどんどん就職先を決めており、焦り始めます。

(自分はなぜか金属業界で働くイメージが湧かず、志望しませんでした)

更にその焦りを助長したのが、今でも仲良しのY君。

やっと選定した独立系の商社にY君もエントリーしている!

自分でいうのは変ですが、就職活動において彼に勝てる気がしませんでした。

いつも明るく、自信にあふれ、面接世界最強のような人ですから…

そして結果は、Y君採用。

またやり直しです。

もうバイトの延長でもよいかなと思いつつ、失意のうちにめくっていた雑誌に

結果的にお世話になったH社の募集記事が。

今では上場の大企業になっていて、町にも広告があるH社には信じられませんが、

確かこんな風に書いてありました。

「知られていない会社ですが、こんなすごい事をやっています」

と地味に自虐的?な文章だけの募集記事。

届いたパンフレットを見ても社長が怖そうで…

結果的にはそのT社長に直接いただいた言葉が、いまでも自分を支えてくれているのですから

世の中の出会いとは分からないものです。

書いているうちに長くなってしまいましたので、今日はここまでにして

来週「営業の役割」について話を深めていきます。

書いてから気づいたのですが、ほぼ同じ内容を丁度6年前の今頃に書いていましたが、

今回の方がまとまっていると感じますのでこのまま進めます。

 

写真は、心地よい自然ですがどこでしょう?

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東京ドームのすぐ横です!小石川後楽園。

元徳川家の庭園です。

中学高校の6年間、通学時にいつも使っていた水道橋駅。

そこにこんな自然があることを、最近まで知りませんでした。

滝もあり、茶屋も心地よさそう。

紅葉の時は最高だろうと思います。

知らないことが多いです。

今日も読んでくださりありがとうございました。

2024年9月 8日 (日)

水に流した後の話

おはようございます。

8月末は台風もあり、本当に良く雨が降りました。

会社の近所の道路は、ペットの落とし物や、カラスが散乱されたごみで汚れがちです。

人が密集して暮らしていますから、仕方のない事でもありますよね。

今回の様な大雨は、そんな街の汚点をきれいに流してくれます。

でも、水に流すだけでは

「浄化」

はされません。

ただ、汚点が水に流されて目の前から消えてなくなるだけで

どこかに集積されているだけです。

では、何が浄化してくれているのか?

それは、ずばり

「菌」

の活動によってです。

菌は、放射性の汚染物も分解してしまう程の力を持っています。

人間の体も

口~お尻の穴までを

「筒」

と考えれば、その生態活動を担っているのは、まさに菌の力です。

太い木の根っこも、地表に出して乾かしてしまえば枝と見分けがつかなくなります。

黒っぽく湿って、そこに菌がいるからこそ植物に水分や栄養を送る事が出来ています。

 

この

「水に流す」

人間関係でもよくつかわれる言葉ですが、この場合でも

「菌」

のように目には見えないですが、大切な作用をしている

「もの」

がなければ、

ただ人間関係における汚点を

「押しやる」

だけになってしまいます。

その「もの」は何か?

それは

「思いやり」や「感謝」

です。

別の言い方をすれば

「愛」

があるかどうかでしょう。

人間の活動全てに言える事ですが、これが無いと何も動かない気がしています。

それと比べてしまえば

「お金の力」

は本当に小さいものと実感します。

もちろん現代社会において、お金の力はとても大きいです。

大きすぎて、その力がすべてのように感じてしまうのも仕方がない事だと思います。

「感じてしまう」は=「思い込まされている」

と言った方が実態に近いのかもしれません。

 

自然は厳しいように見えて、本当に合理的にバランスをとって活動をしています。

最強の肉食動物の行動だけを見て

「野蛮」

だと嫌がっても意味のない事です。すべてはバランス。

片やマネー主義の人間が行っている活動は…

人間生活における

「バランスの取れた状態」

を維持する事が、なぜかとても難しい社会になっていると実感します。

身の回りから整えていく。一歩一歩です。

 

写真ですが、自宅と会社でほぼ同時に電話交換しました。

どちらも高性能です!

まず家の電話:

Photo_20240904141601

前は留守電機能/子機の付いたものを使っていましたが、落雷による瞬間的な停電で壊れてしまいました。

色々検討した結果これに。

購入価格は2千円以下!(家財保険を使った場合の証明書発行費用と同じくらいでした)

スマホが普及していますので、留守電はもはや不要。

でも家の電話もまだあったほうが良い。

そんな中で最も必要な機能をこれは備えています。その機能とは:

昔の黒電話の様に停電しても使える!

雷雨の多い現代、最も必要な機能だと思います。

次は会社の電話:

Photo_20240904141801

これは本当に高機能です。

セキュリティセンサーがついていたり、呼び出し音が優しい音だったり、ボタンが良い感触だったり…

前の物より色々なところが

「しっくり」

来ているのですが、何よりの機能が

「迷惑電話の登録機能」

1万件登録できます!

外線の半分くらいは迷惑電話なので、業務効率が相当上がると思います。

前は電話会社とリース契約をしていましたが、取引先様に紹介いただいたところを経由する事により

とても安く更新することが出来ました。

興味のある方は連絡ください。紹介します。

 

今日も読んでくださりありがとうございました。

2024年9月 1日 (日)

73期しめくくり

おはようございます。

日向工業の会計年度は、8月末で73期が終わり、9/2より74期がはじまります。

細かい集計はこれからですが、売り上げは前期比約10%増で来ています。

お客様のご支持があってこその数値であります。

信頼を維持できるように、引き続き会社を運営していきます。

 

製造を取り巻く状況を見ると、今年後半にかけてはいろいろと大きく変わりそうだと感じています。

国内外の政治体制の変化、それに伴う為替、金融の激動。

「マネー経済」

の激動に、実体社会も引っ張られていく。

後継者の不在、業績の低迷による企業の廃業がとても多くなっていることも強く実感しています。

社内の製造力維持はもちろん、社外パートナーとの情報交換、関係維持が本当に大切に

なってきています。

 

と、ここまで現状に対する個人的な見解を書きましたがこれは自分の会社を経営している視点で

もっと大きな枠でくくると、社会の大激動前夜だという事を強く思います。

日本が、明治維新で薩摩長州中心の政治体制になってから約150年。

その体制を維持したまま突入した大戦から約80年。

負けたとはいえ、その後の高度成長により明治維新の総括をすることなく

社会の各所に矛盾を抱えながらも、資本主義の果実を味わいながら

なんとなく進んできてあるのが今の姿。

日本人のほとんどが、学び、反省し、新しく世の中を再生するための働きをしていない。

近代史を学ばず、今自分が立っている場所を認識することは決してできません。

ただ浮遊しているだけになってしまいます。

他者に厳しく、自分に甘く、すぐに結果を求め、成長を待つことが出来ない。

 

と、難しい事を書きましたが、これに対するお手本は、ずっと変わらずにある

「自然」

にあります。

少し前に、気付かされびっくりしたことがありました。

その先生は、自宅玄関を出て目の前、隣の家の壁にいらっしゃいました。

お名前は

「ツクツクボーシ」

ずっと当たり前に聞いていたその「お声」。

何処にいらっしゃるかわからない中の声と違い、今回は目の前のライブです。

聴き入りました。

「ジーッ」

という一拍の溜めから

「オーシツクツク、オーシツクツク」

と徐々にテンポを上げ、極まった所で

「ツクリヨーシ、ツクリヨーシ」(的確に表現できていないです)

と転調してさらに盛り上げ、去り際に再度

「ジーッ」

っと。

その完璧さに圧倒されました。

数年地中で暮らし、1週間程度にその命を燃焼させる。

「ヒグラシ」

も素晴らしい音だと思いますが、ツクツクボーシの様にドラマチックではありません。

セミに学ぶように、自然は焦らずじっくり時間をかけて育ち、

時が来たら一斉にその命を燃焼させる。

自分の生きる場所を知っている、命の意味を心得ているように感じます。

「自然に生きる」

とは、

「マネーの効率至上主義」

で伝統を失った今の人類には本当に難しい考え方になりました。

 

写真は予告させていただいていた、新しい測定器です:

Photo_20240828102801

実際に使った感想を聞くと、両眼で見られる様になり目の疲労度が全然違うそうです。

長い目で見れば、検査データ管理のしやすさと合わせかなりの作業効率向上になります。

物を大切に使うという事が身に付いていますが、今回はそればかりではダメだと再認識しました。

今週も読んでくださりありがとうございました。

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