生きるという事

2021年11月21日 (日)

自分を客観的に見る難しさ 

おはようございます。

最近はずいぶんと気温も下がり、冬が近づいていることを実感します。

幸い日本ではコロナも収まってきており、夜の街の会食制限もなくなってきました。

先週は、同期会、接待、送迎会と3つの大きな宴会が続き、4日目にはぐったりしてしまいました。

急な運動で起こす筋肉痛の様なものでしょうか。

 

この話は、今日の題につながります。

お酒を飲まない人から見れば

「そんなに急に飲んだら、次の日具合が悪くなるよ」

「しかも3日連続なんてどうかしている」

と思うでしょう。

でも、本人(私)は

「年末に宴会が続くのは毎年の事(去年は無かったけど)」

「誘ってもらえるのは嬉しい」

「元気を出せば乗り切れる」

と勘違いしています。酷いものです。

この様に、自分を客観的に見る事はとても難しいです。(あまり良い例ではないですね)

 

違う例では、

剣術において「雷刀(らいとう)」という構えがあります。

刀を頭の上の高いところでまっすぐ構える、隙のない、力が込められている迫力ある構えです。

はじめの頃は、これが何度やってもできません。

まっすぐ構えているつもりでも、指導を頂く先生や先輩からは

「右に曲がっているよ」「左に少し曲がっているよ」

と毎回修正の指示を受けます。

「そんなはずはない、まっすぐに構えている!」

と思うのですが、鏡に映せば一目瞭然。まっすぐに構えられていません。

これは、脳からの指令と筋肉の動きが一致していないために起きます。

最近では注意されることは減りましたが、まだまだずれてしまう事もあります。

常に稽古をし、修正し続けなければすぐに戻ってしまいます。

また皆が経験するのですが、自分の演武を動画で撮ってもらうとそのイメージとの落差に愕然とします。

もっと格好良く、うまく動いているはずなんです、脳内再生では...

その落差を埋めるには、稽古をし続けるしかありません。

無駄な力を抜いて、正確に筋肉を動かす。

自分で気づくしかないと思います。

 

でも自分で気づくというのは、ここまで書いて来た様に本当に難しいです。

そこで指導をしていただくのですが:

何事も、すでに出来ている人に

「どうやるのですか」

と聞けば、何らかの答えをくれると思います。

先ほどの剣術の例でいえば、自分の感覚だけを教えてくれるのであれば

「まっすぐ、スッとあげて、スッとおろせばよいよ」

としか言いようがないでしょう。

初心者の時苦労した経験から話してくれるのであれば

「鏡を見て、家で毎日構える練習をしなさい。力を抜いて次の動作に備える様に」

などと丁寧に指導してくださるかもしれません。

でもそれですら、その人のつかんだ感覚ですから自分に合うかは分かりません。

 

もっと身近な例でいえば、歩く姿勢が格好良い先輩がいるとします。

(モデルとかではなく、会社の上司とかで)

その方に、

「歩き方が格好良いですね、どうやって歩いているのか教えてください」

と聞けば、混乱させてしまうでしょう。

まさか、

「右足を出すと同時に、おもむろに左手を後ろに引いて、着地はかかとから」

「着地時にかかとにはあまり力を籠めず、スムースにその力をつま先から地面に開放する」

などと言うはずもありません。

あえて正確に表現するのであれば

「健康な体=しなやかな関節と力強い筋肉」

そして

「まっすぐ歩こうとする、生き方に対するしっかりした哲学」

でしょう。

歩き方に対する解説はこれほど難しいです。

無意識に、各自が出来る範囲で極めているからです。

 

また、最近は自己啓発ビジネス書がたくさんありますが、これもすでに成功した人が書いていますので

その結果の動き=「謙虚感謝して生きる」「行動は素早く」「チャンスを逃さない」…

だけを真似しても、なかなか成功に至るのは難しいでしょう。

 

大切なのは、結果ではなくその人を突き動かした情動=感動=行動=覚悟の原動力を知る事です。

情報洪水の現代、本質を見抜き習得する事がとても難しくなっていると感じます。

テストで高得点を取る事は、本質に近づくという意味では入り口にしかすぎません。

社会で苦労し、自分なりの型=他者に貢献し認めてもらえる型、を身につける!

 

写真ですが、近所の松戸市立博物館で撮りました:

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「古墳時代のマジカルワールド」展

この埴輪に引き込まれ、目が離せなくなりました。

人間がもっとシンプルに、かつ大切にするべき何物かを心に秘めて生きていたことを感じさせます。

顔の造作はあっけないほど簡単に彫られているようで、意思を感じさせるほど完璧。

若き戦士の行進、気負った緊張感まで伝わってきます。

これを作った人は、人間の内面を見ることが出来たのでしょう。

達人の仕事に感服です。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2021年11月 7日 (日)

人はなぜ学ぶのか 学生さんへ

おはようございます。

しばらく教育について書いてきましたが、教育される学生側に立つと

「人はなぜ学ぶのか」「学校に行く意味が分からない」

という疑問を持つことも多いと思います。

 

地球規模で見れば

「学びたくても学べない子供たちが圧倒的に多い」

と言われても、自分の今居る所からしか世の中が見えないのが普通であり、

なかなか納得できないと思います。

 

人が生きるとは本当に大変で、辛いことも多いです。

それはどんなに楽そうに生きている人でも同じだと思います。

そんな中で、人は何に可能性や幸福を感じて生きているのか?

それは

「人に頼られ」「感謝される」

事だと思います。

ただ生きている(体の命を維持している)だけでは、楽しくなることはできないのです。

頼られ、解決し、「良き社会の実現」に貢献していると言う自信を持てる。

それが楽しいという事です。

 

また、一緒に暮らす家族が居れば、父母や兄弟姉妹が自分の成長を喜んでくれる。

その姿を見たい、という願望が勉強する原動力となり自分をレベルアップさせます。

勉強をすると、今まで見えなかったものが見える様になります。

例えば先週書いたプラモデルのランナー(部品を外した後のプラスチック)も、

成形の仕組みを知らなければただの「ゴミ」になってしまいますが、

成形金型の仕組みを知る事により、それは感嘆すべき「鑑賞する物」になったりします。

 

また、一生懸命勉強して専門分野を持つと、それが世の中のいろいろな事を判断するのに役立ちます。

法律を勉強すれば、自分に起こったこと全てに法的解釈をするでしょう。

経済/経営学を勉強すれば、現象を数値で判断しようとするでしょう。

文学や哲学でも、過去の名文に現象を照らし合わせて深く考えるでしょう。

理工学を学べば、現象の理屈を掘り下げようとするでしょう。

何を専門にしても、それが好きであれば自分の武器になります。

学ぶとは、このように豊かな生き方をするのに役立ちます。

そして考えるクセがつくことにより、不安を解消する力を得ることも多いです。

それは勇気の源でもあります。

 

最初に「学びたくても学べない子供」と比べられても納得できないだろう、と書きましたが

今の日本はとても平和で、格差があっても世界的に見れば平等と言える社会だと思います。

自分の小さい頃、約40年前には社会にはもっとはっきりとした格差がありました。

そして、そこには有無を言わせないエネルギーが渦巻いていたような気がします。

格差を乗り越えようとする時に生まれる力。

暖かい空気と冷たい空気がぶつかり、積乱雲となりそこから生み出される圧倒的な力=

空を切り裂く「雷」

の様に。

男も女も「良い男」「良い女」を目指すからこそ生まれる、力。

ジェンダーフリーで同じ様な格好をしていれば、熱は生まれてこないでしょう。

物質的豊かさの反面と言えるかもしれません。

 

現代社会は、とてもおかしな報道も多く、若くて感受性の強い人は特に悪影響を受けてしまいます。

そんな時には、伝統的な生活に戻る事が大切です。

例えば、武道に打ち込む、過去の偉人の本を読む(できれば古典)、自分の住む地域の勉強をする...

体を健康に保つと共に、心を落ち着かせ、自分が根を張っている場所を認識するのです。

体と魂はペアとなり、初めて動き出します。どちらかだけではダメなのです。

 

課題は次から次へと与えられます。それを乗り越える事こそが

「人生」

自分の人生は、自分にしかありません。

自分が成長すれば、かつての壁も

「なんであんなことで悩んでいたんだろう」

と思えるかもしれません。

一生勉強です、そしてそれは楽しい事です。

 

写真ですが、今年も紅葉のシーズンがやってきました。

遠くに行く事なく、通勤路でもこんなにきれいです:

20211

幸せです。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2021年10月31日 (日)

ダンボール戦機に見る子育て反省

おはようございます。

先週は理想的な教育論の様な事を、偉そうに書いてしまいました。

長男も高校卒業をまじかに控え、もう「子供」ではなくなってきました。

そこで、今週は自分の子育て失敗事例を書きます。

 

過去ブログを確認すると、2012/2月に、ダンボール戦機のプラモデルを組み立てた話がありました。

約九年前です。長男が8歳(小学二年)、次男が5歳(幼稚園)。

問題はこの後に起きました。

その後も同じようなプラモデルを集め続け、確か兄弟でお互い2~3体を持った頃です。

2人お互いのプラモデルを使って、戦いを始めました。

すると、なにやら喧嘩が始まりました。

兄「お前のやつを俺によこせ」

弟「ずるい」

兄「いいから貸せ」

とこんな感じでヒートアップ。

自分もきっとイライラしていたのでしょう。

2人のプラモデルをすべて取り上げて、適当な袋が無かったので45リットルのごみ袋にまとめて入れて

隠してしまいました。

するとその経緯を知らない妻は、それをそのままゴミとして出してしまいました。

一見大したことない様に感じますが、当時はとてもかわいそうな事をしたと落ち込みました。

そしてそれはのどに刺さった小骨の様に、今でも気になってしまいます。

今ははっきり分かります、子育て上のイライラは自分の未熟さのせいであり、

子育てとは実は「親育て」だと...

 

そして今回、その思いを断ち切るために再度「ダンボール戦機」のプラモデルを購入。

高三の兄に渡して、

「作って弟にあげなよ」

と言い添えて。

暇を見て少しづつ組み立てているようで

「出来たか―」と聞くと、「頭と胴体は出来たー」と。

その後待っていると「体は全部出来たー」から進まない様でした。

武器だけならすぐにできるので、持ってこさせると...

ランナーから外したパーツを、バリ取りもせずにそのまま組んでいる為隙間だらけ。

そして面倒なシール張りは、最初のパーツで断念して飛ばしていました。

もう笑うしかないです。

僕「自分の子供がプラモデル作ってと言ったらどうするんだ?」

長男「自分でやれと言う!(ニコニコ)」

そうですか…

結局すべてのパーツを再度分解し、バリ取りをし、シールも楊枝を使って丁寧に張りました。

そして完成:

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透明パーツが好きなので、それを重視して選んだら女の子になりました。

写真だと見えずらいですが、頭の上に大きな透明の羽が生えています。

女性らしい仕草とは何か、色々調整できそうです。

 

そして実はモノづくりの上でのメインは、

前回(9年前)も驚愕したランナー(樹脂の通り道)の精度です:

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各パーツ毎に、色の違う樹脂をつかいそれを型の中で接続します。

後から嵌めているのではなく、平面同士でつながっていますから。

しかも透明な樹脂まで一緒にです!

そしてどうしても理解できない(凄すぎて)のが

「指で折れる」

という事です。

今回長男はそのまま組み立てましたが、それは「バリ」と呼ぶにはあまりにも小さいからできる事です。

パーツとの接続部分がそれほど小さいのに、どうやって部品分の樹脂を流し込めたのでしょう。

つなぎ部分からは流さず、上下から流したのでしょうか?

その場合金型構造が複雑すぎて想像を絶します。

そして樹脂は冷えて、固まる過程で必ず変形します。

バリが大きくても変形が少ないだけでも素晴らしいと思いますが、バリ極小、変形ほぼ無し、色むらも無し。

もはや神業です。

コロナで家にいることが増え、プラモデル業界は好調という事です。

この様な素晴らしい製品(金型)を作ることが出来る技術を学びたいと思う子が

ワクワクしながら技術を学べる環境を整えていく。

それは自分の属する金属プレスでも同じだと思います。

頑張ります。

子育て反省記のつもりが、結局自分が楽しむだけでした。

もっとも改めて子供たちに聞いても、当時の事は全く覚えていませんでした…

のどに刺さった小骨は、やっと取れたようです。

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

2021年10月24日 (日)

企業の後継者不足問題

おはようございます。

先週は、いつもお世話になっている大手材料メーカーMさんの新人2人が会社見学に来てくれました。

材料搬入⇒プレス⇒検品⇒梱包とすべての工程を、実際に確認。

この二年間ほぼ在宅勤務だったこともあり、初めて自分たちが造った材料をどう使われているのを見て

「大変勉強になった」

と嬉しそうに話してもらえました。やはり対面・現場というのは人の魂に響きます。

社会が動き出したことを実感します。

 

今日の話ですが、

「後継者不足」についてです。

自分でも息子らを後継者にしようと、まだ小さな頃から色々と話をしたり指導をしたりしました。

その結果、2人とも自分では考えられない位

「良い子」

に育ったと感じます。

ただ、それが果たして後継者教育と言えるのか。

ふと不安になりました。

 

周りを見ると、特に創業オーナーにいわゆる

「良い子」

は居ない様に感じます。元ガキ大将が多そうです。

典型的な創業オーナーの姿:

他者からの命令を嫌います。人の言う事を聞きたくないから自分で会社を始められたのでしょう。

そして皆せっかちです。信じられないほどに。

遊びも含めてあらゆる場面で迷っているそぶりを見せません。

即断即決。忙しいはずなのにアポもすぐ取れます。

せっかちが最も分かりやすく表れるのが、食事の早さ。

「ゆっくり食べないと体に悪いですよ」

などと言おうものなら、あっという間に食べ終わり

「先に行くぞ」ともう席を立っている事でしょう。

これらの事例をどう評価するか。

きっと雇われる立場なら「変わった人」

事業が成功しているオーナーなら「スケールが大きい人」となります。

押さえつけられる事なく伸ばした個性は大切です。

たまには銀座で豪快に飲み歩く社長、反面無駄な事はしないと自宅と会社をまじめに往復する社長。

どちらであっても、会社の業績が良ければよい社長でしょう。

でも人間的な魅力は、銀座で飲む社長の方に感じる人も多いのではないでしょうか。

 

社長業とは、決断の連続です。

極端に言えば、間違えても構わないのです。

とにかく自分の思うように舵取りをし続ける。

プロ野球の監督が、試合中にコーチに相談しながら作戦を決めていれば何の指示もできないでしょう。

日本を代表する大手企業に外国人社長が招へいされるのも、しがらみなく即断即決できるからでしょう。

それほど決断し続けるとは難しく価値ある事なのです。

 

最近は学校でも、良い子をたくさん卒業させることが目標になっているように感じます。

「話し合い」で「民主的に」物事を決め、独断は許さない。

それではエネルギーが生まれませんし、社会も停滞してしまいます。

会社経営についていえば、

「全員経営」

などウソだと思います。もしくは経営陣の責任放棄。

よく3代目で社業が傾くというのも、判断力の継続が難しいからかもしれません。

 

ここまで書いたように、今の社会環境で企業の後継者教育をすることはとても難しいと感じます。

企業に属し、実務をこなしながらではさらに難しい気がします。

一生懸命頑張って、昇進をして社長になってその重責に愕然とする。

社長と副社長では、その責務が全く違いますから。

副社長は課長の延長線上にあるとも言えますが、社長は社の方向を決める「最後の砦」。

社内で起こる事すべてに対する最終責任者です。

そして明文化されていませんが社長の大仕事は、一番大切で難しいのがつらい時ほど

「楽観的」

雰囲気を作り出し、なおかつ実務を指示してその方向に導くという事。

平常時には良き未来を描き、人々を団結させる。

その上でつらい時ほど安心感を与えて突き進む。

ここまで行くと教育でどうなるものではないかもしれませんが、その方向性を認識しておくことは大切です。

社長=偉い人=えばり散らしても良い、などと勘違いする前に。

後継者不足問題だけではなく、社会人としての教育がいかに難しいを痛感します。

基本は体験し、壁にぶつかり、地力をつけて打破していく。その繰り返ししかないと思います。

コロナ終息で、教育の面でも社会が動き出します!

 

写真ですが、京島はちょっと仲間になれなさそうなので…友人と飲んだ帰りの新橋駅構内です:

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久しぶりに駅に入ったところ、ガチャガチャがたくさんありました。

新橋の町はまだまだ人は少ないですが、一時期の寒々とした雰囲気は脱しました。

これから忘年会にかけて、日本有数の飲み屋街「新橋」の賑わいも戻ってくるでしょう。

楽しみです。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2021年10月17日 (日)

コロナワクチン接種体験記

おはようございます。

10/9(土曜日)にやっと2回目のワクチン接種(ファイザー社製)を終えました。

住んでいる市川市は対応が遅かったようで、これでも同世代最速の接種。

ワクチン接種直後は何の副反応もなく、むしろ一回目の方が腕が痛いほどでした。

夜も発熱することなく、

「これは副反応なしで済むのかな?」

と思っていたのですが、そうは行きませんでした。

日曜は朝食後からだるくなり、微熱(37.0~37.5℃)と頭痛、腰痛がずっと続きました。

横になっているとそれほどきつくはなく、体がホカホカと温かくてずっとお風呂に入っているような感じ。

一夜明けて月曜には軽い頭痛位で、ほぼ全快。

多くの方が

「自分の体が変化して、無敵になった気分」

と仰っているのがよく分かりました。

 

「インフルエンザ」ワクチンは、わざと軽く罹患する事により抗体を作るそうですが、

「コロナ」ワクチンは全く違うアプローチをしているそうですね。

インフルエンザワクチンは、体調不良が数か月続いてしまう体質だったので、

今回のコロナワクチンは軽症で済んで良かったです。

妻が予約をしてくれて結果的に市内最速で接種出来ましたが、都内、特に会社のある墨田区は

全国最速レベルで接種が進んでいたため、周りに接取事例が多くて悩まされました。

副反応が重く40℃近くの発熱があると聞いたり、社員でも数日休む人も居たりしましたので。

また自分がインフルエンザワクチンによる体調不良に悩まされていたこともあり、さらに慎重に。

 

補足:インフルエンザワクチンの不調になぜ気付いたか

毎年同じ時期に数か月酷いだるさに悩まされ、季節の変わり目だからかなと諦めていました。

数年それが続いた時に、だるさの始まるのがインフルエンザワクチン接種後だと気づき、

一度ワクチン接種を止めてみました。

すると毎年悩まされていただるさからも解放。インフルエンザにもかからず。

 

特にネット上には様々な情報があふれかえっており、不安だから故そっち方面の情報に

無意識に目が行ってしまいます。

いわゆる陰謀論にも。

今回はそれが良いか悪いか、陰謀論は本当に陰謀なのかという話は書けません。

分かりませんから。

ただ、自分の不安な時はそのような情報に引き込まれるという事実を実感しました。

コロナワクチン二回目が終わった今は、逆に

このワクチンがいかにすごい技術で作られているか、

接種によってどれほど人類が助けられているか、

という情報がすんなり頭に入り、且つ納得できます。

 

人の感情に揺らぎとは、一見小さいように見えても大きく人生を左右されます。

日々の生活でも、少しだけ前向きな人と、少しだけ悲観的な人(実際にはそんな分け方は出来ませんが)。

普通に接していればあまり変化が無いように見えても、長い目で見れば大きな差となるでしょう。

そこまで大げさな話ではなくて、今週体験した話でも:

「なんだかよいことが無かった一日だったな」

と思っていた会社から駅までの帰り道。

すでに暗くなっている中、近所の方から気持ちよく挨拶されて気分一新で心地よくなる。

オフィス街ではなかなか無いですよね、近所の方からの挨拶していただける事は。

墨田区で工場を経営していて良かったと思える一瞬です。

 

コロナワクチン接種により、自分のワクチン論に対する見方が一変するという機会に恵まれました。

悩んだ期間が長かったからこそ、衝撃的に実感できたのでしょう。

自分の気持ちをコントロールして、つらい時でも少しでも前向きになる。

その大切さを学べました。

 

写真は三回目の京島交差点の家です。

友人から「中に入って、主催者と話をしてきて」と言われましたが...:

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他に誰もいない中、この方に話しかけるのは勇気がいります。

会社の仲間の話では、夜には電気がついて人も集っているようだとか。

写真を見て気づきましたが、

「京島クロスロード」

と言うんですね。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2021年10月11日 (月)

コロナ終息後の世の中

おはようございます。

先月19日のブログで、金木犀の写真を載せましたが先週また咲きました。

10年間、このブログで金木犀の写真を毎年載せていますが、2回咲くのは初めてです。

9月に入って一気に涼しくなってしまったので、季節を勘違いしたのでしょう。

気づいてすぐに満開にすることなくエネルギーをためて、本来の時期に咲かせえる。

自然の凄さを実感します:

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さて、先週はコロナ禍を振り返りましたが、今週はこれからどうなるのかを考えます。

コロナ第五波の終息が見え、全国的に非常事態宣言が解除されましたが

冬に向けて第6波が来るとも言われています。

次回の波は、ワクチン接種率の上昇と医療体制の整備により、

今までの様な混乱は起きないのではないかと考えます。

この間、行政・医療従事者の皆様のご努力は大変なものだったと思います、感謝です。

 

ただ、6波が小波で終わり、体の健康に対する不安が去ったとしても

約二年の間にダメージを受けた精神面や社会運営面での傷は長く残るかもしれません。

その前例とも言えるのが、14世紀に中国大陸で発生し欧州全域に被害をもたらしたペスト(黒死病)です。

この病はネズミやネズミに寄生するノミにより広がったとされています。

この時は、現在のコロナとは比較にならない被害をもたらしており、

欧州人口8000万人の内、30~60%が亡くなったと言います。

正確な統計が無い時代だったの数値にばらつきがありますが、約半分の人が亡くなったと考えると

大変な被害です。

各家庭で死者が一人もいないところが珍しいほどでしょう。

特にイタリアでは被害が甚大で、8割の人が亡くなり、全滅した村もあったといいます。

そのペスト流行と同じ14世紀イタリアで始まったのが

「ルネサンス」

学校で習った教科書には

「文芸復興」

と、何か新しい文化が花開いた明るい話のように描かれていたように記憶しますが、

時系列を拾って考えると、違う側面が見えてきます。

 

それは神=教会の権威失墜による、今までのルール破りの横行と言えるのではないでしょうか。

近しい大切な人々が、目の前でバタバタと亡くなっていく、

絶対的な存在であった神父さんの権威も失墜して行ったでしょう。

神父さんは出生から死まで民に寄り添っていたのに、

原因不明の疫病によりそれらが出来なくなっていさらに民から遠ざかる。

現代コロナ禍下日本の葬祭事も、コロナで同じような状況にありますが、

14世紀には今の様な報道機関など無く、

死者の比率や原因が全く分からない恐怖は比較にならかったと想像します。

人々の心が虚無に陥り、精神が行く当てなくさまよっている姿が目に浮かびます。

 

そしてこの頃新しいテクノロジーが産まれ、人の生活が変わって行きます。

それがルネサンス期(15世紀)の三大発明

「羅針盤、活版印刷、そして火薬」

これによって更に、神に寄り添い生活していた民の風景が変わって行きます。

ペストですでに神から離れていた心が、決定的に変わっていたとも言えるかもしれません。

これらの発明の力を発揮し、はじまったのが大航海時代=他者からの収奪時代です。

まさに神への冒涜とも言える方針転換。

これはある意味現代まで続いてしまっているとも言えるかもしれません。

 

現代コロナ禍下でも、先ほど書いた葬儀に代表される伝統的行事の否定、もしくは放棄。

他者との付き合い方の変化。

そして現代における3大技術開発:

「宇宙・衛星開発、ネット、ドローン」

によって出現した圧倒的力の不均衡。

それらはどのように使われていくのでしょうか。

使い方を間違えれば、人類の未来は大変暗いものになります。

一人一人の力が試される時代が来ています。

それはすでに始まっています。

 

今日のブログにぴったりの、人との縁をベースとした原始生活?

が近所の交差点で営まれています。

先週の開始日はあいにくの台風でしたが、着々と整えられてきています:

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奥には、海の家の様な「おでん屋さん」もあるようです:

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主催者の方を見かけるのですが、原始人スタイルで話しかけるには勇気がいります...

また来週も追ってみます。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2021年10月 4日 (月)

コロナ小休止 振り返り。

おはようございます。

東京も9月末で非常事態宣言が解除されました。

約半年ぶりの解除という事ですが、もっと長かったように感じます。

2020年以来二年間ずっとそんな感じでしたから。

今回は全国的に「全面解除」という事で、感覚的に今までの解除より明るい雰囲気を感じています。

今日はこの間、企業の経営と言う面から自分の経験した事を記します。

 

会社の業績は、

「コロナでもあまり変化が無いな」

と感じていた2020年の中盤から大幅な落ち込みがあり、

2020年8月末締めの決算では、リーマンショック以来の悪い数値となりました。

ただ、2021年8月末には、最悪期から2割の売り上げ増となり今一息ついていることろです。

実は、今回の「コロナショック」が起きる前に、世界的な経済危機が起きると予測し

手持ちの現金を厚くしていました。

(もちろんウィルス由来の景気悪化など想像もしていませんでした)

そのおかげもあり、最悪期でも資金の心配がなかったことに救われました。

そして、自社の経理状況を健全に保つ大切さを更に深く自覚しました。

自社の状況が悪くなってから、急に銀行に借り入れを依頼すれば当然金利は高くなります。

借金とは、会社が利益を出し、従業員へ給料や社会保険料を払い、設備を維持・更新し、

その上で税金を払い、その残った分からしか返せないのです。

しかも一般生活とは桁が違う額が必要になりますから、利率の少しの違いで必要経費は大きく変わります。

住宅ローンであれば、長期低利率で30年返済などと言う優遇もありますが、

それは家(土地)と言う担保を、銀行が確実に確保できているからです。

企業の信頼とは、一朝一夕に出来るものではなく、少しづつ積み重ねるしかありません。

それは自己満足ではなく、他者様に認めていただけなければ無意味です。

決して現状に甘んじることなく、企業を維持発展させていかなければいけません。

 

もう一点は家庭内の事です。

今多くの中小企業で後継者不在が問題となっています。

中小企業では、先に書いたように金融機関との折衝(経理全般)、人材募集、人材教育、営業、

そしてもちろん製造や品質管理にも目を配り、それぞれの機器に対して最新の情報を知っておくことが

大切になります。

その他雑用まで考えると、気を配り差配する範囲は本当に広いです。

社長は良く船長に例えられますが、その進路を誤らない為には全情報とそれを処理する能力が必須です。

そして船と違うのは、会社と言う船を浮かべるのはお客様の期待と共に、

従業員の働きという両輪だという事です。

これは海に浮かぶより大変な事です。

一般従業員に優秀な人が居れば、その人が後継者となればよいのですが

今の日本の税制ではそれが大変難しくなっています。

また、大手上場企業ではありえない、借り入れへの経営者責任という問題もあります。

これらは少しずつ改善していますが、

スピードアップしないと後継者不在による倒産が続発してしまうでしょう。

そこで、日向工業の取り組みです。

コロナにより、高三と中三の2人の息子と毎日のように一緒に食事をとれるようになりました。

2人ともバリバリの運動部に所属していましたし、自分も飲みに行く事が多かったので、

コロナ前には考えられない状況でした。

そこで2人(特に長男は大学の進路選択があったので)には、

会社の仕事の面白さをよく話して聞かせることが出来ました。

もちろん先に書いたように大変な事もありますのでそれも話しました。

大変といっても、自分が実際に組織に責任を持ち運営していく面白さに比べれば

クリアして行ける事柄だと思います。

親バカですが、2人とも自分より優れた経営者になれる素質があると、

コロナのおかげで感じられるようになりました。

経営者の仕事として「教育」と書きましたが、「後継者教育」とは本当に難しいです。

息子に仕事の話をせず、比較的贅沢な生活をさせた上で、

いきなり業績の良い会社に入社させてしまう...

これは本当に問題を引き起こす確率が高いです。

創業オーナーが苦労して大きくした会社の二世は、このパターンが多い気がします。

もちろんそれでも壁に当たりながら、だんだんと成長していくのでしょうが時間が掛かります。

今は企業自体にその余裕がなくなっています。

まだ2人の息子がどう育つか分かりませんが、コロナ禍を転じていろいろと話せたのは、

良い経験だったと信じます。

コロナ災いを転じて福となる様、引き続き全方位で頑張っていきます。

 

写真ですが、近所の京島の交差点です。

明治通りと交差している、とても交通量の多い場所です。

先日書いたように、ここから東京スカイツリーまで拡幅工事をしています。

その合間に、こんな家が出来ました:

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ここでアーティストが一か月原始的生活を始めるそうです...謎です。

なんでも、週刊漫画雑誌の「モーニング」に連載されている「望郷太郎」がモチーフだとか…さらに謎。

そしてこの施設になぜか「チケット」がされています。当日3000円、当日???謎は深ま理ばかりです。

10/1開始ですが早速台風模様...今後の波乱を予感させますが、しばらく追ってみます。

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

 

2021年9月26日 (日)

選挙報道に見る今

おはようございます。

最近は選挙の報道が賑やかですが、本質論から外れている議論も多い様に感じます。

今の選挙制度は、軽薄な人気投票になっているような面もあり、

また選挙権の行使すらしない人が多い場合もありうまく機能していないのではないでしょうか。

 

絶対王政、共産主義、社会主義、資本主義...

どのような制度にせよ良し悪しがあると思います。

最高に優れた王様が統治する国は、きっと他の制度より優れた国家運営をするでしょうし

その逆の場合もあると思います。

ただ一つ言えるのは、我々一般大衆が政治に関わり、その根本たる議員の任命に対して

小さいとはいえ権力を持ち、

且つ自由に(配慮されて)行使できるという事はとても貴重だという事です。

大きな流れにより、政権交代が起こせるのは奇跡的ですらあります。

参政権どころか、政権批判すらできない国もたくさんありますから。

 

何事でもそうですが、他者から与えられたものは大切にしません。

逆に自分で必死になって手に入れたものは大切にし、時には命をかけても守ろうとするでしょう。

日本の選挙制度の場合、すでに生まれ付き与えられた世代が殆どになっているので

もしかしたらその価値が軽んじられているのかもしれません。

政治とは、国民が生きていく根本をなす神聖な仕事であり、決して名誉職ではありません。

使命感が無いと出来ない仕事です。

では使命感とは何でしょうか、今日は考えてみます。

 

まず前向きな使命感とは、高揚を伴います。

うちの次男を見ていてわかりますが、兄貴に何かを指示されるとぶつぶつ言いながらも

たいてい嬉しそうにこなしていきます。

弟の中には、兄からの指示を「やらない」という選択肢がほぼないです。

これも一つの「使命」と言えます。

好きな兄から「命令してもらう」「命令してもらえる」という高揚感。

これは仕事にも通じます:

ちょうど今この文章を書いている時に、お客様から

「こんなお願いして良いか分からなかったけど、やってもらえる?」

と問い合わせいただきました。

「もちろんです、ぜひやらせてください!」と電話で答えましたが、これも同じです。

仕事と言う使命、思い出して電話していただいたという高揚感。

 

そう考えると、「使命」とは人生にとって一番大切な事だと分かります。

他者に必要とされる幸福。

自分の存在とは他者から規定されるしかないですから。

他者を拒絶し、自分探しをし続けて内観しても、玉ねぎを剥くように何もなくなってしまいます。

そうならずに芯を作ってくれるのは、他者からの期待=使命感です。

 

それを理解できれば、さらに大切な事、それは:

「使命を与える」

存在になるという事です。別の言い方をすればそれこそが人材教育。

知識を教える事は、教育のごく一部の事です。

仕事に必要な知識や技を教え、信頼し、期待を込めて仕事を任せる。

これは教育の理想だと思います。

指示して命令するだけでは人は動きません。

本質的に人間は他者への命令者にはなれないです。

人間は自己の欲望を優先して生きてしまいますので、魂のふるえ無き命令には従いません。

仕事上の命令は、給料をもらうという欲望が勝っているからという場合も多いですよね。

その「欲望」に「使命」という素晴らし力を与えて本当の喜びに変える。

信頼し合える仲間だけが成せる、素敵な力の転換です。

 

現代の選挙風景から考察を進めましたが、今我々が忘れかけている重要な事に行きついたように感じます。

この様な場があり、皆様と一緒に考えられることは大変幸せな事です。

有り難いです。

 

写真ですが、初めて見た花です。何でしょう?:

Photo_20210924093401

種から育てた二年目のアスパラガスです。一年目には花は咲きませんでした。

本当に小さな花です。

幹はまだ数ミリしかありませんが、それとほぼ一緒です。

野菜として食べるのは、この幹の部分が芽を出して少し伸ばした部分。

今は地下の茎を育てるために、伸ばしっぱなしにしています。

おそらく来年からは細いものが収穫でき、それから10年間は続けて採れるとか。

楽しみです。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2021年9月19日 (日)

ブログを始めたきっかけ

おはようございます。

今回はブログを始めて約10年たちましたので、始めたきっかけを振り返ってみます。

まず:

昔であれば、自分の書いた文章を多くの方に読んでいただく機会はかなり特殊で限られていました。

今ではこのような場が身近にあり、本当にありがたいことだと思います、感謝です。

当初、このブログの題は「スカイツリーブログ」でした。

主に会社の屋上から日々立ち上がっていくスカイツリーの写真を撮り、その様子を載せていました。

当時の押上周辺は錦糸町と浅草に挟まれていて、わざわざ訪れる様な観光施設はなく静かな町。

有名な焼肉チェーンが出来たときに行列ができて驚いたほどです。(それも狂牛病事件で終焉)

 

そんな場所に日々大きく立ち上がっていく様子は、見ているだけで何だかワクワクしました。

それを画像でお伝えしたくて、更新していました。

そして2012年2月、ついにスカイツリー開業。

周辺の環境は一変しました。

今では東京を代表する観光地の一つとなり、次々と新しいイベントが催され

たくさんの人でにぎわっています。

また伴って周辺環境も整備されてきています。

曳舟も例外ではなく、

駅近くにあった大きなコルクの工場は、商業施設とタワーマンション数棟に変貌を遂げ、

ガード下にはたくさんの託児所が出来て、いつもかわいい子供たちの声と笑顔にあふれる様になりました。

その変わり様はまるで魔法の様です。

更に今はスカイツリーから会社近くの明治通りまでは拡幅工事も進んでおり、まだ進化していきそうです。

ただ変化には寂しい面もあります。

付近にあった工場やガソリンスタンドは、どんどんマンションに変わって行きました。

特に会社近辺は駅から近いので、その変わり様が極端です。

もうこの近辺が準工業地域だったことを知っている人も少なくなっているのではないでしょうか。

それを進化と呼ぶのか。

ものづくりの場所はどうしても音や振動、そして工場特有の匂いに囲まれますが、

それは住宅街にはそぐいません。

更に町が変わって行ったときに、プレス工場をこの場所で運営し続けることが良いのか。

次の世代への宿題になりそうです。


さてスカイツリー完成後のブログですが、題名を改めて今の

「NIKKO BLOG」にしました。

元々文章を書くことが好きだったので、会社の運営状況や日々の出来事を書き綴っていました。

そんな時に、

「鈴鹿は何のために文章を書いているんだい?」

と同じように会社ブログを社命で書いている友人から聞かれました。

この時は、質問にすぐに答えられず。

あえて言えば

「書きたいから書いている」

としか言えませんでした。

ただ、今は比較的はっきりしています。

それは将来会社にかかわる事になるであろう、2人の息子へのメッセージという事です。

いつ自分がいなくなってしまっても、これを読み返せば自分の思いを伝えられる。

次の世代へのメッセージです。

自分の日々の考えを、約10年間毎週書き綴る。

そこには小細工は通用せず、無理に書いていたら自分がパンクしてしまうでしょう。

唯一の方法は、その一週間何を考えて過ごしたかを素直に書く事だけ。

毎週書くので一つ一つの行動や他者との出会いを大切に思い、丁寧に対応するようになりました。

一見何も起こっていない様な日常でも、自分の感情の揺らぎを表現してみると文章になるものです。

空想の世界を書いていれば、決して長続きしなかったと思います。


実はこのブログにも登場していた大切な友人K君が楽しい

「釣りのブログ」

を同じようなペースで更新していました。

本人は書いていることを公言していなかったのですが、何かのきっかけで知って読み始め、

会った際に

「あのブログ読んでいるよ、面白いね」

と伝えたところ、K君は

「勝手に読まないでください!」

と真剣な表情。

聞けば大切なお嬢様二人の成長記録として書き綴っているそうです。

そして僕と同じように、日々面と向かっては言いずらい思いを乗せる。

2人で

「まるで遺書の様だね」

と話し合っていましたが…

K君は2019年11月に、脳疾患で突然亡くなってしまいました。

人生どうなるかほんとに分からないものです。

遺された釣りブログでは、今でもK君が楽しそうに笑っています。


これから社会は更に激動期に入っていくと考えています。

息子らもそろそろ「子ども」を卒業していきますので、このブログの意味も変わって行くと思います。

これからも「会社と言う生き物」を語る役割を果たし、お互いに成長していきたいと思います。


写真ですが、今年は9月になって一気に涼しくなったためにいつもより早くこの花が咲きました:

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秋の訪れを知らせる香りですが、今年は少し早かったです。

そして秋を告げる強烈な香りと言えば:

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銀杏。

こうしてみるとかわいくてサクランボの様ですが、踏んでしまうと大変です。

四季折々、色々な香りに包まれる。本当に豊かな事だと思います。

自然は日々変化していますが、その変化に気づけると幸せな気分になれます。

今日も読んで下さりありがとうございます。

2021年9月12日 (日)

アメリカに見る遊びの天才

おはようございます。

オリンピック/パラリンピックも大きな事故なく終わり、東京の様子も平常に戻りました。

もっとも会社の立地している墨田区では、ほとんど変化はありませんでしたが

ちょっと出かける際の道路状況はいろいろと規制がありましたので、

出かける前に交通規制を確認しなくてよくなりました。

 

今日の話のきっかけです:

今回オリンピックでは「スケートボード」が正式種目になりましたが、

13歳の女性西矢さんが金メダルそして男性でも堀米さんが金メダル、

他にも数人メダルを取り日本人が大活躍。

後から知って驚いたのが、この堀米さん(アメリカ在住)の知名度が、大リーグエンゼルスの

大谷さんより上という事でした。

野球好きにとって大谷と言えば、ベーブルースを超える二刀流で、

打ってはホームランキング有力候補、

投げては10勝間近。

すでにメジャーの歴史上で比べる存在がいないほどの活躍をしています。

ホームランを打った朝には日本のトップニュースになる事もしばしば。

エンゼルスの人気や知名度が低いと言っても、大谷は圧倒的な存在感です。

その人より、スケボー選手が知名度がアメリカでは上とはどうしても信じられません。

でも調べると事実でした。

SNSのフォロワー数において同等、もしくは堀米さんが上と。

スケボーでも一試合1億円の賞金、トップ選手になると年間数十億円稼ぐそうです。

 

この話を聞いて思いました、アメリカとは本当に遊びを作り出す天才だと。

スケボー以外にもベースボールもバスケもアメフトも。

ダイビングサーフィンももアメリカ以外で始まったという事ですが、

今のスポーツダイビング、サーフィンの形になったのはアメリカです。

発祥の地は違う場所でも、アメリカに入った瞬間にショーアップされて極まっていく。

物事、事象を遊びに変えていく前向きな力と言うのが、アメリカにはあるのですね。

反面世界で最も有名なスポーツ「サッカー」に関しては、アメリカではあまり人気がなさそうです。

サッカーはルールが分かりやすく、場所さえあればサッカーボールさえあればできてしまいます。

改めてアメリカがショーアップする要素が無かったのでしょう。

ここで「遊び」という日本語を使っていますが、決して「暇つぶし」という感覚はありません。

とにかく真剣。その真剣に遊ぶというのがアメリカの文化を作っていると言っても良さそうです。

 

では「遊び」は英語ではどのような単語を使って表現するか?

「Play」と言ってしまいそうですが、これは子供の時だけに使います。

大人になると性的な意味も含まれてしまいますので、使う相手を間違えると大変です。

 

ちょっと脱線します:

ここで言う「性的」とは人の営みで最も自然で崇高なもの=男女の営みととらえます。

天が造った(天造)根源的な精神的欲求。

現代はここが壊れて、肉体的なものだけ、もしくは中性的なものに焦点が当たっている気がします。

本当に大切にすべき人間存在の根源的な考えです。

あまり教えてもらえないので、あえて脱線しました。

 

本題に戻って、遊びの英語訳:

自分の印象では

「Spend time」+「enjoy」でしょうか。

ここがベースボールと日本の「野球」の違いでしょう。

次男の公立中学における野球を見ているとよく分かります。

それは「修行」「苦行」に分類されるような特訓教育・精神修養でした。

みんなでお坊さんのように頭を丸め(かわいいし、チームに一体感が生まれる気がするので個人的には好き)

失敗には監督から怒声を浴びせられ、野球に関係ないミス(学校生活)についてまで、なぜか連帯責任。

これでは「エンジョイ」からは遠ざかってしまいます。

それは「Spend time」+「patience(忍耐)」です。

次男の代が中三になり部活を卒業してしまい、部員が9人を切りもう試合も組めなくなってしまいました。

このご時世ですから仕方ないですね。

そろそろ日本もスポーツに対する見方を変える時期に来ているのでしょう。

従来のスポーツは軍事教練の延長線上にありましたが、現代ではエンジョイの要素が無いと、

良い状態で長時間闘い続けることはできません。

それは企業活動についても同じことが言えると思います。

遊びの考察から、大切な学びに行きつきました。

 

写真ですが、今年二回目の睡蓮です。今年はもう一回咲くかな?

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ちょうど小さな蜂が食事中でした。

花はお土産にもれなく花粉をプレゼントし、自分の命を蜂に託します。

自然界の摂理(法則)は、シンプルに見えて厳然としており揺るぎないです。

迷いなく一直線。

身近にあるふとした出来事にも、大きな学びが隠れています。

今日も読んで下さりありがとうございました。

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