生きるという事

2020年7月13日 (月)

製造業打ち合わせに見る、良きボーカリストとは?

おはようございます。

先週は、久しぶりに横浜の金型屋さんを訪問して

新しい工法について良い打ち合わせができました。

良い仲間と組んでのビジネスが、次世代の柱に育つことを期待しています!

 

今回はコロナ禍での打ち合わせだった為、マスク着用で行いましたが

マスクに声がさえぎられている様で違和感がありました。

今日はこう感じた理由を考えます。

 

まず結論:

声とは気を運ぶものであり、声を遮ってしまえば気が届かないから。

全く同じ言葉を掛けられても、「気」が通じなければ響かず、

通じれば一生大切にするの金言にもなりえる。

 

これを僕の好きなボーカリスト(歌手)を上げて考えます。

女性ボーカルで好きなのは、サラヴォーン。

とんでもない声量で、マイク無しでも大ホールの床が振動したそうです。

また音域もとんでもなく広く、どんな曲でもこなしてしまいます。

そういった数値化できる能力にもましてすごいのが、情感の込め方。

これこそが気を運ぶという仕事。

素晴らしい声、独特の歌い方で、更に一音に「気」を込める。

いつ聞いても人類最高のボーカリストだと実感します。

 

男性であればフレディマーキュリー。

最近は映画にもなったため、多くの人が知るようになり嬉しいです。

彼の声は、

「気を乗せる」

というのを超越して、命を燃やしている。

毎回死んでも良いと思って発声しているかのような迫力を感じます。

自然と涙が出てきます。

 

日本人では美空ひばりがすごいです。

フランスで日本の歌文化を伝えるという試みが有ったそうです。

担当指揮者はいろいろな日本音楽を聞かせるが、どれも響かず。

(オペラやクラシックなど理解しやすいものだったのかもしれません)

そこで半分いたずらで、自分の為に持っていた美空ひばりを聞かせたところ

歌詞の意味は分からないはずなのに、

「これは凄い」

とフランス人担当者は涙を流したそうです。

自分の中では、声の出し方/気の乗せ方がサラヴォーンとそっくりなんですよね。

美空ひばりの方が13歳後輩ですが、もし一緒の舞台を踏んでいたらと思うとワクワクします。

一瞬でお互いを認め合って素晴らしいものになったと想像します。

 

こうして書くと、男女・国籍・肌の色関係なく、他者に良い「気」を届ける人こそ

尊敬されるべき人だと気づかされます。

歌手の場合はその方法が「声」

ピアニストであれば「ピアノ」

 

製造業であれば、作り出す「物」ですね。

見えないところや、図面指定がない部分まできれいに作ろうとする「気」。

量産になっても材料や機械に対する細心の注意を怠らない。

いつの時代でも、「気」の入ったものは大切にされ後世に受け継がれていきます。

 

お金でお金を生み出しても、なんだか満足しない理由もここにあるのでしょう。

上手に使えば気持ちも良いでしょうが、生むだけでは「気」が乗り様がないですから。

 

打ち合わせでは気が乗らないなと感じでいましたが、

お昼をごちそうになった席では、当然マスクを外して会話。

美味しいごはんと相まって、なんだか心地よくなったのを実感しました。

それも「気」が通じたからだと思います。

 

自分の体の状態(体力が落ちている、何らかの疾患がある、高齢である)を自覚し予防したり、

不特定多数が集まる環境でエチケットとしてマスクをつけたりすることはもちろん大切です。

ただ、極端に気のやり取りを無くしてしまっては、元気を無くしてあらゆる事が縮小してしまいます。

バランスが大切です。

 

デジタル音源できれいな音を聞くのも良いですが、世の中落ち着いたらライブに行きたくなります。

ライブはその音楽表現を好きな人の集まり。

演者から気を運んでもらうのと同時に、観客が気を共有する事で気分を良くするのですね!

 

写真は人がいくら気を入れて作ってもなかなか追いつけない:

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スイレンの花。

去年までの白い花は、株分けに失敗して枯らしてしまい今年から黄色です。

曇り空が続いていて、つぼみのままでしたが昨日の日曜日にやっと咲きました。

よく見ると先客(小さな蜂)が居ますね!

今日も読んで下さりありがとうございました。

2020年7月 6日 (月)

コロナ禍の子供達

おはようございます。

コロナ禍でずっと家にいた高校生と中学生の息子たち。

遅れていた高校生の学校も先週から始まり、やっとクラス全員そろったそうです。

中学生は部活も始まり、コロナ前の状態ににほぼ戻りましたが(対外試合はまだ)、

高校生の部活(バレーボール)はまだできないと。

ただその中でも野球部だけは活動しているそうです。

良くも悪くも?「高校野球」というのは別のカテゴリーにあるようですね。

 

ずっと家にいた間、お兄ちゃん大好きな弟は色々と質問をします。

この時期の三年先輩はかなりの情報格差で、傍で聴いていると面白いです。

例えば、ある日の出来事:

ゲームで使っているSDカードの容量がいっぱいになり

どれを買ったらよいか分からず途方にくれている弟。

そこで頼りになるのは、身近にいるお兄ちゃん。

 

「なんかいろいろな大きさがあるけどどれが良いのかなぁ」

「大きさ以外にもスピードに差があり、速いの買わないと使えないのかなぁ」

「速いのは高いなぁ」…

 

そこで僕が

「スピードなんて何でもよいんだよ」

と教えるのですが、弟君は一応?お兄ちゃんにも確認します。

当然

「そうだよ、何でも良いんだよ」

そして弟に余計な一言

「そんな事も知らないのか」

と言われますが、それすらなんだかうれしそうに見えます。

どれだけお兄ちゃんが好きなのでしょうか。

そしてやっと納得して、そこそこの容量の中で安いSDカードを注文出来ました。

 

ここまで書いてきたことを考察すると、

「自分の分からないことを、信頼できる誰かに聞ける」

というのはとても有り難い、幸せな状況だと気づかされます。

大人になると、なかなか聞きにくくなります。

そして教えてもらったことを素直にありがたいと思い、すぐに実行に移す。

これも大人になると難しくなります。

感謝することを忘れたり、良きアドバイスでも実行を後伸ばしにしてしまったり...

すると教えた方も気分が悪いので、次回から教えなくなってしまう。

軽く見られていると感じるのは誰でも嫌ですから、自分を守るために。

悪循環ですし、面倒くさいです。

でもほとんどの大人は、多かれ少なかれこのような状況の中で日々生活しています。

相手に「そんな事も知らないのか」と言えば、パワハラ決定!?

 

先週、孤独というのは自分を成長させる原動力に成り得ると書きましたが、

普通は避けたいですよね。

それを避けるために、最も重要なのが

「友情」

だと思います。

先に書いたエピソードを見ると、兄弟こそが純粋な友情を持っている様な気もします。

友情とは、自分より相手の気持ちを優先し、相手の心配や失意に気づき、

力になれる様に。行動する事。

そして相手を心から敬う。

そしてお互いもたれかかり合うのではなくて、同じ方向を向いて頑張る。

こう書くと、なかなか難しい気もしますが

実はとても身近に「友情」を見つける方法があります。

それは読書です。

古今東西の偉人や作家、また作品の中の主人公に心を通わせる。

読み込むことにより身近に感じ、元気や勇気をもらい、

困ったことを相談すらできるようになることもあるかも知れません。

タイムトラベルは、身近にある物なのです。

 

写真ですが、久しぶりの出張。

仙台から新幹線(はやて)に乗ると、夕方東京着という普段なら混雑間違いなしの車両が:

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数人しか乗っていません。

長男にこの話をすると

「仙台からはいつもこんな感じじゃないの~」

と、千葉県在住、東京通学で視野狭窄です。無知とは怖いものです。

「普段ならこの時間は多国籍の人で超満員なんだよ」

「仙台は東北最大の都市で、今や東北は世界の工場になっているんだぞ!」

そして

「そんな事も知らないのか!」

と弟君の仇をとってあげました。

今日も読んで下さりありがとうございます。

2020年6月29日 (月)

製造業におけるテレワーク考 その2 友あり遠方より来る

おはようございます。

 

今月中旬お世話になっている製造業社長に来社いただき、

近況報告や情報交換とご指導いただき、とても有意義な時間を過ごせ元気を頂きました。

神戸の社長曰く

「もう限界なので、来ちゃいました!」

と。最高の笑顔と共に。

ここでも話題になったのは、4月末に本ブログでも書いた

「テレワーク」

僕も、神戸の社長もモノづくり企業においては、テレワークは機能しないのでは?

という事で意見が一致しました。

今日はそこに至る考察を書きます。

 

現在AIを頭脳とする工場の自動化が進んでいます。

この状況を、資金力のある大手が進めれば

製造(組み立て)~検査~出荷梱包

まで一気に自動化が進み、もうそれは避けられないでしょう。

では、工場で働いていた人はどうするのでしょう?

ここを考えずに自動化を進める事には、人間社会が壊れてしまう怖さを感じます。

具体的には、労働者は傍観者になり、AI頭脳と機械が稼いだ金を人間が支給してもらう。

それは現代の金銭至上主義社会においては、人間よりAIの方が偉いという事になります。

人は基礎的生活保障賃金を、機械にいただく。

体を楽に維持するという意味では、天国の様だとも言えるかもしれませんが、

エサをもらって生きる動物園のサルとの違いが限りなく小さくなります。

人がサルから進化したとすれば、これは逆に人がサルに退化するとも言えます。

 

ネット上に象徴的な言葉がありました、

テレワークは

「無意味なトランスポート(移動)を無くす」

と。

神戸からわざわざ1時間話をするためにやってきてくださった。

これは無意味?

常に自分を高めようと学び続けている人は、色々な情報を当然の様に持っています。

縁ある誰かと会うことにより、自分の持っている知識が

「バババッ~」

とつながるようにスイッチが入り、知識としての学びが

「血肉」

になっていく。

何が「意味ある行動」になるか?

それは、常に求めていてもなかなか得られず予測不能です。

それほど真の学びとは得難いです。

 

 

確かに結果的に無意味なトランスポート(移動)というのもあるでしょう。

でもそれは誰がどうやって判断するのでしょうか?

無意味の削減が究極まで進めば、先に書いたように人はAIに使われる存在に成り下がります。

なぜならAIには一切無駄がありませんので、人間ですら絶対に勝てませんから。

 

自分の実体験としては、社会人になってすぐの頃会社では失敗ばかり、

悩みばかりでしたが、それを学生に対する先生の様に指導してくれる人はいませんでした。

ではどこで指導を受けたか。

それは終業後の居酒屋でした。

直属の先輩だけではなく、いろいろな方と話しながら

昼間は聞けない・言えない事を真剣に聞き・話していただく。

もし社会人に成りたての時期に、先輩方との飲み会が無かったら、

今の自分は決して居なかったろうと思います。

コロナはその貴重な機会を奪おうとしています。

 

一見良い響きを持つ「自由」とは、実際はとても怖い事だと認識するべきだと思います。

人は本能的に規律を求めます。

完全な自由、そこに人は生きられるのか?

規律を保てなくなる自由、所属意識の喪失は

人の結びつきが弱め、孤立を加速させます。

孤立は自分が求めない状況であれば、不幸です。

またしかし、

その不幸こそが魂を成長させる原動力に成り得るという側面があるのが人間の人間たるゆえんで

奥深く面白いところでもあります。

神戸から来ていただいた社長のおかげで、大切な学びを頂けました。有り難いです。

 

写真ですが、

玄関の前にある、とげとげの葉っぱから何やらにょきッと棒状の物が突き出てきて

先っぽに花が咲きました。

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この状況はたぶん去年もあったはずですが、今年は妻が大騒ぎ。

某有名ニュースサイトで、

「40年に一度しか咲かない花」として話題になっていたから。

このニュースで、この葉っぱが「ニューサイラン」という植物と初めて知った位に

興味を持っていませんでした。

2人で、

「うちではよく咲いているよね、意識していなかったけど」と。

毎日通り過ぎる場所で、そんな珍しい現象が起きていたのですね。

灯台下暗し!チルチルミチル青い鳥!

無駄を省くことより、日々身近にある大切な事に気づく方が人間として成長できそうです!

 

今日も読んで下さりありがとうございました。

2020年6月22日 (月)

虫との闘い

おはようございます。

先週、ナメクジに食べられてしまったパプリカ(ピーマン)の写真を載せましたが、

その後さらに食害が進み、ほとんどの葉っぱが無くなってしまいました。

このままだと、間違いなく枯れてしまいます。

更にパプリカを食べつくした「敵」は、無事だったナスにまで進出。

事、ここに至り闘うことを決意!

 

さっそくホームセンターで、各種「農薬」や「ナメクジホイホイ」を買うと、

将来取れるであろうパプリカやナスの購入価格を軽く上回りそうですが、

闘う決意は微塵も揺らぎません!

 

まずは撒くタイプの薬と、スプレー式の葉っぱに吹き付けるものを実施。

ナメクジホイホイは4か所に設置。

これで様子を見ます...

しかしナスの葉っぱへの食害が進んでいます。

一点はっきり効果が有ったのは、ホイホイにナメクジが集まってくること。

ナメクジだけではなく、大きなカタツムリも。いったいどこに隠れていたのか…

 

そこまで考えて、ハタと気づきました。

次男がカタツムリは夜行性~と話していたことを。

カタツムリが夜行性なら、当然ナメクジも夜活動しているはず。

そこで夜九時過ぎに、懐中電灯をもって庭に出てみると...

現場確認!

ナメクジが、もうほとんど食い尽くしているパプリカに最後のとどめを刺そうとしているところでした。

見逃す訳にはいきません、駆除!

ここで活躍したのが、瞬快冷凍スプレー。

PCキーボードの掃除などに使う、エアダスターと同じようなものですが、

そこからー85℃の冷気が噴出されます。

初めて使って見ましたが、これの効果は凄いです。

土の表面が、あっという間に凍土に。

子供が小さければ、夏休みの研究課題で色々凍らせてみるのに使えたと思います。

ただ植物についている虫を駆除しようとすると、植物自体が凍ってしまいますので

自殺的行為になってしまいます。それほど強力という事ですね。

 

そして最後に届いた、最終兵器「スラゴ」:

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何やらバイオレンス映画の主題の様な最終兵器にふさわしい名前ですが、

おそらくその効果もすごいと思います。

日に日に弱るパプリカが復活できるかどうか。

「スラゴ」の肩に掛かっています。

 

さてここまで書いてきて、気づいたことがあります。

実はカメムシやナメクジと戦う前の主敵は

「ダンゴムシ」君でした。

特に次男と妻が強烈に嫌い、妻曰く大量にいると花や根を食べてしまうという事で主敵でした。

それではと、隠れ家を見つけては大量に駆除していました。

ところが、新たな敵が現れるとダンゴムシは全く気にならなくなりました。

相手にしないというより、たとえ視界に入っても気にならない。

カメムシやナメクジはバリバリと野菜を食べてしまいますから、それに比べれば...

 

この様な事は普段の生活でもありますよね。

家族内でのいざこざがあっても、より大きな危機に直面して家族協力、

あれほど気になっていた相手が、自分の生活が充実していくと忘れてしまう...

特に今はコロナ禍で、弊社はもちろん多くの会社が大変な事態に巻き込まれています。

こんな時に社内がごたごたしてしまえば、会社という船はあっという間に沈没です。

状況をなるべく冷静に把握し、正確な情報を乗組員に提供する。

そして下を向かない様に鼓舞する。

嵐の時に活躍するのが船長ですが、会社の経営でも同じです。

今は多くの船が遭難しそうですが、まずは自船が生き残らなければますます迷惑をかけてしまいます。

そう考えると、虫と戦っている場合ではないと気づかされます...反省。

 

今日も読んで下さりありがとうございます。

2020年6月 8日 (月)

混沌した世の中をどう生きるか

おはようございます。

このブログも今回で480回になりました。

500回を目標に、書いていきたいと思います。

 

当初はスカイツリーが立ち上がる様子を、主に会社屋上から撮影した写真で紹介していました。

思い返せば、まだまだ安定して、幸せな時代だったのかと思わせるほど

今は社会が混乱しているように感じます。

 

その原因は、各個人が信じるべき信条というようなものを失っているからかもしれません。

 

例えば、少し前まであって今急速に失いつつある考え方。

それは「経済発展=善」という考え方です。

自分が中学、高校生くらいの時は社会はバブル経済真っただ中。

世の中の見かけの様子(建物や車、各種アミューズメント施設...)が急速に変わって行き、

そして当時のマスコミは、もちろんそれを良い事として報じ、皆がその方向に向かっていきました。

向かう先にあったのは、もちろん「夢」だったのでしょう。

 

もちろん、人間が快適に過ごせるような環境の中で、順調に経済が発展していく事は

節度を保てれば悪いことではないと思います。

経済が発展する過程では、色々な新しい仕事が始まり雇用されるチャンスも増える。

価値ある新しい仕事により、人々の暮らしがより清潔で豊かになる。

 

しかし今の経済縮小非常事態では、まず生きることに精一杯になってしまいます。

夢は破れ、それは信条というにはあまりにもはかないものだとはっきりしました。

 

縄文時代でも、江戸時代でも、経済成長はほとんどなかったと前に書きました。

しかしそれらの時代には、一般的には人々は幸せに暮らしてきた時代と定義されます。

片や今のコロナ災禍経済では、数か月の経済縮小が起こっただけで、

直近まで世界一の経済発展国家で暴動や略奪が起こっています。

ずっと追いかけてきた夢が一瞬で壊れてしまったかのようです。

この違いは何でしょうか?

 

考えてみます。

先ほどの話とは逆の考え方ですが、

経済が発展しない社会というのは、新しいチャンスが生まれにくいという事です。

それは自由経済ではなく、自由の制限された封建的経済。

江戸時代にはそれが約300年続きました。

そこでは基本的に親のやっている仕事を、否応なく手伝い継いで行くのが一般的です。

日本においては、そのほとんどが農家でした。

否応なくと書きましたが、違う言い方をすればそれは

「迷いなく」

とも言えます。

長男であれば家そのものを継ぐ。

その権利をいただく代わりに、一家の長として家の伝統を守る責任を負う。

周りを見れば、同じご近所さんが暮らしているのですから

当然皆何代にもわたって顔見知り。

現代風な解釈をすれば

「息苦しい」

と感じるかもしれませんが、だからこそお互い嫌な思いをしない様、

村八分にならない様に気を遣って生活をする。

この様に、自分の与えられた仕事、役割に迷うことなくぶつかっていく。

役割に対する迷いなく、各家庭における信条をもって。

そうすると、仕事という役割を通じて人間形成がされていきます。

こう考えると、現代の「自由」は人を幸せにしているのか分からなくもなります。

 

当然、現代でもこの様に仕事に取り組んでいる人も居ると思います。

そんな人は、どんな世の中になっても生きていけるという深い自信を持って。

仕事とは、お金を稼ぐためとも言えますが、

ここに書いたように、より大切な人間形成の「道」であります。

自然の中で、宇宙を感じながら生きることが出来る人間。

今その底力が試されています。

進んで行きましょう!

 

写真は、週末のストロベリームーン。

雲も多く、自分のスマホでは自分のスマホでは全く撮れなかったため、

SNSを通じて知り合えた、地元の写真家

shun shirai さんの写真を使わせていただきました:

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悪条件の中でも素晴らしい写真です。

いつもとても素敵な写真を撮られていて、

いつか自分のブログでも使わせていただきたくて連絡し、

許可はいただいていましたが、やっと使わせていただくことができました。

素敵な写真がたくさんあります、ぜひ見てください:

https://www.instagram.com/shun033

 

宇宙を見上げると、そこにはいつも秩序正しい営みがある。

だからこそ人は宇宙に憧れ、近づこうとし続けるのでしょうか。

 

来週は、上に書いた仕事の目的でもある「お金」について、

2013年 3月4日にも書いていましたが、もう一度考えてみます。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2020年6月 1日 (月)

木の話2:まっすぐみる

おはようございます。

先週は「新月に切った木」の話を書きましたが、

あまり身近に感じない事柄だったかもしれません。

今日は違う側面で木の話を書きます。

 

大先輩にお聞きした木に関する話です。

子供の頃おじい様と、大きな木のある庭にいると。

「木がまっすぐに見える場所を探しなさい」

と言われたそうです。

少年時代からまじめな先輩は、一生懸命に木の周りをぐるぐる回って

うねった木の枝、そして幹が比較的まっすぐに見える場所を探します。

候補地を探し出すと

「おじいちゃん、有ったよ」

と喜んで呼びに行きますが、おじいさんは

「違う」

と、一言。

更に探し続けますが、結果は同じ事。

ここでおじいさんは宿題にしたそうです。

すぐに教えてくれないところが、結果的には良いのですね。

 

ちょっと脱線します:

現代に生きる我々は、答えをすぐに求めてしまう傾向があります。

テレビ世代の自分もそうです。

それでも学生時代は、レポートを書くために必死で図書館通いをしましたが

自分の子供はすっかりスマホ世代。

もう答えは手中に収めている感じでしょうか。

でも、自分でも経験ありますが、

教えてもらったことは身につかない。自分で考え抜いて初めて本物の知識になると。

やれと言われれば、仕事でもない限りやりたくなるのと同じような物でしょうか…

 

そして日が過ぎて、さすがに考えあぐねた少年。

おじいさんも見かねて答えを教えます。

こう見るんだよ、と木をよく観察することもなくすくっと立ったそうです。

「あれっ」

と一瞬思いましたが、すぐに気づいたそうです。

まっすぐに見るとは、木を正面から見据えるという意味で

木を構成している枝や幹がまっすぐに見えるという事ではなかったのです。

 

何だか意地悪な質問のようにも聞こえますが、

自分はとても深い良い話だと思いました。

大きな木は人間の体の一生より長い年月をかけて育っています。

その木の魂に接するには、自分がそれを敬い、共鳴しなければ見ることはできません。

人間でも、自分にやましいところがあると相手の目をまっすぐに見られないことがありますが、

それほどまっすぐに見るというのは、自分の心が整っていないと出来ない事なのです。

 

最近は情勢が悪い方向に色々と変わり、表面に見える事柄に心が支配されてしまいがちです。

自分も大木の様に大地から霊気を吸い込むように歩き、呼吸し、

まっすぐにものが見えているか自問しなければいけないと、今週はこの話を書かせていただきました。

 

写真は、金曜日のブルーインパルス医療応援飛行を載せようと思ったのですが、

スマホカメラでは難しかったです。

そこで、先日JR東神奈川駅にも復活した「伝言板」を:

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携帯やスマホが無かった時代、駅での待ち合わせには必須でした。

こうやって内容を見ると、字にも内容にも味があります。魂を感じるというか。

たかが伝言板、されど伝言板。

情報は早い方が便利ですが、

便利さの追求で失ってしまったものがあるのを実感します。

今日も読んで下さってありがとうございます。

2020年5月25日 (月)

木の話:新月に切った木と満月に切った木の違い

おはようございます。

GW中に木について学びました。

宮大工、西岡常一さんの本はいくつか読んだことがありましたが、

そこでは職人としての心構え、刃物を研ぐ大切さ、生活を整えて木に向かう…

職人仕事に向かう姿勢が書いてありました。

プレス金型職人でも全く同じだと感じます。

会社経営に対してとても大切な学びを頂きました。

 

今回の話は職人の側面ではなく、

「木」自体の話です。

きっかけは、自分が住んでいる木造のはず家がまったく木の香りがしないことに気づいて。

見渡せば室内はビニールクロスと、樹脂でコーティングされた「フローリング」

そういえば、棟上げ自体もプラモデルを組み立てる様にあっという間に終わっていました。

今の建材は機械で強制的に乾燥させて、それを自動切削機で必要な大きさや形に切り分ける。

まさしくプラモデルのプラスチックが木に変わっただけの様です。

そしてそこにはたっぷりの防虫剤。

木の家に住んでいるつもりが、周りはほとんど化学物質…

 

そこで調べ始めると、40℃という低い温度でじわじわと乾燥させることで

木本来の強さや香りを失わない方法がある事を知りました。

その方法だと、中心部から均等に水分が抜けて生命力を保ったまま建材になるので、

湿度や温度を調整する機能を保てるそうです。

木が生きたまま建材になるという事です。

反面、強制的に乾燥させてしまえば表面がからからに乾いてしまい、

「木のミイラ」

の出来上がりと。

低温乾燥させた木は、しなやかで強い材料となり、

一般木材では考えられない、4階建ての木造ビルが出来たそうです。

実際に東京板橋区にあります。

 

これは凄い!と思ったのですが、だったら自然乾燥の方が更にすごいのかと思い調査継続。

実際世界最古の木造建築物、奈良の法隆寺は1400年前に建立ですから。

すると、オーストリアですごい本がベストセラーになっている事を知りました。

それは、

「木とつきあう知恵」という本で、

「新月に伐採した木は質が良い。割れないし虫もつかない」と書かれています。

水分とでんぷん質が少ない木が取れるそうです。

これはスイスのチューリッヒ大学でも証明され、

オーストリアの森林局でも

「新月の木」か「そうでない」

のかを木材の出荷証明書に明示するようになったそうです。

 

勉強資料の中では、この話を日本の木材生産者に聞いたところほとんどの人が知りませんでしたが

先祖代々伝わる林業家の中にはうっすらと聞いたことがあるという人も居る程度だったと。

しかし、著者が先に書いた西岡棟梁に聞いたところ

「あたりめーのこと聞くんじゃねえ」

と一喝。

日本の伝統的宮大工は凄いです。

実際に日本でも、京都の大学でその確認・検証実験を行ったところ、

新月に切った木と満月に切ったものでは水分含有量が違い、

新月に切った木はカビが生えなかったそうです。

 

月と地球。

海の満ち欠けは、月との引力のバランス。

出産も月の動きに連動しているとも。

そして木も月と会話している!

自然は偉大です。

 

知らないことを学ぶと、一方:

今は衰退していると思われている、林業にもすごい可能性が秘められている事も感じます。

実際に、現在でも国産の材料価格が特に高いという事は無いのですが、

規格化された木を大量に買おうとすると、どうしても外国産に頼らなければいけないそうです。

エコが重要視される社会。その最たるものが家だと思います。

数十年でボロボロになってしまう今の日本建築、

建て替える際には家だけではなく、とても多くのごみも排出されます。

100年住宅が常識になれば、世の中も良い方向に変わる気がします。

大量消費、大量廃棄社会より、

なるべく物を捨てない、ゴミが出ない社会は個人的には心地よいです。

 

ここに書いた学びは、主に駿河屋さんというネットで知った工務店様が送ってくださった

資料でいただきましたが、

この会社は、墨田区向島にあります!

自転車ですぐに行ける場所です。

世の中の狭さ、縁の面白さを実感しました。

毎日仕事では金属の話ばかりですから、たまには木の話も気分転換に良いです。

駿河屋さんありがとうございました!

 

写真ですが、先週金曜日夕方のスカイツリー「ソラマチ」です:

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ほとんどのお店が閉まっていますし、人通りもこの通り。

人の活動が制限されると、その思想も幅が狭まり、小さくなってきがちです。

自由に考えてよいという贅沢さ。

これは一見当たり前の様ですが、人類史の中ではたびたび大きく制限されてきました。

苦しい時ほど楽しい言葉をつかう!

気分を良くしてくれるのは、自分の思考だけです。

今日も読んで下さりありがとうございました。

 

2020年5月17日 (日)

やるべきことを見極め、実行する。

おはようございます。

先週までは大来さんの話を2週にわたって書きました。

今週は、その中での大切なキーワード

「構想・判断・実行」を違う切り口で考えます。

 

今回の新型コロナ危機に際し、多くの専門家ではない

「評論家」

の意見が拡散している怖さを感じます。

専門家ではないのですから、自分が間違えている事にも気づくことが出来ず

あえて言えば、「善意」で間違った事が広がっている可能性もあります。

本当に怖い事です。

これでは全く何を信じてよいのか分からず、途方に暮れてしまうのが普通だと思います。

 

そこで今日は、足元を見失わないために大切な言葉を共有させてください。

それは:

「システム(組織)を修正できるのは、システム(組織)に適応している人だけ」

という事です。

前にも少し触れましたが、自分がその組織の仲間でないのに、その組織のダメなところを

一生懸命に否定しても意味が無い(薄い)という事です。

 

例えば:

自分の子供が通っている学校で、親から見ておかしなことが行われていると感じたとします。

(ここでの「おかしさ」は現代の常識として過半数の人がおかしいと感じる事柄として)

担任にそのおかしさを伝え、修正を依頼する。

確かに一時的にその現象は収まるかもしれません、吹き出物を削除するように…

しかし、それが起きた根本原因まで解決できる(組織の体質改善)ことは少ないと思います。

 

ではどうすれば、組織の問題点の根本原因まで入り込めるか。

それが

「システム(組織)への適応」

です。

例えばPTA活動に積極的に参加し、出来れば役員などをつとめる。

そうすれば、まずはPTAという組織でその問題点を話し合うチャンスが生まれ、

そこで問題や課題を共有できれば、PTAから学校組織への提言という事で

個人の比べれば発言力が飛躍的に大きくなります。

更に、隣の学校のPTAとも連携し、地元選出の議員を巻き込めれば

冷静に話し合っているだけで、改善に向かって大きく進みます。

 

この様に、学校というシステムに適応することで、初めて自分の意見が効力を持ちます。

これは学校だけではなく、会社や近所、友人との関係でも全く一緒です。

もちろん国会という場でも…

現実は、どんな話し合い(と言えるか?)が行われているのか…

 

「話し合い」とは、

「勤勉で道徳をわきまえた一人一人の人間がいて、初めて成立する」

ものです。

 

相手をけなすのではなく、まず自分を律してから始まるのです。

自分がシステムに順応する勇気も実行力もないのに、それを批評批判しても、

人類の発展には全く寄与しません。ただのヤジでおわってしまいます。

 

人生とは不合理の連続ですが、大人になればそれに対する対処方法は自分で決め、

実行するしかありません。

厳しいようですが、誰も助けてはくれないのです。

 

各自できる範囲で社会活動に参加し、考え、学び、実行する。

他者を一生懸命批判している暇がある程、体の一生は長くないです。

そして、その際にもう一つ大切なのは、

過去から学ぶのは大切ですが、過去を否定してしまってはいけないという事です。

今おかしく見えても、過去にその形になったのは

さらにその前からのしがらみ(理由)が有ったのです。

そこに想像力を働かせないと、ただ破壊するだけになってしまいます。

だからこそ「否定」ではなくて「修正」。

批判するだけの意見は、役に立たないのです。

大切なのは「実行」です。

 

写真ですが、車通勤が多かったため

しばらく通っていなかった公園の道で帰ると:

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水面に目の覚めるような黄色いじゅうたんが敷いてありました。(黄ショウブ)

花はだまって大仕事!

自然にはいつも教えられます。

今日も読んで下さりありがとうございました。

2020年4月13日 (月)

薬より言葉

おはようございます。

コロナ対策で、GW明けまで終業時間を16:00とさせていただきます。

出勤体系ですが、工場が稼働状態のためテレワークではなく通常勤務体制です。

 

先週のブログ「パニック」でも書きましたが、非常事態には言葉の重要性がとても高くなります。

言葉一つでパニックになったり、落ち込んだりしますが

逆に良い言葉により奮い立ち元気が出る。

昨今の報道を見ていると、心配になる言葉ばかり、人を批評する言葉ばかりで

本当に元気がなくなります。

元気がなくなれば、当然免疫力も落ちてウイルスに対する抵抗力を失います。

評論するなら対案をもって、命がけで全責任を負って行う。

今回の様な未知の災害に対しては、評論家の意見はほとんど聞く価値がありません。

 

いいかげんな評論を聞くことですら、これほどの悪影響があるのですから

自ら言うのは本当に危険です。

「他者の批評は自分の元気をなくす」

と肝に銘じた方が良いです。

命の燃焼こそ元気の素、

無責任な批評や批判はそれに反するくすぶり行為です。

 

良い言葉を使う事が大切、それが分かってもどうすれば良いか:

自分の子供を見ていてもそうですが、文字を読むと言ってもスマホばかり。

スマホの中には、魂のこもった言葉はほとんどありません。

もちろん昨今の「本」にだって、それは少ないですが、

歴史的名著=古典にはそれが有るからこそ、時代を超えて残っているものが多いです。

 

悩んだり困ったりしたときに、ふと手に取った本によって人生が救われる。

薬ではなく言葉によって。

そんな奇跡的出会いがあるからこそ、読書家は本を大切にし、

感謝の意味も込めて読み終わっても大切に取っておきます。

時には命の恩人ですらありますから。

 

今自分が見ていると思っている対象物は、本当にまっすぐみられているのか。

特に自分が悩み恐れて暗闇にいる時には、注意をしなければいけません。

もしかしたらそれは実物ではなく、まやかしの光に照らされた

「影」

に過ぎないかもしれません。

様々な質の悪い光によって映し出される影におびえてしまう。

全く不毛です。

正確に物事を判断するには、

まず暗闇から脱して健康な体と、健全な判断力を持たなければいけません。

 

外出規制になると、まず体の健康を失ってしまいます。

そうなれば、健全な判断などできません。

各自工夫して運動をすることが大切です。

一歩踏み出せれば、二歩目からは簡単になります。

 

せっかく体が健康になっても気を病んでしまえば、すべてに対して逃げの姿勢になってしまいます。

もしくは逃げ故の、弱い(自分に立ち向かってこない)対象物への攻撃や非難。

それを防ぐためにも、ニュースはある程度の客観的情報を得たら遮断し、良い本を丹念に読む。

心配しすぎは、その状態ですでに病気ですから。

 

写真ですが、先週書いた

「陽だまりの無駄話」にも通じる場所です:

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会社近くの、京成八広駅前にある文具店。

入ったことは無いのですが、駄菓子やちょっとしたおもちゃも売っていそうです。

いつもここに大勢の小学生が溢れんばかりに集まっているのを、

とても良い気分で見ていました。

今は御覧の通り…

失って気づく、日々の大切な光景です。

子供が楽しく学び、遊び、成長できる社会。

これこそ、我々大人たちが責任をもって実現、維持しなければいけない事だと痛感します。

 

今日も読んで下さりありがとうございました。

2020年3月30日 (月)

~日後に死ぬ

おはようございます。

先週書いた、お客様社主回想録の話の続きです。

 

その中に、こんな話がありました:

昼に一緒に会食をし、夜もまた会う約束をした販売パートナーのM氏。

昼の会食後に得意先に出向き、その途中自動車を降りたところで脳出血で急逝。

43歳の若さで…

その昼の会食でこんなことをおっしゃっていたそうです(要約):

「今まで頑張って仕事をしてきたが、大した利益は残っていない」

「自分に万一のことがっても、家族の生活は維持できるだろうが、会社は持たない」

「万一自分に何かあった時はよろしく頼む」

と。

何といっても43歳ですから、その時は

「冗談」で済ませたそうです。

ところが、後から聞くとそれと同様のことを前夜奥様にも話をされていたと。

 

実は同じような事を、私も去年から今年にかけて2人(共に40歳台)経験しました。

2人とも突然の脳疾患。

大切な友人でありパートナーで、今でも悲しみは癒えません。

2人が死の直前にしていたこと:

  • 突然昔の仲間に連絡を取って、数年ぶりに会っていた。
  • 本来自分のやりたかった多くの事を、唐突にSNS上で表明する。
  • 日記のような形で、自分の先行きが長くないと匂わせる。
  • いつもと同じ普通のことをしているだけなのに、深く感謝をする。

など、

残されたご家族にお聞きしてもやはり

「自分が長く生きられないことを知っていたのかも」

と思われるような、いつもと違う言動が有ったとも聞きます。

その上で読まさせていただいた今回の回想録。

何となく経験した2つの事がつながって、自分が浮遊するような不思議な感覚に襲われました。

 

また、こんなニュースにも接しました。

2016年にワシントン大学で研究発表で、人の体には体が死んでから活動しだす遺伝子があると。

人間は自分の体の事すら、ほんの一部しか知っていないのかもしれません。

 

このブログで考察させていただいているように、体とは命の表現手段。

道具だと思っています。

それは各自にとって唯一の物であり、だからこそもちろん大切。

でも体がある事=命の躍動では無いんですよね。

 

命の躍動とは、例えば人の役に立って感謝される事。

最近の朝の風景、ドラッグストアに並んでいる年配の方も

もしかしたら自分で使う為ではなく、お孫さんの為に並んでいるのかもしれません。

まだまだ寒い朝もありますが、そう思えば力も湧いてくるのも分かる気がします。

 

写真ですが、この時期「力が湧いてくる」景色。

船橋方面に車を走らせていましたが、大渋滞にはまってしまい横道にそれると:

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全く予期していなかった、息を飲む美しい光景が広がりました。(実際はこの写真の数倍の長さ)

渋滞に耐えたご褒美でしょうか。

天国に一番近い景色かもしれません。

(あとで調べたら、木下街道から二和病院へ向かう街道沿いという事です)

今日も読んで下さりありがとうございました。